ペルシャ料理店の夜逃げ

「イラン料理」でもいいのだろうが,「ペルシャ料理」のほうが雰囲気がでる.
そのむかしの「ペルシャ帝国」を彷彿とさせるからである.
「アジア」というと,東アジアをまずは想像し,やっとこ東南アジアまでしかイメージできないひとが,サッカーの「ドーハの悲劇」以来,トルコからこっちが「アジア」だと気がついた.

東西に広大に広がるエリアが「アジア」であるけれど,中間の内陸のほとんどが砂漠地帯になっている.
かの『文明の生態史観』の著作でしられる梅棹忠夫先生が,「アジアはない」といいきったのにはおどろいたものだ.

ずいぶんまえの文藝春秋に,著名人100人に執筆依頼した「人生を変えた書物」とかいう特集があって,その第一位が『文明の生態史観』だった.
日本人が書いた日本論の嚆矢である.

むしろ先生は,アジアという区分ではなく,西洋と東洋のあいだだから「中洋」と位置づけようとして,さまざまな説明をしている.

その中洋にあたるいまのイランという国は,「イラン・イスラム共和国」という名称だが,イスラム教がうまれる前には,ゾロアスター教がさかんな地域であった.
いまも,小数のゾロアスター教徒がいるという.
人類最古の経典宗教はゾロアスター教といわれているから,その影響は目立たなくても深いところにあるとかんがえていい.

いわゆる「拝火教」といわれる宗教だが,「明」と「暗」から転じた「善」と「悪」の二元論が思想的な柱になっている.
西に伝わって,古代ギリシャの神話にも混ざっている.
オリンピックの「聖火」は,まさにゾロアスター教のなごりだし,東に伝わって,仏教と合体したのが「密教」におけるお炊き上げともいわれているから,天台宗,真言宗には,ゾロアスター教のエッセンスがある.

古代ギリシャ哲学の影響を,ユダヤ・キリスト教もおおいに受けているから,その根にはまちがいなくゾロアスター教がある.
歴史的実在が証明されていないイエス・キリストの誕生日とされるクリスマスも,「冬至の祭り」が発祥といわれる.昼(明)が夜(暗)のながさにまさる分岐点が冬至だからである.

そんなことから,ミステリー小説に仕立てたのが,推理小説の大家,松本清張だった.
日本の古代史の不思議から,殺人事件にまでふくらませることができるのは,めったな知識ではできない.

 

じっさい,この『火の路』という小説内における研究がきっかけとなって,古代日本とペルシャの関係が学術的に証明される,という「事件」にもなっている.

そうかんがえると,いまでもめったに移動できない距離を,古代だからといって無視できるものではなく,かえって古代人の方がいまよりも国際的だったようにもおもえる.
ついさきごろは,平城京の遺跡から,ペルシャ人の名前が書かれた大量の木簡が発見され,朝廷の役人に万人単位でペルシャ系のひとがいたと推定されている.
ここから,平家ペルシャ人説まで出てくるのだから,ロマンはつきない.

すると,宮廷人が高級食材として食していた,「醍醐」や「酪」といわれる,おそらくチーズのたぐいも,もしかしたら蒙古ではなくて,その先のペルシャからの伝播だったのかもしれない.

香辛料を高度につかうインドより西にあって,インドとはことなる組合せの香辛料を多用するアラブ世界の東にあるペルシャだから,さぞやたっぷり香辛料をつかうのだろうとおもったら,あっさり肩すかしをくう.
ペルシャ料理には,ほとんど香辛料をつかわないのだ.

いまようにいえば,「やさしい味」なのである.
それは、素材の味を引き立てる調理法でもあるから,これだけ読めばまるで「日本料理」になる.
じっさいに,ペルシャ料理店は数少ないから,あまりなじみはないかもしれないが,食べてみればその美味しさは格別だ.

なるほど,イスラム教といっても,アラブとペルシャでは,ほとんど別の宗教のようなちがいだけど,その根底には「味覚」のちがいが決定的にあるかもしれないとおもえるほどに,まったくちがう.
羊肉を焼いたケバーブや,挽肉を焼き鳥のつくね状にしたコフタも,見た目はおなじだが,塩味あっさりのペルシャ式は,日本人の味覚に適合するだろう.

そんなペルシャ料理店が,横浜のド真ん中,伊勢佐木町商店街から路地をはいった,いわゆるヤバそうな場所にあった.
およそ,女性がひとりで歩いていたら,職業を間違えられそうな場所であった.
それで,家内とはいつも一緒に行ったものだが,われわれ以外の他の客にであったことがなかった.

イラン人の主人が一人で切り盛りしていたが,日本語がなんとか通じたから,客として困ることはなかったし,常連になったら,イランへの里帰りツアーへの同行も誘われた.
それですっかりその気になって,松本清張になった気分でゾロアスター教の村を訪ねてみたいとかんがえていたら,あるとき「夜逃げ」してしまった.

アメリカはイラン革命のときの大使館占拠事件から,レーガン時代のイラン・コントラ事件など,イランにまつわるいい話はないばかりか,核開発問題でも頭痛のタネだろう.
そのアメリカに絶対服従するはずの日本外交が,なぜか「独自外交」で唯一がんばるのがイランなのである.

これも,平城京以来,役人のペルシャの血との関係があるのだろうか?

それにしても,腕のよい料理人が,店の場所をまちがえたのはまちがいない.
それに,横浜で開催した世界の料理イベントで彼が優勝した,という情報も,イランだけでなくヨーロッパでの調理師免許があるなど,差別化要因となるはなしがしっかり提供できていなかった.
そして,もうひとつ,日本は個人への開業資金を提供するシステムが貧弱であることだ.

日本人向けにもないのだから,外国人の専門職が独立開業するのは至難の業だろう.
外国からひとを受け入れたら,国内の人手不足が解消する,というはなしは,すでにファンタジーである.
彼のような腕ききがやってきて,ちゃんとした立地(保証金や家賃が高い)で日本人に美味しい料理を提供し,大繁盛できるような,そんな仕組みがあることは,日本人を幸せにする.

金融が機能しない国は,衰退することがよくわかる.
本来,金融は世の中を明るくするためのものだが,バブルの大間違い以来,この国の金融は生き返らずゾンビ化して,悪の権化になってしまった.
その司祭は金融庁だが,それを正す政治もまたゾンビ化した.

まるでゾロアスター教でいう暗黒が,この国をおおっている.

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