反体制雑誌

この国の「体制」とは、いったいどうなっているのか?
表面上は、自由で民主主義で資本主義ということになっている。
もっとも、自由だからそのうえに民主主義と資本主義が乗っかれるのだから、自由主義という基盤こそが「体制」の本質をなすはずだ。

しかし、あんがい「自由主義」の「自由」がブレるのは、自分勝手に好きなことができるのを「自由」とするからである。
フリーダム(Freedom)の「自由」と、リバティ(Liberty)の「自由」は、「自由」を区別しているから単語がことなる。

日本語にはこの区別がないから、ぜんぶ「自由」というしかない。
これが、政治的にあたまのよいひとたちに利用されて、フリーダムとリバティの概念を「わざと」混乱させるようにしてきた。
それで、とうとう「区別」ができなくなってしまった国民は、野党もふくめ為政者に御しやすいようになったのである。

もちろん、フリーダムもリバティも、開国してから輸入したから、もともと「自由」とは外来語の翻訳である。
四民平等になる前は、ずっと身分社会だったから、身分の中での「自由」しかなく、それを「分際」とか「分をわきまえる」といった。

だから、農民が人口の8割もいた日本人にとって、圧倒的な「ふつう」が「分をわきまえる」というなかにあった「フリーダム(もともとある自由)」でしかなく、みずから勝ち取る「リバティ」という概念すら、戦後のGHQから与えられた自由であったため、こんにちにいたるもピンとこないのである。

したがって、なにが体制でなにが反体制なのか?という区別すら曖昧になったのは、戦前・戦中の「反省」という「大否定」からである。
しかして、この「大否定」すら、政治的にあたまのよいひとたちが仕掛けたものではなかったか?

2009年5月(6月号)で廃刊になった、文藝春秋からでていた『諸君!』というオピニオン誌は、かつて「反体制雑誌」というほどの「保守」色が強い雑誌だった。

しかし、「保守」を独占していたはずの自民党は、とっくに官僚に乗っ取られて、現状維持をもって「保守」という変節をしていたから、本来的な保守すなわち英国保守党がいう「保守」にちかい『諸君!』には、立派な「反体制」の立場があった。

ところが、その「変節」が『諸君!』にも起きて、いつの間にか「立場」が揺らいだのは、販売のためなのか「日和った」のである。
わたしがこれに気づいたのは、廃刊の数年前のことである。じぶんで「諸君!がおかしい」というメモを書いている。
それで、定期購読をやめて、とうとうそれから一度も手に取らなかった。

マーケティング的に、『諸君!』と真っ向勝負したのは『Will』で、こちらはいまでも販売されている。
初代編集長は話題のおおい「花田 紀凱」で、その後曲折あって『月刊Hanada』にうつっている。

『Will』をしばらく定期購読していたが、なんだか『諸君!』とにている匂いがしてやめた。
2016年に創刊された『月刊Hanada』は、表紙デザインが『Will』に似ているので、その筋では批判があったというが、個人的に購読したことはない。

そういえば、わが国を代表するはずの『文藝春秋』は、高校の同級生が熱心な読者で授業中に回し読みしたこともあって、ずいぶん長く購読していたが、この二十年ばかり手も触れていない。

国の衰退は、総合雑誌の記事内容の衰退と比例する。
はたしてどちらが「たまご」と「にわとり」なのか?

大学時代は『世界』や『前衛』という本来の反体制雑誌も読んだものだが、一度も「納得」できなかったのは我ながら不思議でもある。

そういう意味でかんがえると、執筆陣がお決まりで、つまらない、のである。
これをマンネリというのかはしらないが、小粒かつ稚拙という記事が数ヶ月つづくと、やっぱり買う気がうせるものだ。

電車の中吊り広告をみて、これは!とおもう記事が見あたらない。

ただし、左派の論客はなかなか立場を変えない(いつもおなじ)場合がほとんどで新味がぜんぜんないのだが、あんがい「保守」の論客は左傾して、そちらに引き寄せられることがある。
そんな記事が、まじめゆえにそうなるから面白おかしいという読後感が得られることもある。

めったにないけど「元党員」だったひとが「完全変節」したばあい、なかなか知り得ないその方面の情報が飛び出してくる。
これが、的をついていて、そのへんの保守や左派の論客がこねくる理屈を吹き飛ばすことがあるから、一種の「痛快」がある。

先日発売された『月刊Hanada 10月号』は、みごとな「スクープ記事」があって、気になるから書店にいったら、すでに欠品になっていた。
アマゾンでも、すでに新品はなく、定価の倍の値段がついている。

こんなこともあるのだと、久しぶりに驚いている。

電子版なら入手できるが、雑誌の電子版ほど読みにくいものはない。
さてどうしたものか?と思案してもはじまらない。
ところで、そんな状況の『月刊Hanada』が、他の媒体でぜんぜん話題にならないことも、この国の姿であるから、ある意味「痛快」である。

そういうわけで、本号も購入しないで「よし」ということにした。

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