ラテン語教育がはやるヨーロッパ

「EEC」から「EC」になって,とうとう「EU」になったヨーロッパ.
最初の「E」はぜんぶ「Europe」の「E」だから,そんなにかわったようにはみえないけれど,次元がちがう変化をとげたといっていいだろう.

「EEC」がはじまる前から「懸念」し,「EEC」ができたら,悪い意味でまだできてもいない「EC」の失敗の方向性は「EU」だと論破して,1993年11月のEU発足直前,92年3月に死去したのがハイエクだった.死去一ヶ月前に欧州連合条約が締結されているから,死んでも死にきれない想いがあったかもしれない.

その意味で,EEC発足以来,ヨーロッパはハイエクの主張をことごとく否定してきた歴史になっている.
「それでも地球は回っている」と言ったというガリレオの名誉が回復されたのは,同じく1992年のことで,それは「ガリレオ裁判」から385年が経過したのちのことだった.

ハイエクは,EU失敗の経路とその理由を書き残した(失敗を決めつけていて,その理由を示した)ので,ガリレオより早くに名誉が回復することだろう.
実際に,ほとんど「予言」のごとく示し的中しているから,当事者の焦りは尋常ではないはずで,さらなる間違いの深みにすすむから悲壮感さえある.

それが,古代ローマ帝国の公用語だった「ラテン語教育」にいきついたのだろう.
もともとラテン語教育はされてはいたが,現代ヨーロッパのよりどころとしてのラテン語になっているそうだから,おそらくEUの不振と無関係ではないだろう.

最大の難事は,共通通貨「ユーロ」をどうするか?である.
ギリシャ危機や,イタリア,スペインの経済危機も,「ユーロ」の矛盾がうみだしたものだ.
これら経済弱者にとっては,自国通貨より信用のある「ユーロ」は実力より背伸びができるし,ドイツのような経済強者にとっては,自国通貨より安いから輸出に有利である.

だれにとっても「有利」にみえるが,それは錯覚にすぎない.
ヨーロッパというエリアでの各国貿易にもどしてかんがえれば,通貨安で輸出に有利なドイツ,通貨高で過剰消費ができたギリシャとすれば,構図はわかりやすい.
だから,ギリシャ人はドイツ人に儲けた分を負担しろと要求し,ドイツ人はこれ以上面倒見られないと突き放している.

ハイエクは,「もしEUが発足したら,かならず統一通貨を模索し,統一通貨のための中央銀行をつくるだろう.そして,安定しない通貨価値の維持のために中央銀行はさまざまな権限をつくり,それを強力に実施するはずだ」と,歴史はそのとおりになった.
それで彼は「貨幣論」で「通貨発行自由化論」を提唱した.IT技術で通貨をだれでも自由に発行して,競争させればよい,と.これは,さいきんのFinTechのことだ.さすが,インターネットによる「知識分散型社会」を「予言」したひとの頭脳は,おそるべき先見性がある.

サッチャー政権以来,ハイエクに学んだ英国は,とうとう「ユーロ圏にはいらない」ままEUからも脱退する.
その意味では,筋金入りのハイエク主義だ.
ドイツとフランスにしか有利でないEUの本質をみれば,島国の英国は離脱に有利な立地だ.
しかし,その英国にしてさいきん,ラテン語教育が一部の有名校でみなおされているというから,これは英国からみた「舫い綱」なのだろう.大陸とのあきらかな温度差がそれをしめす.

ひるがえってわが国は,教育委員会という官僚組織が存立理由をわすれた不始末をしながら,一方で,「超教育協会」が設立された.
協賛企業は300社ともいわれるように,かなり影響力がありそうな団体である.
こちらは,設立趣旨に,「第四次産業革命」がある.つまり,ITの専門家をどうするか?
それは,このブログでも書いた,「未来投資戦略2017」を踏襲しているということでもある.

「EU」をなんとか維持したいドイツ・フランス中心のヨーロッパが仕組む「ラテン語教育」に対して,わが国の英知とトップ企業が仕組む「IT教育」の対決だ.
ハイエクには悪いが,「ラテン語教育」の格調高さに,なんだか共感してしまう.
哲学ではなく「機能」に向いてしまうわが国の「薄さ」こそ,焦りの反映なのだろうか?

スエーデン元首相のカール・ビルト氏が寄稿した記事のような,知見を披露する政治家も,それをもとめる国民もいない日本は,これからどうなるのだろうと不安を感じるのはわたしだけではあるまい.

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