「えんがちょ」で感染予防する

「安全と安心」について前に書いた。
「安全」には、科学の知識が「必須」だが、「安心」には、科学は「無用」である。

今回の新型コロナウイルスも、基本的には「空気感染しない」のだが、ほとんど「えんがちょ」状態になっている。
それが、「他人との接触を8割減らすべき」という不可思議な表現から「自宅待機要請」になって、ひろく世間に誘発されている。

突然でてきた「諮問委員会」というのも、緊急事態宣言を出すか出さないかを事実上決めるひとたちなのだが、どういうふうに委員に就任したのか?とか、どうやって選んだのか?ということも、それから、どんなひとたちなのか?ということもよくわからない。

なので、きっと「えらいひとたち」にちがいない、という「安心」でしか、このひとたちが決めることに根拠はない。
それで、上述の「8割削減」ということも、突然でてきたが、「どうやって?」がアナウンスされないから、バカで正直な与党の幹事長が「できっこない」といってしまった。

きっとこれは、言い間違いで、「俺は聞いていないからわからない」といいたかったのだろうが、ふつうのひとより見栄っぱりなので、「わからない」がいえなくて「できっこない」になったのだろう。

つまり、「官邸」のほうが「党」よりも「優先順位」が高いことを示す、組織用語としての「聞いていない」がポロリとでたのだと解釈すれば、わかりやすい。
自民党は、「党」として、なにもしていないことが、これでよくわかるのだ。

一定の思想をもったひとたちが、発生源の国の「党」が絶対であることに憧れるのは、ある意味ただしい。

このことは、自民党という政党が、所属議員たちの集合体でしかなく、ふだんその議員たちは個別に活動しているけれど、なにかのおりに「党議拘束」という「強制力」で、孫悟空の頭の輪っかのごとく締め上げることをしているだけなのだ。

すると、世間で生活している「党員」の存在は、あってなきがごとくとなる。なるほど、個人の議員が議員個人の事務所で「党費」を負担するから、名前を書けば党員になれてしまうので、金銭的負担は必要ない。

だから、自民党員のおおくが、自分が党員登録されていることも気がつかないでいるかもしれないし、いつ「離党」したかもしらない。
それでいて、党員獲得ランキングのベスト10とワースト10を発表するというのは、目的合理的に合致しないが、おカネをつかったことだけはわかるから、なんだか江戸幕府の「小普請組」みたいなのだ。

これは、「えんがちょ」以下の意識下、つまり党員が無意識におかれていることになる。
でも、ぜんぜん問題にならないのは、行政官僚が「政策」を仕切っているからだ。

民主党政権が失敗の憂き目をみたのは、「政策立案」のための自前のシンクタンクをもたずに、自民党とおなじくこれを官僚にやらせたから、政治家がいっていることと政策が「分裂」して、なにがなんだかわからなくなったことが原因だろう。

つまり、政治家が世界標準の政治家らしく振る舞おうとしたが、まったく行政官僚に指導的立場をとることができなかった。
けれども、構造的にみれば、これは当たり前だ。
その当たり前の前提になる、シンクタンクを自前に持つ政党が相変わらず皆無だから、へんなことばかりが起きるのである。

「えんがちょ」がいつできたのか?は詳しくわかっていないが、かなり「古い」ことは確かだ。
あの独特の人差し指に中指をからませるのは、「印(いん)を結ぶ」意味があって、平治物語絵巻にひとびとが生首をみてこれをしている図がのこっている。

「不浄」つまり、「穢れ(けがれ)」を防禦するための「印」であって、高度成長期の子どもには、「バリアー!」と叫ぶあたらしい「えんがちょ」もあった。ただしこれは、「防禦」だけで、他人にえんがちょをうつす効果はない。

わが国の古代からの信仰の三大要素、「穢れ=禊ぎ(みそぎ)」、「言霊」、「怨霊」のなかの基本をなすのが「穢れ」である。とにかく「禊ぎ」をもって穢れを払わないと落ち着かない。
現代的な「清潔感」や「衛生」とはぜんぜんちがう、「安心」をもとめるのである。

それが、マスク着用の「義務化」になってでてきている。
一般に販売されている、医療用ではないマスクには、咳やクシャミの症状があるひとが、他人へ飛沫を飛ばさないための「配慮(エチケット)」としての価値と、花粉を防ぐという機能とがあるだけだ。
あえていえば、なにも症状がないひとが着用する効果として、じぶんの口を、汚染されたじぶんの手で触らない、というぐらいしかない。

飲食のときには、外さざるを得ないけど、もはや入手困難の貴重品になっているから、飲食後はふたたび着用するし、猛者はアゴにマスクを移動させて、そのまま食べていたりする。

これらは、まったく危険だが、だれも気にしないのは、「効果」に期待しているのではなくて、「バリアー!」とか「えんがちょ」になったからである。

マスク着用をしていないと、入店させないということは、じっさいにはとんでもない無謀なことだといえるが、「えんがちょ」なのであるから、もはや科学や理屈など通用しない。

つまり、21世紀にあっても、日本人は日本人であるということをあらためて確認できた。
世界に冠たる「宗教国家」なのである。

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