横浜で停泊を余儀なくされたクルーズ船のなかに入って活動した、神戸大学感染症内科教授の岩田健太郎氏が、下船後の3月4日にインタビューにこたえた記事が、緊急転載として『文春オンライン』にでている。
これを読むと、前に書いた、福島のときの保安院のひとが思いだされたとしたことが、確認できた。
やっぱり、「その道の専門家」ではなくて、「法律の専門家」である官僚が現場を指揮していた。
つまりは、「素人」である。
こういうことが、何度もくり返されるのはなぜだろう?
福島第一原発も、横浜市消防局救急隊のときも、そして今回のクルーズ船も、「おなじパターン」で「失敗」しているのに。
かんがえられることは、「目的合理性が狂っているのではないか?」という疑いである。
「何のために」「誰のために」という「目的」を追求するのではなく、えらいのは「官僚だから」という、ぜんぜんちがう次元からの発想が支配しているとしかかんがえられない。
しかも、もし官僚が、「マネジメント」の原則をしっていれば、過去の「失敗」から、「その道の専門家」に現場をまかせることの合理性に気づくはずである。
であれば、官僚支配の体制下でも、「権限委任」は可能になるし、積極的にそうさせるものだ。
これも「できない」という現実をくり返しみさせられると、「確信」に変わる。
官僚は、「マネジメント」をしらないのだ。
そして、ただ過去のやり方をくり返す「だけ」だから、ふつうこういうことを「馬鹿の一つ覚え」というのである。
平安王朝以来の「有職故実」をもってするのが「官僚の本質」であるから、わが国の支配思想は、「古代」あるいは「中世」のままであることがわかる。
まことに「平和な時代」なのであるから、戦後のわが国は一貫して「新平安時代」なのである。
これには、「鎖国」の思想も加わって、世界のことは気にしない。
よってこれらをまとめて、「平和ボケ」と批判されてひさしい。
しかして、ボケているのはなにも官僚ばかりではない。
残念ながら、国民が「惰眠を貪る」状態なので、官僚が張り切ってしまうのだ。
もちろん、惰眠を貪る国民がえらぶ政治家は、「気絶」状態にあるか「ゾンビ化」している。
よって、官僚を押さえつける立場のものが消滅しているので、ますます官僚が仕切るしかないのである。
これが、現代のわが国の思想背景と支配のメカニズムである。
つまり、党が行政官僚を仕切る、隣の大陸国家に「劣る」状態になってもいるのだ。
だから、わが国が民主主義国家であるというのは、たんなる「幻想」にすぎないし、より「隣国有利」が目立つのだ。
その意味で、ジョージ・オーウェルの名作『1984年』や『動物農場』のような「全体主義」に、もっとも近いのはわが国である。
さてそれで、岩田先生はつづける。
「安全と安心」のことだ。
安全とは科学的に裏づけられたものであるけど、日本人は感情的な保障としての「安心」を求める、と。
だから、マスクがなくなる。
米国CDC(疾病予防管理センター)やWHOがあれだけ予防効果がないと発信しても、「安心」だからと多くの人が買い占めに走るのだ。
もちろん、WHOの立場が揺らいでいるのは確かだ。
わが国に「優る」隣国の影響が、かくも明確になった事例はなかった。
ソ連の崩壊も、しっかり研究したうえで、さまざまな戦略を「マネジメント」しているからである。
けれども、マスクのみならずティッシュペーパーやトイレットペーパーの不足から、とうとう食料品にまで波及したのは、いったん死んだ「政治」がゾンビになって、「安心」を求めて国民に媚びるから、かえって国民が「不安」にかられるのである。
そして、なぜか「効果がある」とされる「手袋」や、「石けん」はなくならない。
アルコール系の消毒剤はなくなったけど、より日常での予防効果が高いものは、まったく無関心になっている。
これは、現代の不思議である。
けれども、もっと不思議なのは、「目標管理」がなされていないことである。
「感染者を一日でどれだけ減らすか」という目標設定がない、と教授は指摘している。
漢字とはよくできたものだ。
「目的」の「的」は、弓道でいえば「まと」である。
つまり、「いきつく先」であるから、「究極の目標」でもある。すなわち、転じて「存在意義」にもなる。
「目標」の「標」は、一里塚のような「道しるべ」の「しるべ」である。
つまり、「まと」までの「途中経過」のことを意味する。
年度予算が目標とされるのがその典型だ。
そんなわけで、むちゃくちゃが、真顔で実施されている。
それもこれも、この国を仕切るひとたちに、あろうことか、「マネジメント」が存在しないばかりか、はなから発想にないことを示しているのだ。
ふらふらと浮遊している。
そして、どこへともなく「漂流」しているのである。
まことに、驚くべき事態が、日々進行している。
もはや、経済政策どころではない。
この国は、今後もずっと存続できるのであろうか?