大型台風の前日に、国会質問を出した、出していない、という言い訳合戦になったのは、SNSで中央官庁の「国会班」のだれかが「遅い」とか「帰れない」とつぶやいたことではじまった。
「国会班」とは、全省庁にあって、衆参両院からの「質問」に対して、「政府答弁」を書き上げる部隊のことをいう。
国会会期中は自動的に役所に詰めることが「必要」になるので、24時間体制の過酷な職場である。
企業でいえば国会は、株主総会のようなものだけど、むかしは数十分でおわった株主総会も、いまなら数時間から半日、ながくても一日でおわる。
ところが、国会はだんぜん長いので、総務部の「想定問答づくり」のたいへんさの数百倍のたいへんさが国会班にやってくるのである。
どうしてこういうことになっているのか?といえば、「行政府」に実権がある国だからである。
大正デモクラシー以来、わが国政党政治の「欠陥」は、政党内にシンクタンクが「ない」ために、行政府の官僚が、「政策の企画立案」をしているので、政権与党にいても官僚頼みになるしかない。
かつての「みんなの党」が、珍しかったのは、政党が外部シンクタンクに政策立案を依頼したことにある。
オーナー党首だった渡辺喜美議員みずからが、このことを自慢している。
つまり、既存政党は、外部シンクタンクにさえ政策立案を依頼しない、ということである。
もちろん、政権与党は上述のように、それを官僚組織に依存しているから、全国津々浦々、すべての「自治体」も役人が企画立案をしているのは、政党の中央にないものが地方組織にあるわけがないからである。
高級官僚になることの「魅力」は、この「政策の企画・立案」が任されるからである。
その資格を得るには、いちばんむずかしい公務員試験に合格することで、そのために、いちばんむずかしい官立の大学の法学部に入学することであった。
つまり、受験戦争の元凶のひとつに、高級官僚になる、ための方法として「てっぱん」が存在する。
子どものころから、勉強一筋がんばって、ひとたび高級官僚に採用されれば、ろくな仕事をしなくても、入省後のお気軽な人生が約束されたも同然だからだ。
しかし、そんなひとばかりでなく、ちゃんとした「こころざし」ある若者だっている。
けれども、その純粋な「こころざし」とは、天下国家はじぶんが動かすということだ。
民主主義が定着しているならば、「議員」をめざすのが「筋」というものだが、「議員」はお飾りにすぎないと、若い時期に確信するのが優秀さの証明だから、学校を出てもだれも「議員」を目指さない。
そのかわり、中央の役人として課長ぐらいの肩書きで、次官、局長ににらみをきかす「議員」になるのだ。
これは、一種の「下剋上」である。
しかし、次官、局長の「老獪」さは、かつての部下を「先生」と呼びながら、自省の省益に役立つように「仕込む」のである。
それは、出身省庁からの「情報統制」で可能になる。
どんなにこころざしがあっても、数年もすれば出身省庁の実態からかけ離れるので、むかしの「つて」をたどって情報をいち早く得て、党内議論でのイニシアチブをとりたい。
さすれば、一目置かれ、党内序列があがる。
これこそが、こころざしを達成するための近道だと思い込まされるから、情報統制されるとじぶんの価値がなくなるほどに思えるのは人間の心理である。
こうして、下剋上のはずが、省庁の手先になる仕組みがある。
徳川幕府を倒した明治政府とは、あたらしい幕府だった。
「幕閣」とは、三権を握るひとたちのことで、将軍だって大奥にこもっても、政治がちゃんと動いたのは「歴史」がおしえてくれる。
これができたのは、「鎖国」をしていたから、幕府は国内だけみていればよかったが、「黒船」で外国との交渉を余儀なくされたら、たちまち体制が揺らいだのは、「トップ」はだれだ、「トップ」に会わせろと外国側から「強要」されて、はたと気づいたのである。
「将軍」と「天皇」のどちらが「トップ」なのか?と。
そんなわけで、明治政府とは、外国人にトップは「天皇」だということを基準に、政府自体は「幕府」とおなじ、幕閣ならぬ「維新の功労者」という「仲間うちだけ」で三権を握ったのである。
この体制を崩さないように、慎重に書き上げたのが「明治憲法」である。
この「憲法」のコンセプトは、さらにあたらしい幕府をつくらせない、という決心に基づくので、天皇以外の中心がなく、ぜんぶバラバラの体制なら「安全」とした。
総理大臣にだって、閣僚任命権も罷免権もない、あんまりバラバラで「決まらない」から、戦争遂行にじぶんでたくさん役職兼務した東條は、戦後に「独裁者」だと批難されるが、東條の本音は独裁者なんて「不可能」な設計が明治憲法にされていたといいたかっただろう。
日本国憲法は、明治憲法とは別物になったが、無条件降伏した「日本軍」とはちがって、条件降伏した「日本政府」の官僚機構は「無傷」だったから、そのまま三権支配を維持していまにいたるのである。
昨日、香港人権民主主義法がアメリカで成立し、フランス、イタリアやイギリス、ドイツにカナダ、オーストラリアでも同様の法律ができそうなのに、わが国で「議論すら」されないのは、「人権民主主義法」を管轄する「役所がない」から、企画も立案もされないのである。政治はとっくに死んでいる。
そんなわけで、あたらしい鎖国をしているわが国だから、政府官僚という幕閣の完璧支配が、野党の言い分まで奪うから、国会質問といってもなにを質問すべきかがわからないので、さまざまな「イチャモン」の波状攻撃しかできない。その「イチャモン」への「答弁書」を夜を徹して書かねばならないバカバカしさが永久に続くのがこの「体制」なのだ。
これに「嫌気」がさした、優秀な官僚が辞めている。
優秀な人材が、役所からいなくなることを「危機的」というひとがいるけれど、民間にやってくるのはいいことだ。
それに、民間活動のじゃましかしない「政府」が弱体化するのは、ぜんぜんわるいことではない。
官僚を民間へ「追い込み猟」をする野党は、「この一点」だけだが、国民のためになっている。
めでたしめでたし。