「昭和」はいつまでつづくのか?

あたらしい元号「令和」が昨日発表された。
元号は、「二文字」だと規定されていて、「和」が「昭和」とおなじ位置にあることを、公共放送の解説者がおもわずなのか予定どおりなのかはしらないが、「昭和」のイメージがある、といったのはそのとおりだ。

そこで、わたしなりのメモを書いておきたいとおもう。

安倍首相は、戦後レジューム(ヤルタ・ポツダム体制)からの脱却という方針を明示している。
これは、いまの内閣の基本コンセプトであるのだが、どういう意味なのかを深くしるのが、あんがい困難なのだ。

その理由は、「戦後レジューム」とはなにかを定義しなければならないのだが、はなしが大きすぎて、わが国一国の意志でどうにかなるようなことにならないからである。
それが、さまざまな「解釈」がうまれる原因になるのだ。

もちろん、一国の総理にして「一強」といわれる影響力のあるひとの「方針」だから、それは書籍にもなって発表されている。

この本の最初は、平成18年(2006年)に出版された『美しい国へ』があって、上記の本はその後の加筆をふくめた「完全版」になっている。
この「完全版」を底本として、元外交官にして現京都産業大学教授の東郷和彦氏が解説している論文がある。

なるほど、「戦後レジュームからの脱却」というコンセプトの難解さがわかろうというものだ。

まえに「戦後レジュームからの『回帰』」であると書いたとおり、「脱却」ではなくてその逆の「昭和」にむいているとかんがえるとスッキリする。

すなわち、戦後の「昭和」こそが、輝ける時代だという認識である。

しかし、「戦後」という時代区分は、戦前・戦中との「断絶」でかたられることがおおいから、はなしが単純な二元論におちこんで、内容がうすくなる。

当時を生きていた先代、先々代のひとたちは、けっして別人になったわけではないから、「連続性」を無視することはできない。
もし、「別人になった」のだとすれば、それは、「思想改造」というおそるべき手段が「あった」と認めることにもなる。

個々人は変わっていないのに、社会が変わったのは、「社会」の意志を表現する「言論」のことをまっさきにかんがえなければならず、そうした言論を世代を超えて継続すれば、そのうちに生まれてくるひとたちが、先代、先々代のひとたちと「別人」になるはずだ。

時間を味方につけるのは、特定の思想をもったひとたちの常套手段である。
本人がしらないあいだに、設定した思想どおりのひとたちが多数となって社会の「改造」は完成する。

その告発が、稲垣武『「悪魔払い」の戦後史-進歩的文化人の言論と責任-』である。

 

しかし、安倍首相の目指す「脱却」が、もっと前を意味するなら、納得できるのは、満州での岸信介への「回帰」だということである。

アベノミクスという経済政策は、社会主義経済を推進するということだから、満州国の経済をみちがえるようにした祖父・岸信介の成功体験を、みずから再現したいのだとかんがえれば、歴代自民党政権での「最左翼政権」として面目躍如するところである。

安倍政権の防衛政策が、その「左翼性」をうばって、あたかも「右派」だとおもわせるのは、まさに、わが国独特の「戦後レジューム」の発想だ。
国家が国民の富を分配する、ということの究極は、社会主義計画経済にある。

その政策の一貫性において、たとえば高等教育の無償化がいわれているのであって、財政規範とは関係のない消費税増税なのである。
日本国債だけでなく、日本株式をも大量に保有する日銀が、東京株式市場の動向によって破たんする危険という現実的な可能性に、だれも言及しないのは責任を負いたくないからである。

だから、安倍政権は「一強」なのである。
それは、自民党内で対抗できるものがいないだけでなく、いまは野党、かつては民主党政権で大臣をつとめたようなひとたちが自民党に入党するのも、「思想にちがいがない=おなじだ」からである。

安倍氏が、右派をよそおいながら、けっして皇室を崇拝しいないばかりか、軽視するのも、彼のなかにある「悪魔払い」なのだとすれば、ブレはない。

そういうことで、元号が役所でつかわれず「西暦」をつかうのは、憲法第一条を無視して「護憲」をさけぶひとたちと同様に、首相の意向を忖度してのことだといえば、なんのための「改元」なのかも溶け出してしまうのだ。

むしろ、印刷屋にゴム印を大量注文する民間こそ、「継続性」の原則をまもるのに躍起なのだ。
これを政治が「ガン無視する」という与野党ばかりになってしまった。

昭和と西暦は、「25」を加減すれば年数がしれた。
これに慣れきった昭和生まれは、平成を計算するのに「昭和」をつかう。
ことしは、昭和94年だから25を足せば西暦2019年が計算できる。
昭和64年が平成元年だったから、1989年から平成を求めるより便利だった。

こんどは「18」を加減すればいい。
けれども、やっぱり「昭和」の「25」のほうが便利におもえるのは、ただの習慣か。

政権の、昭和十年代を理想とする「脱却」をわたしは望まない。
しかし、実質的に役人が支配するこの国は、「有職故実」が決定事由のすべてなのだ。

漢籍を由来としない年号は「はじめて」と強調しながら、国の花とする「菊」でも「桜」でもなく、中国の国花である「梅」にまつわる文字を採用したのは、「準」漢籍ということなのか。
それとも、外交的配慮までふくまれるのか?

価値感としての「昭和」はつづく。

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