自己満足を消費する

わたしたち夫婦の共通の趣味に、「クレー射撃」がある。
このブログでは数度書いたことがある。
この春に撃ったときは調子よく、スコアもそれなりだったのだが、コロナ禍で休んでいたら大変なことになった。

久しぶりに射場へ行って、いつものようにプレイしているのだが、ぜんぜん当たらない。
果たして、これまでどうやっていたのか?
ぜんぜん思い出せない。

1ゲームで25枚のクレー・ピジョン(皿)を、1枚当たり2発まで弾をこめて撃つことができる。
調子がよければ30発も使わずにゲームを終えることができたものが、50発消費しても散々なスコアなのである。

近代オリンピックの最初(1896年)から射撃競技自体はあったのだけど、クレー射撃が正式種目になったのは、1900年の第二回大会からである。

そもそも、皿に「ピジョン」という名称があるのは、そのむかし、本物の鳩を飛ばして的にしていたからである。
当然ながら、こういうことをするのは、ヨーロッパの貴族たちだった。
鳥を狙った猟から派生した「娯楽」でもあったのだ。

高額な散弾銃を購入し、散弾の弾を購入し、これで標的となる皿を粉砕するのだから、まったくの消費ばかりでぜんぜん生産的ではないように思える。
つまるところ、何が面白くてこんなことに熱中するのか?

こたえは、粉砕したときの満足感が欲しいのである。
あるいは、失中したときの残念が悔しいのである。
だからこれは、一種の「中毒」なのだ。

すると、まったくの消費にしかみえないものが、じつは、中毒症状を呈している満足感を得るためにしているとかんがえると、人間にとってのふつうの「消費行動」と大差ないのである。
食欲だって、物欲だって、本人にとってみれば満足感を得るためのものにすぎない。

しかも、射撃はすべて自分の判断による結果なので、怨むのは自分の不甲斐なさだけである。
そのために、入手できる最高性能で最新の銃を求め、世界のアスリートが使用する散弾を使うことにこだわる射手もいる。

結果を銃や弾のせいにせず、自分の腕前だけに還元させるためである。

わたしはそこまでストイックではないけれど、これだけ「当たらない」を経験したのは、初心者以来初めての経験で、これを「スランプ」とはいいたくないほどの「壊れ方」であった。
もっとも、一番慌てたのは師匠である。

師匠はかつて二回、日本選手権での優勝経験があり、アジア大会にも出場した、この界隈で知らないひとはいないほどの有名人であり、先代から引き継いだ銃砲店の主でもある。
そのひとが、わたしの射撃姿勢をみて、クビをかしげた。

どこも悪くない。

どこも悪くないのに当たらないという事実だけがある。
だから、どこかがおかしいのである。
そのどこかが、師匠をしてわからないというのだから深刻である。
仲間も動揺しているのは、自分もあんなになるか?という恐怖でもある。

師匠の動揺は、顧客たちの動揺が広がることにある。
自身の指導の限界となっては、名の知れた専門店の沽券に関わる。
しかし、師匠の判断は速かった。
リセットして、初心者がおそわる基本のやり方に戻すことを指導された。

クレー射撃(なかでも「トラップ射撃」という)の、基本は飛び道具をつかう「弓道」とおなじく、「構え」にある。
そもそも鉄砲は、戦国時代の後期に伝来したのだから、日本の素地に弓の道は完成の領域にあった。

名人、那須与一の逸話は源平戦のむかし。
それは、信長の時代からもはるかむかしだったのだ。

そういえば、アメリカには有名な圧力団体としての「全米ライフル協会」がある。
この団体の保守性(日本では「右翼」として)は、おりがみつきだけど、「安全」という前提のルールを保守する、ということからしたら、組織全体が保守化するのは当然である。

たしかに、この団体とて銃の乱射事件を望んでいるわけではない。
秀吉による「刀狩り」の歴史をもつわが国と、憲法修正条項をもつ彼の国の違いは、かんたんに埋まる話ではない。

それはそうと、いまさらながら改めて「基本」に戻すことをした。
すると、基本の銃さばきの意味がはじめて理解できた。
それは、理由はどうあれ「2+3×4」の計算方法をならった小学生が、中学や高校で、この計算の「論理」の重要性を習うようなものだろう。

もっとも、中学や高校でこの「論理」を習った記憶はないけれど、どうしてそうなのか?をしることで強固になる。

それは、わたしの師匠への質問とその答えについての理解度が、かつてない程度の違いになったのである。
自分の上体を、どうしたら滑らかな回転運動として動かすことができるのか?

それには、下半身はもちろん、「体幹」が重要でかつ、バランスが確保された回転軸が必要という知識はあっても「どうやるか?」がなかった。
この「発見」があっての「体得」になるのだろう。
試してみれば、「当たる」ことがわかった。逆にいえば、当たらない理由の発見だ。

なんだか小学生を卒業できた気がしたのである。
この自己満足には、それなりの対価(じつは大層なコスト)を要したのだけれど、ひとつの壁を越えられたことはどうやら確かである。
周辺の仲間の再びの驚きと、師匠の安堵と自信の顔が物語っている。

人生の豊かさを実感した、といったら大袈裟か?
いやいやどうして、人生だってしょせん、自己満足なのである。

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