世界最大の売上高を誇るホテルは,マリオット(スターウッド含む)になった.
リッツ・カールトンや,シェラトンを含む傘下のホテルブランドは30もある.
運営する部屋は110万室である.
室数規模でみれば日本では,5万室の「東横イン」がトップになっている.
「おもてなし」の国ニッポンに,世界規模の高級ホテルチェーンは存在しない.
また,不思議と,世界最大ホテルチェーンをランキング化すると,トップ10のうち9グループがアメリカの会社なのだ.
80年代に,そのアメリカで,「サービス革命」といわれたエポックメイキングな本が二冊出版されている.
どちらも邦訳が出版されたが,日本でサービス革命は起きたのだろうか?といえば,ファミレスや居酒屋チェーンなどで「起きた」が,「おもてなし」にこだわった高級旅館や高級ホテルでは「起きなかった」といっていいだろう.
このことについて,わたしは,業務の「標準化」がキーワードだと理解している.
しかし,「標準化」とは,「金太郎アメ」のような「サービス」であって,それはハンバーガー・チェーンにみられる「画一化」された「サービス」であると,思い込んでしまったことに不幸があったとかんがえる.
つまり,店舗拡大に成功したモデルは「標準化」を実施して,サービス革命を実践し,そうでない業態では,サービス革命が起きなかっただけでなく,衰退してしまったのではないか?ともいえそうだ.
いうなれば,「標準化」が「製造業」におけるラインにみえてしまった.
「われわれは『ベルトコンベア』のような仕事はしない」というわけだ.
しかし,残念だがこれには想像力の欠如があるか,上述の図書を読み込んでいないかのどちらかだろう.
その証拠が,マリオットの二代目が書いた下記の本で,「標準化」こそが成功要因だと断言しているからだ.
この本は,1999年に邦訳がでているから,すでに二十年ほどの時間が経過している.
それなのに,旅館やホテルの経営者のおおくがいまだに,「標準化」に積極的でないのは,どういうことなのだろうか?
単純に,読書が習慣になっていないか,本が嫌いなのだろうと疑ったほうが説得力がありそうだ.
わが国の工業製品で,もっとも販売単価が高額なのは,トヨタ自動車の「レクサス」ではないかとおもうが,この自動車の「特別」なつくりかたは広告宣伝でも当初は流れた.
しかし,この自動車をどうやって販売するのか?といった面になると,とたんに従来のディーラーとイメージがかさなってしまうのだが,ほんとうにおなじなのだろうか?
接客サービス業を自称するなら,この点について一般人よりも詳しくてふつうなのではないか?
つまり,レクサス以外のトヨタ車とは,別次元のことがおこなわれていることに注目したい.
なぜ,そのようなことが可能なのか?
マリオット社も,30ものブランドをコントロールしている.
これは,それぞれのブランドで,標準化がおこなわれているからできるのだ.
標準化とは,「業務の定義」がなければできない.
それは,製造現場だけでなく,企画・設計段階からアフターサービスまでを含むものだ.
そのためには,業務を細分化しなければならない.
つまり,微分的発想が必要になる.
だから,「真実の瞬間」なのだ.
ところが,これら細分化されたユニットが,統合化されてはじめて「商品」になる.
これは、積分的発想だ.
それを,人間があつまった組織で統合する必要があるから,「逆さまのピラミッド」でなければ達成できない.
上記の二冊が,ほぼ同時期に出版されたのは,偶然ではなく必然だったとかんがえる.
人口が減れば労働力も減る.
それでは困るから,移民を受け入れたい,とかんがえるのは理解できなくもない.
しかし,業務の標準化もできていない現場・職場に,ことばが不自由な移民を作業員として補充して,はたして生産性は伸びるのか?
ポケット翻訳機があれば解決できるような,甘いものではない.
移民の生活に正規の賃金はひつようだし,移民も歳をとるから社会保障もひつようだ.
いま,急務なのは,標準化と現在戦力のブラッシュアップなのである.