1954年農産物貿易促進援助法

これは、アメリカの連邦法である。
法律の内容から、「余剰農産物処理法」といわれて、法律番号から、「PL480」ともいう。

なお、「PL」とは、同国法体系にあっての「Pub.L.」のことで、「the general public (public laws)」の略、つまり、もっとも一般的な「公法」をさす。

この法律は、さまざまな変遷を経て、2008年に「平和のための食糧法」になり、その「目的」から、「輸出市場開拓」の文字が削除されている。

つまり、戦後の食糧難のときから、輸出市場開拓を日本でしていたことの「根拠法」なのだ。
そして、わが国では「学校給食」による消費として活用された。
その具体的な食材が、「パン」と「脱脂粉乳」だった。

もちろん、「パン」の原材料は「小麦」なので、米から小麦への転換を強要されたという見方もできる。
マクドナルドの絶対的戦略が、子供のうちに味を覚えさせること、とおなじで、一生の「食」を支配することになるからである。

これは、消費者に「習慣性」を植え付ける、という意味の企業行動である。

いわば、「麻薬」とまではいかないけれど、意図的に「依存症」にさせる、意志のことだ。
じっさいに、小麦に含まれるグルテンには、脳に快楽物資の分泌を促す作用があることがわかっている。

「人類は皆兄弟」だから、おなじ動物だとかんがえてはいけないのは、「人類史」における、「環境適応性」が、人種や民族によって異なるからである。

アフリカを起源とする、ホモサピエンスは、どうやって地球上に拡散したのか?という壮大な物語がある。
地球儀をイメージすれば、北と南といった「縦方向」に移動するのと、東西といった「横方向」のどちらに移動するのか?

いま住んでいる土地が、なんらかの理由で住めなくなって移動をかんがえたとき、「気候」といった「環境」がなるべく変わらない場所に行くのが、いちばん「楽」な選択だ。

もちろん、「徒歩」をもってする移動だから、はじめは大きな変化に気づかない。
それでも、「縦方向」を選ぶのは、なにかの事情があったともかんがえられる。

 

そんなわけで、広大といっても巨大な「島」のアフリカ大陸から出るには、いまのイスラエルやサウジアラビアを通過しないといけない。
なので、この場所が、その後の人類の「分岐点」となるのである。

なお、地球には自転があるので、太陽はかならず「東」から昇る。
ゆえに、「光」を求めた人類は、東に向けて横移動したとかんがえるのは、説得力がある。
しかし、変わり者は「沈む」方向に向けて移動したのだろう。

さてそれで、当時のイスラエルやサウジアラビアの地域が、どんな気候だったのか?を調べると、あんがいといまのような「砂漠」ではない。
ただし、乾燥傾向にあったから、食糧とする穀物は「小麦」であった。

だから、人類は小麦という植物がなかったら、世界中に拡散することはできなかったろう。
しかしながら、小麦には必要なタンパク質や栄養素が足りない。

それで、家畜の乳や肉をもって補ったし、オリーブ・オイルから脂質を摂った。
また、絶対不可欠の「水」の確保が困難なので、ぶどう酒から水分補給した。

これが、生存をかけたときの「食欲」だ。

水代わりのぶどう酒は、「酒」なのでアルコールが入っている。
これによって、腐敗を防ぐだけでなく、人間側の機能も強化されて、この地域の人々は、絶対にアルコール分解できる能力をもったのである。

ゆえに、のちにヨーロッパ地域に移住した白人種たちは、生存能力としてアルコール耐性をもつのである。
逆にいえば、アルコール耐性がない個体は、淘汰される運命にあったのだ。

なので、羊とワインがそのまま「宗教」のなかでの絶対的要素になった。

さてそれで、東に移動したひとたちのゴール地点が日本列島だった。
当時の海水面は、いまよりも150メートルばかり低かったので、到達するには航海を要しない。
されど、日本列島の東には、太平洋があるから、どん詰まり、なのだ。

いつから米を栽培したのか?
縄文遺跡からでてきた籾をDNA分析したら、万年単位のむかしになるのである。
それで、揚子江沿岸の米との類似性が確認された。

伝播ルートは、北回りの朝鮮半島経由ではなくて、直接、ということがわかったのは、朝鮮半島にみつかる米が、ずっと新しく、別種だからである。
加えて、米の栄養素は、小麦と比較にならないほど豊富なのである。

それで、日本人は乳や肉を食べずにやってきた。

水も豊富だから、ワインを必要としないばかりか、和食にワインはあわない。
これが、わが国でワインが普及しない理由だし、キリスト教も普及しないのである。

それに、米から作る酒だって、貴重品だからお供えする「御神酒」になって、自分たちでは飲まない。
それで、日本人は世界的にアルコール耐性がない民族になった。

こうしたことの「破壊」が、自国ではなく外国の国内法で実施された。
しかも、その「余剰農産物」とは、なんと「残飯」扱いにもなる「品質」だった。

そうやって、日本人が「羊=家畜」にされた。

署名したのは、「アイク」、共和党アイゼンハワー元帥である。
しかして、大統領退任時に、「ディープステートの支配」を口にした最初のひとだった。

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