退屈な観光地

どんな国のひとがお節介焼きなのか?とかんがえをめぐらすと,やっぱり,とおもうのはドイツ人ではないかとおもう.

一人旅をしていたむかし,スイスのホテルで朝食をとっていたら,となりのテーブルのドイツ人夫妻から声をかけれた.笑顔でないのでなにかとおもうと,わたしのプチフランスパンの食べ方がわるいという.手でわってちぎってはいけない,ナイフを横にいれて切りなさい,といって見せてくれた.
「パンはこうやって食べるものなのよ,わかったわね!」真顔であった.

それでは,「ハラキリ」のようだから,日本人としてはあまり気分がよくない,と言いかえそうかともおもったが,めんどうくさいのでやめた.
いわれたとおりにして食べたら,夫婦ともはじめて笑顔になった.
それで,この夫婦が先にすませて席を立ってから,またちぎって食べた.若い頃の思い出である.

スイスでは,住宅のベランダには花を飾ることが条例できめられているから,花を枯らしたりとだえさせたりすると,お隣さんから文句をいわれ,放置すると罰金刑になる.それに景観にわるいから,洗濯物を外に干してはならない.だから,どこにいっても「生活感」がない.世界の公園と自慢するのはよくわかるけれども,これもゲルマン系の習性だろうか.
ドイツでは,ガラス窓がよごれていても見知らぬ通行人が文句をいいにくるから,執念すらかんじる.

スイスは,九州ほどの小国ではあるけれど,ハイキングコースの総延長は地球をまわる距離になる.それではと,ケーブルカーや登山電車には乗らないで,ハイキングを試みた.
整備された山道を歩いていると,ちょっと一服したいなぁとか,のどがかわいてきたなぁ,とおもうと,なぜか国旗がみえてくる.そこは山小屋で,かんがえられる要求はすべて満たされるようになっている.たぶん,なんにんものモニターが歩いてきめた場所に建てたのだろう.

めざす頂上まで,何カ所にもこうした山小屋があるから,てぶらでハイキングがたのしめるようになっている.
また,眺望がいいばしょには,どんな景色がみえるのか解説した絵図があるから,無視できない.
絵図と実物の景色を確認したくなるようになっている.

それで,頂上につけば,またそこにも国旗があって,テラスでビールがいただける.もちろん,缶ごと口にするなどという野暮はない.ガラスのグラスにそそいでくれるし,ちゃんとしたサンドウィッチも陶器のお皿で提供される.
だから、けっして安くない.

しかし,そうやってゴミの管理もしているから,ちゃんと便利さを買っていると認識できるようになっている.山小屋の背面には,上水タンクがあって,床下には山にたれながさないように汚水もタンクに貯められるようになっている.どうやってここまで運んだのか?廃棄物をどうやってふもとまでおろすのか?そんなことを想像できないひとは,ここにはいない.

歩いて山をのぼっても,山小屋でつかった金額をかんがえてみたら,ケーブルカーや登山電車をつかったのとそうたいしたちがいはない.こうやって,ちゃんとお金をつかわさせるが,どちらを選んでもきっちり価値は提供されているから,損をした,という気はまったくしないように設計されている.
以上のはなしは,35年前のことである.
これが,観光産業というものだ.

この点,日本人はみごとに無頓着であるし,貧乏くさい.
日本のリゾートなら,せいぜい使い捨てのカップや皿に,プラスチックのスプーンやフォークがあたりまえだろう.本気で地元の森林をまもるつもりがないから,間伐材の割り箸をつかわずにプラスチックの箸を使わせる.それで,利用者には,ぼられた感がのこる.どこにも「豊かさ」がない.
これで,環境を守るという発想らしいから,どうかしている.

それならば,「観光都市」ではどうだろう.
東京の新橋・汐留開発で,鉄道貨物駅であった汐留駅の跡地をえがいた都市計画のマスタープランをもって,同時期・同様に鉄道貨物駅跡地のドイツ・ケルンでの都市計画と比較するこころみがあった.

東京都の職員がケルン市の職員にマスター図面をみせると,ケルン市の職員は,「われわれはこれを『都市計画』とは呼ばない」と一蹴していた.その後,都がどのように修正したかは,くわしくしらないが,このときドイツ人が言いたかったのは,ゾーン・プランニングの概念が希薄だということだった.

日本でのゾーン・プランニングは,商業,住宅といった「用途」を中心概念にしているようだが,ドイツでは,旧市街・新市街という街並みのデザインの美しさのちがいをさきにかんがえるらしい.つまり,伝統建築エリアと,モダン建築エリアである.これを広い道路で区分する.
たしかに,われわれ日本人にはこの概念が希薄だから,国内にのこるのはせいぜい旧家という「点」であって,エリアと呼ぶにふさわしい「面」はすくない.

上述の都の職員を責めるだけでは公平ではない.背後にはかならず日本建築学会という魔物が存在するからだ.鳴り物入りの建物を行政がつくろうとしたら,かならずコンペをやることで,役人は結果責任を回避する.応募の候補者も,選考にあたる専門家も,建築学会のなかでいきているひとたちだ.

ところが,さほどにゾーン・プランニングに無頓着という日本人だが,あんがい戦前につくった「日本人街」はちゃんとしているという.
いまでは「リゾート」として有名になっている青島に,旧日本人街と旧ロシア人街がのこっている.写真でみせてもらったが,なるほど,どこかでみたような街並みだ.戦災で焼けるまえの銀座のようであるから,ヨーロッパとはちがう.

英国のチャールズ皇太子といえば,日本ではスキャンダルをイメージするのだろうけど,あんがい芸術肌のひとである.彼は,カメラをもっていない.
各地を訪れると,ささっとスケッチをするのだ.それから,おもむろに水彩をほどこすという.
その彼が,ロンドンの街並みや,世界各地にできているショッピングモールを批判した本まで出版している.「英国の未来像-建築に関する考察-」は,日本語版もある.街並みの美しさが失われることが,そこに住む市民の損失であることを大層な説得力でかたっている.

小田急江ノ島線に,湘南台という藤沢市の駅がある.ここは,相鉄いずみの線や横浜市営地下鉄の起点・終点だから,神奈川県内の交通の要衝でもあるが,けっして観光都市ではない.
しかし,魔物と上述した,日本建築学会が賞賛した建造物があるので,これを観にでかける価値がある街である.それは,藤沢市湘南台文化センターこども館,という駅前の公共施設である.

同様に,JR根岸線本郷台駅前にそびえる,神奈川県立地球市民かながわプラザ,という施設名称からしてあやしい建築も観ておきたいから,春の湘南観光にいかがだろうか?ただし,ゲテモノである.
わたしはこれらの建造物を観ると,旧ソ連科学アカデミーを牛耳った,ルイセンコをおもいだす.
チャールズ皇太子が観たら,卒倒するだろうし,思想としての日本文化への重大な疑問をもつだろう.

観光庁が,外国人観光客に日本観光のアンケート調査をしたら,もっともおおかったこたえが「退屈な日本」だった.
正直な回答がえられたことは確かだろう.

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