日本語を母語にしているから、日本人は日本語の達人か?といわれれば、困ってしまう。
わたしが使っている日本語は、正しい日本語なのか?を確かめる術が生活の周辺にないからである。
むかしは、NHKのアナウンサーが話す日本語が、正しい日本語だと習ったし、信じていたけど、それは、明治期につくられたあたらしい「標準語」なるものを起点にしていた。
そのNHKが、1985年(昭和60年)に、『ドラマ人間模様 「國語元年」』(井上ひさし原作)として放送したのを思い出した。
横浜には、ラッキーなことに全国でここだけの「放送ライブラリー」があるので、久しぶりに足を運んできた。
本作は5回シリーズであったけど、残念ながら初回分しか登録がなかった。
しかし、その出演者たちの多くがすでに鬼籍にあるかと思うと、時間の経過とこの作品の現在的価値の高さが身に沁みたのである。
まさにアーカイブの価値を発揮している。
放送ライブラリーでは、鑑賞のためブースを指定されて、その利用時間は2時間まで/回/日となっている。
自席で検索して視聴する番組などを選ぶのだが、同時に1983年(昭和58年)3月7日に教育テレビで放送された、『日本語を決めたのは誰だ(1)「戦後国語改革」』がヒットした。
これも全2回のうちの初回放送分だけが視聴できる。
これら2本を合わせても、既定の2時間に収まるのでついでだから両方とも観てきた。
ハッキリ言って、みるべき観光地なんてめったにない横浜で、この「放送ライブラリー」は、全国的に稀有な施設だから、たまに横浜を観光したいという向きには、お勧めなのである。
もちろん、入場も何もぜんぶ無料である。
放送文化に浸った後は、徒歩で中華街にも行けるけど、いまやお勧めできるお店が限られるのが難なのだ。
なお、『國語元年』は、放送後に舞台用としてシナリオが出版されている。
なので、続きはシナリオで確認したい。
蛇足になるが、このドラマは一応事実から書き起こしている。
江戸時代の中央集権はかなり緩くて、全国に「お国言葉」が蔓延っていたから、地方出身者が集まると言葉が通じないのは、コメディーではない。
最大のネックは、「富国強兵」のための国軍の指揮命令に、上官(薩摩、長州、土佐とか)の発する言葉がその他からの兵に通じない深刻だった。
それで、「話し言葉の統一」という、かつての天下人も成し得なかった偉業をやれと命じられた、上級役人を主人公にする人間模様なのである。
新政府を仕切った「薩・長」間で仲が悪かった理由に、薩摩弁と長州弁の互いの言葉が通じない、という基礎的な指摘は納得以外にない。
為政者にしてこれだから、日本語の統一は、フランス革命で「唯一の成果」といわれる、「フランス語統一」に匹敵するか、それ以上の難易度だった。
それでも、日本語統一が深刻な政治課題であったことと、「言文一致運動」とが結託して、いまに続く日本語になったわけではない。
それが、「戦後日本語改革」という、巨大な日本文化への破壊工作だったのである。
たまたまヒットしたことで、理解が深まったのはたいへんありがたいことだ。
もちろん、NHKの意図は、この逆だろうけど。
日本人は、「敗戦」を「終戦」といったり、「征服」を「占領」と言い換えたりして、自己欺瞞をしている。
8月15日は、確かに「終戦=停戦」と「武装解除命令」が出た日ではあるけれど、9月2日にちゃんと「敗戦」している。
『降伏文書』に調印したからだ。
しかし、我が国が降伏した理由は、『ポツダム宣言』の「受諾」を根拠としているから、降伏もポツダム宣言に基づくことに同意したという意味なのである。
何度も書くが、我が国が「無条件降伏」したのは、陸海軍という「戦闘組織」だけであって、日本国政府は、ポツダム宣言の範囲で、という、「条件降伏」をしたのである。
にもかかわらず、マスコミは「無条件降伏」としかいわないで、政府なのか軍なのかをはっきりいわない欺瞞を国民になすりつけているし、学校でも戦争前までしか教えない欺瞞をやっているので、直近の近代史をしらされないで、しらないままに成人するというおぞましき事態になっても、これに気づかせないから気づかない。
「条件降伏」だったものを天皇を人質にして大っぴらに破って、日本を「征服にやってきた」GHQは、早速に日本語を「ローマ字表記」させようと画策する。
これに呼応した日本人学者は多数いたし、いまもいる。
わたしが尊敬している、梅棹忠夫先生が、どういうわけかローマ字表記論者だったのは、いまだに理解できない。
けれども、この解説番組を観て、一つのことがわかった。
それは、知識人たちによる上から目線の、一般人に対する「憐憫(あわれみ)の情」なのだ。
かんたんにいえば、バカにしているのだけれども、それを「民主主義」とか、「庶民の文化向上」と甘言をいっている。
漢字の数を減らして、簡略化もし、やさしい表記にさえすれば、国民文化は発展向上するのだ、という。
それが証拠に、世界に誇る新聞の普及や出版文化がかくも花開いたではないか、と。
共同通信のえらいひとが、活字の種類が減ったのが、出版社の発展に寄与したという、知能を疑う「珍説」を真面目に語るのを初めて聞いた。
それでいまの共同通信があるのだと納得できた。
これら「表音派」に対して、「表意派」は、何をバカなことをといいながら、これがGHQの企図した「愚民化工作」なのだということに、どこまで気づいていたものか?までには及んでいない。
あえていえば、「表音派」は、損益計算のごとく「フロー」を主張し、「表意派」は、文化の「ストック(資産価値:貸借対照表)」を掲げての対立という不毛が、政治利用されたのだった。
しかし直感的に怪しんだその代表者は、やっぱり、福田恒存氏であった。
氏の生前の映像と音声が聴けただけでも、価値がある。
いま、言葉の乱れを超えて、文化の劣化をどうみるのか?を問えば、まさに福田氏のいう通りの事態(「もうどうにもならない」)となって、出版文化の向上どころか無様こそ物的証拠にもなっている。
もう、いまでは、珍説を述べて政治力を行使した人たちの責任を問うひとも絶えてしまった。
一度破壊された文化は二度と元には戻らない、は、近代日本人が世界に示した「実例」として、歴史に刻まれたのである。
まぁ、お隣の大国も、「文化大革命」をやって修復不可能にしたし、半島の南側も、「ハングル文字だけ」にして、もう漢字を使うこともできなくなったから、なんだか東アジアという地域は、歴史や文化の破壊がお好きな共通があるのであるけれど。