パーキンソンの法則がマイナーなニッポン

パーキンソン病のことではない.欧米では「常識」になっているほど有名なのだが,なぜか日本では今ひとつ受けが悪い.

パーキンソンの法則とは

1958年にロンドン・エコノミスト誌上で,英国の政治学者シリル・ノースコート・パーキンソンが発表した論文にある.

「役人の数は仕事の量とは無関係に増え続ける」

この「役人」とは,もちろん国家・地方公務員のことであるが,民間企業にも適用できる.社内の事務屋の数は仕事の量と無関係に増え続ける,と読み替えれば簡単だし,社内の事務屋は(ムダな)仕事をつくりだす,と言ってもよい.役人がムダな仕事を忙しそうにやっているのは古今東西共通である.

パーキンソン氏は英国人だから,強烈なユーモアを飛ばしている.有閑マダムが朝食中に姪に手紙を書こうと思いつく.食事後,住所録が見当たらないので探し回るうちに昼食になる.昼食後,やっと手紙本文を書き始めるが,なんで手紙を書こうと思いついたのかを忘れてしまい,悪戦苦闘して書き上げたのは夕食前だった.ベッドに休むとき「ああ,なんて忙しい日だったことでしょう」とつぶやくのだ.有能なひとなら,ものの15分で終えることも,一日仕事になると書いている.この話で納得できない人向けに,第二次大戦後,海外領土がほとんどないのに「植民地省」の役人の数が最大版図だったときの二倍いることや,海軍省の話題で証明しているのだ.詳しくは本を手にして欲しい.

以上が,欧米で「常識」になっているから,入社したばかりの若者でも,自社があるいは自部署がパーキンソンの法則におかされていないかチェックしている.わたしは,外資系の社員になってから,同僚に教えてもらった.そして,ミーティングの場でもしばしば,上司との議論になるほどであった.上司が認めれば,その仕事は消滅するのだ.

自動車完成検査における「不正」とは?

徹頭徹尾パーキンソンの法則の通りに行動するのが役人である.その中の国土交通省(旧運輸省)が定めたのが今般話題の「偽検査員」問題だ.日産,スバルとも30年来しでかしていたと告白しているし,ほとんど罪の意識がなかった様子だ.「悪法も法なり」だから,もちろん褒められたことではないが,この問題で「事故」となった事例もなさそうだ.

喧嘩両成敗が武士の掟

両社はたいへんな損出を覚悟して,リコールに踏み切った.ならば,国土交通省も,制度の見直しあるいは廃止をしなければならないだろう.これを相変わらず上から目線でいるのはどうしたものか?選挙で大勝したばかりの与党の大臣こそ,ここで有権者側の発言をすべきなのに,役人にまるめこまれた低能さをさらけだして,巨大企業の社長が頭を下げる姿をみて自己の優越性にご満悦でいる.この両社の5百億円にのぼる損は,最終的に消費者が負担することになる,という経済原則もしらない.経済原則をしらないのは役人の常だから,これをもって役人にまるめこまれたと証明できるのだ.そもそも,30年間もこの状態を放置した監督官庁はなにをしていたのか?(なにもしなかった)ということを言いだす,専門の評論家もいない.

お役人様はどんなに悪いことをしても,あるいは見てみない振りをしてきても,だれからも罰せられない.容赦なく責め立てられるのは民間企業なのである.これでは,徳川身分社会そのものではないか.

そう,この国は身分社会なのである

幕末の志士たちの必読の書で,思想的影響力が計り知れなかったのは,水戸学のエース,会沢正志斉の『新論』である.このなかで,倒幕後の新政府も引き続き武士階級が支配すること,を前提としているのだ.もっといえば,武士階級以外の階級がこの国の支配階級に入ってはならないし,そんなことは考えられない,ということだ.だから,「下級武士」も活躍できた.全国諸侯がいっせいに藩政改革に取り組むときのベストセラーなのだ.これで,家格が高い上士たちも下級武士たちの活動をながめていられたのだ.

明治維新で不思議なことが起こるのは,水戸学の否定なのだ.いまも東大教授たちは,明治期になると水戸学は捨てられたといっている.なにしろ「四民平等」なのだと.本当だろうか?

明治の官僚制は,はじめ薩長両藩からの登用,そしてそれがだんだんと各藩に広がる.しかし,廃藩置県で圧倒的に役人の数が足りなくなる.しかも,単純事務ではなく高級官吏が足りないのだ.そこで,政府は大学を設置する.のちに,軍も陸軍大学校や海軍兵学校を設立し,文官は大学卒,武官は陸と海それぞれの卒業生を「幹部要員」とした.つまり,ここに身分の読みかえをしたのだ.これらの卒業生を「武士階級」とみなし,支配階級とした.これが,連綿といまに続いているのだ.これを隠したい人たちがいるらしい.

本物の支配階級を追放した戦後の混乱

華族制度だけでなく,皇族の臣籍降下によって,本物がいなくなった.これは静かな革命だったのではないか.皇族の臣籍降下は,法理ではなく大蔵省役人による予算削除だった.「削減」ではない.生活できなくなった「宮様たち」は,家土地を売却して退出した.これをまとめて購入した跡地が「宮様(プリンス)ホテル」になった.

だから,有閑マダムがいない国になった.一通の手紙に丸一日かけられるおばさまは,もういないだろう.いるのは,本物の役人と,役人根性をもった社内官僚たちである.

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