日本酒やワインなどの醸造酒を飲まなくなって久しい。
日本酒は美味し過ぎて、ついうっかり飲みすぎるからで、ワインはわが家の食生活とあわないので敬遠している。
それで、蒸留酒に移行した。
かんたんにいえば、焼酎である。
80年代に、「焼酎ブーム」というのがあった。
わたしが、このブームを実感していなかったのはエジプトにいたからで、3週遅れでやって来る週刊誌で、大学生を中心に、「酎ハイ」なるものが「カフェバー」なる場所で好まれていることはしっていた。
それで帰国してみたら、すでにブームは去ってはいたが、すっかり定着していたともいえた。
生まれて初めて焼酎を口にしたのは、社会人になってからで、それまでは専らウイスキーだった。
ただし、エジプトでは高級なブランデーばかりを飲んでいて、おそらく一生分を腹に収めたのだろう。
いまは、断然ブランデーとは縁遠くなっている。
初めての焼酎は、『下町のナポレオン』を自称した「いいちこ」だった。
なんでこんな名前をつけたのか?といぶかったが、驚くほどうまかったのが、ファースト・インプレッションである。
もちろん、ブランデーと比べたのではないが、焼酎=臭い、がなかったのだ。
当時は、「コスパ」なる言葉がなくて、「安くて美味い」といっていた。
そうやって、いつの間にか、ボトルキープの対象がウイスキーから焼酎になったのである。
ただし、「乙類に限る」。
日本での酒類は、完全に「酒税法」に支配されているために、焼酎の「甲類」「乙類」も、酒税法によっている。
順番が、酒の品質ではなくて、課税方法が優先される本末転倒が当たり前の、倒錯した世界で酒をたしなんでいるわけである。
そんなわけで、国産ウイスキーが足りない、という異変があっても、「税」はドカンと腰を降ろして動じない。
おかげで、「本場」のスコッチウイスキーが、妙に安くなっている。
円安なのに、だ。
わたしは、ハイランド系の「ピリッと辛い」ウイスキーよりも、ローランド系の「まったり甘い」ウイスキーが好みである。
とはいえ、嗜好品なので、たまにはガツンとくるハイランド系もやりたくなる。
こうした点では、国産ウイスキーは、みなおとなしい味付けになっている。
野蛮に進化した白人の体格と、繊細に進化した日本人の体格はぜんぜんちがうので、彼らの「生で煽る」飲み方に日本人はついていけず、さらに、安心の軟水が豊富ある自然環境の妙から、日本人は、「水割り」や「ハイボール」を好む。
40度のウイスキーを、水で薄めて、概ね日本酒とおなじアルコール度数にすると、なんだかうまく感じるのは、民族としてのアルコール許容度数が決まっているからだという。
高級なウイスキーを水で薄めてしまうのはもったいないのに、「薄めにね」なんていう紳士がいると、興ざめしてしまうのである。
でも、高級でないウイスキーは、なかなか生で煽る飲み方はできない。
まるでエタノールを煽っている気がするのである。
このところの国産ウイスキーの品薄は、アジアへの輸出が絶好調だかららしい。
別のいい方をすれば、日本人は買い負けているのである。
しかして、ガソリン税と同様に、酒税を課税した価格に消費税がかかる、二重課税問題が残るのである。
外国で日本国産ウイスキーはいくらなのだろうか?