選ぶ側のお粗末

「これはいい」と思って1000円で買ってみたら、ガッカリした、という買い物なら、自分の見立ての悪さを反省するしかない。
いわゆる、「途上国」だと、どんな買い物でも「値段交渉」はつきものだ。
例えば、半世紀も前(昭和45年頃)の日本だって、商店街の買い物なら一言いえば「おまけ」は当たり前だった。

いまだと、これを、「人情味あふれる」とかいってテレビの旅番組は持ち上げるけど、おまけをする店には店の営業戦略があったのだ。
それに、八百屋や魚屋には、売上とお釣りを一緒くたに入れる「ザル」がゴム紐でぶら下がっていて、全部がここに放り込まれた。

こんな売上げ管理は「ザル」だといって、レジスターを使わないと青色申告で意地悪をしたから、店に余裕がなくなって「おまけ」もなくなった。「消費税」の影響はこんなところにもある。
世知辛いのは、世間の店ではなくて「税務署の役人」なのだ。
こんなことをいう評論家もいなくなったから、テレビを観ることがムダになった。

海外旅行が困難になったから、体験できないけれど、発展途上国での買い物なら、「値段交渉」はいまでも当然だ。
店主が言う値段は、交渉次第で半分にも3分の1にもなる。
ただし、物によっては半日はかかるから、その場で決着したいなら一緒に「時間を買う」ことになる。

あるものが、1000円(単位はどうでもいいが)といわれてその値で買ったら、傷があるからと交換を要求しても、なかなか応じてくれないばかりか、返品ともなればもはや不可能に近い。
店主の言い分は、「あなたが納得して買った物だ」と一点張りの正論だ。

物々交換からようやく貨幣経済になったような地域では、「見立て段階」と「取引後」とは、次元が違うのである。
傷があればそれをもって値引きを要求すればよい。あるいは買わなければよい。
傷を発見できなくて買ったのなら、それはもう買った側の自己責任になるのである。

これを、現地人は当然として、たいがいの日本人は「怒り心頭」となる。

この意味で、お江戸日本橋の越後屋(開業は1673年)がはじめた、「現金掛け値なし」という「安売り」かつ「定価」の商売法は、あまりにも画期的だった。
そのために、同業者からかなり疎まれたという。

信用ある金持ちでなくとも、「つけ」で買うのが当たり前で、「値引き交渉」も当たり前だったのだから、「現金」でかつ「値引きなし=定価売り」というのは、当時のひとには想像を絶する販売法だった。

お店の様子がくわしい浮世絵を見れば、商品をいろいろ物色しながら、「お茶」を飲んでいるのは、現代のエジプトだって同じ光景がある。
なにせ、半日がかりなのだ。

昔の日本人は今よりずっと義理堅いから、「つけ」にしても支払ってくれたろうけど、やっぱり「掛け売り」の入金管理は大変だったろうし、「貸し倒れ」だってあったにちがいない。
だからこれをやめて、「現金主義」にしたのは、事務手数料分が浮く。

この浮いた分を定価に反映させれば、値引きせずともどこよりも安いのは理屈だ。
そうなると、買う側も半日を要しない。
あいた時間に他店に行けば、簡単に比較できるから、お客の反応が正直なほど、それは他店から疎まれただろう。

そんなわけで、450年も前に日本人は「見立ての責任」から解放されてしまったのだ。

物事には必ず、メリットとデメリットが「表裏一体」をなしている。
これが、「政治家選び」になったときの「見立て」でいつも失敗する原因ではないのか?

オリンピックの「無観客」以来、常習化した「緊急事態宣言」も加わって、東京都知事に対する批判が、「批難」になってきた。
これには、秋の政局が絡んでいて、初の女性総理を目指す知事に対しての反対勢力からのジャブだという見方もある。

しかし、彼女がどんな人物かの「見立て」は、1期目の「全ての公約未履行」という事実だけで誰にだって明確だった。
にもかかわらず、2期目の当選をさせたのは「都民」なのだから、神奈川県民のわたしには、「都民は阿呆か?」と思うばかりなのである。

ならば、昨22日の横浜市長選挙はどうかといえば、都民を嗤えないことになっている。
当選者発表の前に、記載しておきたいのは「投票率」だ。
前回を(3割以上)11.84ポイントも上回るとはいえ、半分以下49.05%なのだ。つまり、前回はたったの37.21%だったということだ。

そろそろ、わが国もオーストラリアに倣って、「投票義務化=理由なき場合の罰則化」を検討すべきではないか?とも思うけど、投票率が半数に満たなければ、「再選挙」にしてもいい。

有権者数は、310万人なので投票したひとは、「×49.05%」=152万人になる。
当選した山中氏の得票は、506,392票だったから、投票に対しては3分の1を獲得したとはいえ、有権者全体では17%程度になってしまうのだ。

よって、この「低さ」をどう考えるのか?という問題が、有権者の側にあるのである。
大衆に媚びるマスコミは、これを指摘しない。

さて、菅政権を揺るがす、おこのぎ八郎前国家公安委員長の敗北は、都知事の野望にも影響すること確実で、菅氏と小池氏両者の後ろ盾である、「選挙の責任者=幹事長」にも風当たりが強くなって「流動化」がはじまっている。

二階派の重鎮で、元官房長官にして次期衆議院議長を目指す河村建夫氏の選挙区に、先日、参議院議員を辞職した元文科大臣の林芳正氏が殴り込みをかけている。自民党内の内ゲバなのだ。
おそらく、二階氏の選挙区にも参議院自民党幹事長の世耕弘成元経産大臣が立つかと、うわされている。

それでもって、横浜市長になる山中竹春氏だけれども、選挙中に出たスキャンダルが早々に本人を直撃するだろう。
主に二点。
・横浜市立大学医学部教授としての「パワハラ」問題
・横浜市立大学「医学部教授」としての、公職選挙法「経歴詐称」問題

これらの問題を提起したのは、同選挙で「野党共闘」のために立候補辞退に及んだ、元検事で弁護士の郷原信郎氏である。
パワハラ問題では「提訴」を、経歴詐称問題では、「当選への疑義」となると明言している。

なお、経歴詐称とは、「候補者のなかで唯一のコロナ専門家」とした選挙公報に対するもので、ご本人の専門は医師でも感染症でもなく、医学部における「統計学」なのであることだ。
なお、公報には「その業績で全国放送のTVに続々出演!」とある。

「TV」を強調するところが、高齢世代に「安心感」を与え、若年世代には「いかがわしさ」を与えることの、見事な「鏡」になっている。

やっぱり横浜市民にも「見立て」の訓練が必要なのであった。
それにしても、就任後何日で「辞任」という波乱となるのか?
推薦した、立憲民主党と共産党はどうするのか?
もちろん、選挙公報には、これらの公党の推薦は1文字もない

一方のおこのぎ陣営の敗北の弁、「これも民意」が、やけに寂しい。
あまりの敗北に、敵のスキャンダルをもって「場外乱闘」すらやる気がないのである。トランプ氏を見倣えといいたい。
さては、オウンゴールの待ちぼうけ狙いか?

選挙終盤、山中氏に、労組の「神奈川連合」も乗った。
都知事選で現職支持に回った都連合とおなじ、「勝ち馬に乗る」という「労組の窮状」が透けて見える。
こちらも、もはや「闘う気がない」ばかりか、「利権に乗った」のである。

2021年は、与野党共に「流動化の秋」を迎えた。
しかしてそれは、有権者の生活にブーメランで帰ってくるのだ。

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