「超」先進国

わが国はとっくに経済では先進国とはいえなくなっていて、過去のなごりでなんとかしているけれど、特定分野において「超」がつく先進国ではある。
この「超」には、「人類史上初」という意味がある。

たとえば、高齢化社会になることは時間の問題として確実で、その人口構成における高齢化率が、「超」高齢化することになっているし、このことの分母における「超」として、人口減少がある。

ただし、少子化の原因とされる、特殊出生率にかんしては、韓国、台湾のほうがひくいから、少子化にかんしては「超」ではない。
わが国の「超」人口減少は、団塊の世代という終戦直後生まれの「超」高齢者たちが寿命をむかえることで、平時における世界史上初の人口減少社会になるのである。

これに、経済の分野でも「超」があって、ふつうに「マイナス金利」といっているけど、じつはこれも「人類史上初」のことだ。
金利の歴史からすれば、年率3%をしたまわることじたいが、400年ぶりということだが、それ以前の人類に「金利」という概念があったのだろうか?

さらに、この「マイナス金利」を実施した日本銀行という「中央銀行」が、「債務超過」になる危険性をおびている。
印刷物の日本銀行券とひきかえに、日本政府発行の国債を購入したばかりでなく、東京証券市場の株式を、どちらも大量購入した。

国債の価格は金利と直結していて、金利があがると国債価格は「下落」し、金利がさがると国債価格が「上昇」するのは、国債が発行されるときに、利率と償還期限がきまっているからである。
くわしくは、国債価格で検索されたい。

マイナス金利を実施しながら、2%のインフレ目標をかかげた日銀にとって、この目標が達成されると、保有している国債の価値が減ることになる。

さらに、金利があがるとふつう株式も下落する。
企業業績が心配されるし、おなじおカネを投資するなら、株式よりも安くなった国債のほうが有利になるからである。

日銀には、「通貨発行利益」があるからたとえ債務超過になっても「だいじょうぶ」と、先日、若田部日銀副総裁が発言している。

ここでいう、「中央銀行の債務超過」も、「超」なのだ。
それで、だいじょうぶという論と、だいじょうぶなはずがないという論とにわかれている。
人類史上初だから、どうなるのかの「前例がない」ので、議論が平行線を維持しているのだ。

ここまでが、国内の「超」である。
しかし、われわれは鎖国しているわけではないから、同時並行的に外国ではなにが起きているかに影響される。
人口のはなしは関係がうすいが、金利や経済にまつわるはなしはそうはいかない。

ただし、人口のはなしでも、自然増減と社会増減があって、社会増減のほうは、金利や経済に影響されて「移動」する。
富裕層を中心に、海外移住がブームなのは、このことを指す。

さて、世界に多大な影響をあたえる「超先進国」(超にカッコがない)は、だれがかんがえてもアメリカ合衆国である。
このアメリカ合衆国の人口構成の将来も、なかなかで、こんご四半世紀あまりで白人がマイノリティ化する可能性がたかいという、米国の国勢調査の予測がある。

さいきんの米国凋落論は、これをベースにしている。
これに、中国では、ひとりっ子政策による人口減少がやってくるから、経済力で現在世界トップ3の米中日では、それぞれの国内に「人口減少」という問題をかかえている。

これが、いまさかんな「米中経済戦争」の根源的問題ではないか?
世界覇権という「うまみ」を、維持したい国と奪いたい国とのあらそいだが、それがなぜ「いま」なのか?の理由になるからである。

台湾が深刻な様相で、なんとかアメリカの同盟国に昇格したいのも、台湾自体の人口減少が「超」であるからだが、なぜか韓国はちがう方向なのは、たまたま現政権の志向であるから、政権がかわればまた変わるだろう。

すると、こまったちゃんはわが国である。
こうした「動き」の表層しかみない、という傾向は、なんともゆがんだ上から目線なのだ。
あえていえば、韓国の現政権にちかい。

中国は、乾坤一擲、いましかチャンスがないとかんがえているふしがある。一種の焦りともかんがえられるからこわい。
これに対する米国に、トランプ政権が対峙しているのは、歴史の「妙」である。

わが国をアメリカ人が正直に「定義した」のは、カーター政権の国務長官だったブレジンスキーの『ひよわな花日本』(1972年、サイマル出版会)がある。

どういうわけか、わが財界は、またまた中国に加担したいとかんがえていて、これに与党自民党が同調している。
天安門事件を「なかった」と放送したのは、わすれもしないNHK「クローズアップ現代」であったし、世界から経済制裁をうけたなか、わが国政府だけが「支援」した。

その見返りが、尖閣なのだから、目も当てられない。
共産主義者はダブルスタンダードが基本だから、恩を仇でかえしてもなんともおもわない訓練をうけたひとしか幹部になれないことがまだわからないのか?

今日はその、天安門事件から30年の日なのだ。

あいかわらず、日本政府の「超」がつづくのは、売国行為ではないのか?

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