統計クイックリファレンス?

統計の教科書はたくさんあるので、どうしたものかと大型書店で悩むのだが、タイトルのお手軽さとは真逆の一冊それが『統計クイックリファレンス』だ。

600ページもある書籍が、どうして「クイック」で「リファレンス」なのかわからないけど、原著のタイトルはズバリ『STATISTICS IN A NUTSHELL』となっていて、「はじめに」では統計について既に知っている人のためのハンドブックと初めて統計を学ぶ人のための入門書との中間に位置する、と説明されている。

IN A NUTSHELL(要するに)、本書の想定読者は、
・高校や大学などで統計の入門クラスを取っている学生
・業務上あるいは昇進のために統計を学ぶ必要のある社会人
・知的好奇心から統計を学ぼうとする人々
と明記もしている。

つまるところ、統計を統計として知り、統計的にかんがえたいひとたちのための教科書であって、数学的にほじくり返すことを目的としていない。
これが、著者による本書の執筆動機で、あまたある類書とのちがい、すなわち本書の存在意義だという。

以上から、わたしが注目したいのは、二点ある。
1)想定読者が具体的に示されていること
2)本書の立ち位置を明確にしていること
である。

これは、「出版企画書」において当然の記述なのではあるが、日本の専門家による書籍だと、そうはいっても著者のひとりよがり、を多数みることができるから、あんがい実践がむずかしいものなのである。

その証拠に、数式だらけになっているのに「初心者のための」とか「統計入門」なんていうタイトルがまかり通っているし、ページ数が少ないのに統計学全体を網羅しているものもある。
さすれば表記がかたくなって、説明に丁寧さが欠けるのは必定だから、ぜんぜん初心者でも入門者向けでもない、レベルが高い教科書で読者は翻弄されることになる。

つまり、自分の知識を披露するだけで、読者の理解をうながすものではない。
こうした教科書が、なぜか日本人学者の手によるモノとしては一般的だから、アメリカ人学者が書いた丁寧な教科書の翻訳本が、いまだに重宝されるのである。

これは以前書いた「発見的教授法」の流れではないか?

すると、あらためて理系の教科書をかんがえると、世界的に売れている=学生に支持されているもののほとんどが、アメリカ人学者によるものだということに唖然とする。
そして、その特徴はどれもページ数がおおいか、分冊されるほどの分量があるということがわかる。

読者である生徒や学生に、読めばわかる、という「品質を保証している」から、どうしても説明がながくなる。
また、つまずくポイントに先回りして解説しているから、読者は安心して読み進めるようにもなっている。

何年も、何人もの生徒や学生をおしえていれば、理解のためのポイントをどうしたらわからせるかの問題を教師が問い詰めて解決してきた成果がそこにあるのである。

いまだに中学・高校レベルなら、日本人の子どもたちの理系学力はアメリカ人のそれよりも高いという。
しかし、四年後、大学を卒業するときには、ウサギとカメのレース以上に、格段にアメリカ人の学生の実力が上回るとは、日本の大学教師のよくいうボヤきである。

もちろん、入学は容易だが卒業できないアメリカ式と、その真逆をいく日本式の履修方式と落第という制度の差だという意見が多数あるけれど、自習できる教科書の品質という違いがあるとかんがえる。
これに、授業料の差も加わるだろう。

アメリカの大学の授業料は、たとえ公立大学でも年間600万円は覚悟しなければならない。
有名かつ名門という私立大学なら、年間1000万円超えは「相場」なのだ。

だから、学生はおいそれと留年なぞできないし、山積する宿題があってアルバイトに精を出す余裕すらない。
もちろん、外国人留学生には、日本的アルバイトでも就労許可はおりないから、みつかれば即国外退去処分をくらう。

つまり、四年間、勉強漬けになるようにできている。
そうかんがえると、本書を「クイックリファレンス」と訳出した、日本人学者陣の意図がみえてくる。

たかが600ページしかないのに、ちゃんと項目別に章立てされているのは「すぐに引ける」という意味であり、内容も「参照程度」ではないか、と。

なるほど、一科目だけで毎週数百ページの指定教科書を読破し、そのレポートを提出しなければ授業の受講資格を失う厳しさを体験すれば、この程度なら鼻歌まじりになるという感覚は、ただしい。

ぬる湯に浸かりっぱなしの日本の学生の将来が、心配でしょうがないのだろう。

同感である。

旧約聖書を読むべきだ

日本人には宗教を医学化してしまうくせがある。
つまり、薬のように「効く」か「効かない」という選択を、宗教に対してするのである。

この列島のもともとのオリジナル宗教は「神道」である。
だれでも「八百万神」はしっているが、具体的な神様となるととたんに「天照大神」のほかによくしらない。
戦後の教育がそうさせた。

韓国ではハングル教育に特化して、漢字の教育をやめようとしたのは李承晩政権下1948年施行の「ハングル専用に関する法律」だったが、これを「禁止」にまでしたのが朴正煕政権下1970年だった。
そんなわけで、漢字が読めないことがふつうになったのである。

かくして、教育の「成果」には、「退化」もふくまれることがわかるのである。
もちろん、日本だって、ついぞ明治期の文学すら原文で読めるのがふつうだとはいいがたい。

学校教育が明治のはじめに制定されたからといって、すぐに江戸時代の教育がすたれたこともない。
身分制における教育だから、武士階級とそれ以外では根本的にことなる。

支配層としての教養は、武士階級だけに伝播すればよく、幕府が朱子学を奨励したのは、将軍という君主に対する臣下のありかたを解いたからで、各藩もこぞってこれにならうのは将軍に対する叛意のなさを示すと同時に、藩主への忠誠をまなばせる必要があったからである。

しかしながら、朱子学とは儒学の解釈でもあった。
日本では「儒学」だが、本家では「儒教」であるから宗教なのだ。
宗教が禁じられる共産社会をのぞくと、儒教がいきているのは韓国で、いまでも「宗教」なのである。

インド発祥の仏教も、病気平癒をはじめとして、わが国に伝わるとどうしたわけか「薬」になって、寺院は「学問化」して学僧ができる。
学僧は森羅万象に通じるべく修行にはげむが、求められるのは「薬」としての効能なのである。

どの宗教が「効く」のか?

庶民に余裕ができてくると、庶民向けの宗教がうまれる。
それが爆発的なエネルギーとなってあらわれたのが「一向一揆」だった。
法然を始祖とし、親鸞が完成させた。

それで、為政者はいかにして一向宗を鎮めるかが重要課題になる。
そんなときに、キリスト教が伝播して、どんなものかときけば一向宗に似ているので、代用として採用をはかるのである。
けれども、宣教師には別の目的(植民地化)があることをさとって、これを禁止したのは、近代日本の成功における根本につながる。

そんなわけで、キリシタンはあやしい、ということになっているが、これを支えたのが、東西に分裂させられた本願寺の存在ではないかとかんがえるのである。
真宗の教義は、キリスト教に酷似しているからである。

徳川幕府における「奉行」でも、とくに重要で将軍直属という別格が「寺社奉行」だった。老中直下の勘定奉行・町奉行とは組織上も段違いなのである。

しかし、残念ながらグローバル化したいまの時代において、「儒学」の価値観では外国人相手には通用しない。
世界観として、最低でも『旧約聖書』は読んでおきたい。

明治の知恵は、「日本教」という独自の宗教をあみだして欧米に対抗し、成功した。
これが「国体」の正体である。

すなわち、キリスト教世界における「神」を「天皇」に読み替えたのだった。
だから、天皇は「現人神」である必要があった。

現代のひとびとはかんたんに「バカな」と嗤うが、当時のひとびとだって、天皇が人間であることは承知している。
にもかかわらず、「現人神」としたのは、欧米のような中心がないゆえの想像上の中心を天皇に仮託していたからである。

つまり、「イリュージョン」である。
しかし、「イリュージョン」を「イリュージョン」としてあつかうことの意味を承知していた。
だから、最貧国から急速に一等国たりえたのである。

明治人のおそるべき欧米研究の深さとその理解、そして応用実務なのである。
これができたのは、江戸時代をつうじて「儒学」の完成があったからで「儒教」としなかったことだ。

ところが、三島由紀夫が「などてすめろぎは人間(ひと)となりたまひし」と嘆じたように、新憲法発布前に「人間宣言」をしてしまった。(させられた)
これをもって、明治以来の「イリュージョン」が溶けてしまったのである。

山本七平が、「『戦前の日本人が神話を事実と信じていた』という”神話”を戦後の日本人は信じている」というのはこのことである。

しかし、その「溶け方」が緩やかだったのは、「イリュージョン」であることを意識できる世代が生き残っていたからだった。
端的にいえば、「昭和一桁」世代のことである。
このひとたちが、明治期教育の最後の世代だからである。

もはや「昭和二桁」がほとんどとなったから、急速にわが国の中心が溶解しているようにみえるようになった。
つっかえ棒を完全喪失したからである。

いまさら「日本教」に戻れない。
ならば、せめて明治人が原典とした『旧約聖書』を読むしかない。

「薬」になるからである。

いまさらモラル・ハザードの消費税

政府のポイント還元策を「暴力とおなじだ」と発言したのは、9日イオンの岡田元也社長の決算会見だった。

どうしてこんなに怒っているのか?
それは、「大手小売」のばあいはポイント還元策が「適用されない」という、なんだかわからないルールを政府がかってに決めたことだ。

じつは、「大手コンビニ」は、個々の店舗経営者のおおくが「個人事業主」や「中小企業」であるため、「大手」のはずなのにポイント還元が適用されるからである。
この「不公平」を怒っている。

はぁ?
というのが第一印象である。
ここには、「消費者」が存在しないからだ。

わが国で「流通革命」を起こしたのは、ダイエー創業者だったけれど、創業時に手書きで店舗に張られたキャッチ・フレーズは「主婦の店」だった。

すなわち、いまようにいえば、「顧客から愛される店」ということであって、それには、「顧客利益の追究」という信念がふくまれていた。

企業再生の現場で、「顧客利益の追求」ということをいうと、「われわれの利益はどうでもいいのか?」という経営者にであうことがままある。
顧客に利益をあたえたら、自分たちの利益がなくなるという発想をするのである。

そんな発想をしているから、企業再生という事態になったのだが、これに気づかない経営者はたくさんいる。

むしろ、どうしたら自分たち「だけ」が儲かるのか?を追究すると、驚くことに本当に消費者に所得移転するような「安売り」をすすんでするのである。
安くしたら販売数量が増えて売上も増えた、というささやかな成功体験しか経験していないから、それも当然なのだが。

ダイエーがどうなったかは、周知のとおりである。
いまでも「ダイエー」のカンバンで営業している店があるのはどういうわけだかしらないが、とっくに「イオン・グループ」になっている。

かつての流通革命の旗手「カリスマ経営者」といわれた中内氏にして、巨大化したグループになったら「主婦の店」をわすれてしまった。
それが「転落」の原因であり結果である。

一代の繁栄と衰退は、だれにも書けない長編小説のような、けれどもまさに事実だったのである。

そんなダイエー衰退のDNAを、まさかイオンに埋めこんだわけではあるまいが、岡田屋から巨大化したイオンにあって、いつか来た道にみえたのはわたしだけではあるまい。

いま、この国ではあらゆる方面で「モラル・ハザード」が起きている。

神戸の小学校教師による同僚へのイジメ事件は、とうとう子ども時代にやっていたことが、おとなになっても変わらないことを証明したし、元校長によるパワハラもあったというから、安っぽいTVドラマが現実になったわけだ。

しかし、この問題を所管する教育委員会こそが、もっとも他人事だから、なにがなんだかわからない。
ましてや、こうした事件を報道する側にも、じぶんたちの都合でシナリオ化して「報道」するから、視聴者には「憎悪」しかうまれないように仕向けている。

流通の場にもどれば、来年からはじめたい役人の意向をくんで、レジ袋の強制的な排除を推進すべく、各種検討会がおこなわれているけれど、こんどはレジ袋メーカーが倒産したり廃業に追い込まれる予想がでてきて、経産省がぐらついている。

言いだしっぺの経産省が、こんな「予想」もできなかったのかと、驚くのは国民の方で、ようやく不信感がちょっぴりできたのはいいことだ。

前にも書いたレジ袋有料化とは、関係省庁の「省令」だけで実施しようという暴挙だ。
国民にまんべんなく負担を強いることを「法律」で決めない。つまり、国会を通さないで実施するとはどういうことか?

このような手続き上の暴挙すら、衆参両院で国会議員が700人以上もいて、だれも問題視していないというモラル・ハザードがある。
香港でのデモをかんがえたら、日本でデモがおきないことは不思議を通り越して、「無感」としかいいようがない。

当然なのだが、イオンをはじめとした流通業のみなさんがこれに「賛成」なのは、経費削減以上の利益がでるからである。
無料で配付していたものが売れるのだから、その差額はぜんぶ利益になる。

たしかに「主婦」は小数派になったかもしれないが、「主婦(消費者)の店」というカンバンをかかげる小売業が消滅してしまって、自分たちだけが儲かればよい、というモラル・ハザードが蔓延している。

消費者の立場なら、この負担の根拠が「地球環境」という世迷い言なのだから、泣きっ面に蜂なのである。
レジ袋を食べて死んでしまう海洋生物はたしかに気の毒だが、その前に、レジ袋をきちんと捨てることが重要なのだ。

この手間をはぶいて、レジ袋を禁止すればあたかもすべてうまくいくのだとかんがえる浅はかさをだれもいわないことがモラル・ハザードなのである。

消費税の増税理由だって、十分にモラル・ハザードだし、軽減税率の適用ルールだってモラル・ハザードしている。なのに「イート・イン脱税」という倒錯がいわれるのは、まっさきに軽減税率の適用を確約された新聞社が親会社のテレビ局だからか?

こんなモラル・ハザードだらけの国がどうして発展などするものか?
香港住民の40%が移住を希望する事態となったが、移住希望先にわが日本国がランクインもしないのは「難民」すら忌諱する国に成り下がったのだ。

何のことはない、香港をいじめている大陸の国と同然視されているのだ。
こんなことにも気づかないのは、モラル・ハザードを超越してぜんぶ壊れたからか?

LGBTの「英雄」伝

しらない世界にふれることは、やすやすとできることではないから、それなりに覚悟がいるのだが、「映画鑑賞」というお手軽さに託せば容易である。

半世紀以上いきてきて、おそらく「生まれて初めて」、フィンランド映画というものを観た。

フィンランドといえば、オーロラや森林、それに『東郷ビール』という伝説があったことをイメージする国だ。
往年の日本での「うわさ」では、日本海海戦に勝利した東郷平八郎提督の肖像画をラベルにしたビールのシェアは7割もあって、それは、日本における「キリンビール」のシェアと似ていた。

しかし、情報化時代には、あっさりと調査・研究報告をみることができて、じっさいは「世界の提督シリーズ」のひとつだったし、販売していたメーカーはとっくに倒産している。

この「ラベル」をつかったビールが、いまでも日本国内で販売されているから、あたかもフィンランド人の常識的なビールだと錯覚してしまうけれど、はたしてこれを「復刻」といえるのかといえば、きびしくはないか?

しかし、ロシアに圧迫されつづけているフィンランドにあっては、「フィンランド化」ということばができたほど、第二次大戦後はソ連の準衛星国にされたから、革命前とはいえ、東洋の小国がロシア帝国を打ち負かしたとされる日露戦争の評価はたかい。

彼の国の国民的作曲家シベリウスの代表作『交響詩フィンランディア』は、あまりにも国民感情をたかめるという理由で、ソ連時代には演奏が禁止されていたという歴史をもつ。

その「フィンランド化」を、日本もするべきだという積極的準衛星国論を書いたのが、日本では有名な評論家、加藤周一(1919年-2008年)だった。

一般的に親日のポーランド人が口にする、日本は「隣国である」という感覚は、大嫌いで広大なロシアさえなければ、という条件がつくが、それはフィンランド人にもいえるようで、じっさいフィンランドも親日国であるのはポーランドやトルコ同様に「明治」のおかげである。

そんなフィンランドを代表して、アメリカのアカデミー賞にノミネートされたのが『トム・オブ・フィンランド』(2017年)である。

本名は、トウコ・ラークソネン。
自身もゲイを表明したが、時代背景をかんがえれば、本人だけでなく家族や周辺にも厳しい批判があったことは容易に想像できる。
じっさい、この映画における彼の半生は、「苦悩」しかない。

男性のゲイをあつかう映画だから、ほとんど女性が登場しない。
彼自身は「画家」として世界的な芸術家になるのだが、戦後はヘルシンキのシベリウス音楽院でピアノを専攻している。
それで、ピアノを弾くシーンがさりげなく多い。

映画では「ソ連支配の時代」がとくだん強調されてはいないが、「ベルリン」という街の背景にナチス時代を彷彿させる警察権力が、個人宅にまで入りこむ恐怖の現実が表現されている。
もちろん、ここは西ベルリンではなく東ベルリンのことである。

はたして「風紀を乱す」とはなにか?
そういえば、むかし中学校にも「風紀委員会」があった。
いまはどうなのだろうか?
おそらく、日本文化として残存しているにちがいない。

ヨーロッパの学校事情は、その国の「自由意識」という基盤に乗っているから、国によってさまざまな「形態」となってあらわれる。

学校依存が強いのはフランスで、プロである教師、なかでも校長の役割は重大で、親といえども校長の事前許可なく学校敷地にはいることすら許されないし、指導面の相談もすべて校長との面談となる。
問題のある子どもの親はすぐ校長に呼び出される。

逆に、旧東欧社会主義圏では、学校はあくまで「勉学の場所」と割り切っていて、生徒の生活指導をする場所ではない。
生活指導の場は、家庭と地域のクラブ活動になっている。

そうかんがえると、日本はえらく中途半端なフランス式で、あんまり中途半端だから「日本式」とあえていうのであろう。
ただし、国や自治体が支配していることになっていながら、首長の指示を無視する教育委員会がでてくるから、めちゃくちゃになっている。

あらためて「LGBT」とは、Lesbian(レズビアン、女性同性愛者)、Gay(ゲイ、男性同性愛者)、Bisexual(バイセクシュアル、両性愛者)、Transgender(トランスジェンダー、性別越境者)の頭文字である。

性的指向のうち、異性愛を意味する「ストレート」というのは、異性愛者側からの表現ではない。
すなわち、性的指向の多様性とはいうものの、前提が異性愛であることを認めていることにもなっているから、これも批判の対象だ。

さいきんは、各種ある「申込み書」の記入欄における男女の選択に「なし」という選択肢をみかけるようになった。
はたしてこれを「ビッグデータ」として収集すること間違いない。

すると、LGBTに「S」をつけることで、選択させるほうがより正確ではないのか?

すでに、「LGBT市場」という有力な市場がうまれている。

しかしてそれは、国家権力による個人への介入を許さない、という一面があることを、しっていたほうがいい。

モバイルPCへの消えない不満

仕事がら「モバイルPC」がないといけないシーンはたくさんある。
なかでも「文章の作成」とプロジェクターへの「投影」は、必須になる。
これは、いうまでもなく「インプット」と「アウトプット」の関係にある。

パソコンで「インプット」といえば、いまでも圧倒的に「キーボード」を必要としている。
たとえば「音声入力」が便利だといっても、そんなにスラスラと文章を言葉にするのはかんたんではないし、結局、修正するのにキーボードが必要だ。

また、この「動き」を補助するのは、「マウス」であって、「タッチパッド」がどんなに技術革新してもかわらない。
むしろ、タッチパッドは緊急時に仕方がないからつかうのであって、マウスが利用できるなら、そちらが優先する。

客先にむかう電車のなかで、資料の修正をしなくてはいけなくなったとき、運良く座れたものの、しっかり膝のカバンの横でマウスを走らせていたものだ。そんな状況でも、タッチパッドは不便だとおもうのはわたしだけか?

すると、昨今の「モバイルPC」は、軽くて薄いことを売り物にする分、必然的にインプットの「不満」が、高まることはあっても減ることがない。

これは、本体の「薄さ追求」とキーボードの「キーの深さ確保」が相反するからである。
いわゆる「高級キーボード」でしられる、静電容量式のキーボードの「心地よい『打鍵感』」は、その深さを「キーストローク」といって、深さ4mmもあるのだ。

よくいわれる「キーピッチ」とは、キーとキーとのあいだの「幅」のことで、1.9mmが標準というのは、おとなの手の指が動くときの感覚とマッチするからである。
これは、設置したときの本体の面積と関係するので、すぐさま小型画面のPCの弱点となる。

だから、標準型以上になると、「キーピッチ」ではなくて、がぜん「キーストローク」が、つかい勝手をきめるのである。
さいきんのモバイルPCは、1.5mmもあれば上等だから、打鍵感の貧弱は否めない。

外出先で長文を入力する必要があるときには、上質な「モバイル・キーボード」を携行したくなるのは、圧倒的なつかい勝手と、疲労感がちがうからである。
いわゆるPCによる「肩こり」の原因にもあげられるのは、打鍵感のわるいキーボードは、人間の感覚とマッチしないからでもある。

そうなると、「モバイル・キーボード」が、PC本体とおなじタイプの「薄さ」や「軽さ」を追究したものだと意味がない、という問題になるはずだが、どういうわけかそういう部類のモノが売られていて、はたまた売れているらしいのはどういうことか?

ここに、あいかわらずの「プロダクト・アウト」を感じるのである。
メーカー側が、都合のいい製品をつくるばかりで、消費者に都合がいい製品が見あたらなければ、不都合を承知で購入するしか選択肢がないからである。

入力補助の役割だからといって侮れないのが「マウス」である。
しかし、これも「決定版」に乏しいから、ついうっかり買い足して、いくつものマウスを所有しているというひとは多いだろう。
あるいは、自分が気に入ったものを複数購入し在庫保存していて、もしもの「製造中止」に備えているひともいる。

わたしが知り合ったひとのなかでも、表計算ソフトの「エクセル」を日常的に多用しているひとは、マイ・キーボードとマイ・マウスをかならず携行し、壊れたときのための予備も自宅あると自慢しているひとがいた。もちろん、このひとは、モバイルPCも携行しているから、ビジネスバックでははいりきらず、旅行バックで移動する必要があった。

総重量を聞きたくなかったが、本人から「重いです」と笑顔でいわれたのが印象にのこる。
キーボードには数値入力のための「テンキー」がなければならないので、キーボードだけでもモバイルPCより重いはずであった。

それで、愛用のマウスはなにかと質問したら、専用ソフトでボタン設定が自由にできるタイプのモノで、手に馴染まないといけないから、「これしかない」という検討の末の結論だという。

なるほど、と思ったのは、「日本製」ではなく、「スイス製」だったことだ。もちろん、ほんとうの製造国は別であっても、知的財産はスイスの会社のものだ。

「マウス」という機械の、読み取り精度やボタンの耐久性などは、日本製に一利あるがそれだけで、ソフトウエアの便利さがちがう、というのだ。
マウスのボタンが、つかうアプリケーションによって、設定が自動的に変わるし、そうした設定があらかじめできる、という「機能」が購入されている。

こうなると、モバイルPCのタッチパッドは「不要」ということになる。

さらに、一般人でも薄々気づくひともいる「日本語キーボード」への不満もくわわる。
キートップに「ひらがな」が印字されているのは、「ひらがな入力」のためで、これこそが「日本語キーボード」の存在理由なのである。

おそらく、ほとんどのひとが「ローマ字入力」しているはずだから、だったらいわゆる「英語キーボード」のほうがつかいやすい。
「Enterキー」が、英語キーボードのほうが右手小指に「近い」から押しやすいし、「スペースキー」が、長いからちゃんと両手の親指で「日本語変換」ができるのだ。

日本語キーボードは、パソコン泰明期の日本語入力方式にかんする混乱と苦労が、そのまま「JIS」になって、いまでも守られている不思議がある。

日本語の標準的な入力方法はとっくに「ローマ字入力」にちがいない。
だったら、ローマ字入力用の「JIS」をつくるならいざ知らず、「ひらがな入力」をかたくなに維持するのも、やっぱり「プロダクト・アウト」なのである。

結局、モバイルPCが、軽くてサイズも小さくなった分、快適な打鍵感の英語キーボードと、多機能マウスを携行するので、あんがいむかしと総重量がかわらないのである。
むかしのノート型パソコンは、しっかりしたつくりだったから、マウスだけ携行すればよかった。

そんなわけで、「マーケット・イン」によるモバイルPCが、手頃な価格でないものかと、ない物ねだりをするのである。

伝えることが困難なわけ

とっくに世の中は、「情報化時代」といわれていて、さかんに「コミュニケーションが重要」とも叫ばれているのに、どういうわけかその「コミュニケーション」がおかしくなってきた。

誤解をおそれずにいえば、日本人は日本人を相手にしたときに「阿吽の呼吸」が通じるものだという思い込みがある。
だから、この思い込みに期待できない外国人には、ちゃんと伝えようと努力をするか完全にあきらめるのであって、ほとんどの場合あきらめるのだ。

この背景には、「同一文化」への信頼があった。
つまり、日本人とはこういうものだ、という共通点が、たとえ粗っぽくても「あるはず」だから、ことばが少なくても通じると信じたのであり、じっさいにそれで通じてた。

しかし、「情報化時代」とは、多様化の別のいいかたで、同一文化が「分散」しはじめたことを意味するから、「阿吽の呼吸」が成立しなくなった。

それにくわえて、日本語の「主語を省略する」特性が逆に作用して、聞き流していては意味が通じないし、都合のわるい表現を言葉にしない。
それで、いよいよコミュニケーションが難しくなってきたのである。

人間の基本的な要求はボディーランゲージでも十分伝わる。
これは、相手も理解しようと努めるからである。
すると、コミュニケーションというものには、かならず「自分と相手」がいる、という関係がなければならないことがわかる。

自分だけなら「ひとりごと」になってしまうから、あたりまえだ。
けれども、あんがいこの「あたりまえ」が重要なのである。

もっと「あたりまえ」をいえば、自分のいいたいことが相手に伝わったとき、相手が自分のいいたいことを理解したかしないかということに、言った側はその時点では、もはやコミットできないということがある。

相手がぜんぜんちがうようにとらえたなら、あらためて追加して説明するか、相手を罵倒するかという選択肢しか、言った側にはないのである。

言った側からすれば、相手を罵倒するしかなくなったとき、コミュニケーションに失敗したと認識できればまだ冷静だが、罵倒するのだから、たいがいは冷静さをうしなっている。

冷静にかんがえれば、相手の理解力はどうなのか?あるいは、相手はわざとわからない態度をとっているかもしれないと、おもいつく。

すると、相手側への観察・研究が最初にひつようになって、その対策結果がことばにならないと「伝わらない」のだ。

これは、「マーケティング」の基本ではないか?と膝をたたいたら立派なものだ。

ショッピングセンターにいけば、あらゆる商品がある。
むかしの「ウィンドウ・ショッピング」だって、お金がないからという理由だけでなく、それで「夢」を買っていた。
いつかは購入したい。これはいらない。あっ、こんなのがあるんだ。

このときは「ひとりごと」かもしれないが、商品をみながらちゃんと「対話している」から、立派な「コミュニケーション」なのである。

今年の9月30日には、各地で地元老舗百貨店の閉店があいついだ。
はたして「時代の流れ」だけが、不振の理由だったのか?
むしろ、買い物客とのコミュニケーションに失敗したのではなかったか?

原因分析がまちがっていたら、対策もまちがう。
その間違いを何年もくり返していたら、とうとう資本がつきて閉店になるのは当然だ。大手だろうが個人商店だろうがちがいはない。
冷たいようだが、あとはノスタルジーで「残念がる」しかない。

しかし、だからといって百貨店という業態が、いまの世の中に必要のない存在なのか?と問えば、きっとそれもちがう。
だから、どこかに「解」はあるのだ。

「売れる」理由も「売れない」理由も、あとからつけることはできるけど、「売れるようにする」には、購入客の研究が必須なのは、どちらさまもかわらない。

その「購入客」が、「同一文化」でなくなったから、売り手の「阿吽の呼吸」が通じなくなった「だけ」なのだ。

この「だけ」をもって、コミュニケーションが難しいというようになったのである。
そんなわけで、「伝える力」をみがくために、「伝わる」ということをかんがえないと、にっちもさっちもいかない。

こういう「掘り下げ」が、重要だということがわかる本である。

いまさらだが、困窮した企業ほど、こうした「掘り下げ」を嫌い、安易な「こうしたらできる」に誘引される傾向がある。
それが「どちらさまも」やってしまうから、業界全体が衰退することがある。

すると、もっと深く掘り下げれば、自分はなにものなのか?自社は何なのか?といった存在のありかたまでに行きつくのである。
そして、そこに重大なヒントがある。

残念な企業は、この追究の手間を惜しみ、とうとう時間切れになるのである。
それは、廃業してすらも、「伝えること」ができなかったということだから、この点こそがあらたに職をさがす従業員にとっての「残念」なのである。

映画『パリに見出されたピアニスト』

10月にはいったら急に「芸術の秋」を思い出したわけでもないが、前評判が高いので観に行ってきた。

映画の展開は、よくあるサクセス・ストーリーで、人物の「深み」という点では『のだめカンタービレ』に軍配があがるように感じた。

むしろサブ・ストーリーである、主人公にチャンスを与える側の家庭の不幸を、フランス映画らしいねちっこい演技で表現していたのは、離婚を宣告される「妻」の役で、印象にのこった。
うまい女優である。

ヨーロッパの都市計画はどの国もたいがい、景観を保存する「旧市街」と新興住宅街の「新市街」にわかれていて、旧市街には中流以上が住み、新市街にはその他が住んでいる。
もちろん、最上流はいまも城や広大な屋敷に住んでいて「爵位」があるものだ。

主人公は貧しい母子家庭で、とうぜんに新興住宅地の団地住まい。
子どものころに近所のお爺さんからピアノの手ほどきを得、お爺さんの遺言で古いピアノをもらい受ける。
しかし近所の悪たちと空き巣ねらいをしたりと、褒められた生活ではない。

きっかけは、そんな主人公がパリ北駅に設置されているピアノの演奏をし、これを聴いたコンセルバトワールのディレクターの目にとまったことだった。

さいきんは日本でもあちこちにピアノが設置されて、自由に弾けるようになったのは、じつは世界的なブームなのだ。
「ストリート・ピアノ」と呼ばれている。
『もしもピアノが弾けたなら』が身近になってきている。

映画では、ヤマハのアップライト・ピアノがさいしょの場面で、曲はバッハの平均律クラヴィーア曲集第一巻第二曲のハ短調の「プレリュードとフーガ」のうち「プレリュード」だった。

高校二年生のとき、お年玉で大枚はたいて買ったのが、盲目のオルガン・チェンバロ奏者ヘルムート・ヴァルヒャ(1907-1991)のLP盤5枚組『平均律全集』だった。

現代の音楽とおなじ「平均律」の、全12音階を用いた「プレリュードとフーガ」だけの曲集で、二巻で二周して24曲ある。
音楽の標本のような曲集である。

ヘッドホンでじっくり聴いていると、脳がボーっとしてくる心地よさがあったのは「名盤」ゆえか。
第一巻と第二巻とで、別の歴史的チェンバロの名器を用いたのも特徴だった。

バッハの時代にはピアノはまだ存在しない。
それで、チェンバロ演奏のレコードを買うか、表現がゆたかなピアノ演奏の方を買うか、大変迷った思い出がある。
ずいぶんとレコード屋さんに通って、ジャケットを比べていたものだが、そのレコード屋がなくなってきた。

フランス映画でバッハをあつかうといえば、『無伴奏「シャコンヌ」』(1994年)がある。
全編が『シャコンヌ』の演奏であふれていて、そのストイックさは、フランス映画らしかった。

フランスはカソリックの国で、バッハはプロテスタントだから水と油ではないかともおもうが、パリの修道女がクリスマスにバッハの『クリスマス・オラトリオ』の演奏会に行きたくて悩み続け、院長に打ち明けたら即座に許可が出たというはなしを聞いたことがある。

「バッハは特別なのよ」

そんなこともふくめて、映画の冒頭にバッハが選ばれたのは、ドイツよりもフランスらしく、しかも、平均律の二曲目を持ってきたところがちょっとした変化球だから、やっぱりすこし「ゆがんだ」感じがしてフランスらしいのだ。

コンセルバトワールのピアノは、ピカピカの「スタンウェイ」だった。
これをみた主人公は、おもむろにリストの『ハンガリー狂詩曲第二番嬰ハ短調』を奏でるのだ。

ハンガリー人のリストだから、といいたいが、ロマ人(ジプシー)の曲が原曲といわれているので、貧しい主人公とピカピカのスタンウェイが、演奏によって結合するわけで、サクセス・ストーリーとしての象徴なのだろう。

主人公のピアノを厳しく鍛える先生は、かつて、みずから出場したコンクールに敗れた傷をもっている。
その理由は、心がこもっていなかったから。
テクニックだけでは、世界的なコンクールで勝てないというはなしは、ビジネスの世界でもおなじである。

『無伴奏「シャコンヌ」』は、世界的バイオリニスト、ギドン・クレーメルがじっさいの演奏と音楽監修をしていた。
ベートーヴェンをあつかった『不滅の恋人』では、サー・ゲオルク・ショルティ指揮による全曲オリジナル録音という豪華さだった。

今回の主役へのピアノ指導とサントラは「ジェニファー・フィシュ」というひとの演奏だという。誰だ?

調べてもよくわからない。
けれども、このひとの演奏するサントラがなかったら、映画自体が失敗してしまう。
素晴らしい演奏で、サントラ盤がほしくなった。

そういえば、『のだめカンタービレ』の実写版では、ラン・ランが主人公のピアノ演奏を担当している。
わたしは、どうもこのひとの演奏は「テクニック」を誇示する感じがして、個人的に正直にいえば好きではない。

本作も「のだめ」も、ラフマニノフの『ピアノ協奏曲第二番ハ短調』が重要な曲になっているのは偶然か?
まさかだが、日本のマンガ文化の影響が濃いフランスにあって、「のだめ」を意識しているなら痛快である。

それにしても、作品内で演奏される重要な楽曲が、みんな「二番」で、「ハ短調」を基軸にしているのはなぜか?

これを解説しているひとがいないのも、たまたまだからか?

「聞かせてよ愛の言葉を」を聴きたい

蓄音機のSP(standard playing)盤は、あとからでてきたLP(long playing)と区別するための用語だ。
いまとなっては「special」ではないのか?といいたくもなる。

一枚ごとに交換を要する鉄製の針(針圧は120gもある)でこすって音を出すのだから、盤じたいの硬さも相当であった。
一回の使用で鉄針が削れてしまうから、かならず針をあたらしく交換しないと、盤の溝をいためてしまうのだ。

LPがプラスチック製だったのに対して、SPは酸化アルミニウムなどの微粉末を天然樹脂でかためたものだったから、衝撃に弱いだけでなくカビが発生するという弱点があった。

しかしながら、「蓄音」という技術は人類史上の「画期」であって、前回書いたように、モノラルでしかない、というのも、いまとなっては人間の耳にもっとも適しているのである。

技術はめぐって、モノラルの最高スピーカーがあらわれるとおもったら、とっくに世にでていた。
やっぱりなー、なのである。

それで、どんな曲を聴きたいか?
もちろん、発明者のエミール・ベルリナーのつながりでいけば「グラモフォン」なのだから、なかでもドイツ・グラモフォンの名盤を聴いてみたい。

しかし、気になるのは「聞かせてよ愛の言葉を(Parlez-moi d’amour)」なのである。
フランスで最初にレコードをリリースしたのは、レオナール・フジタのモデルにもなっていたリュシエンヌ・ボワイエ(Lucienne Boyer:1901-1983)で、1928(昭和3)年のことである。

「聞かせてよ愛の言葉を」の発表は、1930年。
シャンソンの古典ともいわれているが、なにせ教科書でならう歴史でいえば、1929年の10月、アメリカ発の「世界大恐慌」がおきているさなかなのである。

哀愁が漂いながらも、どこか華やかなよき時代が表現されているのだが、29歳でこの曲を歌い上げる力量のすさまじさは「時代」の力というべきか。

第二次大戦中の『リリー・マルレーン』とは、趣を異にする。
むしろ、戦後シャンソンの名曲『枯葉(Les Feuilles mortes)』が、ヘンデルの『パッサカリア』に似ているといわれることにこじつければ、イタリア語だが、おなじくヘンデルのオペラ『リナルド』のアリア『わたしを泣かせてください(Lascia ch’io pianga mia cruda sorte)』に、なぜか起源をもとめたくなる。
現代の歌姫、サラ・ブライトマンのアルバムにもある。

これを、生の蓄音機ではなく、YouTubeで聴ける時代なのだ。
しかして、生の蓄音機で聴いてみたい。

シャンソンの本場フランスで、この曲があらためて注目されたのはジュリエット・グレコ(Juliette Greco:1927-)が1964年に出したからだという。
34年間も他に歌ったひとがいなかったわけではないだろうが、「味わい」という点で光が当たるものだ。

しかし、ジュリエット・グレコはこのとき37歳。
人生の機微を歌うのに要する時間は、確実に延びている。
はたして、いまの日本人で、二十代にしてこの曲を歌い上げて「味わい」をだせる歌手がいるものか?

ところで、西洋からの輸入品を我が物にしてしまう日本人の特性は、この曲にもあらわれて、3年後の1933年に、山田道夫が日本語版をリリースしている。なぜ男性がこれを歌ったのか?

淡谷のり子は、1951年、44歳の時の録音があるのは、「ブルースの女王」よりも以前、わが国シャンソン界の先駆者としての矜持か。
「なるほど」の一枚である。

さて、わたしがこの曲に興味があるのは、じつは全く別の理由で、ピアニストのフジ子・ヘミングが、NHKのETV特集「フジコ-あるピアニストの軌跡-(1999年2月11日放送)」で鮮烈な紹介をされたのをたまたまリアルに観ていたからである。

この番組のなかで、母親が残した古いピアノを、タバコを片手に弾き語ったのがこの曲だった。
観ていて灰が落ちないものかと気をもんだが、そんなことはなんのその、じつに切ない響きであった。

齢を重ね、かつては天才少女と賞賛されラジオにも出演し、ヨーロッパにいけば「リストの再来」と記事にもなったひとの、なんとも厳しい人生がそこにあった。

しかし、軌跡のはずが奇跡がおきて、三度も再放送され、さらに続編がでて、いまや世界的ピアニストとして光を放っている。
ホンモノがもつ力である。

そう、あの番組中のあの歌が忘れられないのだ。

曲と歌手と時代と人生が一致すると、とてつもない「味わい」がうまれるのは、もはや偶然でしかなされないものなのか?

平たい人生と平たい時間が、平たい音楽をつくるといえばいいすぎか。

そういえば、とあるクラッシック名盤を聴いていて、テンポの遅さに気がついた。
いまよりずっと「遅い」。

これも、ひとの生活リズムの変化なのだろう。
しかし、この遅さこそ、歌心ではあるまいかともおもう。

「聞かせてよ愛の言葉を」を、蓄音機でじっくりと聴いてみたい。

蓄音機とモノラル録音

エジソンが発明した品々のなかでの代表作でもある「蓄音機」は、「Phonograph」あるいは、「Gramophone」と現地では呼ばれ、これを「蓄音機」と翻訳した日本人のセンスが光る。

音を蓄える機械。

いかに画期的なことか。
文字とちがって発すれば消滅する「音」を記録できるのだ。
発明当時は、人間の声すなわち「話」を記録することが主たる目的で、音楽を記録して再生を楽しむという目的はあとからうまれたという。

それで、ビクターのマークで有名な犬が蓄音機のラッパに耳を傾けて不思議そうに首をかたむけているのは、亡き主人の声がラッパから聞こえたという実話を絵にしたものだ。
この犬の名前は「ニッパー」という。

絵の下には、「HIS MASTER’S VOICE」と書いてあって、略せば「HMV」になる。
整理すれば、イギリスのグラモフォン社の商標であった「ニッパーの絵」が、姉妹会社であるアメリカの「Berliner Gramophone社」を通じて「ビクタートーキングマシン社」(「日本ビクター」の親会社)、「イギリスEMI」と「イギリスHMV」になっている。

では、創業者は誰かというと、エミール・ベルリナーというひとだから、「Berliner Gramophone社」には自分の名前をいれている。

このひとはドイツ系アメリカ人で、1851(嘉永3)年ハノーファー生まれのユダヤ人である。
1870(明治2)年に、普仏戦争による兵役からのがれるため、両親とアメリカに移住した。

学校教育は14歳までで、アメリカにわたってから呉服・生地屋で働きながら夜学で物理学と電気工学を学んだという。

グラハム・ベルの電話の完成に貢献したのは、エジソンが持つ特許に抵触しない方法をかんがえたことによる。
そして、蓄音機の分野でもエジソンとの特許競争に勝利したから、エジソンにとっては天敵のような存在だ。

その「Berliner Gramophone社」の蓄音機をみせてもらった。
ちいさなブリーフケースのような形状で、ふたを横方向にあけると、ターンテーブルがある。
ふたの蝶番の下、ターンテーブルの横にはくぼみがあって、ここにトーンアームとゼンマイを回すための「手」という道具が収容できるようになっている。
さらに、角には「針」を収納する小箱が回転させると出てくるようにできているし、ふたの裏には録音盤を何枚か収納できるようにもなっている。
まさに、「ポータブル蓄音機」なのだ。

さっそく何枚かの録音盤をかけてみた。
ものすごい音量だ。
鉄針は薄い振動板の先についていて、振動板からの音を増幅させるのは、「音の通り道」になっているアームからターンテーブル下の「管」で、道具を収容するくぼみから発せられる。
それがグランドピアノのようにふたが反響板にもなっているから、すべてにムダがない。

すなわち、管楽器とおなじような構造なのだ。
管楽器は人間の吹く息の加減で音量を調節できるが、蓄音機は録音盤の振動をそのまま伝えるから、音量調節ができない。

録音盤に傷がないからだろうが、きわめてクリアな音で、よく耳にするレトロな、「チクチク」「ザーザー」といったそれらしいノイズが聞こえない。
あれは、映画やドラマの「演出」ではないのか?つまり、わざと雑音をくわえて、あたかもむかしは酷かったといいたいのか?とうたがいたくなった。

ちなみに、鉄針は一演奏ごとに交換する必要がある。
録音盤の溝をいためるからだ。
それにしても、鉄製の針でなぞって、鉄の針が摩耗する録音盤の硬さがすごい。
しかして、いまも新品の鉄針が購入できるのは、製造している会社があるからである。

けれども、録音盤をあたらしくつくる会社がない。
蓄音機の価値は、むかしの録音盤にあるのである。
いまのようにどこの家にもある、というわけにはいかなかったから、録音を依頼される歌手やオーケストラは一流しかないのも特筆にあたいする。

やはり秀一なのはクラッシックの演奏で、堅い音質は脇に置いても、自然な音の広がりがあるから、むしろ演奏を楽しむことができる。
これは、録音もラッパを通して逆方向の音の通り道から溝を刻むしかなかったことからの恩恵であることに気がついた。

蓄音機から発展したのが現在の音響システムであるが、音楽を鑑賞するという点にたてば、ミニコンポなにするものぞという気概すらにじみ出る蓄音機、あなどるべからず、なのである。

そうかんがえると、いま個人で音楽を楽しもうとすると、じつは、かなり「調整された」つまり、意図的につくられた音を聴かされていることにも驚くしかない。

オーケストラなら、各パートや楽器ごとにマイクが用意されて、これを「ミキシング」している。
つまり、ミキシングするひとがつくった音を、ある意味強制的に聴かされているともいえるのだ。

すなわち、オーケストラや指揮者がサウンドをつくっているのではなくて、ミキサーがつくっているのだから、CDならジャケットに印刷されたミキサーの名前こそが音質をきめるすべてになる。

もちろん、これを再現する方法の機械類、それに最近ならヘッドホンの「調整」すらおおきく「味」に関係するから、キリがないのである。

ましてや、人間の耳が聞き分ける音には範囲がある。
だから、ヘッドホンという機械をつけるなら、この範囲での再現力が問われるのは当然だが、これを「超える」ことで高額な商品が受けているというのは、所有の満足をみたすのであって音への満足ではないのではなかろうか。

電気をつかわない蓄音機を開発したのは、電話を完成させた電気技師だった。
じつは「モノラル」こそが、人間の耳にもっとも適しているとしっていたのではないか。

それにしても、音楽鑑賞、が手軽になりすぎて、ちゃんと集中して音楽を聴くことがひさしくない。
脳からアルファ波がでていると感じるような、じっくり音楽を聴いていたころがなつかしくもある。

これも退化なのだろうか?

おそろしい「光」エネルギー

「光」は何者なのか?
その正体の本質は、「エネルギー」なのである。
それが、あるときは「波」となって、あるときは「粒子」のようにふるまうから「波動」なのだと説明されている。

なんにせよ、光がある方向に進むことができるのは「エネルギー」だからである。
夏の日焼けだって、皮膚にやってきたエネルギーによって、細胞が刺戟されるからできるのである。

このとき、主に紫外線という高エネルギー帯の光が、我々の皮膚に衝突していることがわかったので、いまではどちらさまも「UV(紫外線)カット」の準備をおこたらない。

我々がふだん接している「自然光」とは、太陽からの光をさす。
たまたま、太陽という星の輝き方が、我々地球にくらす生きものの生存環境に合致していた。いや、むしろ、太陽の輝き方にあわせた進化を生きものの方がしてきたのだ。

地球上の環境と、太陽という星からのエネルギー供給とがあって、生命が誕生したのはまちがいない。
すると、大宇宙のどこかに、地球とおなじ環境の惑星が存在しても、太陽のような恒星がセットの組合せにならないといけないことになる。はたして、そんな「確率」はいかほどあるのか?

人工的な光も、自然光にまねてつくられるようになっている。
そうでないと、我々には順応できないからだ。
こうして、太陽が西に沈んだ夜においてさえ、人類は「あかり」を手にしたことで昼間のような環境をつくりだすことに成功した。

横浜の馬車道には、いまも往時のガス灯がともっている。
横浜市は馬車道をふくむ4つのエリアに、160基ほどのガス灯を設置している。

1968年発表の『ブルー・ライト・ヨコハマ』は、歌手のいしだあゆみだけでなく、横浜を代表する「歌」であるが、「ブルー・ライト」とはガス灯ではなく、港が見える丘公園からの京浜工業地帯のあかり(水銀灯)であった。

もっとも、ガス灯のあかりは「オレンジ色」っぽい。
それでも、当時のひとびとには「昼のよう」にあかるく感じられたのは、蝋燭か油をさした灯心のあかりしかしらなかったからである。
ガス灯のあかりを見物にやってくる人々で、周辺は露店もでてごった返したという。

関東大震災後に電灯があらわれると、ガス灯は姿を消していく。
さいきんは、商店街の衰退で維持費がまかなえず、とうとう商店街を照らした特殊電灯の撤去がすすんでいる。
そんななか、馬車道商店街は、ガス代に年間280万円をかけているから立派なものだ。

ところが、さまざまな電灯の恩恵になじんだ現代人からは、ガス灯はけっしてあかるい照明には感じられない。
「レトロ」というよりも「弱々しい」灯りかたが印象的だが、あかりの色調が周辺を「レトロ」に浮かび上がらせている。

この色合いがどこか懐かしいのは、「裸電球」の下で生活していた記憶があるからだろう。
高度成長期にどちらさまも「蛍光灯」になって、白い光のなかでの生活になったが、「電球色の蛍光灯」が選ばれるのはヒトの目に優しいからである。

そんななか、例によって余計なことしかしない経産省が、「省エネ」という印籠を振りかざしている。
この法学部エリートのひとたちは、製造工程における「省エネ」と、使用中における「省エネ」、さらに廃棄後の処分の手間を分ける習性があって、使用中の省エネ「だけ」に注視するから、科学と合致しない。

ハイブリッド車や電気自動車、はたまた水素自動車など、製造工程やエネルギー源の確保にまつわる非効率を無視して、使用中に「だけ」二酸化炭素が排出されないことが地球環境にやさしいと、小学生に説明できない屁理屈をたれて恥じないのである。

それで、白熱電球と蛍光灯がやりだまにあがったのは、LED照明の「省エネ性」に注視するからである。
くり返すが、このときの「省エネ」とは、使用中だけのことで、製造工程や廃棄後の処分にかかわるエネルギー消費を無視している点で、自動車の例と一貫性が確保されている。
つまり、科学を無視する「習性」がみごとにブレていないのだ。

こうした法学部エリートが一般的な照明として推奨するのは「白色LED」である。
政府は2030年までに、「すべての照明」をLED化する方針を2016年に打ち出している。

背景には「水俣条約」(発効は2017年)があって、水銀灯が全面禁止され、白色LEDへの転換がすすんでいることがある。

しかしながら、白色LEDというのは現在も「単体」で存在せず、青色LEDによる発光を黄色蛍光塗料にぶつけることによって、ヒトの目に「白くみえる」ようにしているものだ。
何のことはない、やたら高額な「蛍光灯」なのである。

この青色LEDは、可視光線でありながら青ピーク、紫ピークという紫外線にちかいピークがあって、もちろん紫外線も発している。逆に赤外線方向の光は発しないから、冷たく白く感じるのである。

つまり、ヒトの目にけっして優しくない高エネルギーを発しているのである。
これが、電子端末ディスプレイにおける「ブルーライト」である。

「すべての照明」でLEDがつかわれると、ヒトにどんな影響があるのか?
法学部や地球環境という立場ではなく、工学、医学的見地からの情報提供がひつようだろう。

もしかしたら、「省エネ」とか「地球環境」のために、夜になったらあるいは日中のビル内でも、PC対応をこえて紫外線カットの眼鏡をかけないといけなくなるかもしれない。
それが「あかるい未来」なのだろうか?

『ブルー・ライト・ヨコハマ』は消えて、ガス灯のあかりが貴重になる時代になった。