あと3日。
「休業日の初日」が4月1日から、7月23日までだと適用される。
つまり、適用のリミットが迫ってきている。
適用されるとなっても、「休業規模要件」があって、中小企業なら休業等延日数が所定労働延日数の1/40以上、大企業なら1/30以上ないといけない。
計算方法の詳細は、別途お調べいただきたい。
そして、あんがい重要なのは、助成金の休業手当の額は、「労使協定」で決める必要があるということだ。
この労使協定が「ない」企業が、これまた「あまたある」ことをずいぶん前に書いた。
「36協定」を主に意識して書いたものだったけど、労働組合がなくても「従業員代表」をえらんで、協定を結ぶこと「すら」しないのは、使用者が警戒してしまうことがあるだけでなく、そもそも働くひとたちが、働くことの仕組みをしらないからなのである、と。
これに、「岡っ引き」の伝統がわが国にはあって、各「士業」がこれにあたるとも書いた。
資格制度を担当し、合格した「士」たちを管轄する役所の岡っ引きに、いやおうなくさせられるからである。
そんなわけで、社会保険労務士というのは、労働省管轄だったから、いまでは厚生労働省が担当の「士業」になっている。
学校を出て、すぐさま役所に就職するのが役人の「ふつう」なので、民間で労働組合の組合員や執行部になったことがないひとたちがこの「士業」をつかっている。
この国の基本、明治以来の「産業優先」が21世紀のいまだに守られている。
だから、名前に「労働」がつく役所がみている角度には、産業界とか企業があって、働く国民をみてはいない。
こうして、働くひとたちが、自分たちの労働を正当化できないで放置されても、「労働基準法をしらないで働いている方が悪い」といえるのである。
よほどのことがなければ、社会保険労務士が企業内の働くひと向けのセミナーなんてやらないのにだ。
おカネとしての「報酬」をくれるのは、企業経営者たちである。
だから、岡っ引きは、企業経営者たちと結びついて、得た情報を「同心」である役人に報告する。
この逆が、各種補助金の支給の仕組みなので、経営者たちはしっていても働くひとたちが、詳しくなることはない。
それに、無邪気にも、会社を過剰に信用したりして、気がつけば奴隷のようになってしまっているのである。
けだし、気がつくひとも小数派である。
学校生活における「集団主義」が、気がつかせない訓練を施すからである。
金の切れ目が縁の切れ目。
雇用調整助成金による「助成」という名のおカネが切れたら、無能な経営者は安逸な判断としての、「解雇」を選択する。
経営者の役割をしらないから、「無能」というのである。
このご時世をどう読んで、どのような経営を将来にわたってするのか?
果たして、「観光業の未来」のことである。
そして、いかなる「手を打つ」のか?
そのための資金や人的資源は?
雇用調整助成金を、単なる延命措置とかんがえてはいけない。
考慮時間をくれただけなのだ。
単なる延命措置として、無為無策のままでいたら、金の切れ目が縁の切れ目になるのは必定だ。
こんなわかりやすい「未来」もない。
そして、もっとおカネをくれ、といえば、人気がほしいポピュリズム政府と政治家は、あらたな補助金制度をかんがえてくれるかもしれない。
こうやって、おカネを得るもっとも効率がよい方法が、消費者による消費行動を促すことではなくて、政府から施されることになったら、もう「乞食」同然に陥るのである。
企業が、政府依存する。
この「麻薬」にひとたび浸かったら、経営者たちの脳髄が冒される。
これこそが、恐怖のはじまりなのである。
もはや、たとえば宿泊業だけでは立ち行かないと予測したら、どんな事業分野への挑戦をすべきなのかをかんがえなければならない。
それが、転業なのか多角化なのかも、経営者の判断次第なのである。
経営者の能力が、あからさまに要求されている、稀有な状況になっている。
業界横並びすら通用しないのだ。
ならば、働くひとたちも安逸にはいられない。
自社の転業や多角化に、自身が対応できるのか?
無能な経営者なら、解雇されるかもしれない。
だとすれば、自身の労働力をいかに「売る」のか?
じつは、働くひとたちにも、能力があからさまに要求されているのである。
この「厳しい現実」から、悪魔(メフィストフェレス)のような政府や政治家が、巧言令色をもってすり寄り、最後には「魂」が抜かれる。
まるで、『ファウスト』の物語なのである。