路線バスで横浜観光

「横浜」のイメージは、他県のひとには「かなりいい」らしい。
しかしながら、左派市長の政権が続いたために、ただのベッドタウンに成り果てて、いまや「お買い物」も、川崎に出かける時代になった。

横浜人の購買力が落ちているのは、かつての大繁華街「伊勢佐木町」の衰退をみればわかる。
いまでは、居酒屋通りになって、「昼呑み」エリアが拡大している。

もちろん、「シャッター街」があたりまえの地方に比べれば、空き店舗がないだけでも「繁盛している」ようにみえるかもしれないが、かつてのお買い物ロードだったイメージはとっくに崩壊している。

「伊勢佐木町」と「元町」の二大商店街の存在で、わざわざ東京の銀座に行く必要がなかっただけでなく、東京から買い物客がきていたのだった。
これは、「舶来品」のおかげで、センスの良い店は「オリジナル」まで開発した「ホンモノ志向」があったのだ。

「みなとみらい線」ができて、「埼玉県」とつながったいま、どれほどの埼玉県人が感心しているのか?はわからない。
むしろ、横浜の衰退と埼玉の「新興」との交互で、そんなに高い評価とは思えないのである。

いまの「観光客」が、どれほど「歩く」ことをするものか?という疑問もある。
いわば、横浜も「観光地」としてのエリアはそんなに広くない。
ただ、元町界隈から中華街を通過してみなとみらい地区を歩くと、それなりの距離はある。

上記の全部が「海沿い」という特徴があって、海から観れば「おなじ辺」にある。
これを、「表横浜」とすれば、「裏」から眺める方法も一興に値する。

わたしが「お勧めする」のは、横浜駅からJR横須賀線で一駅4分の「保土ケ谷駅東口」を基点にして、JR桜木町駅までを結ぶ、あんがいと長い距離を走る「路線バス」なのだ。
これに、均一料金で乗れる。

バス路線として、保土ケ谷から桜木町を結ぶのに、どうしてこのコースなのか?という疑問が生まれるほどえらく遠回りする。
もちろん、横浜駅から桜木町駅も、JR根岸線で一駅3分の距離だから、電車沿いに走る路線ではつまらない。

保土ケ谷は、いわずとしれた「東海道の宿場町」である。
しかし、どの宿場もそうだけど、あんがいと「長い」のだ。
宿場の基点は日本橋から歩けば、「江戸見附」から「上方見附」までと決められていた。

保土ケ谷宿は、横浜駅を基点とする相鉄線の天王町駅よりも、ずっと横浜より、国道16号線の手前に「江戸見附」の標識がある。
広重の有名な五十三次の絵にある、「保土ケ谷」は天王町駅を保土ケ谷駅方向に降りてすぐの公園内に、橋を模している場所が「絵の橋」なのだ。

それから保土ヶ谷駅を超えて、国道1号線の「狩場インター」手前に、「上方見附」跡がある。
この間が「保土ケ谷宿」だった。

ちなみに、『東海道中膝栗毛』で、弥次さん喜多さんのご一行は、江戸からの最初の泊まりにしたのが保土ケ谷なのである。

そんな保土ケ谷を発つバスは、保土ケ谷の地名由来となる三叉路で、東海道(国道1号線)から、鎌倉街道に入る。
電車ルートだと横浜駅を中心に、時計回りとなるけれど、このバス路線は反時計回りとなっている。

それで、一山越えて京急の井土ヶ谷駅に出てから、横浜市営地下鉄の蒔田駅に向かう。
蒔田(まいた)の周辺は、むかしから「がらっぱち」で有名だったのは、職人町であったからだ。

そんなわけで、市立蒔田中学校は、市内でも2番といわれた「荒れ方」をしていたので、わたしが中学生だったころ、絶対に行かない「鬼門」だった。
中学の向かいに、区役所があったけど移転して、いまは小型ショッピングセンターになっている。

流れている川は、大岡川だ。
春には弘明寺からの桜見物散策で有名なのだ。

バスはそれから、下町を通過して、「中村橋」から根岸台への急坂を登る。
後をみれば、なかなかの景色なのである。
そして、坂の上に、「米軍住宅」のゲートがある。
ここが、「天空の住宅(Negishi Heights)」だ。

一応、2004年に「返還」が決まったけれど、2019年(令和元年)に、日米合同委員会で「共同利用」が合意された。
いまは誰も住んでいないので、解体がすすんでいるから、これぞアメリカの家を観るならいまのうち、だ。

谷の反対側には、根岸競馬場のメインスタンドが異様な様で立っている。
わが国の占領は終わっていないとわかる、観光地なのだ。

なお、「1番」の異名をとったのは「平楽(へいらく)中学校」で、しっかりバス路線に停留所がある。
この中学は、かつて水上生活者たちを「善意からの強制で」陸にあげた地域になったためだ。

最優秀な教員が配置されたとはいうけれど、その生徒たちの武勇伝は尋常ではなく「鬼門中の鬼門」であった。
けれども、いまさらではあるけれど、「時代」とともに、「管理」への超敏感な反発だったとすれば、あんがいと「まとも」だったともいえる。

バスはさらに進んで地名が、「山手」になると異界ともいえる「リセンヌ街」となる。
「リセ」とは、フランス語でいう高校生で、「女子高生」がリセンヌだ。

男女共学化が進んではいるけれど、石川町駅の裏道をいまでも「リセンヌ小路」と呼んでいる。
男子生徒がうろつくと異様に目立つので、やっぱりめったに行かない場所だった。

「地蔵坂上」にある、横浜女学院側の「桜道」を下れば、山手駅方面になる。
一方バスは、山手本通りを進み、フェリス女学院から港の見える丘公園、それから下って、元町に出てからは「海沿い」をなでながら桜木町駅に到達する。

わたしは、この路線を1回全線乗車して、それから適当な場所で降車して「歩く」ことをお勧めしたいのである。
もうすぐ立冬だけれども、深まる横浜の秋を堪能できるにちがいない。

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