上級国民はいないが下級国民はいる

へんな言葉がとびだした。
「上級国民」という言葉をきいたことがなかったが、あっという間にひろがった。
令和初の流行語大賞になるかもしれないのは、これからの暗い時代を予想させるからでもある。

いったいだれがこんな言葉をいいだしたのか?
受賞という場面になるとはっきるするのだろうから、顔を見てみたい。

60年代から70年代、当時、世界でもまれな高度成長という経済成長の経験をしたわが国では、左翼思想が蔓延して、これまた世界史的にもまれな平等国家である「一億総中流社会」がうたわれて、あたかも全国民が「中流」であって、その上も下もない理想社会のようなことを自画自賛したものだった。

理想社会のことを「ユートピア」というのは、もちろん、トマス・モアの『ユートピア』を語源にしている。
この本の特徴に、モアはさいしょにラテン語で書いたが、それを別のひとが英語に翻訳したといういきさつがある。

だから、原題の「ユートピア」もラテン語からの造語で、「現実にはない社会」、「ありえない社会」を意味したが、いつのまにかに「理想的な社会」にかわってしまった。
これは、まちがいなくトマス・モアが意図したことではない。

読んだことがないのに批判する批評家はたくさんいて、そんな批評が世の中に拡散するのは、じつは順番がぎゃくで、世の中の雰囲気をくみ取った批評家が世の中に受け入れられるように批評するからである。
だから、じっさいに読んでしまうと思考の邪魔になるから読まないで批判することになる。

『ユートピア』を読んだことがあるひとなら、この本の世界はけっして「ユートピア」ではないことに気づくが、それは「ありえない社会」のことだという原典にたちかえれば、すぐにわかることである。

また、この本を利用したひとたちは、この本の空想的な特徴を切り出して、「空想的社会主義」という思想をあみだした。
それで、さらに後世のひとたちが、「空想」ではなく「科学」を標榜するようになって、とうとう「科学的」根拠はないけれど「科学的社会主義」を発明したという歴史がある。

そうやってかんがえると、「一億総中流社会」という「空想」が、各種統計数値によって「科学的」になったようにみえたのも、なんのことはないグラフにすれば一目瞭然の、下流と上流を「無視」したからである。

そして、無視したものが「存在しない」に変化したのだから、見えないモノは「存在しない」ということとおなじで、もはや「イリュージョン」になるのである。

この気持ちのよいイリュージョンに、だまされているふりをしているうちに、ほんとうにだまされて、それがさいきんになって「格差」が見えてきたら、こんどは「格差社会」だと騒ぎだしただけである。

それを、政権批判に結びつけたいひとたちが、平等こそが理想なのだという固定した価値感から、さいしょからありもしない平等社会が「こわれた」、といって「どうしてくれる」になっている。

不思議なのは、地上波のテレビで常連の批評家たちが、いっせいにおなじ批判をして、さらに、じぶんはもちろん下層にいますというウソをついていることを、これまたみんなでだまされているふりをしているうちに、ほんとうにだまされている。

いったいこのひとたちには、一回いくらの出演料が支払われているのか?
このくだらないはなしのために、スポンサー企業がしはらう広告料を負担しているのは、消費者である視聴者しかいない。

つまり、だましているひとたちが上級国民で、だまされているのが下級国民という構図に、とっくのむかしからなっているのだ。

以前は、「左から見ればまん中も右に見える」というはなしがあったが、いまは、「下から見ればまん中も上に見える」ということになった。

では、上級国民というひとたちはといえば、世界の「セレブ」からあいてにされない状態で、大型ヨットも自家用飛行機も「個人名義」でなんてもっていない。
せいぜい、会社所有で、税務署からの指摘に戦々恐々している程度である。

そんな程度だから、たとえばヨーロッパの超高級ホテルに、お金さえ出せば宿泊できると意気込んで予約をいれるが、実際にチェックインすれば、毎夜のディナーで昨夜とおなじ服を着ているひとなどいないし、朝食すらも同様である。

さらに、幼児がいてもロビーで大声をだしてぐずったり、走りまわることもしない。
もちろん、このようなホテルに、乳母車を押して入館してくるようなひともいない。

世界標準でいえば、上級国民などこの国にはいない。

まちがいなくいえるのは、上級だとひとびとを煽って、社会の分断をもくろむひとたちが、喜々として「格差」を指摘し、将来の「革命」を夢見ていることである。

戦前の国家総動員体制ができてから、戦中・戦後も日本政府の経済政策は一貫して社会主義の推進だったにもかかわらず、どうしてこうなったのか?

それは、さいしょから「ユートピア」(ありえない社会)の追求だったから、いつまでたってもありえないだけでなく、むしろ、意図とは逆の効果しか生まないのである。

サブカルの国は、リアルで空想社会なのである。
この空想から目を覚まさないかぎり、未来は暗い。

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