かつて卒業式の定番ソングだったが,二番にある「身を立て 名をあげ やよ 励めよ」が,「立身出世主義」で「民主的でない」という理由から,この曲全体を歌わないか,二番を飛ばして歌うかすることもあったという.
海軍兵学校の卒業式で歌われた,別れの定番「蛍の光」も,一番だけで二番以降は歌われなくなった.
いまでは,多くの学校が古文調のこの歌ではなく,今様である歌謡曲のヒットソングを採用しているらしいから,まさに「歌は世につれ世は歌につれ」の感がある.
もっとも,唱歌の「故郷(ふるさと)」も,小学生には歌詞がむずかしいとして,おしえないということもあった.
往年の人気アニメ「魔法使いサリー」では,登場する少女たちが樋口一葉の文学にあこがれて,「たけくらべ」や「にごりえ」を読みふける場面があったけど,これとてもおなじ年齢のいまの少女たちを飛び越えて,母親たちにもありえないむずかしさであろう.
そうかんがえると,おそろしい勢いで日本語が退化しているのである.
わたしのかよった県立高校卒業式の記憶では,式次第にこの曲をいれようとした生徒側の希望を教師が拒否したため,式の途中でゲリラ的に歌い,これをあわてて阻止しようとした教師たちを目撃した想い出がある.
そんなことがあったので,国歌斉唱があったかどうかの記憶がない.
卒業式がせまった時期に,「仰げば尊し」を拒否する理由の説明が教師からあった.それは,「仰げば尊し」を歌ってもらえるような立派なことをしなかったからだ,という告白であった.
「さもありなん」とわたしは個人的におもったが,本人たちは「謙遜」していたのかもわからない.
しかし,生徒の卒業を目のまえにして「それはないだろう」である.
かんがえてみれば,高校教師は小学校とちがって専門の「師範学校」を出ているわけではなく,ふつうの大学でふつうに学問的専門教育を受けてきただけだ.しかも,なかみがほんとうに学問的だったのかも疑問だし,高校でそれをそのまま教えてもらってもこまる.
ようは,「おしえること」,「生徒の理解をえること」という教育の基本中の基本である方法を,ちゃんとならった「プロ」たちなのか?という自問にさえ,自信がないということだったのではないかと疑ったのだ.
なんという不幸,なんという低劣な学校にはいってしまったのだ!
これは,いまでは「製造物責任」が問われかねない教える側の品質劣化の告白である.
「仰げば尊し」が唱歌になったのは,1884年(明治17年)とある.
江戸期の教育がバリバリ残っていたころだから,歌詞の一部にある「立身出世主義」をのぞけば,爺婆の世代までときの「塾」や「寺子屋」における「師匠」や仲間たちをイメージできたことだろう.
その意味で,すぐれて巧妙に歌詞が作られている.
すくなくても,立身出世主義が民主主義とあわないという主張のトンチンカンに比べれば,国家の意思と伝統とを融合させつつ,じつは伝統を否定するという見事さに,明治人の力量を感じずにはいられない.しかも,その力量を発揮した人物たちは,どうかんがえても江戸期の教育世代なのである.
仰げば 尊し 我が師の恩
教(おしえ)の庭にも はや幾年(いくとせ)
思えば いと疾(と)し この年月(としつき)
今こそ 別れめ いざさらば
互(たがい)に睦(むつみ)し 日ごろの恩
別(わか)るる後(のち)にも やよ 忘るな
身を立て 名をあげ やよ 励めよ
今こそ 別れめ いざさらば
朝夕 馴(な)れにし 学びの窓
蛍の灯火(ともしび) 積む白雪(しらゆき)
忘るる 間(ま)ぞなき ゆく年月
今こそ 別れめ いざさらば
現代は,科学技術のための教育と,日本における伝統的な人間教育との融合こそがもとめられている.
だから,江戸期までの「師匠」という存在がなくてはならないものなのだ.
残念ながら日本では,ちゃんとした大学にはいらないと,そういう意味での「学問」をすることができなくなった.
それで,大学の方もわかっていて,勉強法の教科書を用意した.
ここでいう「勉強法」とは,学問のための,という意味だから,受験勉強を乗り越えたものにあたえられるものだという認識がある.
スタートラインが大学に入ってから,というのが現代で,江戸期のほうは,だいたい5才や7才からだった.
そのかわり,寿命は倍以上になったから,やっとなんとかなっていた.
これからの時代は,戦後の一直線的な教育制度ではなく,選択が可能な明治期に用意された複線的教育制度と人間教育のハイブリッドが求められる.
政府のいう中高一貫校とは,直線的方法のさらなる推進だから,まるで方向がちがう.
そういう意味で,個々人と個々の教科ごとにあった勉強のやりかたを教えることが,最初に教師に求められるスキルなのである.
そうすれば,仰げば尊しを生徒も教師も,快く歌えることになるだろう.