玉音放送の現代語訳

毎年放送されることと,毎年放送されないことがある.
「玉音放送」とは,正式に「大東亜戦争終結ニ関スル詔勅」という.
ほんものの天皇が肉声で直接読み上げて国民にしらしめたのは,建国史上初のできごとだった.
紙に書いた「勅語」をうばいあって血を流した歴史があるのだから,いかに画期的であったかは表現できないほどだ.
この録音盤争奪をめぐって,宮中警護のはずの近衛部隊があやしいうごきをしたのも,「紙」の時代とおなじ発想からである.

あの戦争を美化しようが怨もうが,当時国内公文書の最高峰にあたる「勅語」の内容を,ほとんどの国民がしらずに,「戦争の反省をする」という立場は,論理的に破たんしていないか?すくなくても丁寧さを重んじれば,その意味をしらずして放置はできない.
昭和天皇は,肉声をもってなにを訴えたのだろう.
くり返し放送されているのは,ほんの一部,「耐え難きを耐え忍び難きを忍び」というフレーズだけである.

なにが耐え難きことで,なにが忍び難きことだったのかが,これだけではわからないものを,解説すらしない.
だから,放送としてこれ以上不親切な「たれ流し」はないのだが,これをいうひとがいないのもどういうわけか?

歴史的大戦争の終結=敗北を宣言した,まごうことなき当時の国家元首にして大元帥陛下の「勅語」に,かくもいい加減な扱いをしていられる神経こそが,諸外国(といっても一部だが)からグズグズいわれる根源であろう.

1945年8月15日は,日本では「終戦記念日」としているが,国際法では停戦であって日本軍の武装解除が命じられた日である.
相手のアメリカは降伏文書に調印した9月2日をもって「終結」としているから,感覚の違いは否めない.まさに,国際法にのっとればアメリカのほうがただしい.

ただし,戦争の「名前」にかんしては,詔勅の題にある「大東亜戦争」であって,「太平洋戦争」ではない.
GHQの主導権をにぎったアメリカが「指定」して戦勝の手柄を独り占めにした用語のひとつである.
おなじGHQを構成するイギリスもオランダも日本軍と太平洋で戦ってはいない.ましてや主たる陸戦地もユーラシア大陸だ.日本海軍の作戦行動はインド洋の先,紅海にまでおよんでいた.したがって,あきらかに「大東亜(おおきな東アジア)」が正しい.

ふつう,ポツダム宣言の受諾をもって「無条件降伏」というが,これは「軍」に対してであって「政府」に対してではないから,占領下にあっても日本政府は機能したのである.
8月15日は無条件降伏した軍の武装解除,9月2日が国家として終結した日と理解すればよい.
日本軍の最高司令官は大元帥たる天皇である.だから「終戦の詔勅」なのだ.こんな重要なこともマスコミは報じず,ただ「無条件降伏」を繰り返すから,国民は以下のことにも気づかない.

1945年5月7日にドイツ「軍」は無条件降伏したが,ヒトラーの死亡以降,政権の正統な継承が不明になったため,連合軍は6月5日「ベルリン宣言」をもって,中央政府が存在しない国としてドイツが滅亡したと正式に認定した.だから,国を失ったドイツ占領と国が残った日本占領とはまったく意味がちがう.戦後の「東西ドイツ」は,白紙からつくられた国である.

「ホロコースト」による謝罪は「人道的」に西ドイツだけがたっぷりユダヤ人におこなったが,占領した近隣諸国への謝罪は今日まで「なにもしていない」のが白紙からうまれた「ドイツ」の常識である.滅亡した政権の行いは,白紙スタートでは関係ないという論理があるからである.それでいまでも周辺諸国はドイツとロシアの動向に敏感=大嫌いなのだ.

その意味でも,この詔勅で,天皇は「同盟諸国」にたいし「遺憾の意」を表しているから,日本という国の愚直ともいえる性格がわかる.ただし,この「同盟諸国」に朝鮮・台湾が含まれるとはおもわないのは,これらの地域が「日本」だったからである.反日の朝鮮と親日の台湾がどのように分岐したのかは「戦後」のことである.

ちなみに,三国同盟で同盟国だったイタリアは,政権交代で戦争末期に独日へ宣戦布告しているから,日本が戦後結んだサンフランシスコ講和条約にイタリアもちゃっかり入って戦勝国側にいる.
相手国は全部で48カ国(ソ連,チェコスロバキア,ポーランド,インド,ビルマ,中華民国除く)であった.中華人民共和国は,1949年(昭和24年)建国なので話の外になる.

なお,この相手国の多さの理由は,同盟国ドイツが戦った国も自動的に「敵」になったからである.「同盟」とはそういうものである.だから,日米同盟の今,「集団的自衛権」が云々と議論するのは,国際法的に同盟の本質を無視した不毛の議論になるが,このタイプの議論が大好きなひとたちがこの国には不思議とおおぜいいる.終戦の決断ができなかった「国体論」とおなじに気づかない.

ここに『別冊正論』24号「再認識『終戦』」より現代語訳を転載する.

 朕深く世界の大勢と帝国の現状とに鑑み、非常の措置を以て時局を収拾しようと思い、ここに忠良なる汝(なんじ)ら帝国国民に告ぐ。
 朕は帝国政府をして米英支ソ四国に対し、その共同宣言(ポツダム宣言)を受諾することを通告させたのである。
 そもそも帝国国民の健全を図り、万邦共栄の楽しみを共にするは、天照大神、神武天皇はじめ歴代天皇が遺された範であり、朕は常々心掛けている。先に米英二国に宣戦した理由もまた、実に帝国の自存と東亜の安定とを切に願うことから出たもので、他国の主権を否定して領土を侵すようなことはもとより朕の志にあらず。しかるに交戦すでに四年を経ており、朕が陸海将兵の勇戦、朕が官僚官吏の精勤、朕が一億国民の奉公、それぞれ最善を尽くすにかかわらず、戦局は必ずしも好転せず世界の大勢もまた我に有利ではない。こればかりか、敵は新たに残虐な爆弾を使用して、多くの罪なき民を殺傷しており、惨害どこまで及ぶかは実に測り知れない事態となった。しかもなお交戦を続けるというのか。それは我が民族の滅亡をきたすのみならず、ひいては人類の文明をも破滅させるはずである。そうなってしまえば朕はどのようにして一億国民の子孫を保ち、皇祖・皇宗の神霊に詫びるのか。これが帝国政府をして共同宣言に応じさせるに至ったゆえんである。

朕は帝国と共に終始東亜の解放に協力した同盟諸国に対し、遺憾の意を表せざるを得ない。帝国国民には戦陣に散り、職場に殉じ、戦災に斃れた者及びその遺族に想いを致せば、それだけで五内(ごだい)(玉音は「ごない」。五臓)引き裂かれる。且つまた戦傷を負い、戦災を被り、家も仕事も失ってしまった者へどう手を差し伸べるかに至っては、朕が深く心痛むところである。思慮するに、帝国が今後受けなくてはならない苦難は当然のこと尋常ではない。汝ら国民の衷心も朕はよく理解している。しかしながら朕は時運がこうなったからには堪えがたきを堪え忍びがたきを忍び、子々孫々のために太平を拓くことを願う。

 朕は今、国としての日本を護持することができ、忠良な汝ら国民のひたすらなる誠意に信拠し、常に汝ら国民と共にいる。もし感情の激するままみだりに事を起こし、あるいは同胞を陥れて互いに時局を乱し、ために大道を踏み誤り、世界に対し信義を失うことは、朕が最も戒めるところである。よろしく国を挙げて一家となり皆で子孫をつなぎ、固く神州日本の不滅を信じ、担う使命は重く進む道程の遠いことを覚悟し、総力を将来の建設に傾け、道義を大切に志操堅固にして、日本の光栄なる真髄を発揚し、世界の進歩発展に後れぬよう心に期すべし。汝ら国民よ、朕が真意をよく汲み全身全霊で受け止めよ。

御署名(裕仁) 御印(天皇御璽)

ネットにはこのほかいくつもの「訳」があるから,ご興味のあるかたは検索されることをお勧めする.

「耐え難き」とは過去のことで,第一には「敗戦」という事実であろう.
すると,「忍び難き」とは,これから起きる「占領」の屈辱をいうのであろう.
しかし,最後は未来志向のすさまじき決意である.
全文を読めばスッキリする.

これを一部のフレーズだけしか放送せず,解説もないのは,やっぱり不思議におもう.
政府と軍をそれぞれに背負う唯一の人物の言葉なのだ.
いまは,内閣総理大臣がこの責を負う.

近代史をおしえない「学校の歴史授業」で,これを読んで解説することなどはありえないであろう現状をおもうと,果たしてそれで,「国際人」養成のための小学校からの「英語」教育とは,まことに浅はかの誹りを免れないのではないか.

「文部省唱歌」の「故郷(ふるさと)」の歌詞が難しいからと,学校でおしえなくなったのは「退化」だという議論もあるが,「玉音放送」を聞いてその場で涙したひとびとの教養たるや,現代人のはるか上をいく.「よくわからなかった」という話になぜかホッとするのは,「訳文」をみないとわからないからだ.
そのうち,この「訳文」すら「よくわからない」になるのだろう.

年に一回ぐらい,この文章をかみしめてこそとおもう.

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