香川県のゲーム時間規制条例

「完璧なる全体主義」が香川県で実施される予定になっている。

十八歳未満の「ゲームは一日60分まで」という使用制限を、明日17日からの二月定例議会に提出し、可決予定だという。
しかし、「強制」をともなわない、「基準」を規定するだけだという。
だから、「罰則」をともなわないから、実効性も低いと予想されている。

だったら、こんなもの議会に提出することはない。

なんのための「条例」なのか?
おそるべき「全体主義」であることに、だれも気づかないのか?

つまりは、条例を「つくること」が目的になっているのだ。
これを、「自己目的化」という。
「愚策」が生まれる典型的な「愚行」だ。
しかも、自己目的化した目的には、「屁理屈」がともなうのも特徴である。

今回は、本件検討委の委員長が、以下の話をしたと新聞が書いている。

「家庭や学校で取り組む対策に統一性を持たせ、一定の強制力を担保するには具体的な規定が必要」だと。

どうして「統一性」が必要なのか?
しかも、「一定の強制力」とあるから、そのうち「罰則」をふくめた「改定」も視野にいれているにちがいない。

これを推進するひとたちは、『アンネの日記』を読んだことがないのか?
そして、この「悲劇」の、本質である「全体主義」を、なんだとかんがえたのか?

思考力もない人物たちが、地方といえども「議員」になっている。

ひとびとが、ヒトラーのナチス(国家社会主義ドイツ労働者党)を熱狂的に支持しながら、「ユダヤ人浄化」ということをはじめたときは、「ゆるかった」のだ。
その「ゆるやかさ」が、批判のもとになって「過激化」する。

そして、「もっと」、「もっと厳しく」が、ついには組織的になったのである。
これを役人として、機械的に実行した人物の裁判が「アイヒマン裁判」だ。

 

左は題名のとおり「調書」である。
右は、この裁判の「傍聴録」として、みずからユダヤ人で、ドイツから脱出したアーレント渾身の筆がさえる考察だ。
この本の出版で、アーレントはユダヤ人から「裏切り者」と批判され、旧友を失いもした。

神奈川県の「禁煙条例」は、原案に「家庭内」も対象にされていた。
この条例には、罰則がある。
それで、「アンネ」という少女が、「喫煙者」になったら、どうなるか?

ある日、戸建てやマンションに関係なく、自宅玄関にやってきた「禁煙指導官」(あるいは警察官でもいい)なるひとに、クンクンにおいを嗅がれて、「お宅、タバコやってますね」と指摘されて、その場で罰則の切符を切られる、ことを想像すれば、ことの大小ではなく、官憲による個人の自由剥奪という状態が出現する。

わたしは、タバコを十年以上前に「やめた」けど、これは、誰かから命令されたからではなくて、自分からやめようと思ってやめたのである。
やめるのも自由意思があってこそである。

もちろん、神奈川県は、この原案は「さすがにちょっと」ということで、対象から「家庭内」は外したけれど。
「ちょっと」ではない重大さが「ちょっと」といわれることに、いまだに違和感がある。

日本ではなぜか人気の、ジミー・カーター氏がどのくらいの「左派」なのか?あんまり解説はないのだが、所属が「民主党」だから、当然に「左派」である。
しかしながら、かなり「極」がつくことに注目したい。

彼が二期目の大統領選挙で、共和党のレーガン候補に大敗したのは、イラン問題とテヘランの大使館占拠事件の救出に失敗したからと説明するのは、一面だけに注意を向けようとしている危険がある。
彼が創設したのが「連邦教育省」で、「最悪」と評価されて大敗したのだ、と前に書いた。

なんでも「一律」にしたい「左派」に対して、有権者は「No」を突きつけた。
トランプ氏は、「教育省廃止」を公言していたから、そのうち「公約」として出てくるのではないかと思う。

わが国は、明治以来の「開発独裁政府」という性格がいまだにある。
だから、「全国一律」が「常識」になっている。
なのに、「地方の時代」といったりもするから、「痴呆の時代」なのだ。

律令時代の「中央集権」を、もっと強力に実行しているのが「日本国政府」であるから、「地方」の「独自性」は、ほとんど発揮でないようになっている。

国民を乞食にした、「ふるさと納税」で、総務省の役人から徹底的にいじめられている自治体は、「独自性」にこだわった「だけ」である。

もちろん、わが国の総務大臣は、国会議員という「源立場」をかんたんに忘却して、役人のロボットになり果てるから、こんないじめはいけません、とは決していわない。
選挙のときに、役人からいじめられるのがこわいからである。

ちなみに、カジノをやりたい横浜市は、ふるさと納税のおかげで、えらく税収を減らしていることも影響しているはずである。
カジノに反対する市民は、ふるさと納税ではなくて、ちゃんと横浜市に納税すればよいのだが、それは「お得」ではないとして、やっぱり「乞食」をやめない。

中央の締め付けが、地方を殺している。
こうして、独自色を出したい地方がとち狂っても、この国の人権派はだんまりを決め込む。

いろんな正体がみえてくるけど、まさか地方から全国一律になりはしないか?

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