世の中には,「不思議」がたくさんある.
なかでも,役所主導の人為的な「キャンペーン」ほど「不思議」で「不気味」なものはない.
「都市鉱山からつくる!みんなのメダルプロジェクト」というのをご存じだろうか?
ご丁寧に,英語とフランス語のページもあるが,中国語(北京語や広東語),韓国語も,スペイン語も,ロシア語もない.どうして英語とフランス語なのだろう?
それで,「東京2020参画プログラム」というものにリンクされていて,上記キャンペーンはこのプログラムの一環であるということがわかる.
しかし,このページには,「Collections are within Japan only. See the Japanese language page for details.」とあって,詳しくは日本語のページを見よ,となっている.
不親切さもここまでくると,芸術的である.
このプログラムにすでに日本の良民200万人が登録し,「参画」しているというのが「ホーム画面」にいけばわかる.
しかし,なぜか,わたしには「ベルリンオリンピック」や「ナチス党大会」を彷彿とさせる不気味さがある.
必要なメダルは,5,000個とある.
これを,「都市鉱山」という不要な携帯端末から採取するらしい.それで,NTTドコモが主催者に名前をつらねているが,あとの携帯キャリアや製造メーカーの名前はない.
好意的に,なぜか?をかんがえてしまう.
電子部品につかわれる貴金属が,「都市鉱山」として回収され再利用されるのは,それが「貴金属」だからであって,「持続可能社会」などという寝ぼけた理由からではない.
どうして「持続可能社会」などということが「寝ぼけている」のかといえば,こちらが「価値」の上位概念になると,「経済合理性」という価値の上に君臨してしまう可能性があるからだ.
つまり,「損」をしてでも,なにがなんでも「回収」して「再利用」しなければならない,という「原理主義というイデオロギー」に陥ってしまう危険があるのだ.(すでに陥っているとしかおもえないが)
その「損」はだれが負担するのか?といえば,国民である.
ほんとうに,この国の国民はみんな,その「損」を背負ってまで,「持続可能社会」という「原理主義(=イデオロギー)」をよしとしているのだろうか?
オリンピックのメダル5,000個が,ふつうに製作されたばあいと,このキャンペーンによって作成されるばいいとで,いかほどの違い(損が)があるのか?
あるいは,「都市鉱山」を精錬するために,いかほどのエネルギー消費の違い(不効率)があるのか?
このキャンペーンを進める役所は,いっさい示しはしない.
すると,これは「オリンピック」という美名のもとに,国民の富を強制的に浪費しようという試みではないのか?
だから,「世界初」のことになる.
これまでの開催国(旧ソ連もふくめ)が,かんがえもしなかった愚策ではないのか?
もはやこの国は「ルイセンコ型の科学」が蔓延しているのではないか?という恐怖すらおぼえる.
「科学」が「政治」に支配されると,おぞましい結果になる.
それを,善意の市民を動員して実行しようというのは,悪魔のくわだてにひとしい.
「持続可能社会主義」は,設計主義の形態そのものだから,これすなわち,あたらしい共産主義である.
さいきん,元スポーツ選手だったひとびとから,「オリンピック廃止論」がいわれはじめている.
選手への過大な期待と,そのための過酷な練習の強要.
女子レスリングメダリストにかかわる,パワハラ問題とて,この譜系のなかにあるのではないか?
これにくわえて,際限のない商業主義.選手は生産しないから,とてつもないカネがかかる.
このキャンペーンを推進する女性知事は,なぜかこのての話には積極的である.
都民は,どうして平静でいられるのか?
偉大なる無関心,なのだろうかと思いたいが,200万人も登録しているから,やっぱり不気味である.
こういう「良民」が,戦前・戦中は暗黒だった,ときめつけるにちがいない.
じぶんたちがいま,何に協力しているのか?
もう,かんがえる力もないのだろう.
どうしてこうなるのか?
じつは,深いところでだれも過去の歴史を反省していないからだ.
近隣国から,歴史問題という政治カードをつきつけられ,それを消せない理由もきっとこれだ.
かれらの主張の中身はともかく,「日本人は反省していない」という一点においてだけ,真実がある.
広義の「自業自得」か.
まことに不甲斐ないはなしである.