「コンテナ」はシステムである

港湾の「荷役」というと,どうしても肉体労働のイメージがつきまとう.
建設工事現場ではたらくのと同様か,それ以上の過酷さが連想された.
作詞家,なかにし礼氏をして,戦後日本歌謡の最高傑作といわしめたのは,美輪明宏の「ヨイトマケの唄」であった.「とうちゃんのためならエンヤコラ」と,うたで拍子をとりながら力作業をしていたリアルな光景があった.

トヨタ生産方式による「七つのムダ」のひとつに「運搬のムダ」がある.
材料部品が工場から運搬されて,それを一時保管し,ひつようなときにまた運搬する.
あるいは,完成品を一時保管し,出荷を待って,また運搬する.
これらの「運搬」に,付加価値はない,と定義したことから,あの「ジャスト・イン・タイム」がはじまる.

その運搬の世界で,「コンテナ」が発明され最初に使われたのは1956年だから,意外とあたらしい.
発明者は,当時20代の若い長距離トラックドライバーだった,マルコム・マクリーン氏である.氏が設立した海運会社,「マースク」社は世界最大の海運会社として有名だ.

発明のきっかけは,長旅でたどりついた港湾で,トラックの荷物を船に「積みかえる」作業が過酷で,かつ,不効率におもえたからだという.
「だったら荷台ごと船に積めないか?」
さすがのアメリカでも,このかんがえは大胆すぎた.

本人は,丈夫だが簡単な構造の「箱」をつくって,強度をためすこともしている.
ところが,たちはだかったのは,「港湾の輸送システム」そのものだった.
どうやって,その「箱」を船に積み,どうやって行き先の港で降ろすのか?
専用のクレーンと,専用の船がいる.

専用のクレーンは,行き先のすべての港になければならないから,驚くほどの投資が必要になる.
アメリカには殊勝なお役人がいて,「これはつかえる」とのってきた.
それで,最初はおっかなびっくりの実験がおこなわれたという.

このはなし,いまのわが国に置き換えるとどうなるだろうか?
おそらく,まずまちがいなく「ありえない」だろう.
既得権にまみれた「業界」と,その既得権益の維持をはかることしかしらない「監督官庁」によって,アイデアそのものが葬られると想像できる.

それで,外国で発明された便利な仕組みに呑み込まれることになった.
「コンテナ」は,「箱」を製造すれば実現できる運送方法ではない.「箱」がどこにあって,どこに行くのかを管理し,行き先と重さをコントロールした積み方を決め,それを最終的には陸上輸送しなければならない.つまり,「システム」なのだ.

コンテナは地球規模の巨大な運送システム,である.
現状に満足する業界と,それを支える役所のシステムは,一時的には効率よくみえた.だが,それはみごとな錯覚であって,わが国は,「箱」を効率よくつくることはできても,運送システムをつくることはできなかった.

このことから,役所の限界がみえてくるのだが,懲りないどころか,エリートを気取って民間をバカにする役人が,たかだかサブカルだとたかをくくって「やっちまった」のが,「クールジャパン戦略」の大失敗である.
ズルズル・ガボガボの会計検査院をして,「ムダ」と決めつけられた失敗のツケは,国民が負担する.

民間ならば,「失敗のツケ」という借金は,自分で清算しなければならないが,このひとたちがお金を負担するはなしを寡聞にしてきかない.
つまり,最初から「責任」がない.
ふつう「有限責任」をもって会社というが,社長一家の個人資産も根抵当にして会社に供出するから,ぜんぜん「有限」ではないのがむかしからの「問題」なのに,役人のやる「事業」は,責任がないから「無責任」である.

その「無責任」な状態の組織が,あたかも責任があるように振る舞う.
これは,「イリュージョン」である.
本物の「イリュージョン」には,驚くほど単純な「タネ」がある.
しかし,この「無責任」な状態の組織には,なんと「タネ」がない.あるのは,「仕掛け」だけだから,これをふつうは,「詐欺」という.

しかし,民主主義のしくみは,これを「詐欺」とはいわない.
「無責任」を承知でカネを出すのは役所だが,その役所にカネをださせる命令は議会がする.その議員は住民である国民が選ぶから,「無責任」の失敗の「責任」は国民がかぶるのは,当然なのだ.

こうして,愚かな国民の国は,自業自得というブーメランばかりが飛び交って,ズタズタになる.
かくして,「国家依存」はかならず「国家の衰退」を約束することになっている.
それではいけないと,ふつうは,これに真っ向反対する「野党」があって,自業自得のブーメランを回収したり,あたらしく飛ばさないようにすることを主張して,政権奪取をはかるのだが,なんとわが国には,もっとブーメランを飛ばして,国家依存せよという野党しかいない.

これに気づいて,あきれ果ててしまった人たちが外国に「移住」しだしている.
それで,外国で優雅に暮らす人たちを憎むように仕向けると,あたらしい「税」にも愚かな国民は賛成する.
そのはじまりが,「出国税」である.そうして,「帰国税」が準備されるにちがいない.

コンテナ・システムをつくれなかった「国」は,「国民統制」という別の巨大システムを生み出そうとしている.

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