「環境省」という存在意義が不明な役所が,暇にこうじて仕事をつくりだした.
もちろん,おおくの役所に存在意義など,はなからないのがふつうだから,環境省にかぎったことではない.
占領期にアメリカがいじくったことと,放置したことがある.
占領政策の基本方針は,わが国が二度とアメリカ合衆国に歯向かうことがないようにする,ことだったから,いじくったことと放置したことが,意味においてはおなじことになっているはずだ.
たとえば,日本国の国家予算は,明治以来ずっと「大蔵省」が原案をつくることになっていて,これは敗戦しても放置されたのでいまでも財務省のしごとになっている.
これを日本人はうたがわないが,はたしてどうだろう?
アメリカ合衆国の連邦予算は,連邦議会の予算局が原案をつくって,議会が可決すれば,それを行政庁として実行するのがアメリカの財務省なのだ.
だから,上下両院に予算局がある.
不思議なことに,わが国の国会にも衆参両院に予算局があるのだが,なにをしているのか不明な部署になってしまっているのは,行政と立法が逆の立場になっているからだ.
この状態を,占領軍は放置したのだ.
おそるべき,日本国弱体化戦略ではないか?
アメリカ人は,日本をアメリカのような議会制民主主義の国に改造する振りをして,じつは官僚制社会主義を温存させた.
官僚はかならず間違える,という法則を熟知していたからにちがいない.
それは,ジャクソン・ルールとしてもしられる.
民主党初の第七代大統領アンドリュー・ジャクソンは,20ドル札の肖像にもなっているが,猟官制を採り入れた.
「役人はだれにでもできる」というかんがえが基礎にある.
一方で,日本国を支配する日本の官僚に命令すれば,アメリカのいうとおりになる.
政治家は,官僚制度のうえに浮かぶゴミとすればよいのだ.
それが,日米合同委員会という官僚だけしか出席しない会議である.
ここで決まったことは,「対日要求」として,在日アメリカ大使館のHPに掲載されるという「透明さ」がある.
ここに掲載されて「公表」されている「対日要求」は,時間をかけてもかならず実行されるから,わたしたちの将来が書いてある.
それは、あやしい霊能者の「予言」ではなく,まさに神のことばとしての「預言」なのだ.
しかし,地球環境という占領時代になかった概念では,日本の弱体化をどうすれば良いのか?
そこで考えだされたのが,二酸化炭素排出量の取り引きだった.
わが国は,先進国で唯一,これを「まじめ」に実行して,二兆円ものお金をロシアに払って排出権を購入した.
このお金がロシアでどうなったのか?
強権的なプーチン政権の闇に消えたから,もしや最近のウクライナ軍艦拿捕とも関係があるかもしれない.
すると,じつに不道徳なはなしになるのだ.
ほんとうに人類が二十世紀の文明で排出した二酸化炭素量が,地球という惑星の環境を破壊して,人類自滅の所業となっているのか?について,最近の国連パネルでも,「不明」という状況になっている.
むしろ,人類が存在どころか,哺乳類がやっと生存していたはるか昔の地球の二酸化炭素量はいまの何倍もあって,これが植物を大繁殖させ,石油や石炭の材料になったことがわかっている.
つまり,どこかで科学のなかの化学がゆがんでいるのだ.
それは,政治に媚びると研究費がもらえる,という研究予算の国家依存がつくりだすエセ科学のためのシステムになっている.
わが国のばあいは,国家予算を握る官僚に媚びれば,予算がつくのだ.
こうして,レジ袋の材料がなんなのか?を高校化学でもおしえないから,化学工場から排出される液体状のゴミだとは誰もしらなかった.
そこで,研究者としての人生の終わりをむかえたから,貪欲に研究費を要求しなくてよい身分になった,科学者が「王様は裸だ!」と発言したのだ.
これが,武田邦彦教授である.
教授の解説はネット上にあまたあるから,各自検索して頂きたい.
重要なのは,「科学」や「化学」が,政治にねじ曲げられると,とてつもない厄災を一般人が被ることになることだ.
それは,このブログで何度か書いた,旧ソ連科学アカデミーの議長にまでなったルイセンコの例がおしえてくれる.
彼は,遺伝学者とされたが,「社会主義の農場で収穫される小麦と,資本主義の農場で収穫される小麦では,社会主義の農場のほうがよく育つ」と「実験で証明した」ことで,スターリンとフルシチョフの政権に貢献した.
だから,ソ連で小麦が不作なのは,農民が社会主義よりも資本主義の思想をもっているからだと断罪されて,数百万人がシベリア送りになってしまった.
レジ袋は材料がゴミ同然だから,すぐれて環境によい発明だった.
ちょっとした傷でも破れてしまうのは,材料の劣悪さの証明である.
そのゴミを,一回だけの買い物袋にして,そのままゴミ袋になった.
つまり,ゴミが利用されてゴミになるのだ.
これぞ,エコ,ではないか?
それを,環境省にいる役人たちが,環境にわるいと言って排除するなら,材料だったゴミをどこかで処分しなければならない.そして,レジ袋をつくっていた機械もゴミになる.
こうして,二度手間三度手間かけて,なおかつ国民負担を増やそうとするのは,なんとか日本人を弱体化させたいとするひとたちの手先ではないかとうたがう.
日本人は,化学を勉強しなければならない.