ブルー・ステートの共産化

今回の大統領選挙でもはっきりしたのは、北アメリカ大陸の両岸、東海岸と西海岸が、青い民主党の牙城だったということだ。
これらの地域とは、どういう地域なのか?
海があるから、外国との貿易が盛んな場所になる。

外国貿易には、国際決済がつきものなので、そこには当然、国際金融機能がないと成り立たない。
だから、自然と「グローバル」な発想になるのである。

いまはなき「文部省唱歌」といわれた分野の歌に、『海』がある。

海は広いな 大きいな
月がのぼるし 日が沈む

海は大波 青い波
ゆれてどこまで続くやら

海にお舟を浮かばして
行ってみたいな よその国

まさに、「ゆれてどこまで続くやら」、「行ってみたいな よその国」とは、グローバルへの萌芽であり発露である。
森林太郎(鴎外)作詞の、「横浜市歌」は、その格調高さゆえ横浜市民の愛唱歌であって、市民なら「君が代」をしらなくてもこの歌はしっている。

わが日の本は島国よ
朝日かがよう海に
連りそばだつ島々なれば
あらゆる国より舟こそ通え

されば港の数多かれど
この横浜にまさるあらめや
むかし思えば とま屋の煙
ちらりほらりと立てりしところ

今はもも舟もも千舟
泊るところぞ見よや
果なく栄えて行くらんみ代を
飾る宝も入りくる港

まさに、「グローバル賛歌」なのである。

横浜港の銀行といえば、かつての横浜正金銀行、いまの横浜銀行で、ずっと大蔵省のエライひとが天下っては「頭取」になる銀行であった。
地銀にして実力は都市銀行といわれたのは、地銀になったこと自体が「変だった」からである。

たとえば、シベリア出兵で兵以外の日本人が6千人以上暮らしていた、ウラジオストック支店とか、ハワイ支店もあったからである。ただし、このころのウラジオストックは日本領だった。
ちなみに、ウラジオストックあたりの極東ロシアの食卓には、赤いキャップのキッコーマン醤油がいまだに欠かせないのである。

子どものころから、他人と競争してきて、受験戦争というものの勝者がなるのが、「高級役人」だから、発想が攻撃的になる。
彼らの勝ったか負けたか、とは、自分の企画が通ったか否認されたかによって判断する。

それで、さまざまな「ねじりこみ」をする。
これが、政治家の開発利権と結合してできたのが、「全国一律」という発想である。

一方で、こうした「ねじりこみ」をしないのが、「自然体」を理想とする、「合気道」だ。
武道のなかにあって、唯一「試合がない」というのは、世界でも類例がない。ようは、勝ち負けがない。

これが、本来の「自由主義」の発想である。
この「自由主義」の自由は、自由放任の自由ではなく、誰からも命令されない「自由」をいう。
よって、自己責任を伴うのである。

誰かから命じられたことで、自己責任をとらされるのでは論理がおかしい。

こうした発想は、海があるかないかではないけれど、変化に乏しい内陸部に保存される傾向がある。
なぜかというと、海があると、内陸部より速く変化にさらされて、うまくすれば発展も速いからである。

そんなわけで、速く発展し、富が蓄積する好条件に見舞われるので、海がある地域では貧富の差が広がるようにみえるのである。
それが、横浜にもあって、山の手地区とドヤ街が、目視できる近所に並立するのである。

そうやって、政府による富の分配が社会正義になれば、社会主義が受け入れやすい環境となる。
長く、横浜市政が日本社会党によって行われた根拠でもある。

こうした地域が、もっとはっきりと巨大に現出しているのが、アメリカ合衆国の両沿岸地域なのだろう。これが、「民主党」の基盤である。
それで、取り残された内陸部が、「自由」をモットーとする共和党の地域になっている。

なお、アメリカの自由には、上述の自由と、強固かつ基本に「信教の自由」があることがわが国とのおおきなちがいである。

合衆国国旗にある、赤と青のラインにあるように、共和党は「赤」を、民主党は「青」をシンボルカラーにしている。
「ブルー・ステート」は、富の分配が社会正義だとする「州」なのである。
そのための政策は、わが国の「自民党」に近い。

むしろ、戦前、戦中、戦後の占領時代、一貫して20年も続いたのが、アメリカ民主党政権だったから、自民党の基礎がこれに倣ったといった方がよいのだけれども、民主党極左よりも過激なのが日本の自民党になった。
アメリカ人には、とっくに日本が共産国にみえるにちがいない。

この意味で、ふだん自民党の政策に文句をつけるマスコミが、アメリカ大統領選挙では、こぞって民主党を応援する「偏向」をみせたのはいったいどういうことか?

しかし、副大統領候補のカマラ・ハリス氏が選挙演説で物議をかもしたのは、「共産主義を礼賛した」からであった。
そもそも、彼女自身大統領選挙の民主党予備選で敗退したのは、その「極左」としての主張が、党員にも忌避されたからだった。

東洋の大国からの資金援助疑惑もあるなか、「ブルー・ステート」の民主党支持は揺らぎなく強固だった。
これは、将来、「ブルー・ステートの共産化」を意味するかもしれない。

南北戦争ならぬ、両岸と内陸の決戦があるかもしれないのである。
そのとき、わが国周辺はどうなっているのか?

わが国があれば、の話である。

次はスイスの国民投票

アメリカ合衆国大統領選挙は、民主主義の守護神のような国で、ありえない「不正」が横行するのだと世界に知らしめた。
投票率が、「200%」という州がある不思議は、ふつうに理解できる数字ではない。

全体主義の国だって、せいぜい「90%台」で発表する。
やっぱり「100%」はありえない、という「常識」がはたらくからだろう。
もちろん、「100%」を超える投票率を自慢する独裁者もいない。

それに、共和党候補の投票用紙が大量に廃棄されているというから、これらを、「正常」として、「勝利宣言」できる神経は、まともではない。
「潔癖」をもってならす日本人なら、勝利側も「再確認の要請」をしないと、人格が疑われて、当選が無効になると承知するだろう。

つまるところ、「勝てば官軍」の究極であって、日本人でも「なった者勝ち」という社内昇格の理不尽に共通した、「邪悪」がある。

予想通りとはいえ、「世界の趨勢を決める」アメリカ合衆国大統領選挙は、場外乱闘の延長戦に突入することは間違いない。
そして、これは線表(ガントチャート)管理でイメージすれば、複数の「線」が走ることになるから、整理しておかないと複雑にみえてわからなくなる。

◎不正票と正当票
・対象となる「州」の特定
 → 激戦州が対象になるのは当然だが、前回の1州から今回は?
・複数の州となったときの裁判所の対応
 → 州内地方裁判所 → 州高裁 → 連邦最高裁
 → 12月14日の「選挙人投票日」に間に合うのか?
 ※ 内閣参与になった元大蔵官僚の高橋洋一氏は、最高裁の事務能力がパンクするおそれを心配している。
 ※ トランプ政権が滑り込ませた、保守派判事の効果もいかに?
 → 間に合わないと、憲法の規定で下院議長が「大統領代行」となる。

◎下院と上院の選挙結果
・下院は今回も民主党が過半数をおさえた
 → 「大統領代行」となった場合は、民主党の下院議長がなる。
・上院は今回も共和党が過半数を維持した
 → 副大統領は、共和党からとなる。
・「外交」に権限をもつのが上院なので、わが国等の外国にとっては引き続き共和党の影響を受ける。

◎バイデン氏一家への捜査
・誰が、いつ逮捕されるのか?
・逮捕容疑は?
 → 息子ハンター氏には、児童虐待容疑もある。
 → 「一家」とすれば、連座するひとたちが多数の、これだけで大スキャンダルである。
 → 外国との不正取引が「売国」という視点で注目される。
 → また、ジョー・バイデン氏本人逮捕の場合は、大統領候補としての欠格事由になる?
 → 「欠格者」となれば、トランプ政権が継続する。
 ※ 最重要な「マター」だ。

◎ウクライナの容疑者指名(上記捜査が国内なのに対して)
・ジョー・バイデン氏は、投票日前にウクライナの裁判所から刑事事件の容疑者としてリストアップされ、ゼレンスキー大統領は、「反逆罪」と明言している。
 → ウクライナ政府は、アメリカ政府に「容疑者引き渡し」を請求するのか?
 ※ その請求を現政権が「棄却」する可能性は?
・昨年、本件でトランプ氏が下院で「弾劾」されたので、真犯人の登場はアメリカ国内でも、「国家反逆罪」の適用はありうる。

つまり、トランプ氏は選挙に負けても、バイデン氏の過去の所業が欠格事由となればいいのである。
そして、バイデン氏は限りなく黒に近い。

ウクライナ疑惑はもう「疑惑」でなくなって、ウクライナの現政府が、「容疑」にしている。
このほかに、外国がからむ「疑惑」は、なんといっても東洋の大国との取引である。

この「疑惑」は、この大国もかんたんに認めないだろうから、当分は「疑惑」のままなのだろうけど、息子のハンター氏のパソコンと、彼とビジネス・パートナーだった人物が証拠と証人になった。
この件には、その筋のプロである、ジュリアーニ元ニューヨーク市長が、強力に取り組んでいる。

今月29日、スイスで行われる国民投票について前に書いた。
これは、「スイスの多国籍企業」が世界で「人権侵害」や「環境破壊」を引き起こした場合、責任追及できる法律の制定の是非を問うものだ。

いま、世界で注目されている、「人権侵害」や「環境破壊」を引き起こしている国とは、ハンター氏を含むバイデン氏一家全員が関与していると「疑われている」国をいう。

それで、「スイスの多国籍企業」とは、高級時計メーカーを指すとはだれもかんがえない。
ふつうに、「スイス銀行」と思えば、「秘密口座」がどうなっているのか?に興味がわくものだ。

バイデン氏一家をつかって、東洋の大国が意図していることとは、政治的支配ということになるだろうから、この大国は、あらゆる手段を用いると想像できる。

その、源泉は、先立つものであるし、この大国を支配するひとたちの「個人資産」がどうなっているのか?を想像すれば、やっぱり強烈な「打撃」となるだろう。

今月末に、スイス人がどんな意思表示をするものか?
日本人としても、注目したい。

マネジメントで『眼下の敵』を観る

1957年度アカデミー賞特殊視覚効果賞を受賞した作品である。
原作は、英国海軍中佐だった、D・A・レイナーによる同題の小説である。
原作の冒頭に、特に「著者覚え書き」として、「本作は完全な架空」と念押しされている。

第二次大戦を題材にした数ある戦争映画(小説)のなかでも、海戦モノ、しかも、駆逐艦と潜水艦の一騎打ちにおける「知略」を描いた傑作とされ、主役、ロバート・ミッチャムの代表作でもあり、また、ドイツの名優、クルト・ユルゲンスがハリウッドデビューした記念碑的作品でもある。

 

子どものころにテレビの映画劇場番組で、何回か放送された記憶があって映画館で観たことはない。
それが、なぜか突然思い出されたので観直した。

おとなになってこの作品を観る意味は、ストーリーではなく人間心理の「マネジメント」からの視点にある。
戦争における「殺し合い」という、究極の環境にあって、「将」たる人物のとる行動がはっきりと、象徴的に描かれている作品だからである。

勘違いをされては困るのは、「殺し合い」や「戦争」を美化したいのではないことだ。
あくまでも、そのマネジメントの「妙味」をいいたいのである。
こんな上司に出会いたい、こんな上司になってみたい、と思わせる「教科書」でもある。

映画での設定は、原作のイギリス海軍からアメリカ海軍の艦船になっている。
もちろん、「敵」はドイツのUボート。
けれども、よくあるアメリカが正義でドイツが悪だとする「勧善懲悪」の設定になっていない。

海上の米・海中の独どちらも、「板子一枚下は地獄」という、海の常識が前提にあるからリアルなのである。
「将の判断」が間違えば、沈没という全員が戦死の悲惨に見舞われるし、「兵」の担当業務が滞ったり機能不全になっても、それは同じなのである。

これが、「部分」である陸の闘いとはぜんぜんちがう「海」の世界だ。
ビジネスに於いて、会社を船に例えるのが常識なのは、正解である。

ロバート・ミッチャム扮する新米艦長は、自分たちが命を預けるにたる人物なのか?
戦時の人材不足から、なんと彼は商船の三等航海士だった。

対する、クルト・ユルゲンス扮する独軍は、職業軍人とナチスとの軋轢がある。
注目すべきセリフは、第一次大戦の「負けても名誉あり」とする、ドイツ魂の現実との葛藤の告白だ。

これらの条件をもっている両艦長が、どのようにマネジメントし、人心を把握するのか?
そして、人心を掌握した後の両組織が、いかほどの団結をするのか?
もちろん、これが、「戦果」に結集することはいうまでもない。

まったくもって、「現代」の「会社経営」における要諦である。

同じ職場条件で、同じメンバーで、成果が変わる。
これは、冷厳たる事実なのであって、どんな組織でも起きることなのである。

「実話」が元でも「作り話」でも、映画は映画である。
だから、これらの人物たちが、どのような教育を受けて、かくなる人格を得るに至ったのか?については、まったく表現がない。
観客が、想像するしかないのである。

しかし、一方で、そうした説明を要しない、という社会常識が、公開当時の社会にあったとすれば、いかなる変化を社会の方がしたのか?ということになる。

ロンドンの友人からこんな写真が届いた。

わが国なら、東条英機といまの首相を想像すればよいだろう。
いい悪いではなくて、この「軽さ」はなんだ?
ここでなにも懐古趣味をいうつもりはないけれど、大丈夫なのか?ともおもう。

人格を育てる教育が、学校教育に期待できなくなっている「わが国」で、どうするのか?という問題は、けっこう深刻だ。
それは、大学教育にも影響して、経営学が経営をおしえているとはいえない。

「テクニック」に走るからである。
あたかも、会社の数字をよくするには?ということの解答が、「経費削減」で済ませられているように、本質を欠くことにばかり注力して、結果的に目的を果たすことができないがごとくである。

それは、すでに、この映画でのクルト・ユルゲンスのボヤきにも表現されている。
むかしは、潜水艦の艦長は潜望鏡を覗きながら、自らの頭脳で計算し魚雷を発射し獲物を仕留めたものだったが、いまは、潜望鏡のなかの画面に諸元が表示されて、艦長はそれを読み上げるのが仕事になった、と。

第二次大戦中という時代でさえ、これなのだ。

しかし、彼の嘆きは、「マネジメント能力」にはまったく関係なく、むしろ、機械化・自動化の現場だからこそ、より重要度が増しているのである。
これは、現代企業の経営だっておなじである。

沈没直前の艦に残った二人の艦長を、先に退艦した兵がボートで救出する場面では、ドイツ兵と米兵が競って駆け上るのを、引いた画面で写しだしている。
いま、上司や経営者が困難な状況におかれたことをしったとき、自分の部下が命がけで助けてくれるかをかんがえればよい。

人間は、やはり人間なのである。

「アーミッシュ」の選挙運動

元は「ルター派」のひとびとである。

ヨーロッパにおけるキリスト教は、ローマ帝国の東西分裂で、西ローマ帝国にはローマ教会が、東ローマ帝国には東方教会と、教会も分裂した。
分裂後まもなく、西ローマ帝国は滅亡し、ローマ教会は生き残りをかけた戦略を発動する。

それが、宗教的権威(ローマ教会)と、世俗的権力(王権)の分離だった。

一方で、その後も存続した東ローマ帝国では、国家による教会保護がおこなわれて、皮肉にもそれが教会内の分裂を促したため、東方教会は、ローマ教会のような圧倒的中心(教皇)を失っていまに至っている。

しかし、16世紀になって、ドイツにはじまるルターの宗教改革で、新教(プロテスタント)がはじまる。
あの大バッハやメンデルスゾーンなど、ドイツの著名な音楽家はプロテスタントではあるけども、皆このルター派(ルーテル)なのである。

ルターの宗教改革は、その後激烈なカルヴァン派に発展し、複雑な各派の軋轢から逃れたひとたちが新大陸のアメリカに移住した。
そして、敬虔なる信仰生活という生活様式を頑なに守ることでしられるのが、アーミッシュなのである。

このひとたちは、オハイオ州やペンシルベニア州などの中西部に、20万人ほどが暮らしているといわれている。
大統領選挙でいう、激戦州にいるのだ。

しかし、あまりにもその宗教生活が厳格なので、「変わり者」というイメージもある。
いまだに、電気やエンジンをつかった生活をしておらず、自給自足の生活に甘んじている。

宗教的敬虔さを保つために、高等教育は邪魔になるということから、かれらのコミュニティでは、伝統的なペンシルベニア・ドイツ語、英語、算数の3科に限った教育が8年間だけ行われている。
わが国の一律で自由を認めない教育行政ではかんがえられないけど、連邦最高裁において、「独自学校」として認められている。

そんなわけで、アメリカ国内においても特別な存在である彼らは、かつて政治に関与する伝統は一切ない、「隠遁生活」を宗としていたのである。

ここで忘れてならないのは、アメリカ合衆国という国は、そもそもが「宗教国家」だということだ。
プロテスタントの一派である、イギリス清教徒(カルヴァン派)がメイフラワー号でマサチューセッツに移民したのを建国の嚆矢としている。

大統領就任式における、宣誓が、聖書に手を置いて行われるゆえんはここにある。
日本における、「政教分離」とは意味がちがうけど、日本の「政教分離」の意味がちがうのだろう。

現在、アメリカの人口の3分の1は、プロテスタント「福音派」が占めているのだ。
このことを侮ってはいけない。

トランプ氏の選挙集会で定番の、ヴィレッジ・ピープル『Y.M.C.A.』は、ヴィレッジ・ピープルから「かけるな」というクレームを無視しても「かけている」のは、トランプ氏自身も支持母体の共和党保守派も福音派だからである。

つまり、題名通り、キリスト教青年会(Young Men’s Christian Association)の「歌」としているのだ。

ただし、この「歌」の本音は、「ゲイの賛歌」だから、そっち方面からすると「かけるな」という意味が理解できる。
いわゆる、民主党目線から、厳格なキリスト教原理主義を揶揄した歌詞の曲を、あたかも現代的布教に利用するな、ということである。

すると、トランプ氏の選挙集会とは、じつは「ミサ」なのである。
彼は、やんちゃな「牧師」なのだ。
いや、あたらしい宗教的指導者でもある。

新約聖書「コリントの信徒への手紙」15章52節、「テサロニケの信徒への手紙」4章16節に、日本語訳では「ラッパ」と表現されている箇所がある。
これが、英語版では「trump」なのである。

どうやら、「trumpet」(トランペット)のことらしい。
そういえば、日本人が思いつくカードゲームの「トランプ」を、どうして「トランプ」というのか不明なのである。
ふつう、「cards」(カード)という。

さてそれで、アーミッシュが、上述の聖書の記述からトランプ氏を「救世主」であると認定した。
彼らは、移民してこのかた300年、政治への不参加を貫いてきたのに、とうとうその「禁を破った」のである。

ネット大手が「検閲」の疑いで、それぞれの責任者が上院に呼び出されたけれど、ユーチューブにはこのことが削除されずにしっかりでているのは「幸い」の、まさに「福音」である。

トランプ支持の旗を掲げて馬車や牛にまたがっての大行進を、地元民がバイクで護衛している。
これは、建国以来の大事件なのである。

日本では文化の日の今日、わが国伝統文化の喪失を偲ぶしかない。

昨夜のテレ東、『YOUは何しに日本へ?』では、漢字に魅せられた外国人が、「方言漢字」という特定地域に生まれてその地域だけで使われている「字を探す」話題があった。
「間に合ってよかった」とは、古い公図で発見した役場職員のことばである。

その価値は、失ってからではわからなくなる。
しかし、日常の価値も、わかっていない。
だから、保存もできない。
果たしていま、われわれは、文化的な生活をしているのだろうか?

「ニューヨークの賢人」現る

「スライスされたパンが発明されて以来、トランプ氏は最高の人物だ」

こう発言したのは、ニューヨークで期日前投票を済ませた黒人男性である。
動画投稿されて、570万回再生されているところでトランプ大統領が自らリツイートした。

このひとは、顔を隠さずに発言している。
大丈夫なのか?とおもわず心配せずにいられないのは、トランプ支持を表明したひとが襲われたり、脅迫されたりしているとの報道が相次いでいるからである。

これをもって、「隠れトランプ支持者」という見えない集団の存在が注目され、選挙における伝統的な調査が行き詰まってしまった。
前回の大統領選挙では、投票所での出口調査でも、「隠れトランプ支持者」は、いま自分が投票したひとを明かさないか、「ヒラリー」と答えたから、開票後あっという間に、ヒラリー氏当確のニュースが報道された。

ところが、現実はまったく違う結果となったので、大手左派マスコミはその信頼性に傷がついた。

このときすでに、偏向報道に辟易としていた有権者たちが、報道機関のワンパターン調査に対抗して、間違った報道をするように「誘導していた」というから、大衆はバカではない。

前回、トランプ氏当選を予測した調査会社は、伝統的手法を用いなかったことで有名になった。
選挙人の数までピシャリと当てたのは、トラファルガー・グループが唯一だったといわれている。

彼らは、「隠れトランプ」の比重を重視したけれど、本心を明かさない、というこのひとびとを相手にどうやってこれを明らかにしたのか?
そこで、かんがえた質問が、

「あなたの隣人はだれに投票すると思いますか?」だった。

ふつうの質問、「あなたはだれに投票しますか?」では、「隠れトランプ」をあぶり出せない。
そして、住宅地図上に一軒一軒の回答を書き込んで分析したのだ。
もちろん、彼らは今回もこの方法を用いている。

すると大手メディアが用いる、主たる調査会社の調査結果を単純集計した「平均値」とは、やっぱりぜんぜん違う結果になっている。
よくいわれている、「バイデン氏のリード」とは裏腹に、今回も、「トランプ氏逆転リード」なのである。

これは、個人の「細分化」の結果でもある。
すなわち、大衆という「平均値」が使えなくなったのは、固まった職業(産業)についていて、固まった世論があった時代から、個々人がそれぞれの仕事につく方向へ変化したということだ。

しかも、たいへん重要な、有権者の関心度合いの調査結果がほとんど報道されない、ということも事件的な問題だ。
だれに投票するか?は結果の行動である。
自分に関心があるテーマに適合した人物だと、評価・判断することが、有権者の投票行動になる。

今回の大統領選挙における、アメリカ人が最も重要視している関心事のトップは、「法と秩序」なのである。
次が、「経済」、そして、3番目にすぎないのが「コロナ対策」だ。

このことが、日本における報道でも軽視されているのは、日本の選挙における報道でも、国民の関心事が軽視されるからだろう。
当落と党勢(獲得議席数)にしか話題を振らない。
政策論争なき選挙とは、いったいなにを選ばされているのか?

まさに、全体主義体制における選挙となっていないか?
この体制では、選挙は、「確認」と「権威付け」のためにだけ行われる。
そして、これをもって、「民意だ」と決めつけるのである。

トランプ氏は、黒人とヒスパニックの支持率が、歴代共和党候補で、「最高値」をつけている。過去最高は、12%だった。
いま黒人有権者の支持率は5割弱、これは、前回の8%から5倍以上だし、ヒスパニックの伸び率も著しい。

メキシコの「壁」によって、合法的に移民してきたヒスパニックのひとたちは、生活をささえるいまの職業を、あらたにやってくるだろう不法なひとたちから守られている、とかんがえている。
壁をつくった、トランプ氏は「合法的移民」を否定してはいないのだ。

10月28日、ミシガン州フリント市におけるペンス副大統領の集会で、同市議会副議長が演壇に立ち、自らの経歴を語った。
驚くことに、黒人の彼は、民主党支持を64年間してきたが、今回は共和党を支持すると明言し、会場の喝采を得ていた。

この理由が、暴走するBLMを民主党が支持したことだという。
彼は、BLMとは、ただ暴動を起こしてコミュニティ破壊を目的にしているのだと批難した。
つまり、「法と秩序」が、まっとうな黒人層の支持を得ているのである。

分断を生みだし、分断によって既存秩序を破壊した先にあるものはなにか?

このことに気づいたひとは、賢人である。
「5G」のヤバさとは、あらゆる物品のIT化のことである。
これでいかほどの個人情報が収集でき、それを自由に使える者のメリットとはなにか?

「法と秩序」と、「5G阻止」は連結しており、それは賢者によって見破られたのである。

米大統領選挙調査の重要質問

今日から11月。
アメリカ合衆国大統領選挙の投票日まで、日本時間であと3日になってきた。
今後の世界の趨勢を、いやがおうにも決めるのだから、目が離せない。

前にも書いたが、大統領選挙とは、日本風にいえば、「衆参ダブル総選挙」なのである。
アメリカ連邦下院(=衆議院)は、任期2年で「解散がない」から、大統領選挙と同時に全員が任期切れの改選となるし、上院(=参議院)は、2年ごとに3分の1が改選されるからである。

多くの報道は、誰が大統領になるのか?だけになっている。
これは、あちらは、二大政党制なので、当選する大統領が所属する政党の議員も一緒に有利な得票になるとかんがえられているからだ。

4年前、前回の大統領選挙で、「おおハズレ」をかまして「大恥」をかいた、伝統ある調査会社の、「ギャラップ調査」には、二期目の再選を目指す大統領候補がいるときに、「必ずする質問」がある。
それが、

あなたの生活は4年前に比べてどうなりましたか?

である。
この質問が絶妙なのは、アメリカ合衆国大統は「二期まで最長八年しか職務に就けない」ので、再選を目指す大統領候補がいるというのは、誰も「実績」をしらないでいたときとの比較を促すことにある。そして、大統領を支える議会(政党)の評価も、同時に質問しているのである。

だから、この質問で、「良くなった」という答が多い場合は、再選される可能性が高くなるとかんがえられている。
そのラインはこの40年間で、ざっと「40%」が当確基準のようになっている。
つまり、回答者の4割が、良くなったと思わないと再選されないのだ。

残念ながら、わが国でこの質問ができるのは、衆議院だけになる。
ただし、わが国の衆議院任期は4年だが、この間にいつ「解散」があるかはわからない。
だから、定期的観測はできない。

また、参議院も3年で半数が改選されるので、「ダブル選挙」になるかならないかは微妙だ。
これは、ある意味、議会がブームに流されることを防ぐことにはなるけども、逆にいえば国民の意志が国会で「ぼやける」原因でもある。

安倍内閣が長かったから、前回の選挙がいつだったか記憶がはっきりしない。
前回は、平成29(2017)年9月だった。

さて、この3年あまりで読者のみなさんの暮らしは、「良くなった」でしょうか?

ついでに、民主党から政権を奪回した第二次安倍内閣の発足は、平成24(2012)年12月だった。
この8年あまりを思い出して、暮らしは、「良くなった」でしょうか?

はっきりいって、「はっきりしない」か「そうでもない」を加えて、回答イメージを先鋭化させれば、GDPにあらわれる数字と合致するにちがいない。
世界最小の「伸び」を示すのが、わが国のGDPである。

それに、前にも書いたが「1人あたりのGDP」では、わが国の上位にトルコや韓国がランクされている。
「GDP」とか「1人あたりのGDP」などというと、あたかも暮らしの実感と離れているようにみえるけど、実態は逆で、かなり近いということである。

すると、わが国の政治家にはどんな評価が適当なのか?と問えば、驚くほどに、国民生活の向上に貢献していない、というのが答となる。

30年前のわが国は、1人あたりのGDPでアメリカを追い越した実績をもつ。
これが、「当の」アメリカ人にいかほどの衝撃を与え、怯えさせたか?を想像もしなかったのが、「当の」日本人であった。

まさに、「有頂天」、天狗になって、その長く伸びた鼻を舌で舐めていた。
そして、アメリカを凌駕した満足感にただ浸って、傲慢になっていたのである。
それこそが、「拝金主義の頂点」であって、これを「資本主義」と勘違いした。

アメリカ人の「よいところ」は、ちゃんと反省して合理的な対策を模索することにある。
間違えたひとをグダグダ攻撃する暇も惜しむ。
これは、かつての日本人の得意とするところではなかったのか?

さて、ギャラップ調査によるトランプ政権についての前述の質問の評価は、コロナ禍にあって「56%」が「良くなった」と答えていて、これは過去40年で最高値となっている。
そもそも、5割越えの大統領は過去にいない。

もっと驚くのは、アメリカ商務省が10月30日に発表した、直近の第3四半期のGDP伸び率である。
「7.4%」で、これは、年率に換算すると「驚異的な」33.1%となる。
気が滅入るので、わが国の数字は出したくない。

どうしてこんなことになるのか?
共和党トランプ政権の経済政策は、二本柱からなっている。
・大型減税
・規制緩和(新しく規制を作るなら、古い規制を2つ以上解除せよと命じている)

対してわが国の一貫した経済政策は?
・増税(消費増税はもちろん、レジ袋の有料化も実質増税にあたる)
・規制強化(わが国には1500項目の規制があって10年前より1.5倍になった)

どんな政策を実施すればいいかは、一目瞭然なのである。

日本は分割されるかも

ポーランドはヨーロッパの大国だったけど、当時の「列強」に、3度も勝手に分割されて、国を失う憂き目にあった。

面積ばかりが大きくて、国会には「全会一致」を原則とする厄介なルールがあって、緊急事態なのに「小田原評定」をしていたら、えいっ面倒だといって、ロシア、プロイセン、オーストリア(神聖ローマ帝国)の三国が「談合」して、あっという間に分割された。

ここに、ポーランド人という当事者が介在する「隙」はなかった。
いってみれば、「空中戦」である。
自分たちがそこに呼ばれもしない場所で、国の運命をきめる話がついたから、まったくもっての「あとの祭り」である。

そんなわけで、並の親日国家とは別格のポーランド人のなかには、「小田原評定」の意味だけでなく日本語の発音もしっているひとが、日本人がかんがえる以上にたくさんいる。
小田原北条家の運命と、自分たちの亡国の歴史とがかぶるからである。

では、勝手に分割とは、具体的にどうやるのか?
簡単である。
軍事力にまさる大国たちで決定して、当事国に「通告」すればよい。
もちろん当事国は、「そんなバカな」と抵抗があるのは想定している。

これを、圧倒的な兵力で「ねじ伏せる」のだ。
申し合わせて進駐してきて、抵抗者は容赦しない。
だからこうなる前に、なよりも「やる気」がないといけないのだ。
「桶狭間の戦い」と「小田原征伐」の、敗者と勝者の「覇気」に注目すればわかることである。

米中の闘いが、大統領選挙後にどうなるか?
「冷戦」が、まさかの「熱戦」に発展するのか?
その可能性はいかほどか?
ゼロでないならば、いかなる備えをすべきなのか?

いまやっている臨時国会で、こうした議論がされる可能性すらないのは、国民として安心していられる状況にない、ということだ。
にもかかわらず、平和な日常をすごしているのは、これは、ダチョウの習性に似ている。

敵からの攻撃に、もうだめだと観念したら、ダチョウはすさまじい速さで穴を掘り、あの小さな頭「だけ」を土に埋めて「隠れ」たことにするのである。
すなわち、思考停止である。

しかしながら、同盟国のはずのアメリカででてきた「あたらしいBLM」(バイデン ラップトップ マター)の衝撃的な内容は、従来の国内だけの価値観による、「9条論議」では済まされないことを示唆しているし、従来からある日米安保の履行についての疑念を確信にかえる威力がある。

その事例は、「亡命希望者」の「追い返し」である。
少なくとも、二例が曝露された。
もちろん、オバマ政権による相手国との「取引」であって、ふだんから「人権」を厳しくいう民主党にして、あり得ない「言行不一致」の証拠である。

追い返されたひとりは投獄後行方不明となり、もうひとりは、連邦議会で問題となって、なぜか奇跡的に出国許可がでてアメリカへの亡命が実現した。
これに尽力したのは、共和党の議員団だった。
とはいえ、どんな「取引」があったのか?はわからない。

さて、これらの事例から得られる教訓はなにか?
わが国は、いまだに「亡命希望者」状態ではないのか?という自問である。
片務的安保条約による安全保障のために、「思いやり予算」なる費用負担をしているのだけれども、なんのことはない「用心棒代」なのだ。

なにが「片務」といえば、日本領土の防衛に血の代償を支払うのがアメリカ人になっていて、日本人はこれをカネで買っていることを指す。
一種の「人身売買」をしているのだ。
つまり、あまりにもアメリカの負担が重い。

しかも、「思いやり予算」という、あたかも施しをしてやっている、とする表現は、まったくもって「対等」とはいえない。
この意味で、お歯黒の平安貴族が新興武士集団を蔑んだのに似ている。

トランプ政権による米軍駐留費用の思い切った増額請求は、自主防衛とのコスト計算において、悩ましい状態をつくりだした。
わが国は、それでも自国の防衛に「損得勘定の対象」という倒錯をしているから、彼らからしたら「阿呆」に見えるに違いない。

マンガでありながら、きわめてリアルな一石を投じたのは、かわぐちかいじ作『沈黙の艦隊』であった。
この作品中、在日米軍による、「日本再占領」という概念がでてくる。
これは、「画期」であった。

科学技術の進歩は、兵器の分野でめざましいのは人類史の示すところではあるけれど、日本ではほとんど他人事の、中央アジアはアゼルバイジャンとアルメニアの紛争(実際は戦争)で、新兵器のドローンによる体当たり攻撃が、おそるべき戦果をおさめている。

これによって、戦車がもはや役に立たないことが証明された。
すると、戦車を艦船に置き換えたらどうなるのか?

正規軍の編成を、従来の延長で続けることができなくなったのだ。
すると、従来型の最強軍こそ不利になる。
装備の入れ替えに、膨大なコストを要することになるからである。

さてそれで、わが国周辺とシーレーン上でのきな臭さは、下手をするとアメリカの取引材料にわが国があてられる可能性はないか?
すると、どのように「分割」されてしまうのか?
国があっての生活である。

家族でシミュレーションしておいた方がよいかもしれない。

23区を「特区」にする

バブルのころ、首都移転構想という「無謀」があった。
一極集中の東京を脱して、地方への「遷都」が持つ意味は、西ドイツの首都だったボンのような人工的計画都市を建設して、理想郷を首都としたいというものだった。

簡単にいえば、土建国家の欲望の最終行動、という成り行きの大投資計画のことである。
それで、東北地方の太平洋側が有力候補に残ったのは、雪が少ないという自然環境が有利とされたからである。

しかし、ほぼ同時期に、東西ドイツが統一されて「ドイツ」になったら、ドイツ人はあっさりボンを棄てて、ベルリンを首都に定めた。
果たして、日本人だったらボンを棄てることができたか?
かつて、さまざまな場所に遷都を繰り返した日本人が、とうとう平安京に落ち着いたのは、支配体制の安定による。

鎌倉幕府の成立以来、わが国には二つの中心があって、幕府所在地と平安京が明治天皇のお引っ越しによって東京に統一されるまで続いた。
明治政府は、なぜ平安京を首都にせず江戸にしたのか?
これは、ドイツ人の発想にはない。

ヨーロッパでは、かつての王宮が博物館として一般公開されている「ふつう」がある。
これは、「王政でなくなった証拠」だから、いまでも「王政」の国は、ヨーロッパでも王宮を一般公開などしない。

平安京の紫宸殿や、東京の赤坂離宮も一般公開されるようになったのは、わが国も「天皇家」の存在が縮んだことによる。
いってみれば、「禁裏の喪失」だ。
ひそかに、しかし確実に、人民国家への転換が推進されている。

そんなわけで、首都というのは背景に歴史をかかえているだけでなく、その国民の思想もかかえている。
だから、国によってその表情が違うのである。
区割りや建物がちがう、ということだけではない。

都市の発展に寄与した事例をながめると、共通項が浮かび上がる。
アジアの都市で、圧倒的なのが、「かつての東京」であった。
いまは、シンガポールと香港に代表されるといって、文句をいうひとはいないだろう。

シンガポールの「奇跡」をつくったのは、リー・クワンユーの功績だといって過言ではない。
この都市国家は、ちょうど東京23区ほどの面積に等しい。
政治体制は、しっかりした「独裁」なので、妙な感じがするだろうけど、「独裁政権」が「独裁」によって「自由経済を命令」して成功したという、稀有な例である。

一方香港は、イギリス人総督の独裁で、こちらも「自由を命令」していた。
元がアヘン戦争という、恥ずかしい理由の戦争によって得た領土だったから、恥ずかしくないような「自由」を許して、一種の「混沌」とした社会になった。

この「妖しさ」が、おカネを呼び込んだのである。

この意味で、香港の自由を蹂躙していると批難されているのは、お門違いだとする主張にも一理あるから、ややこしいのである。
いま批難されている国だって、ドイツが統一されるころ、「早く儲けた者勝ち」という大転換を実施した。

要は、国をあげて「自由経済を命令した」のである。
だから、あたかも「シンガポール・モデル」の巨大適用をやってみたら、うそみたいにうまくいった、ということである。
しかし、そのシンガポールは、「日本モデル」をパクったのだった。

このときの「日本」とは、「明治近代化期」のことをいう。
政府主導の、「自由の命令」が、キリスト教が決定的に普及しないわが国では、「現人神」と結合して、近代化成功の特効薬になったからである。
いまの日本人は、これをすっかり忘れてしまって、政府からの「規制の命令」に狂喜している。

上述の明治期ではなく、あたかも、「戦後高度成長期」が、政府の規制(たとえば「傾斜生産方式」とか)のおかげだと勘違いし続けて衰退しているから、シンガポール人からみれば、競争相手という概念すらない国になった。
逆に、彼らはいまの日本を「途上国」として観ているのが実態なのだ。

日本人は、日本が先進国だと信じているけど、とっくにその位置にいない。
シンガポール人の評価は、冷静でかつ正しい。
疑う向きは、国民1人あたりGDPで彼我の差を確認されたい。

香港からの「エクソダス(脱出)」が話題になっているけれど、わが国を希望して目指す香港人も企業もない。
それは、日本が「規制国家」であることを、彼らが熟知しているからである。すなわち、自由がない国、という評価なのだ。

国際的活動をするさまざまな企業、つまり、貿易を中心にすれば、その決済のための金融も、自由あっての利益が確保できる。
不自由(規制)の典型が、「税制」でもある。

せっかくの利益を国家に収奪されるのが、税である。
さらに、その仕組みは単純が望ましいのに、日本の税制は恐ろしく複雑で、ガラパゴス化している。
その他の「規制」は、彼らにはマンガにみえる「国際的非常識」なのだ。

これが、東京をして、せいぜい「拠点」としても、支店レベルの理由だ。
アジア太平洋地区マネジャーが配置される、支社あるいは地区本部が東京から香港やシンガポールにエクソダスした決定的理由なのである。

解決策は、政府が「自由を命令」するしかない。
これが、発展のセオリーというものだ。

アメリカで「赤狩り2.0」がはじまる?

アメリカ民主党の崩壊がはじまった。

各地で猛威をふるった「BLM( Black Lives Matter)」から急転直下、あたらしい「BLM(Biden’s Laptop Matter)」になった。

バイデン氏一家の悪行曝露と思いきや、とんでもない展開になってきたのは、民主党の幹部がことごとく「関与」していたことがわかったからである。
「身から出た錆」では済まされない、大失態。
それも歴史的な崩壊のはじまりだ。

これを暴いているのが、まるで、『バットマン』の「ゴッサム・シティ化」していたニューヨーク市を清浄化させた、ジュリアーニ元市長である。
弁護士でもある彼は、勇気ある「腐敗の洗濯」の経験者であり、第一人者なのである。口先だけのひとではない。
なめてはいけない理由がここにある。

彼は、ネタを小出しにすることでひとびとの目を離さない戦略をとっている。
ただし、有言実行を決して曲げない。
だから、毎日、なにが飛び出すかわからない。

元市長の身の安全が心配されるのは当然だけれど、「バイデン一家」こそ危険なのではないか?それは、PCのなかのデータにあった。
どうやら次男本人が、パソコンショップに持ち込んだことが本当なのは、捜査当局の公式見解があるものの、なにより本人が「返還請求」したことで証明された。
なんだかものすごく「間抜け」なのだ。

しかし、数万通の電子メールの解析から、恐るべきは前大統領、ヒラリー元国務長官、現職州知事、現職市長といったひとたちが、あらゆる悪事に荷担していることがバレだしたことだ。もちろん、ハリス副大統領候補の名前もある。

このバカ息子に、オバマ氏の子女やペロシ下院議長、それにケリー元国務長官の子までが絡んでいることも判明した。
子から親への金の流れは、なにもバイデン一家だけではなさそうだ。

もはや、民主党の崩壊である。

その大元の、バイデン氏一家こそ、もっとも危険ではないのか?
FBIは、バイデン一家の身の安全をはかる措置をしているのかと、海の彼方から心配したくなる。
そのためには、選挙なんかしている場合ではないだろう。

一方、わが国にとってのアメリカ民主党は、疫病神的存在である。
戦前から戦後の占領期を通じ一貫して、わが国にかかわったのはルーズベルトの民主党政権だった。

アメリカ合衆国大統領には、過去ふたりのルーズベルトがいた。
ひとりは、第26代セオドア・ルーズベルトで、このひとは共和党。
テディベアのモデルでもある。
そして、もうひとりが第32代フランクリン・ルーズヴェルト。じつは、セオドアとは血縁になる。

血はつながっていても、思想は別で、大恐慌後の経済無策と評された共和党フーバーの後を襲って就任し、「ニューディール政策」では、「国営企業」による投資を活発化させた。日本ではこの政策をやたら「褒め」て、あたかも大恐慌からの脱却に成功したかのような錯覚を植え込んでいる。

ヒトラーが採用してドイツを再生させたケインズの政策で、政府が有効需要をつくりだすという一種の社会主義政策を推進した。
アメリカの経済統計をみれば、1941年の12月から、V字回復しているのは、アメリカも戦時体制に入ったからである。

つまり、ニューディール政策で究極は、「戦争の有効需要」を創出することであった。

彼は、初代ワシントンが3期目を辞退した「故事」にちなんで、3選しないはずの大統領職に、生きていれば「5期20年」もやることになった、変な記録さえもっている。

ルーズベルトは、戦争末期に死去するけれど、その後の残存任期をトルーマンが引き継ぎ、2発もの原爆を使用した。
広島型はウラン、長崎型はプルトニウムなので種類が違う。
これに、3月10日の「東京大空襲」やら各地の空襲をくわえると、いかほどの市民を焼き殺したのか?

ナチスのホロコーストは糾弾されたけど、アメリカ民主党政権がやった日本人の虐殺はいまだに放置されているのは人種差別か?
その民主党のオバマが、現職ではじめて広島に来たのを大喜びしているナイーブなひとたちが大勢いるけど、このとき彼は、核兵器の大増産を指示していた。

いまの共和党政権や共和党多数の上院がいう、党と国民は別、という論理でいえば、民主党とアメリカ人は別ということになる。
ただし、アメリカ人が選挙で選んでいるから、民主主義の恐ろしさを日本人はもっと警戒していい。

ルーズベルト政権の「邪悪さ」が、いま様々に明らかになってきているなかで、こんどは、「バイデン氏一家」の邪悪さが、党全体へと拡張しはじめた。それは、オバマ政権の邪悪さの糾弾でもある。
いま起きていることは、過去の政治スキャンダルとは比較にならない、おそるべき「腐敗」の曝露である。
しかも、金銭授受だけでなく、諜報員や特殊部隊の全滅など、最高機密情報漏れによるアメリカ国民の生命が失われていることも疑われる。

すると、このひとたちには、「国家反逆罪」が適用されることになる。
これは、連邦法で、最高刑は死刑だ。

もしや、前大統領や副大統領、その政権幹部たちが連座するという事態になれば、民主党の崩壊だけではすまされず、保守派による「赤狩り」がはじまる可能性だってある。
こうなると、アメリカは内乱状態になるかもしれない。
つまり、「南北戦争2.0」ならぬ、「共和党革命」になることも想定できる。

大義を失った民主党支持者は、覚悟できているのだろうか?
トランプ氏は、内乱を回避し、国民融和がはかれるのか?
であれば、彼は、現代のリンカーンになる可能性だってある。

勢いあまって太平洋を越えれば、「赤い自民党」だって平穏ではいられない。
トランプ氏から信頼を得ている日本人は、安倍氏だけだから、まさかの第三次安倍内閣、あるいは血縁からの岸内閣もあり得る。
けれども、そのときは自民党も縮小するかもしれない。

日本版「赤狩り」がはじまるからだ。
石破氏の突如の派閥代表辞任とは、まさかこれか?
「理由」がわからない「理由」かもしれない。
だとすれば、もうはじまっている。

騒然とした時代がやってくる。
アメリカで起きるのだ。
他国の騒乱ではすまされない。

滅亡の所信表明演説なのに

菅新政権の所信表明演説の「肝」は、コロナに立ち向かうやる気のなさをベースにした、亡国の「温暖化ガス2050年ゼロ」である。

やる気のなさは、議場の演壇に立って「演説する」ときもマスクを着用しまま、というお行儀よさに表れている。
少なくても、アメリカ合衆国大統領選挙における両候補と司会者は、討議中にはマスクを外し、ちゃんと顔を見せたのだ。
国民に向かって行う、発足した内閣にとって大事な、「施政方針」をマスク着用のまま行う、というのはコロナとの闘いの気概すらないという「暗黙の表明」であった。
元の生活に戻ることを優先させるトランプ氏の気迫をみた目には、大統領の無策を責める割に、自分の「プラン」は、マスク着用の強制とPCR検査の徹底というバイデン氏のお粗末に、拍子抜けしたのは日本人だっておなじだ。

つまり、管氏の態度はバイデン氏とかわりないのである。
だからか、こんな肝っ玉の小さな人物が掲げたのが、温暖化ガス2050年ゼロという、まったくもってアメリカ民主党のなかの極左と主張が変わらない。
バイデン氏よりも、副大統領候補の、カマラ・ハリス氏とおなじだ。
日本人なら、あの宇宙人、鳩山由紀夫内閣と同等以上の「そっち」への舵を切ったことになる。

トランプ氏と結束しているのは、オーストラリアのモリソン首相である。
このひとは、オーストラリア自由党(Liberal Party of Australia)の党首である。
「リベラル」が、「自由」だとちゃんと党名になっていて、わが国の左翼を指す「リベラル」とは意味が真逆だ。
わが国ではちゃんと、用語として、「社会主義者」と表記すべきである。

さて、モリソン氏は、オーストラリア国会で、温暖化対策に無関心なことを野党から質問されて、以下のようにきっぱりと答えている。
わがオーストラリアが排出している温暖化ガスは、世界の排出量の1%程度である。
もっとも排出している、米中2国で50%を超えるのに、両国ともほとんど対策を立案もしていない。
よって、わが国だけが巨額の対策予算を計上する意味は、効果という意味においてムダである、と。

この論でいけば、残念ながらわが国も、世界の工場の地位を失ったかわりに、温暖化ガス排出量のシェアも落して3%程度なのである。
だから、こんなものに国家予算(=税)をつかう意味はない。
しかも、今回の演説で想定している額は、10兆円にものぼる。
じつは、わが国はすでに温暖化対策費として、200兆円を投じているのだ。

まったく、地球という惑星に対する奢りとしかかんがえられない。
果たして、人類が地球をコントロールできるという、自然への敬意の微塵もない思想なのである。
1個の台風のコントロールすら不可能なのに、なにをかんがえているのか?
ムダな税を投じて、国民を窮乏させ、よって革命に導きたいとする人間の都合を、地球環境という美談で誤魔化しているだけだ。

そんなポンコツな内閣だけど、なぜか「核兵器禁止条約」は、ちゃんと「批准しない」と繰り返し表明して、左翼のひとたちを刺激している。
いったいぜんたい、どういう基準で政権運営するのか?「方針」がさっぱりわからない。

そもそも、核兵器禁止条約のなにが「いけない」のか?
第一に、核保有国がこれに加わらないことである。
第二に、人類は絶対に核兵器の廃絶をしないからである。

つまり、この条約は、「国際法」ではなくて、「文学」なのである。
ジャンルは、ファンタジー小説だ。
ノーベル財団は、国連にノーベル文学賞を差し出すとよい。

なかなか、「絶対」という言葉は使えないものだ。
しかし、人類は絶対に核兵器を廃絶しない。
保有コストから、ロシアのように数を減らすことはある。
でも、ゼロにはしない。だれか独りでも核を持てば、どうなるか?ということである。

70年代だか80年代だったと記憶にあるのは、ひとりのアメリカの大学生が原爆の設計図を独自に書いて、これが大騒ぎになったことだ。
なぜなら、それが「本物」だったからである。
つまり、当時ですら理系大学の一般学生が、授業と図書館にある資料で設計ができてしまうことが証明されたのだ。
ないのは、材料だった。

もちろん、核爆弾の運搬方法がもっとも重要な技術になっている。
当初の飛行機で運ぶ方法から、とっくにロケットエンジンを使うミサイルになった。
いまは、マッハ8という超音速で飛んでくる。
ただし、命中精度はしらない。
目標よりかなりズレても、核なら精度の許容範囲が広くなるので実用にしているのだろう。

ロシアのプーチン氏が、初めて大統領に就任したとき、大変重要な演説をしたのだが、例によってわが国のマスコミはあんまり報道しない。
「外交とは、核保有国が互いに話し合いをすることだ。核をもたない国は核保有国の決定に従うしかないから、これらの国は外交をすることはできない」
核の価値は、抑止力だといわれている。
人口が急激に減少するわが国は、若者の数が減るので通常兵器だけでの防衛は現実的ではない。

ではどうするか?
温暖化が喫緊の脅威ではないことは確かだ。
いったい、わが国はなにをしたいのか?
おそらく、本人もわかってやしないことがわかった。