してやられていないか?

過去の歴史は、「歴史的転換点」を「生きているひとたち」が、それに「気づかない」ものだ、ということをおしえてくれる。
毎日の生活が重要で、じぶんや家族の毎日の習慣がかわらなければ、世の中の大変化にその同時期に気づくのは「稀」だということだ。

だから、歴史上の大事件を、そのときに生きていたひとのおおくは、しっていても、当事者でなければ、じぶんには関係ないとおもうのがふつうで、ジワジワと変化はあとからやってくる。

石油ショックのとき、トイレットペーパーが奪い合いになる光景のニュースを、わが家では一家そろって茶の間で「笑って」観ていたが、それからほんとうに商店からなくなってビックリした。
家に在庫はあったが、母から買いにいけと命じられ「売り切れ」だったから覚えている。ただし、在庫分でしのげたのでじっさいはこまらなかった。

はるかにとおい中東での戦争が、こんなことになるものか?
銀座のネオンが節電で消えたのも、ふだんから点けておく必要があまりないから関係ないとおもったのは、子どもだったからである。

リーマン・ショックで、勤めていた世界最大規模の銀行が、日本から撤退し、失業したのは、じぶんのことになった。
なるほど、じぶんは世界とつながっているのだと実感できたのは、ふつうの日本人よりきっと「稀」なことだったかもしれない。

22日の24時、つまり23日の午前0時に失効する「GSOMIA」が、失効直前6時間前の22日18時に、韓国政府が「延期」を発表した。

あいかわらず、わが国との「交渉」で、「ホワイト国に復帰」をするのが「条件」という支離滅裂を主張しているから、さっそく経産省が、それとこれは別、という不変の立場をくり返した。

先週と今週にかけてのアメリカ政府による強烈な「圧力」が、今回の「延長」になったのだと、したり顔で解説する向きがある。
それに、なんだが韓国政府が「折れた」とか、日本に「屈服」したとかという、日本側が「ホルホル」している風景があるけれど、そんなに相手は「愚か」なのだろうか?

もちろん、自由と民主主義を「固持する」という立場を優先すれば「愚か」という判断になるが、民主主義の彼の国で、自由と民主主義を「やめる」という立場を主張して選挙で圧勝した政権になったのだから、「そちら側」からかんがえれば、愚かどころか「合理的」かつ「最善」「最速」の手を打っているのだとかんがえないといけないではないか。

報道にもあるように、現大統領は選挙における「公約」として、「GSOMIA見直し」を主張していたのだから、わが国政治家の「公約破りが常識」からしたら、どちらが正々堂々としているものか。

国家の基盤をなす、自由と民主主義という価値観そのものを「やめる」という、選挙で国民が支持した「大戦略」の実現のためにあらゆる手段を用いることは、それで選挙に勝利したものたちとして、「正義」になるのは当然である。

いわゆる、わが国との関係改悪=関係破壊は、レッドチーム入りを目指すためには「合理的」だし、それができればアメリカとの関係改悪も次ステップとして計画されてしかるべきだろう。
かれらのゲーム盤上では、さらに次のステップがあるはずだ。

このように観れば、彼の国政権の実行力は、わが国歴代最長となった現政権など比較にならないほどの成果をあげている。
このことこそ、注目にあたいする。

そこで、驚きの情報が、例によって「外国の報道」からもたらされた。
先週の17日、日曜日、バンコクで開催されたASEAN拡大国防相会議で、なんと「中韓防衛協定」が締結されていた。

わが国マスコミによるこの会議の報道は、日韓防衛相会談「だけ」だった。
英国デイリー・テレグラフ紙の「ジュリアン・ライオール記者」による署名入り記事である。

この記者は、日本・韓国担当の同紙特派員で、横浜在住。
話題の香港、サウス・チャイナ・モーニング・ポスト紙にもフリーランスで寄稿している。

つまり、事実上、レッドチームのほうにもう片足を入れていた。
はたして、この「協定」における「防衛情報」の取扱についての詳細は不明だが、もしかしたら日米ともに「筒抜け」となる事態ではないか?

わが国から輸入したフッ化水素などの戦略物資がどこに消えたのか?にいっさいこたえず、むしろ、二重スパイを国でやるというほどの「覚悟」は本物だ。
してやられている。

いよいよ在韓米軍の撤収=日本への移動・撤退が現実になって、とうとう、日清・日露戦争で流した日本人の血がむなしくなる事態が現実化しそうだということである。

このときの「肉弾戦」などの詳細は、もうとっくに学校でおしえないから、『反日種族主義』で狼狽する韓国人とおなじで、日本人だってちゃんと「歴史を忘れた民族」になっている。

わが家の家系では、日清日露戦役による戦死者が三人もいて、田舎にいけば軍服の遺影が仏壇の上にかけてあった。
どちらさまも三代か四代をたどれば、直系でない枝葉にこそ名誉の戦死者がいるはずだが、戦争といえば「先の戦争」しか思いだせないから、ご先祖様の兄弟が草葉の陰で泣いている。

明治維新の元勲たちがこぞっておそれた「緩衝地帯」をうしなって、対馬海峡で中韓朝露と対峙しなければならないという、「はじめて」が起きそうだ。

これらの国々は、いまや世界的にも珍奇なる「中世」で時間がとまった国家群である。為政者が「近代」の価値観をもっていないからだ。
にもかかわらず「兵装・軍備」には「核」がある。

商人国家は、安全保障なくして発展はしない。

経団連にも一般国民にも、かつて経験したことがない、とんでもない「国家存亡の危機」の時代がもうそこにやってきている。

むかしのアメリカなら、とっくに政権を転覆させる工作をしているだろうが、そんな力もうせてしまった。
ならば、こちら側になんとか引き留めるにはどうするか?よりも、向こう側に追い込む軍事費負担を請求したのは「わざと」だろう。

おなじような「増額要求」がわが国にもきているけれど、自国防衛を他国にまかせるお金のことを「思いやり予算」というのは、名作『七人の侍』を雇った「農民たち」の発想だ。
名優、左卜全や藤原釜足の、日本人を代表する「貧相」こそがおもいだされるが、あれは「国内」が舞台だ。

「中世」の世界は、勝者が敗者を「奴隷にする」のは常識である。
日本国憲法に「奴隷はいけない」と書いてあるから日本人は奴隷にならない、という保障がなくなるかもしれない。

わが国側の「覚悟」はいかに?が突きつけられている。

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