恒例の初詣

2020年、新年年頭にあたって

まいど恒例の「初詣」。
午前中、祖父母と両親が眠る寺に年賀の挨拶をして、境内に墓参する。
小学生のときからの、「家」の元旦行事である。

午後は、同級生たちと伊勢山皇大神宮にお参りすることになっているが、これはおもに「厄払い」がきっかけだった。
それでも、もう20年、欠かさないでいるから、事前に集合場所や時間の連絡もしないで全員があつまる。

参拝後は、中華街で新年会をやる。
この会場には、紆余曲折があって、野毛の飲み屋街で開いている店に飛びこんだのがはじまりであったが、元旦から開けている店をさがすのはずいぶんと難儀した。

二年目には、おなじ店が開いていない。
それで、さまよったあげくに、また一軒の店をみつけて、ここをしばらくの「会場」にしていた。

ある年、「いつもの」時間よりすこし遅くなって到着したら、主人に「よかったー」といわれた。
年末からの仕込みがパーになるとおもったと安堵されたが、なにしろ年に一回しかいかない店だ。

お酒を追加するたびに、正月「だけでなくて」いらしてくださいよ、と主人がいうけど、全員がニヤニヤするばかりであった。
そのうち、この店が別の店になっていて、元旦営業もやめていた。

無計画はそのままだから、いつものといっても年一回の店がなくなると、ふたたびさ迷うことになって、こんどは福富町の韓国家庭料理屋におちついた。
焼肉だけが韓国料理のはずもないが、なかなか「家庭料理」という感覚もないものだから、メンバーには好評だった。

だいじょうぶ、うちは日本のお正月は関係ありませんから。
そういいながらも、かなりの繁盛店だ。
そうこうしているうちに、ある年、店が開いていない。
いつもあんまり忙しいから、「正月ぐらい休もう」になったという。

それではこまるわれわれは、とうとう「中華街」にまでたどり着いたのである。
「日本」をでて、「韓国」に寄っていたら、とうとう「中国」にまで到達したという気分である。

ここは「春節」があるから、「旧暦」の街だ。
でも、「春節」は、ドッと街に客が押し寄せるので、稼ぎどきになっている。

いったい、いつ休むのかわからない。
ただ、ちょっと前までは、中華街も正月は静かだった。

「働き方改革」で、ことしは元旦にスパーが閉まっている。
正月に店が休むのは、昭和の時代にコンビニがなかったころまでは当たり前だった。
だから、なれない買いだめをして、家に引きこもるか他人の家を訪問してすごした。

ここには「親戚」という人たちも集合したから、甥や姪へのお年玉もあった。
年末のボーナスの意味を、実感できたものだ。

あんまり暇なら、せいぜい「正月映画」を観に行くくらいで、鑑賞後に開いている店などないから、そのまま帰宅していた。
けれども、暇人はたくさんいて、映画館の混雑に辟易したものだった。

こうして、賢人は自宅で「寝正月」を常としたのである。

そんなわけで、人間は「いつものこと」が「いつもどおり」であることに安心する性質がある。
年にいちどの「いつも」が、だんだん回数をかせねると、なんだかこの「いつも」がありがたくなってくる。

同級生たちとの会話に、いつのまにか「あと」とか「まで」という時間区分がはいりだしてきた。
どうせ「あと」20年もしたら、とか、70歳「まで」、「あと」10年とか。

若いころには想像もできない時間区分が話題になっている。

それに、ポツポツと、同級生や同学年だった友人の訃報も聞くようになってきた。
だいぶみじかい人生が、切実だ。

来年は人生最後の「本厄」になっているから、本殿でのお祓いをしよう。
それから、再来年、、、、、と続くのはまちがいない。

かくして「恒例」が実現しつづけることは、じつはもっとも「おめでたい」ことなのだ。

うまくできているものである。

ことしもまちがいなくやってきた、「新年」だ。
あらためて「おめでとう」ございます。

あかるく今年をおわりたい

「暦」があっての年末・新年である。
「暦」がなかったら、あるいはしらなかったなら、ふつうに一日がおわってしまって、とくべつに「おわり」を感じることもない。
なので、一年をしめくくることが、かえって強調されるようになっている。

昨夜は、恒例の「日本レコード大賞」が決まった。
回数にすると61回目ということになる。
さいしょは1959年で、水原弘の『黒い花びら』だった。
このときの水原弘も、「新人」だったから、世間はおどろいたはずだが、賞の認知度がなかったから、驚きはあとからやってきた。

もう「ことわざ」のようになった、

歌は世につれ世は歌につれ

は、オリジナルをNHKの「顔」だった、宮田輝アナウンサーをはじまりとする。

わたしは歌謡曲にくわしくないが、いつからか興味をうしなって、おそらく半世紀になるかもしれない。
それでも、時代を代表する「歌」は記憶にある。
それが、だんだんと「わからなくなる」のは、時代がわからなくなったからなのだろう。

昨夜きまった受賞曲を、まったくしらなかった。
つまり、聴いたことがないから、記憶にない。
まさかとおもって、検索したら、やっぱりぜんぜんしらない歌だった。

「東京2020」の「公認」だと書いてあって合点がいった。
NHKをまったく観ないどころか、テレビを観ない生活をして何年かになる。
歌っている子どもたちは、「みんなのうた」でも活躍しているというから、きっと「国民歌謡」の位置づけなのだろう。

曲名は『パプリカ』だ。
「ピーマン」を想像するのは、どちらもナス科唐辛子族だからだ。
平成5年に輸入が解禁された「あたらしい野菜」だが、この曲をうたう子たちには生まれながらにあったことになる。
けだし、どちらも「なかみがない」。はなしがピーマン、なのである。

うがった見かたでじぶんでも嫌になるが、全体主義国家における「宣伝(=プロパガンダ)」を、いまようのヒトラーユーゲントがやらされていて、それに日和ったおとなたちが「賞」をあたえたようにみえるから、なるほど「時代」なのだと納得した。

きっと、この受賞を契機に、全国の小中学校で、音楽か体育かあるいはダンスかしらないが、「課題曲」になって、みんなであかるく歌って踊るにちがいない。

楽しくないのに、楽しく感じさせるのは「音楽の力」である。
ベートーヴェンは、「人びとが、行進曲で行進し、ワルツで踊るのは、音楽に逆らえないからだ」といった。
音楽には「催眠効果」がある。

そして、作曲家はその「効果」が最大になるように曲をつくっているのだと。
西洋音楽はキリスト教会音楽を最高としていたのも、これだ。
「聖歌」や「賛美歌」によって、宗教的気分が高まるからである。

数学と音楽が、リベラルアーツにおける「正課」である理由でもある。
「神」へのアプローチとかんがえられたのだ。

いま、わが国の大学は、文科省の役人がつくった「ポイント制」をもって運営されている。
高いポイントを得ると、高額の「助成金」がもらえる。
つまり、どんなポイントなのか?という役人がつくる「制度設計」が、大学の学校法人としての経営状態をきめるしくみになっている。

うらがえせば、わが国の大学は、国からの「助成金」をもらわないと、経営が成立しない状況に追いこまれてしまった。
国公立か私学かはとわない。
それで、地方の私学が公立大学へと移行している。

もっと「税金を投入する」のは、地元の若者を東京に出さないで、そのまま地元の企業へ就職させるのがねらいだ。
まるで「防衛大学校」のようになっている。
地元企業への「任官拒否」もできるからだ。

けれども、こうした公立化の対象は、おおくが「理系」大学である。
なぜなら、ポイントが理系優遇されているからである。
文系の悲惨は、ポイント制において「役に立たない」という了解になっていて、産学連携という実利がないとポイントがもらえない。

こんな「制度」を「設計」しているのが、偏差値で最高の大学でも文系のひとたちだから、「安全地帯」としてあるのは、「偏差値で最高」というあからさまをやっている。

なるほど、「文系」が「役に立たない」のは偏差値と関係ないのだとわかるけど、だからといって「文系=役に立たない」がぜんぶにいえることではない。
むしろ、偏差値が最高の大学の文系が、世の中の役に立たないということだけを証明している。

欧米にはギリシャ以来のリベラルアーツという「伝統」があるけれど、わが国は「儒学」をもって「伝統」としていた。
帝王体制に都合がいいのが「儒学」だから、明治期にリベラルアーツを輸入したけど、根づかなかった。

いまこそ、文系が文系の底力をもって「リベラルアーツ」を推進しよう。
学問と実学の区別がつかないひとたちこそが、役立たずなのだと声をあげるべきである。

教養のない役人ではなく、教養のある民間人なくして発展はないのだ。

来年のテーマがみえてきた。

読者の皆様には、よい新年をお迎えください。

バブル絶頂から30年記念日

昨日29日は日曜日だったから、曜日がずれたけど、日経平均株価が史上最高値「38,915円」をつけてから、ちょうど30年が経過した。
1989年12月29日は金曜日だったから、大納会の日でもあった。

年が明けて下がりはじめるけれども、誰もがまさか「崩壊」なぞしないとおもいこんでいた。
この「おもいこみ」こそが、経済を支配する。

鉄血宰相ビスマルクのことばに、
「愚者は経験から学び、賢者は歴史から学ぶ」
がある。

はたして、われわれ日本人は、この30年間を愚者としてすごしたのか?賢者としてすごしたのか?

昨日の経済紙による署名入り解説には仰天した。
現在の日本株は、「成熟」したとして、「割高」ではないという。
その根拠に、いろんな計算結果をしめしているのが「いじらしい」。

日銀による日本株購入のことを無視しているのだ。
おなじ新聞が、伝えていることだから、これはいったいどうしたことか?
ましてや、29年ぶりの株高にての「大納会」とは?

2016年から、年間にして6兆円ペースという「量的緩和」で、「ETF(上場投資信託)」購入をもって、日本株を大量購入している。
おかげで、わが国上場企業の5割が、日銀を大株主にしているのだ。

このおどろくべき社会主義・共産主義性。
「アベノミクス」のむちゃくちゃを批難しないのは、株価上昇で儲けるひとたちがいるからだ。
これが、わが国の「特権階級(ノーメンクラトゥーラ)」である。

天狗の高下駄は、一枚歯。
まさに、わが国経済は、日銀による日本株買い支えという一枚歯の高下駄を履いて立っている。
そして、日銀はこわくて「売り」という局面をつくれないから、一方的に「買う」ばかりだ。

そうこうしているうちに、まさかの「株価下落」ともなれば、こんどは日銀が「倒産する」やもしれぬ大爆弾をかかえているのだ。

もちろん、政府がそんなことをさせない。
すると、「日銀支援」という名分で、税金の投入ということになる。
かつての「不良債権処理」が、ちんまりとみえてしまう。

役人は「有職故実」でしか動けない人種だと書いた。
すなわち、ビスマルクのいう「経験」からしか行動できないのだ。

そんな行動原理だから、政治がひつようなのだ。
だから、政治家には「歴史」が必須なのであり、その政治家をえらぶ有権者にもどうようの「歴史から学ぶ」ことが基本になるのだ。

しかし、わが国のばあい、だれも「歴史から学ぶ」ことをしない。
これをまた、面倒くさがる。
こうして、はてしなくどうしようもない「政治家」の集団が、政治をおこなうので、国民は、はてしなくどうしようもない「生活」となるのである。

学校の「歴史授業」のつまらなさは、学習指導要領の指導なので、わざと国民を「歴史から遠ざける」ようにしているのではないか?

碩学、小室直樹は、こんなわが国の「生きる道」として、「破滅」しかないと喝破した。
しかも、その「破滅」が、岸にうちつける波のように、なんどもあって、はじめて「まとも」になれるだろうと。

これぞ究極の「自虐」である。
国民が痛いめにあって、しかも、なんども、痛いめにあうから、それで怒り狂って、なんども弾圧されるうちに、ようやくにして「歴史から学ぶ」ことの重大さを体感することができるようになるという論法なのだ。

けれども、出生数が90万人をきって86万人になると、今月24日に厚生労働省が発表している。
なんども「破滅」する余裕もない。
そもそも「日本人」が途絶えてしまう。

もはや、30年から40年周期で、出生数が「半減」する、逆ねずみ算モードにあるのだ。
これは、女の子の数がきめることである。
もう、ひとりの女性がひとりしか産まないので、その半分しか女の子がいないからである。

はたして、わが国はこれから、どんなふうに「破滅」するのか?
香港も台湾も他人事でいられるのは、あと何年か?

社会主義・共産主義を推進する、おそるべき現政権と与党がつづくかぎり、「破滅」へのスピードは加速されるばかりで、減速することはない。
もちろん、すべての野党もマスコミも、加速させることに加担している。

国家・政府がぜんぶを仕切る。
じぶんたちでやるのが面倒だから、役人にやらせておけばいい。
こうした「おもいこみ」が、みずからを破滅させるのだ。

政府から育児の補助金がでるから、子どもを産むのではない。
政府の介入がなくなって、じぶんたちのことをじぶんたちできめる「希望」があって、じぶんたちの子どもを産むのである。

おそるべき「国家依存」が、とっくにわが国を「全体主義」の国にした。
その「恐怖」と「不安」が、出生数を減らしているのである。

これを「国民」が「させた」のだと、後世の国民が気づくことを願いたい。

国家総動員法とカジノ法

斉藤隆夫名演説の続きである。

わが国、そして国民の、運命の「分水嶺」となったのは、昭和13年、第73帝国議会における、第一次近衛内閣によって提出された「国家総動員法」の「可否」であった。

もちろん、後世に生きるわれわれは、この法律が議会を通過してから、どんなことになってしまったのかをしっている。

その意味で、国家総動員法成立「前」のわが国と、成立「後」のわが国とに「時代区分すべき」ではないかとかんがえるほど、あまりにも重要なことが埋もれてしまっている。

齋藤演説のクライマックスは、以下のとおり。

「政府の独断専行に依って、決したいからして、白紙の委任状に盲判を捺してもらいたい。これよりほかに、この法案すべてを通じて、なんら意味はないのである」
※「盲判」とはいまはいわないが、当時の発言のままとした。

日本における「国家総動員法」の手本が、ナチスの「全権委任法」だとされている。
しかし、それよりも強くソ連の計画経済の影響をうけていたので、シナ事変という、どさくさまぎれの「社会主義経済」の実現が目的だったといえる。

国会が自殺するのは「反軍演説」による斉藤隆夫の除名決議ともいわれているが、ほんとうは、この「国家総動員法」によって、国会も民主主義も死んだのである。
わが国には、こんな無茶な法律が「あった」と強調しても、強調しすぎることはないほど、重要で、わすれてはいけないことだ。

戦後の昭和20年に、「国家総動員法及戦時緊急措置法廃止法律」ができて、昭和21年4月1日から廃止されたが、あまりにもたくさんの「盲判」としての「勅令」があって、すぐさま全部を廃止するとかえって経済に混乱を帰すという理由をGHQさえみとめたから、戦後の経済官僚による支配体制の基礎にもなっている。

これを『1940年体制』ともいって、おそるべきは、現在にもつづいているのである。

斉藤隆夫の名演説にもかかわらず、この法律が議会を賛成多数で通過できたのは、近衛の「修正案」で、貴族院・衆議院両院の議員を含む「国家総動員審議会の設置」を名分としたことにある。

歴史は、この「審議会」がいっさい機能しなかったことをみとめている。
むしろ、機能しないことを、戦争をもとめた国民が「もとめた」ともいえる。

これは、たとえ翼賛選挙であろうとも、当選しなければならない議員にとって、国民の熱狂を無視できないポピュリズムが、民主主義として機能していたからなのである。

つまり、民主主義がただしく運用されるには、「賢い国民が多数いる」ことを前提としているから、すきなように国民を支配したい為政者は、「愚民を多数とする」ことに腐心する。
それが、ヒトラー・ユーゲントを手本にした、昭和16年の「国民学校令」だった。

ときあたかも、国家総動員法の制定後、同年の8月から11月にかけて、ヒトラー・ユーゲント代表団が来日した。
これにあたって、朝日新聞社の依頼により、北原白秋作詞、高階哲夫作曲、藤原義江歌唱による歓迎歌『萬歳ヒットラー・ユウゲント』が作られ、10月には日本ビクターからレコードが販売された。

この新聞社には、「右」や「左」という批判は無意味で、戦前も戦後もただ一貫して「全体主義」がすきなのである。

まさに、政府にじぶんたちの生殺与奪を全権委任したことの重大性をわすれ、かえってこれを喜ぶことの興奮とは、いったいどんな心理状態なのだろうか?

しかし、このときの「日本人」をいまのわれわれが嗤えることもなく、むしろ、やっぱりおまえたちもかと、草葉の陰で泣いていることだろう。

来年予定されている「東京オリンピック」の準備にあたって、開催決定の瞬間からはじまったのは、「オリンピック国家総動員法」と揶揄されるほどの「なんでもあり」だということだ。

たとえば、この夏に開催された、マラソンの予行演習で都内の交通は遮断されたが、なんとそのあと、あんまり暑くて記録が伸びないし選手の体調にもよろしくないとして、北海道開催になってしまった。

それでまた、「なんでもあり」が、こんどは北海道ではじまったのは記憶にあたらしい。
都知事がえらく怒ったのは、「なんでもあり」の一部をうしなうことへの「怒り」だけだったであろうから、オリンピックそのものも「どうでもいい」のだと、わかりやすくおしえてくれた。

しかし、本物の「国家総動員法」にそっくりな法律が、もうできている。
通称「カジノ法」が成立したのは2016年のことだった。
この「法律」には、「国家総動員法」の「審議会」とおなじ、「カジノ管理委員会」を設置するようになっていて、今年、この「管理委員会」が発足した。

斉藤隆夫は、国家総動員法を「盲判」とよんでその本質を衝いたが、「カジノ法」も構造がおなじになっている。
国会に報告せずに、「管理委員会」がきめることになるのが「311項目」もあるのだ。

国家総動員法は、「勅令」を連発したが、管理委員会は「勅令」をだすこともないから、もっとすきなように支配できるようになっている。
まさに、内容をよく確かめもせずに「承認」のはんこつき書類(命令)を量産することになるはずだ。

たかが「カジノ」というなかれ。
されど「カジノ」でもなくて、おそるべき「国家総動員法」のコピーが21世紀のわが国に蘇っていることが大問題なのだ。

いまは対象がカジノに限定されているようにみえるが、かならずこれを「拡大」するのが「国家」というものだ。
つぎはどんな対象で、「国家総動員法」の「部分実施」をするのだろう?

そんなことをしていたら、たちまちにして本当に、「国家総動員法」ができてしまう。

カジノ法の構造にこそ、仕組まれた罠が存在している。
そして、この法律を可決した国会は、戦前とおなじく、とうに自殺してしまい、この国の民主主義もうしなわれた。
いまさら、野党がなにをいっても与党はどうじまい。

民主主義の遂行には、面倒だけれど「民主的」な「手続き」が不可欠なのである。
民主主義をきらうものは、この「手続き」をじぶんたちの仕事にして、ひたすら「効率がいい」と甘言をいう。

おそるべきことが来年もおきるだろう。

名演説の残念はつづく

齋藤隆夫(さいとうたかお)というひとがいた。
いつのまにか、戦前のわが国には民主主義がなかった、ということになっているけど、ぜんぜんそんなことはなく、いまよりもはるかに激烈かつ格調の高いものであったのだ。

むかし、『文藝春秋』を定期購読していたとき、連載されていた草柳大蔵『齋藤隆夫かく戦えり』は昭和56年に単行本がでて、3年後に文庫になった。
年末に、なんだか突然おもいだして、読みかえしたくなった。

齋藤隆夫衆議院議員の質問演説は、憲政史に残る「名演説」としてかたりつがれている。
とくに有名なのは、普通選挙賛成演説(大正14年)、岡田内閣の施政方針演説に対する質問演説(昭和10年)、粛軍に関する質問演説(昭和11年)、国家総動員法案に関する質問演説(昭和13年)、支那事変処理中心とした質問演説(昭和15年)、の五本である。

かれの演説は、原稿を読むものどころか、「原稿なし」で理路整然とした論理をもって、ときに数時間にわたる。
なぜにこんなことができたのか?
特異な才能でもあったのか?といえば、そうではない。

推敲をかさねた演説原稿をもって、ひとり練習に励んだのである。
それは、自宅庭先や、鎌倉の海岸であったという。
なぜに「原稿なし」にこだわったのか?
それは、「演説」にもかかわらず、「読み上げる」ことによる聴衆への説得力の減衰をおそれたからである。

かれは元々弁護士(明治28年合格)であったし、その後エール大学法科大学院に留学して、法律のみならず政治学もおさめている。
かれの中の「民主主義」は、本場アメリカ仕込みなのである。
はたしてさほどに裕福だったかといえばちがう。

東京の大学入学に際して、故郷の兵庫県豊岡市から、全行程を歩いて向かったのは路金がなかったからである。
しかし、当時の日本人には「スポンサー」意識があって、若くても「こいつ」とみとめたら、おとなはだまってカネを提供する文化があった。いまでいうベンチャー投資より立派な、出した側も見返りを求めない「ひとへの投資」で世にでた若者は多数いた。

小説の神様「志賀直哉」にして、37歳の作品『小僧の神様』は、当時の世相をしるのにもいい。発表は、普通選挙賛成演説の5年前、1920年(大正9年)である。
なお、このころの男性平均寿命は47歳ほどであった。

「演説」こそがラジオもなかったこの時代、民衆との接点であったし、他にはなかったのである。
支持者を得るも失うも、演説が「演説」でなければならないとの信念があったのは、弁護人として裁判における説得力につうじる。

ちなみに、わが国のラジオ放送は大正14年3月22日をもって開始され、テレビは昭和28年である。
昭和24年に79歳で没したから、齋藤隆夫はテレビ時代をしらない。

普通選挙賛成演説には、聴いていた議員に「齋藤君は二時間も演壇を占拠した」との記録がある。
もちろん、「原稿なし」だ。
しかし、その論理と用語の格調の高さは、「齋藤登壇」の予定が発表されると、当日は国会の傍聴席がいっぱいになったという。

名演説のなかでも、有名なのは昭和11年の「粛軍演説」と最後の「反軍演説」(昭和15年の質問演説)がある。
だからといって、齋藤は戦後でいう「反戦平和主義者」ではない。
むしろ、国民にとっての「軍」と「軍人」の論理的なあるべき姿を追求しているのである。

ことに、「粛軍演説」は、あの「二・二六事件」の後における「軍内の処罰」にたいして、手前味噌ともとれる「甘さ」をするどく追求したものだった。
これには、その前の「五・一五事件」の海軍軍法会議まで引き合いにしているから、陸海軍ともに糾弾したのだった。
しかも、本業の弁護士としての論じたてに、隙はない。

われわれ日本人は、言論と人格の分離ができない、という特徴をもった集団なので、論理で攻撃された側は、かならず感情的になる。
おそらく、上代からの「言霊」への信仰が、ひそかにDNAにあるからだろう。

だから、言葉と精神の一体しか認識できない。
じぶんを言葉で攻撃する人間は、「悪いやつ」になるのだ。
これは、じぶんを言葉で攻撃する人間に、言葉で言い返すということよりも、もっと単純で、暴力で制圧すればよい、という行動をとるということである。

結果的に暴力に及ぶ共通があっても、欧米が自己弁護と相手への攻撃のために、なんであれ「論理」をひつようとするのにたいして、わが国では「感情」によればゆるされるのはこのためだ。
だから、隣国人をばかにすることの資格をうたがってよい。

その意味で、日本人が「怒り」をあらわにするのは、たいへん危険なのだ。
ばあいによっては、相手が外国人であれば、どうして日本人が「怒っているのか」わからないけど、いきなり殴りかかるようなものだからである。

近代エリート職業軍人は、なにがあっても戦争に「勝たねばならぬ」ことを本分とするので、きわめて論理的な思考訓練をほどこされるものだが、わが軍の不幸は、精神的思考訓練にむかってしまったことだった。

そしてそれが、とうとう「妄想」にまで発展して、現実と「希望的観測」のちがいも認識できなくなってしまった。
この原因は、資源のなさと植民地のなさで、もっといえばとてつもない「貧乏国」だったからである。

台湾も、朝鮮も、満州も、さらには樺太・千島に南洋群島まで、ときの「欧州列強」なら本国に資源を収奪されるばかりのはずのものに、あろうことか一方的に本国から資源を提供して、現地人の生活向上をはかってしまう。
だから、おどろくべきは、収奪されたのが本国の臣民だったことだ。

第一次世界大戦での連合国として、ドイツが占拠していた「青島攻略」でためした、あこがれの「物量戦」で、ぜんぜん割に合わないことに気がついたからである。
現地人を味方につけることの有利を本気でやったが、時間が効果を発揮させなかった。

こうして、「国防」という「大義」にまみれながらも、軍からの圧力に保身した大勢が、熱狂の「反軍演説」からわずか一月あまりで、齋藤に拍手をおくった議員たちから「除名」の処分を受けることになる。

しかし、齋藤の反骨を支えたのは地元の有権者たちであって、昭和17年の「翼賛選挙」に、非推薦ながらトップ当選をはたす。
この「兵庫五区」の有権者たちこそが、奇跡的な英雄なのである。

軍事予算が国家をおしつぶし、はては国家が破滅した。
いまは「社会保障予算」のことである。
「公的年金を守れ」という「大義」にまみれ、人気とりという「保身」した大勢しか選挙で当選しない。

いま見渡して、斉藤隆夫もそれを支える有権者もいない。
齋藤本人ならずとも、ことしも「寒い」年末である。

久しぶりの議員逮捕で妄想する

わだいの「IR」とか、「中国企業」とかいった「修飾語」をはずすと、こんかい収賄で「逮捕」された秋元司衆議院議員のおおもとの事件とは、中国企業関係者の「外為法違反」というはなしだ。
なんだか「デジャブ」のようだ。

以下に勝手な妄想をするので、真に受けないようにあらかじめ読者にはご注意申しあげておく。

社会的にえらくなったり、お金持ちになったりしたら、「外為法」に注意しないと、いかようにも「挙げられる」ことになりかねない、おそろしい法律である。

「国会議員」は職業なのか?
それとも、ボランティアなのか?
議員になったらもらえる国庫から「歳費」という名の「給与」は、「議員活動」のためのお金だったけれど、特権化して「生活給」になった。

大臣になったら、大臣としての給与と、辞めたら退職金がもらえる。
議員をとにかくながくやれば、年金ももらえるから、二重三重にもらえる仕組みになっている。

もらうばっかりでは国民が嫉妬する。
それで、日本人の病的な「潔癖症」が建前になって、議員なら「政治資金規正法」が、大臣なら就任時に「資産公開」という、個人情報保護の精神にそぐわないことをやらせるようになった。

政治とカネは、金権政治にむすびついて、汚職がたえないのが理由であった。
汚職の典型例が、「収賄・贈賄」で、えらいひとはかならずもらう方になるのは世界共通だ。

でも、その前に、立候補するときに「供託金」というお金を納入しないといけなくて、獲得票数がたりないと、「没収」の憂き目にあう。
このことが、選挙権はだれにもあるが、被選挙権はあるわけではないことになって、立候補制限となっている。

韓ドラの時代劇は、5百年つづいた李氏朝鮮時代を舞台とするものがおおい。
すると、たいていは王様と貴族がでてきて、なんだか「大袈裟」な議論をしたりする。

この貴族が「両班(りゃんぱん)」という身分のひとたちで、宗主国の中国からコピーした、「科挙」の受験資格をもつひとたちのことをいう。
「両」の字があるのは、高等文官と高級武官の「両方」だからだ。

中国の科挙は、受験者の身分を問わない、という人類史における「画期」であった。
しかし、その難易度は半端ではなかったから、一生を受験生のままで棒に振るひとも続出させる副作用があった。

それでも、受験を続けたのは、合格すればたちまちに、どんなに潔癖なひとだって三代の栄華が保障されるほどの「うまみ」があったからだ。
もちろん、搾り取られるのは一般人ばかりである。

この「うまみ」を独占したのが、朝鮮における「両班」たちだった。
いわば、わが国の選挙制度も、被選挙権を制限するために、日本的な「議員身分」という「両班」身分をつくっているのである。

しかして、政治資金規正法なり、外為法なり、法をたてに取り締まるのは、「検察」をもって国民の代表としている。
司法試験に合格すれば、裁判官・検察官・弁護士のどれかになるようになって、検察官が犯罪者の罪を問う役目をおうからだ。

検察官は、建前上、ひとりでも「国家機関」という立場をあたえられるから、検事と検事正の身分差とはなにか?ということが、あんがい面倒くさいはなしになる。
それに、警察とはべつの組織である事実上の「法務省」の役人でもある。

法務事務次官と検事総長は、検事総長を格上としている。
これは、外務省における外務事務次官と駐米特命全権大使との関係のようでもあってややこしい。
次官は「一般職」公務員の最高位だが、検事総長や特命全権大使は、天皇の認証官なので「特別職」公務員になるからだ。

けれども法務大臣には「指揮権」があるから、検事総長といえども法務大臣にはさからえない。
そんなわけで、国会議員の検察による「逮捕」とは、法務大臣の承認がないといけないことになる。そして、その法務大臣は内閣における「国務大臣」なので、現憲法では内閣総理大臣の指揮下にある。

与党の法務大臣が与党の議員逮捕を承認するとは、いかがなことなのか?
これは、じつに「政治的」なのである。
この時期に、この政治的アピールとは、韓国にたいする「牽制」ではないかとうたがうのである。

政治制度が「大統領制」だから、わが国とはことなるとはいえ、あんがいとわが国のまねっこをしているのが「韓国」である。
政権をゆるがす大スキャンダルは、大統領の右腕「タマネギ男」の処遇だろう。

内輪であっても逮捕するのが「日本」という国の「公正さ」だというメッセージは、かずかずの対立についての「意趣返し」になる。
しかも、中国との関係もふくめているから、いまの韓国にはいっそう「痛い」はずだ。

なんともずる賢いやりかたをかんがえついたものだ。

そして、じつは政権に日和っているわが国マスコミは、これ見よがしの報道キャンペーンをやることだろう。
その相手とは、日本国民ではなくて韓国国民になる。

どのみち、おいしいカジノは実施する。
これで、やってくる相手から中国企業が消えただけだ。
横浜のカジノ反対運動のガス抜きとしても絶妙である。
ましてや、国家主席を「お迎えする」日本政府として、ちゃんと公正さを担保しているともいえるから、近年の「傑作」である。

よくやるよ。

と妄想した。

マスクをしたいひとたち

寛容なのか不寛容なのか?
イオングループが接客にあたる従業員のマスク着用を「禁止」した、というニュースが配信された。

「風邪」にかかってもいいのか?
「安心して勤務できない」とかいう、従業員からの「意見」もあるようだが、「広報」によると、会社への正式な抗議にはなっていないようである。

「禁止」という表現を記事どおりに会社がつかったのかも未確認だから、ほんとうなのだろうか?とうたがってしまう。
べつの表現をしたものに、「意味がおなじ」だとして記事に書いてしまってはいないか?
できれば「全文」を掲載してもらいたかった。

一般的な「マスク」に関しては、このブログで何度か書いている。

「接客業」にあって、客前でマスクを着用したままで「よし」とする感覚をいかがかとおもう、という立場から書いてきたが、今回の記事は、「禁止」がいかがかという立場から書かれている。
これは、「新鮮」なおどろきだ。

どういう意図なのか?
どういう感覚なのか?
記者に口頭で不満を表明した従業員がいる、という事実だけを書きたかったともおもえない。

「記事になった」かぎりにおいて、取材した記者ひとりのことではなく、それをみとめた上司なりが許可しなければ、商業的な「記事」となって世間に配信されることはない。

だから、興味深いのである。

まず確認したいのが、マスクの「効果」である。
本来は、風邪やインフルエンザに「感染したひと」が、まわりの迷惑にならないように着用するものだった。

しかし、これらのウィルスは一般的なマスクの材質では、呼気があみめを通過してしまうから、役に立たない。
だから、健康なひとにとっても、風邪やインフルエンザのウィルスを吸い込むための、「予防」にもならない。

つまり、じぶんは病気にかかっています、という合図をおくって、他人に注意を喚起するというのが、第一の役目になったのだ。

それでも、一日中マスクをしていれば、なんだか「黒ずんでくる」のは、外気がさまざまな物質に汚染されていて、比較的おおきな粒子がマスクでとまる。
けれども、おおかたマスクなしでも「鼻毛」がこの役割をもっている。

あえていえば、冬の太平洋側は空気が乾燥するので、マスクをすることでじぶんの呼気の湿り気で喉を潤すことぐらいが、効果なのだろう。
さいきんでは、監視カメラの人物特定から逃れるため、ということもあるが、マスクの着用程度でAIはだませない。

これからわかるのは、他人のための注意喚起だったものが、じぶんのための湿潤に変化していることだ。
そして、科学が軽視されていることもみえてくる。

科学的にかんがえれば、一般に購入できるマスクはほとんど無意味だからだ。
けれども、ここに「商機」があって、メーカーによる「文化」が形成されているのである。

もちろん、メーカー努力だけでなく、その背景に「じぶんかわいさ」が価値観になければならない。
そして、それが「お互いさま」にくっついて、じぶんがしようが他人がしようが「勝手御免」になれば、マスクの着用がマナー違反にならなくなるばかりか、他人からの禁止命令にすこしばかり反発するだけですむようになるのである。

これが、現代日本における「現役世代」の「常識」だ。
だから、「記事」になったのだ。

そういえば、たまにではあるが、旅館やホテルでも「禁止」の掲示をみかける。
接客現場に、「禁止」ポスターを貼るのは、どうみても従業員向けではなくて利用客向けだ。

たんに日本語のつかいかたが下手なのではなくて、あいてに命令することに違和感がないのは、「いつも命令されている」からだろう。
たとえば、小公園でも「球技禁止」とか、ショッピングセンターに「ローラーシューズ禁止」とかが貼ってある。

「球技禁止」は、老人優先社会になったからだろう。
「あぶないのでボールをけったりなげたりしてあそんではいけません」とあるのは、子どもがあぶないのではない。
こういうひとにかぎって、幼いころのはなしになると球技をしていたはずだ。

「ローラーシューズ禁止」のおかしさは、じぶんたちで売ったものを、履いてくるなという自己中な発想があるからである。
ならば、「当店ではあぶないローラーシューズの販売はいたしません」と書けばよい。

そういえば、こないだの『魔笛』公演では、弦楽器の演奏者がマスクをしたままで全曲を演奏していた。
オーケストラの本番で、演奏者がマスクをしているのを生まれてはじめてみた。

同僚も注意しないばかりか、指揮者もなにもいわないし、休憩後もかわらなかった。
けれど、カーテンコールでオーケストラが起立して挨拶するときに、このひとははじめて素顔をみせた。

マスクをしたままでは、やっぱり「まずい」とおもったのだろう。
年齢的には40代のなかごろか?
どうやら、このあたりが「境界線」のようである。

個々人がバラバラになって、じぶんのため、をどんどん追求すると、ついにそれを国家の役割に変容させることで全体主義は達成できる。
いまは「まさか」の段階だが、国家の命令に全員がそろってしたがう、全体主義への準備が、ゆっくりと、しかし、着実に進行している。

マスクの着用は、「禁止」でも「勝手」でもなく、「マナー」や「エチケット」としてとらえることが肝要だ。

ちり紙交換が健全な社会の証拠だった

「毎度おさわがせしております。こちらはちり紙交換でございます。
ご家庭にございます、古新聞、古雑誌等、ございましたらお気軽にお声をおかけください。こちらからとりに参ります。」
このバカ丁寧な日本語がもう聞こえてこない。

いまどきはすっかり見聞きしなくなった「ちり紙交換」。
町内やおおきな団地にやってきては、新聞紙とちり紙(トイレットペーパー)を交換してくれた、古紙回収業者のことである。

あの独特のアナウンスは、伝説的な「ギャグ」までうんだほど、あまりにも日常の光景だった。
どの家庭でも、新聞は朝・夕刊ともに購読するのが「当然」だった。一家の経済を男ひとりの働きで支えられたのだから、いまより「豊か」だったかもしれない。

行政の「清掃局」が担当する「生ゴミ」などの回収とはちがって、ちゃんと専門業者がやっていた。
いまでも「ほそぼそ」とあるらしいが、わたしの住む地域ではもうみかけなくなってひさしい。

それよりも、毎週きまった曜日に回収業者はやってくる。
もはやちり紙と交換はしてくれず、ひたすら回収だけをしているのは、行政からの請負仕事になったからである。

古紙には相場があって、これを再生工場や輸出業者にもちこめば、暮らせるだけの手数料収入があったのだ。
つまりは、自由に営業できたということでもある。

これをつぶしにかかったのが、中央官庁で、まだ「環境庁」がうまれたて(環境庁設置は1971年)の73年に、当時の「通産省」が「全国モデル都市」を指定するというやり方で「参入」したのである。

この背景には、石油ショックがあるという説があるが、第四次中東戦争(1973年10月6日勃発)の影響で経済が深刻化するのは、1974年の1月になってからである。

つまり、どっぷり田中角栄内閣(1972年7月7日-1974年12月9日)の時代にあたる。
じつは、この時期に、わが国の「官僚制社会主義」が完成するのである。

田中角栄氏の逸話で有名なのは、官僚のコントロールにあったといわれているが、なぜかは簡単で、いまでは「ふつう」の、官僚に全面的な「政策立案」をさせていたからである。
それで、彼の生涯における「議員立法」の成立数が、他を圧倒したのだ。いわば、官僚に「内職」で法案を書かせていた。

初入閣は1957年。
39歳のときに郵政大臣となって、新聞とテレビの系列化をやった。
その後、大蔵大臣(池田・佐藤内閣)、通産大臣(佐藤内閣)を歴任し、総理になった。

まさに、わが国の「ドン」だったのだ。
しかし、よくよくみれば、彼の政策はすべからく国家主導の「社会主義」である。
高度成長の税収によって、役所も肥大化し、民間支配が露骨になった。

これが、「役人天国」となるのは「必然」だから、田中角栄人気は公務員に根強いのである。
もちろん、マスコミ支配を達成して利権配分したから、マスコミ人にも田中角栄人気はおとろえない。これは、かれの社会主義性にも原因がある。マスコミ人の社会主義好きは、いまでも「常識」だ。

以降、自民党は、全派閥が田中派のコピーになったので、欧州でいう「社会党右派」のような政党に変容し、英国保守主義でいう「保守」なぞという思想はとっくに捨て去っているし、知識もない。
いまの安倍内閣の政策は、もはや「社会党左派」にまで「進化」した。それで、野党が経済政策を議論できなくなってしまった。

これは、「地方」もおなじだ。
地方政府の官僚が、中央政府の官僚に指導されて、まねっこをやる。
地方議員は国会議員よりも質がおちる傾向があるから、住民には絶望的な役人の支配となるのである。

もちろん、そうとうに優秀な「首長」でないと、役人と議員の壁を越えることはできないので、ふつうのひとならなにもできないし、なにもやらせてはくれない。

そんなわけで、横浜市の一部(港北区・鶴見区)とはいえ、古紙回収が、中国の、例によって突然の「輸入禁止措置」によってできなくなってしまった。
回収しても、持って行き先がないからである。

計画経済の計画がこわれると、経済が不調をきたす典型例になった。
もちろん、中国の計画経済のことではない。
わが国の官僚がたてた計画経済である。

わが国は、中国をさしおいて、人類史上はじめて世界最高の社会主義を達成したので、国家主席を招待してでも自慢したいのだろう。
まことに経済学の常識から逸脱した、おろかな国家がわが国になった。

ペットボトルも中国が輸入禁止措置をとったが、いったいどうしているのだろうか?
古紙もペットボトルもプラゴミも「リサイクル」という「イリュージョン」で、役人が民衆をだます方法を完成させた。

1976年、函館空港に突然やってきた、当時のソ連の最新鋭戦闘機ミグ25に搭乗していたのは、ベレンコ中尉。
わが国の防空網をあっさり抜いてしまったのだが、「亡命希望」ということで、なんとかなった。

かれがソ連に絶望したのは、故郷の街に収穫したリンゴが山積みのまま放置され腐敗しているのを目撃したからであった。
経済計画にない豊作が、輸送計画を崩壊させ、はなから存在しない販売計画がリンゴを腐敗させるしかない社会。

リンゴが古紙にかわっただけだ。
自由に営業できた、ちり紙交換が成り立ったのは、健全な社会の証拠だったのである。

役人が介入して利権となって、同じ古紙の回収ができない社会になってしまった。
まちがいをみとめない役人は、おそらく、回収業者を役所によびつけて、脅迫してでも回収させようとしているにちがいない。

まったくもって、ソ連の役人とおなじことをしても、経済の原則はなにがあっても役人のおもうようにはいかせない。
パンがなければお菓子を食べろ、というにひとしいおろかさだ。
指定業者の指定を解けば、炊きこめ用の燃料としてよろこんで回収する銭湯の主人たちがいるだろう。

しかしながら、われわれは戦闘機に乗って亡命もできないのである。

ただし、家中が古紙だらけのありえない不便にみまわれた、住民のただしい怒りが、いまや希望にさえなっている。
社会主義計画経済が成り立たないことを、やっぱり「証明」しているのである。

おなじ動作ができない

自由に生きることはたいへん重要だけれども、自由=勝手気ままと解釈すると、それは、やっぱり「勘違い」になる。
このブログでくり返している「自由主義」の「自由」とは、他人から命令されない社会のことだから、自律神経としての自己統制ができないと、自己崩壊してしまうのだ。

「欲望」をどうやって「制御」するのか?
それが人間社会の「道徳」になっている。
犬や猫のような動物にみられる「本能」のなかにも、自己制御はあって、できないものは群れから追放される。

「狩り」をして獲物をえるのが「群れ」の最大価値で、その攻撃力が防御力にもなっている。
だから、野生の犬や猫の仲間なら、「群れ」から追放されたら「死」を意味する。

人間も、狩猟採取生活をしてきた経験がある動物なので、やはり「群れ」をつくる性質がある。
数万年単位でのことだったから、数千年ぐらいではDNAがこわれない。

人間の狩猟には2パターンがある。
ひとつはおもに「飛び道具」をつかって、獲物をしとめる方法。
もうひとつは、「罠」をしかけて獲物をおびきだす方法だ。

そんな意味をかんがえると、現代ビジネスだって、上記2パターンの「狩り」のようなものだ。

こんな生活に、文化がうまれて、それが文明になった。
いろんな学者が、単独の文明として「日本文明」をみとめるのは、世界の辺境にある島国の独自性が目立つからだ。
これを昨今は、「ガラパゴス化現象」ともいっている。

わが国は「島国」ではあるけれど、「山国」でもあって、その「峻険」さは、もっとも基本的な移動手段の「徒歩」では、かんたんに移動できないという特徴がある。

そんなわけで、「土着」という結果、地域における「群れ」ができた。
東欧・ロシアの封建社会における「農奴(Serf)」とはややちがうけれど、わが国には「小作」がいる。

なかなか「外」との比較が難しい。
「日本論」が「日本」でさかんなのは、外の世界との共通性を見出すことでの安心感と、独自性の優越感とが交差するが、追求のエンジンか燃料には「不安」があるのかもしれない。

「人類共通」の感覚をさがさないと、いいようのない不安になるのは「群れたい」というプリミティブな感情があるからではないのか?
学校にかぎらず集団における「いじめ」が、群れからの追放なのも、善し悪しではなく理解しやすいことではある。

「いじめ」という集団行動からもれれば、じぶんも対象となるかもしれないという「不安」が、行動を助長して過激化するのは物理運動的である。
エンジンあるいは燃料が「不安」であるから、やめられない、とまらない。

対して「一匹狼」という生きかたがある。
本物のオオカミならば、死に直面している状態だから、ナーバスで、ゆえに近づくと危険だ。

しかし、人間社会で、ある程度これができるのは本人の「技能」がそうさせるからである。

封建社会は、職業選択の自由がなかった。
それぞれの役割が、血縁によってきまっていたから、本人がうまれる前に職業人生が確定していた。

古代から「投げる」という競技があったのは、「やり投げ」「円盤投げ」「砲丸投げ」に代表される「力比べ」が原点だろう。
しかし、「やり投げ」は武器である。
本来は、距離だけでなく正確さもあったはずだ。

わが国の伝統武術も、原点に相手を倒す技術として研究した成果だ。
なかでも「流鏑馬」は、馬術と弓術の統合が求められる。
馬の動きに偶然はあっても、弓術の偶然とはなにか?

おなじように動作しても、結果がことなる。

正確さのためには、もちろん道具の工夫もひつようだが、それをつかいこなすには訓練しかない。
そして、訓練をかさねればかさねるほど、おなじ動作ができないことに気がつくものだ。

これを克服したものが「名人」となる。

戦国武将たちが、こぞって茶道にはまったのは、おなじ動作ができないけれど、直接いのちをうしなうこともないからではないのか?
これがサロン化し、かつ、名人があらわれた。

名人は尊敬の対象になる。

はたして、世の中はデジタル時代。
「0と1」によってつくられている。
まともに「0と1」に対抗するなら、人間に勝ち目はなくなっている。

アナログという「連続」のなかで、いかなる「名人」となるのか?
デジタルがやる「おなじ動作」とは、ぜんぜん次元がことなる分野こそ、人間の生存空間になっているのである。

このことに気づいた親たちは、じぶんで「生き抜く」ための教育を子どもにしている。
このことに気づかない親たちは、受験に「生き抜く」ための教育を、いまだに子どもにしている。

産業界も、あいかわらず「惰性」で採用をきめている。
「一流企業」が「一流」だったのは、他社が自社とおなじ動作ができないからだったが、おおくがデジタルによって侵蝕された。
他社が自社とおなじ動作ができるようになって、衰退がはじまったのだ。

ならば、どうするか?
尊敬を得られるための努力しかないのである。

『魔笛』の危険な主張

年末なら恒例の『第九』なのだろうが、地元の公会堂で舞台音楽研究会創立25周年記念公演『魔笛』の「夜公演」を観てきた。
この公演は「昼」「夜」でキャストが入れかわるのだ。

ご存じ、モーツァルトの最後のオペラ作品として有名だ。
いまは「オペラ」に分類されているが、当時は「歌付きの劇」という軽い分類だった。
なにせ、作曲がモーツァルトだから、曲自体も軽妙かつ完璧である。

生まれ故郷、ザルツブルク時代からの友人で、劇団主だったひとが、もはやほとんど「無職」状態だったモーツァルトのあまりの窮乏をみかねて、作曲依頼したといわれているが、ほんとうか?
「問題」は、このひとがみずから書いた「脚本」にあるのだ。

着手から半年で完成しているのは、やはり天才のなせるわざだが、この三カ月後にモーツァルトは没している。
「憐れみ」からだけで、作曲を依頼したとはおもえない。

ヨーロッパでは、モーツァルトのオペラでもっとも人気があるというが、はたしてわれわれ日本人には、あんがい「難解」なはなしになっている。

オペラはイタリア語にきまっているという時代、ドイツ語でやるのがドイツ・オペラだ。
ドイツ語圏のひとたちがつくって観賞するオペラだからドイツ語だ、というわけにはいかないのは、ドイツ語の「きたなさ論争」にある。

イタリア語の発音が、しぜんと「歌になる」というメリットが強調されて、ドイツ語の不細工が卑下されたのである。
だから、ドイツ語でやる、というのには、なにくそという意志がある。

のちに、ドイツ・オペラの頂点をつくったワーグナーが、みずからの作品を「楽劇」とよばせたのは、「アンチ・イタリア・オペラ」の意思表示なのだ。

余談だが、ワーグナーの人格破たんは有名だ。しかも、強烈な反ユダヤ主義者だったから、ヒトラーに愛された。もちろん、ワーグナーが亡くなったのが1883(明治16)年だから、1889(明治22)年うまれのヒトラーは、まだこの世にいない。

ヘイト・スピーチに刑事罰を課す川崎市に、ワーグナーは生活できない。

そんなわけで、何語でオペラを書くのかは、決定的に重要なのだ。
今回の公演は「日本語」だった。
舞台背景を3D映像でみせるのは、メトロポリタン歌劇場の『ジークフリート』もそうだった。

『魔笛』の難解さは、いいものと悪ものの役が入れかわることに、さいしょの原因がある。
娘をさらわれた「夜の女王」が、いいものと思いきや、さにあらず。
娘をさらった独裁者「ザラストロ」が、悪ものと思いきや、さにあらず。

しかして、背景にも「古代」と当時の「現代」とがかさなっている。
セリフにもあるからわかるのが、古代エジプトの「オシリス」と「イシス」の二神をあがめるのが「ザラストロ」だ。

歌詞の「神々」とはこの兄妹にして夫婦の二神をいうから、キリスト教の「神」をイメージしてはいけない。

さらに、当時の「現代」として、「夜の女王」がオーストリア帝国の女帝「マリア・テレジア」として皮肉っていることだ。
本上演の「背景」に、古代エジプトの風景や神殿にスフィンクスが投影され、女帝の肖像画までも登場するのは、作品の内容に忠実だ。

しかして、革命の嵐によって、彼女の実娘にしてフランス王妃マリー・アントワネットが断頭台に消えたのは、モーツァルト死後2年後のことだから、この作品に描かれることはない。
はたして、夜の女王の娘「タミーナ」とは誰なのか?

そして、きわめつけが「じつはいいもの」のザラストロとは、ゾロアスター教における「ゾロアスター」=「ツァラトゥストラ」のことである。

人類さいしょの「経典宗教」は、明(善)と暗(悪)の二元論だから、夜の女王は「暗=悪」なのである。
なぜか?本物の「女帝」は、ドイツの敵、カソリックだからである。

このおそるべき「アンチ・クリスト」オペラは、後世のニーチェ『ツァラトゥストラはかく語りき』につながる。

 

いわば、これぞ「フリーメーソン」なのである。
すると、劇中の「試練の儀式」とはなにか?
まったくもって、フリーメーソン「入会の儀式」ではないのか?
これに臨む王子「タミーノ」とは、ゾロアスター教からでた「ミトラ教」の「ミトラ」をもじったといえる。

最後の場面は、フランス革命をドラクロワが描いた「自由の女神」「マリアンヌ」を背景に、作曲の1年前にはじまった「フランス革命」を「賛美」しているのである。
彼女がかぶる赤い三角帽子は、「フリジア帽」という「ミトラ」愛用の開放された元奴隷、「自由奴隷」の象徴である。

世界で唯一、ちょうどいまごろ、年末恒例として各地で演奏される『交響曲第九番』で、シラーが書いた「神」も、キリスト教の「神」ではない。
歌詞をよく読むと、にじみでてくる。
もちろん、シラーもフリーメーソンである。

さすが、ベートーヴェン。
モーツァルトのフリーメーソンにおける後輩だけある。
しかし、フランス革命の悲惨は、皇帝ナポレオンによってさらに混迷したから、交響曲第三番のタイトルをナポレオンから『英雄』に書きかえた。

まことに、両大作曲家は「政治的」なのである。
そして、モーツァルトは未完の遺作に『レクイエム』をのこし、ベートーヴェンは、第九のあと、弦楽四重奏曲に代表される「深遠世界」にいってしまう。

ドイツ人がいかに「カソリック嫌い」なのかがわかるのである。
ヨーロッパは、カソリックとプロテスタント、それにフリーメーソン(ゾロアスター教)の「三つ巴」が下絵にある地域なのである。
これを、当のヨーロッパ人はしっている。

それにしても、「初演」における「タミーノ」の衣装が、わが国、平安貴族の「狩衣」だったとはおどろきである。
「東方」からのイメージを強調したかったのか?
わが国では第11代、徳川家斉の時代だ。

本上演での衣装は、当時風の夜の女王一派と、エジプト人愛用の民族衣装ワンピース「ガラベーヤ」、それに古代ギリシャ・ローマ風の三つ巴でキャラ設定と一致させていた。
狂言回し役の「三少年」が、羽根つきの「天使」という衣装だったのが気になる「ミソ」である。

この作品は、おとぎ話=子ども向けメルヘンなのではなく、奥深く、難解にしてフランス革命賛美の「プロパガンダ」なのである。

近年、そのフランスでフランス革命の見直しが議論されている。
ために、「パリ祭」が地味になってきている。
ようやくフランス人が、『フランス革命の省察』を読み出したのか?
英国保守主義の父「エドマンド・バーク」の歴史的著作だ。

革命以来、今日まで、フランスの政治がグダグダな理由は、価値観が定まらないからである。
日本病も同様だ。

モーツァルトの「軽妙さ」には、「毒」がある。
しかして、日本語であろうとも「夜の女王」のコロラトゥーラ・ソプラノが聞かせるアリア「復讐の炎は地獄のように我が心に燃え」は、「言語をこえて」いるから、まさに全編の聞かせどころになっている。

若いコロラトゥーラ・ソプラノ歌手の、堂々とした夜の女王らしいふてぶてしい演技。
その細く華奢な体躯から発せられるみごとな歌唱は、よほど体幹(インナーマッスル)が鍛えられているのだろうと感心したのは、まったく立ち位置の軸がブレないからで、腹筋と背筋の強靱さがあってだろう。おおくの歌手のそれは、仕方なく上半身を揺すってしまうものだ。

この時期、なぜ『魔笛』なのか?
それは、北半球における冬の代表的星座、「オリオン座=オシリス」と、その後からおいかける「シリウス=イシス」が二神の象徴だからだ。

オシリスが「復活」をとげるのが「冬至」。
この日より夏至まで、太陽の力が増すからである。
冬至の祭りこそが、高緯度にあるヨーロッパで切実なのは、理解しやすく、それが「クリスマス」になった。

終演にあたって、出演者と観客とで「きよしこの夜」を歌った。

この「歌」は、ナポレオン戦争による暴力と苦難を背景に、そのナポレオンがワーテルローで敗北して、「ザルツブルク」がオーストリアの領土に復活したことを記念している。
じつに「心憎い」演出だった。

そして、年末に「スター」を観た。