韓国発の英語教育革命

国家間の軋轢は横にして、個人の情報発信が「時代を変える」なら、それを「革命」と表現しても、許されるだろう。

「がっちゃん」と名乗る女性が、ついこの間、ユーチューブに動画をアップしてすぐにシリーズ化し、別途有料チャンネルまでできた。

本人の流暢かつ早口な日本語ナレーションと、日本語字幕に手描きイラストだけの映像ではある(つまり「顔出し」していない)が、ここで展開されているのは、彼女曰く「英語戦死者」のための英語学習講座なのである。

だから「革命」なのは、その解説の中身にある。

彼女の主張によると、どうやら韓国における英語教育方法がわが国と「そっくり」らしく、「やたらと文法用語を多用して」英語初学者の頭脳を混乱させているという。

それは、すでに英語を理解できたひとたちによる「後付けの文法解釈」なので、初学者にとっては意味不明だから、つぎつぎと「英語戦死者」を量産しているというのである。

東京の外国語大学に留学経験があるというから、両国の言語教育事情に通じているのだろう。
さらに、前提として「日本語(≒韓国語)の特徴」を強調しているのが「新鮮」なのである。

むかしから、日本語と韓国語の類似性は指摘されていた。
わたしは、韓国語をしらないから、深入りせずに彼女のいう「日本語の特徴」をトレースすれば、語順が変わっても意味が変わらない、ことだという。

これは、「助詞」(が、も、の、を、、、)による機能性の特徴で、欧米系の話者が日本語や韓国語を学ぶときに、最悪の困難さにランクづけされていることからもわかる。

欧米系の言語は、助詞による機能を「場所」によってあらわすからだ。
すなわち、「語順」が、そのまま「日本語の助詞の意味」をなす。
だから、主語(だれが)+動詞(なにをする)+なにを+(どうやって)+どこで+いつ+(なぜ)という順番のルールが厳密なのだ。

すると、さんざんいわれてきた「基本五文型」でいいたいのは、じつは、
主語(S)+動詞(V)
主語(S)+動詞(V)+補語(C)
主語(S)+動詞(V)+目的語(O)
主語(S)+動詞(V)+目的語(O)+目的語(O)
主語(S)+動詞(V)+目的語(O)+補語(C)

のうちの共通部分である、主語(S)+動詞(V)「だけ」であって、補語や目的語がどうつながるかは、ほとんど初学者が気にすることはない。
+なにを+(どうやって)+どこで+いつ+(なぜ)という順番のルールをさいしょに理解するほうが、はるかに有益で、この順番がわかってから、ゆっくり五文型を学べばいいのである。

ちなみに、(どうやって)、(なぜ)をカッコで表記したのは、中学校ではならわず、高校英語の範囲になるからである。
この場所の配置方法がわからない生徒に、五文型をやるとますます混乱することに気がつかない教師のほうがおそろしい。

整理すれば、語順を変えてしまうと「意味が崩壊する」という特徴があるのが英語、語順を変えてしまっても「意味がつうじる」という特徴があるのが日本語≒韓国語ということをあらかじめしっていることは、とても重要なことなのだ。

それをおしえずに、徹底的な「和訳」をさいしょからおしえるのは、幕末の武士たちがなんとしても知ろうとした「なにが書いてあるのか?」にたいする執念の因習なのだ。
だから、「暗号解読」のようなことになる。

たとえば、This is a pen.
This=これ、is=は、です、a=一本、pen=ペン、とならうから、あとになって、Be動詞と一般動詞だけでも混乱するし、数えられる名詞と数えられない名詞にたいしての「冠詞」のつかいかたでも、大混乱することになる。

新学期がはじまって、いまごろはまだ、みんなついていけているだろうが、徐々に生徒に混乱がうまれること、確実で、これがついに、そして、毎年のように英語脱落者=英語戦死者の山を築くことになる。

この惨状に、教師たちはいったいどんな「反省」をしているのだろうか?
この疑問すら、ナンセンスなのは、百年以上も英語戦死者の山を築いてきたかれらに、203高地の責任をとった軍人の爪の垢ほどの感覚もないからで、何年も「おなじ教授法」が一子相伝のごとく変更されないのだ。

最悪なのは競争がない、公立学校。
つぎに、文科省の軍門に降るしかなくなった私立学校。
これらの「ダメ」を補うためにできた、学習塾・予備校。
そして、ついにユーチューブ動画における「画期・革命」がやってきた。

学習塾・予備校・ネット動画、これらの共通点は、文科省と関係なく自由であって、顧客獲得競争・顧客満足度競争がおこなわれているということにある。

画一的な教育にたいする批判は、ずいぶんまえからされているが、学習行為である「授業」の画一性をこわすことができないなら、授業の「品質」こそが勝負なのだ。

これを、「サービス・品質」という。
教育も、サービス業だからである。

教職は「聖職」とされてきた。
将来の国家をつくる、人材養成とは、まさに「人間形成」という崇高な理想があったからである。

しかしながら、「科挙」である「高等文官試験」という、開発独裁国家が採用した、わが国歴史上はじめての方式こそが、出世の手段、とみなされるようになって、「人間形成」という崇高な理想をうしなった。
まさに、トレードオフの関係のようになってしまったのだ。

成績優秀者は、国家あるいは地方「公務員」になる。
なかんずく「上級職」となれば、とうぜんに民間への人材供給が枯れるのである。

付加価値をつくるのは民間のしごとだから、民間が枯れれば国家が枯れる。
もう、国家優先という価値感もやめたほうがいい。

その意味でも、「がっちゃん」による革命は「画期」をなすのだ。

チャンネル登録者10万人突破というのは,「シルバー・クリエーター」として位置づけられている。
100万人でゴールド、1000万人でダイヤモンドとなっている。

日本語による英語学習者が対象だから、限界はどこまでなのか?はあるけれど、つぎのステージに期待したい。

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