共和党議会のちゃぶ台返し

政治の「劇場化」をよしとするのかどうかという議論はさておき、民主主義を謳うなら、国民の耳目を集めることが議論されてしかるべきではある。

この意味で、「議会」という制度と装置が、ちゃんと機能するかどうかが、民主主義の根幹をなし、それを支えるのが、「言論の自由」という無形の概念であることを再確認できるのである。

だから、古今東西、独裁者は、言論の自由を認めず、言論弾圧を行ってきた。

わが国の歴史が、『日本書紀』、『古事記』、いわゆる「記紀」にはじまるというのも、言論弾圧の一種なのである。
念のためだが、勅撰なのは『日本書紀』で、原本がない『古事記』の写本に、天武天皇の「序文」があることの解釈(捏造疑惑)が議論されている。

筆頭が『日本書紀』なので戦前はこれに準拠した「国史」が採用されていて、戦後になってこれが、『古事記』からにするようになったのも、プロパガンダのひとつといえる。

もちろん、これら公式文書の「以前の記録」が存在しないのも、「焚書」(燃やして廃棄した)をやったという説となって、朝廷は過去を消したとされている。
ときの権力者たち(蘇我氏、中臣氏:藤原氏とか)に都合が悪いからだ、と。

偽書の疑いはあるものの、真の「最古」が、『ホツマツタヱ』だということの根拠にもなっている。

現代の自由社会において、ついぞこの間までは、誰も「言論弾圧」なんて妄想だという感覚があったのだけれど、「情報化」が本当に起きて、「あることないこと」があふれ出した。
この「玉石混交」から、何を取り出すのか?という面倒が、個人の生活に影響するので、「情報リテラシー」ということが重視されることになっている。

しかし、明治以来の学校教育では、内容は別として、その「集団主義のスタイル」を変えていないので、とても「情報リテラシー」を体系的に得られるようにはしてくれない。

そのくせ、「個人の責任」をいう、無責任がはびこっている。

生まれたときからスマホがある世代は、生まれたときからラジオがあった世代とか、テレビがあった世代とかとは、「別次元」の情報化社会で一生を生きていかないといけないのである。

受身だけから、発信ができるようになったことを、別次元だといいたいのである。

なので、おそろしいほどの発信情報があふれているのは、このブログも含まれる。
情報取得にあたって、パケット料金が個人負担なのも情報取得料金となるので、これをケチるとリテラシーだけあっても材料が不足して太刀打ちできない。

「コロナ・パンデミック」とは、この意味で、あたらしい方法での世界的情報統制と同時にロックダウンという貧困化が行われ、インターネット情報を買わせない、人類史初の出来事だった。

世界同時情報統制をやったのは、世界経済を支配下に置いた、歴史上初の「グローバル大富豪」と「グローバル大企業」が、スポンサーになることで実施した。
広告宣伝だけでなく、各国の政治家のスポンサーにもなったし、高級役人の天下り先にもなったのである。

もちろん、科学者たちの研究予算も牛耳って、科学者そのものをコントロール下に置いた。
「ソ連科学アカデミー」を仕切った、ルイセンコが、スターリンやフルシチョフの独裁に資する政治的後ろ盾でやったことを、もっとスマートに、しかし、おなじことをやったのだ。

ルイセンコは、フルシチョフの失脚をもって、自らも失脚した。
しかし、今回のやり方は、そんな脆弱性を克服して、あたかも盤石にみえた。

これをひっくり返しはじめたのが、選挙、だったのである。

つまるところ、世界経済フォーラムが仕組む悪事を、彼らが奴隷だと認識している一般人たちが、「反逆」した。
その具現化が、昨年のアメリカ合衆国中間選挙での共和党トランプ派の勝利だった。

焦るグローバリズム全体主義とネオコンの民主党バイデン政権が、次々と失態を露わにして、良識的民主党員が不支持に回ったのである。

2月28日、そんな共和党が多数になった、連邦下院で、コロナ・パンデミックに関する特別小委員会の公聴会が開かれた。
発言したのは、医学系大学の世界最高峰といわれている、ジョンズホプキンズ大学の教授で、彼は、「ウソ情報を流し、国民に被害を与えた犯人がアメリカ合衆国政府だ」と明言した。

もっとも、今年発足した新議会は、すでに「政府武器化委員会」を発足させて、なんとパンデミック対策の政府筆頭省庁が、「国防総省」だったことが判明した。

誰もが思う、「保健省ではなかった」のである。

それで、この教授は、「コロナ対策を武器化した」とも発言し、その「武器」を、国防総省は、あろうことかアメリカ合衆国の市民に対して使ったことを示唆したのである。

これで、世界経済フォーラムやビル・ゲイツ氏が発信していた、「人口削減」との辻褄が合致した。

こんなエキサイティングな国会があるアメリカは、まだなんとかなりそうだ。

そのアメリカからの情報を、わが国では「遮断する」ことが、公共放送の仕事になって、自公政権を支えている。

こんな情報が個人で取得できるのに、自民党はまだ「打て」といい、統計学者なのに「コロナの専門家」と称して横浜市長になった、横浜市大学内でハラスメント疑惑があった人物は、横浜市広報でも、「打て」と宣伝しているのである。

もはや、組織犯罪に認定されてもおかしくない。
さすれば、自民党やらは、「反社団体」になる。

共産党が禁止され、解散命令が出る前に、これらが個人・法人の両方で起訴されれば、99%以上の確率で、「有罪」になるのがわが国なのだ。

しかして、誰が日本の国会でこれをやるのか?

まずは、外務省に、アメリカ議会報告でもさせればいい。
現地大使館は、「しらなかった」ではすまされない。

テレビは信用できないけれど

アメリカのテレビの話である。

日本のテレビは、はなから観ていない。
ニュースはもちろん、天気予報もいかがわしいのである。
明日はどんな服装をすべきか、といったことに、有り難がってはいけない。
自分で思考せず、他人依存をさせるための、極めて悪質な「慣らし=訓練」なのである。

たとえば、ポーランドでこんな放送をしたら、暴動になりかねないことを日本人はしっていていい。

もしテレビを観るとしたら、「演出の妙」だけに興味が向く。
これは、日本のテレビがわたしに教育した結果なのである。

さてそれで、アメリカのメディアも、ほとんどが汚染されて、プロパガンダ専門になったのは、グローバリズム全体主義とネオコンに会社ごと買収されたからで、日本がなんでもアメリカを真似るから、日本のテレビもそうなったのである。

しかし、不思議なことに、「保守系」という「独自色」を看板にしている局もある。
それが、「FOXニュース」で、なかでも人気を博しているアンカーが出ているのが、タッカー・カールソン氏のニュース番組である。

いわゆる、日本でいう「全国ネット」が、アメリカには存在しない。

それで、「CNN」に代表される、ケーブルテレビが地上波に代わっていて、視聴料を稼いでいる。
はじめは、「中立」を謳うけど、そんなものは世の中に存在しない、「幻想」だから、しっかり党派性を明らかにした契約者との合意の上で、番組が作られている。

この点だけは、正直なのである。

日本で、NHKが問題になるのは、NHK「だけ」が受信料を徴収するからで、他局もぜんぶ受信料を徴収するようにすれば、誰も観なくなってスッキリする。
そうなれば、競争するしかないので、「中立」とか「不偏不党」とかいう戯言をなぎ捨てて、むき出しの党派性を明らかにするだろう。

それでも、きっと番組内容に大きな変化は期待できないけど。

FOXニュースは、他局のほとんどが「極左民主党支持」を表明するなかで、「NEWS MAX」と並ぶ「保守系」という立ち位置になっている。
けれども、2020年の大統領選挙では、ちゃっかり裏切って「アンチ・トランプ」をやったから、大幅に契約を減らしたのは、ウソばかりのCNNと同様だった。

オーナーは、世界のメディア王と呼ばれる、キース・ルパート・マードック(Keith Rupert Murdoch)氏だ。
このひとは、「保守」を自認して自らそれを表明もしていたけれど、2007年には「世界経済フォーラム」で講演するという「快挙」を遂げて、その怪しさを世界に示した。

じつは、FOXニュースは、保守を装った「トロイの木馬」ではないのか?

現職の大統領だったトランプ氏が首謀した、といわれてきた、2021年1月6日の国会議事堂襲撃事件は、直後から、下院民主党ペロシ議長によって、2度目の弾劾決議(下院は起訴、上院=弾劾裁判所は否決)がなされたが、しつこくバイデン政権発足後も、「1月6日委員会」を下院に設置して、選挙で敗れた昨年末で委員会も解散となった。

この間、数千ページに及ぶ「報告書」を委員会は作成したが、トランプ氏が首謀したという証拠は、どこにもなかった。

委員会の委員も、共和党が推薦した議員を議長権限で拒否したのは、アメリカ憲政史上初の「暴挙」といわれているが、RINOの議員を2名だけ入れて、後の多数は民主党の議員で構成するという、日本だったらとてもできないことをペロシは実行した。

今年1月3日に招集された、新議会では、議長選びのゴタゴタがあった。

アメリカ合衆国で、大統領、副大統領(上院議長兼務)に続く、第三位の地位にあたる、連邦下院議長の座を求めてやまない、ケビン・マッカーシー氏に、いまや多数となった共和党トランプ派が数々の条件を呑ませるための、儀式であったのだ。

その条件に、ペロシが隠し、抹消を図った数万時間分の監視カメラ映像を「公開する」が含まれていて、マッカーシー氏は、約束通り、この映像ぜんぶを、FOXニュースのタッカー・カールソン氏に託したのであった。

その第一弾が、今週月曜の夜のゴールデンタイムに放送されて、上を下への大騒ぎになっている。

アメリカ上院多数派リーダー(民主党)の、チャック・シューマー議員は、思わずカメラの前で「マードックは間違えた」と発言してしまったのも、ニュースになった。

暗に、マードック氏は、グローバリズム全体主義とネオコン民主党の「仲間」だ、という意味になるからだ。

この点で、誰もがRINOだと認定している、上院小数派共和党リーダーの、ミッチ・マコーネル氏は、この映像は議会警備局が出した公式見解と異なるから「邪道」だと、そのグローバリズム全体主義とネオコンの代弁者の役割をきっちり果たしているから、これはこれで「ご立派」なのだ。

ただし、マコーネル氏は、地元ケンタッキー州の共和党から、議員辞任要求を突きつけられている。

RINOだからと不安視された、マッカーシー氏がとった、FOXニュースへの映像委託とは、チャック・シューマーともすりあわせをしたのか?と疑う、「妙手」だったのに、タッカー・カールソンだけが男をあげる結果になっている。

さてそれで、オーナーは動くのか?第二弾以降の映像公開はどうなるのか?は、乞うご期待の「連続ドラマ」になったのである。、

トイレットペーパーは通貨になるか?

ふつうに「おカネ」と呼んでいるものは、いまではもっぱら、紙と金属でできている。
紙だから「紙幣」だし、金属だから「硬貨」ともいう。

大むかし、たとえば、『原始人ギャートルズ』だと、巨大な平たい石に穴をあけたものを、通貨としている絵があった。
どうやって彫ったとか、どうやって持ち運ぶのかは深く追求しないのが、マンガのマンガたるゆえんだ。

それで、貝殻を使うこともあったろうけど、海の人には珍しくないけど、山の人には珍しかろう。
なんだか、海幸彦(兄)と山幸彦(弟)の話に近づく。

さいきんでは、旧約聖書の「ヤコブの嫁取り」や、「カインとアベル」の話との関連で、日本の皇室の祖は古代イスラエルのなかのエフライム族?といった説に説得力がでてきている。

ややこしいのは、日本は島国だから、日本人はみな「魚食い」なのだということのウソである。

冷凍ばかりか冷蔵もなかったちょっと前まで、山間部のひとたちはめったに魚を食べることはできなかったし、いまの漁港をみればわかるように、少しでも内陸ならば、もう海に出て漁もできない。

日本の沿岸部は、早くから「漁の権利」が確定していたからである。

なので、交通が徒歩圏で成立していた時代に、行商の魚屋すら来ない地域の方が多かったのである。
それでもって、ウサギや鳥を食べて、動物性タンパク質を摂っていた。
ただし、そんな高価で貴重なものを食べずとも病気にならなかったのは、玄米と豆にタンパク質があるからだった。

ついでに書けば、酒粕にはタンパク質が豊富にあって、しかもこのタンパク質は消化吸収されにくい、水溶性食物繊維と似た働きをする。
なので、昔のひとが酒粕を食べていたのは、ただ貧乏だったからだけが理由ではない。

奈良県橿原市今井の歴史的建造物保存地区にある豪商の家には、「千両箱」があって、これを持ち上げる体験ができた。
頑丈にできた木箱の空き箱でさえ、4㎏はゆうにある。

これに、「金の板」が1000枚も入ったら、20㎏にはなるから、人間がとても片手で抱えられるものではない。

また、江戸も初期のころは、小判も大ぶりでぶ厚かった。
当然に、金の含有率も高かったので、ぜんぶで20㎏では済まないかもしれない。

徳川家康が、佐渡やらどこやら、鉱山開発に熱心だったのは、産出する鉱物に価値があったからで、なかでも金鉱山は別格だった。
出てきた金を貨幣にすれば、通貨発行の利益(額面と原価の差)は幕府のものとなる。

それで、財政難になる後世、金の含有率をどんどん下げたらインフレになった。
商人たちは、ちゃんと含有量を計ってその価値を把握していた。
そうでなければ、大損してお店(たな)は潰れるからである。

上述の、今井町の豪商の経営が傾いたのは、「大名貸の踏み倒し」だと説明してくれたけど、踏み倒した大名の方が潰れたのが歴史である。
どんな商人も、踏み倒した大名家には二度と貸し出さない。

最大の無形資産、「信用」を失ったからである。

この街の商売がダメになったのは、明治政府によるほとんど「掠奪」があったからだ。
この事実を説明しないのは、現代の政府もその延長にあっておなじなので、忖度しているのかと疑うのである。

そんなわけで、通貨とは、そのときのひとたちが「これは通貨だ」と認知したら、とたんに「通貨になる」という性格をもっている。

70年代の終わりから80年代の初め頃、いまの東ヨーロッパがソ連圏であった最後の時代、タバコの「ケント(KENT)」がこれら地域の共通通貨になったことがあった。

当時エジプトにいたわたしからすれば、まことに不思議な現象だったが、エジプトから当概地への旅行には、スーツケースにケントを詰めて持ち込むのが流行ったので覚えている。
「マールボロ」でも「セブンスター」でもない、なぜか「ケント」に限った現象だったのである。

ちなみに、日本の「セブンスター」(「マイルドセブン」ではない)は、カイロの街角にあるキオスクで、ふつうに売っていた。

「ケント」でも、もっとも価値があったのは、ワンカートンそのまま封が切られていないもので、かなりの価値で東ヨーロッパでは通用したという。

政府に信用がおけなくなって、物資が不足すると、このような現象が発生する。
この意味で、東欧圏のひとたちの、自由経済や貨幣についての認識は、我々よりもずっと敏感なのだ。

だから、今後、トイレットペーパーが一巻きとか、切り取って何センチとかで通貨になる可能性がある。
サバの缶詰が適当かとおもっていたら、もう品不足で手に入らない側にいってしまった。
ならば、ツナ缶も候補か?

いや、なんでもいいといいながら、なにかのきっかけで特定物が通貨になるので、それがなにかはまだわからない。
しかし、いまの日本政府の壊れ方は過去にないスピードなので、いつどうなるのかをかんがえておくべきだろう。

石油ショックという危機の時代に、「経済の福田」という看板で、ようやく射止めた首相の座にありながら、イヤイヤで初の「赤字国債」を発行したのが、福田赳夫政権だった。
当時中学生だったので、社会の授業で先生が「国債の免税が有利」だといったのに、誰も買わない常識が国民にあった。

それでも、トイレットペーパーをスーパーで奪い合う光景は、いまでは滑稽にみえるかもしれないけれど、コロナのときには、ティッシュペーパーがちゃんと店から消えた。
マスクに至っては、70年代の主婦を嗤えない。

福田赳夫がつくった名言のひとつは、「狂乱物価」。

なんだか、日本の凋落と、トイレットペーパーとかティッシュペーパーが関連するのである。

つぎはこれらが、通貨になって君臨するかもしれない。

世界的「曝露」がはじまった

日本では、「曝露」を仕事にするひとが昨年夏の参議院通常選挙で当選したけど、ずっとドバイに暮らしていて、一度も帰国・登院しないことで、懲罰委員会にかけられた。

いよいよ帰国か?という時期に、野党議員が高市早苗大臣への官僚による「曝露」を国会で披露して、これがまた、真偽の怪しい話になっている。

高市早苗女史に関していえば、わたしはぜんぜん「保守」だと認定できない人物なのだが、どういうわけか保守言論人によって、彼女は保守だと認定されていて、ポスト安倍の期待の星のごとき扱いを受けている。

その安倍氏も、どこまで「保守」政治家だったのか?の、ポジションを計算尺のような図表にしたら、ほぼ「中道・左派」ぐらいにあったのではないか?と前に書いた。
さほどに、アメリカを基準にしたら、自民党は極左に位置するからである。

この意味でむしろ、今回、彼女に曝露を披露した、小西洋之参議院議員は、あんがいと「身内」を攻撃しているのではないか?と疑うほどのトンチンカンではあるまいか?
高市氏のアメリカへの政治留学先は、民主党(軍産複合体で共産主義・全体主義)だったのであるから。

しかしながら、世界はぜんぜんレベルというより次元がちがう。

フィリピンの裁判所は、ビル・ゲイツ氏に対して、流行病の感染を防止すると「偽った薬剤」の普及についての、「計画的大量殺人の罪」で、国際逮捕状を発効したことがニュースになっている。
その証拠として、フィリピン国内の「超過死亡数」データを採用した。

ビル・ゲイツ財団は、このニュースの配信を「禁止した」ということもニュースになっている。

一応、「裁判所の誤解」である旨が発表され、財団として今後この誤解を解く努力をするそうな。
とはいえ、フィリピンは、とっくに、ビル・ゲイツ氏の入国を禁止していた。

なお、この禁止措置が「有効」なのは、マスコミに大枚をはたいているからだ。

また、英国では、ボリス・ジョンソン首相時代の、閣僚間で連絡に使われたSNSメッセージの内容が曝露され、保健相と首相との間における、「ロックダウンの解除判断」が、科学的エビデンスではなくて、ポピュリズムによっていたことがバレた。

ついでに、保健相は、この状況を政治利用して、自身の権力基盤の強化を計っていたこともバレた。

まことに恐ろしきは、「デジタル・タトゥー」なのである。
一度デジタル化された情報(データ)は、本人の管理を離れて、かならず他人に保存されているからだ。

こんななか、アメリカではもっと大胆な「曝露」があった。

毎年春に開催されている、CPAC(The Conservative Political Action Conference:保守活動協議会)のスピーチ大会で、驚くべき「曝露」があったのだ。

ここ数年、CPACといえば、様々な有名政治家が登壇はするけれど、最終日の「トリ」を努めるのは、トランプ氏と相場が決まっている。
なんだか、紅白のトリがぜったいに「美空ひばり」だったのと似ている。

もちろん、トランプ氏は健在で、2時間もの演説で、3つの「敵認定」をぶちかました。
・打倒、民主党グローバリズム全体主義
・打倒、ネオコン共和党RINO(Republican In Name Only)
・打倒、中国共産党

しかし、今年は、「前座」で驚きがあったのだ。

登壇したのは、「ゲリラ・ジャーナリスト」と肩書きをつけた、ジェームズ・オキーフ氏だ。
彼は、「プロジェクトヴェリタス」という、ジャーナリスト集団を発足させて、これまで様々な「内部告発」や「隠し撮り」による暴露的スクープを連発してきた。

今年、Fからはじまる超大手製薬会社の、「メッセンジャーRNA薬」開発主任を、飲食店で機能性獲得実験による新薬開発という違法行為をしていると、「ひとり語りさせた」ビデオを撮った。
これをオキーフ氏は、とあるレストランで食事中の本人に、iPadでみせたら、興奮した本人が大暴れした立ち回り場面も撮影していて、この光景もぜんぶネットにアップした。

当然ながら、このFからはじまる会社の社内でどんなことが起きたのか、想像に難くないのは、Twitter社を買収して旧経営陣を全員解雇したイーロン・マスク氏が、どうやってこのひとたちが言論統制をしていたかの社内メールを公開したことで、その恐るべき幼稚さと国家機関との関係を曝露した「前例」があるからだ。
それで、これら元役員たちが、連邦下院に招致(宣誓証言)されて、全員が「認めた」のである。

アメリカ企業の「倫理」がしれた。

ちなみに、日本企業だと、「決裁書」とか「稟議書」があって、意思決定はこれらの書類をもって行われる慣習があるけれど、いまのアメリカ企業では、デジタル・タトゥーとしての「社内メール」だけが頼りなのである。

サーバーにある「ログ記録」が消えないから、株主へも「証拠」になるのだ。

なので、録音もしない社内通話は禁忌されて、隣や目前の同僚とのやり取りも「メール」をつかう。
よって社員の言語(表現)能力が、ビジネスにとって「絶対要素」となるのである。

このことは、理系であれおなじで、大学で学生に出される膨大なレポート提出の負荷とは、「英語教育」を趣旨としているのである。
だから、添削する教授は、ぜったい的な英語力(アメリカ人だから「国語力」)がないとつとまらない。

日本人の有名学者が、せいぜい3年ほどで教授職を辞して帰国するのは、学生レポートの添削ができるほどの語学力がないからなのだ。

日本の大学で、どうしたことか「国語」の授業がないのは、日本人の国語能力を劣化させるため、というGHQの意図がいまだに有効であるためだ。
それで、トルーマンが仕込んだ「3S」の中の、「お笑い・エンタメ」部門を活用して、日本語の劣化を促進させている。

そんなわけで、八面六臂の大活躍をしていた、オキーフ氏だが、なんと自分が設立した、プロジェクトヴェリタスを追放されてしまった。
どうやら、多額のおカネがどこかから経営役員たちに回ったらしい。

沈黙を守っていた氏が、CPACに登壇し、先の大立ち回り事件になった「取材」に、Fからはじまる社内で、これを援助していた人物を紹介・登壇となって、本人が「命がけの演説」をした。
この際の紹介発言には、本人を会社が脅迫的に問い詰めたことも曝露している。

覚悟を決めた彼女は、「薬の欺瞞」を曝露し、責任者たち(薬屋、政府、政治家、関与した大富豪たち)は罪を負うべきだと断言した。

日本ではぜったいに報道されないことが、Twitterでいま、全世界に大拡散している。

国連安保理での爆弾証言

世の中が混沌として、何が何だかわからないことがたまに飛び出す。

2月にサブスタックで発表された、ピューリッツァー賞記者、シーモア・ハーシュ氏の「ノルドストリーム爆破の犯人はバイデンのアメリカ」という記事を、「証拠」として、ロシアが国連安全保障理事会に提訴して、国連安保理が調査することになった。

そこで招聘された「証人」が、コロンビア大学教授と、元CIA幹部のふたりのアメリカ人である。

どうしてこのふたりが選ばれたのか?の経緯についてはよくわからない。
それに、このふたりをアメリカ政府が推薦したともおもえないのは、両者ともに、現政権にとっては「うまくない」ことを証言したからである。

特に、元CIA幹部のひとが語った内容は、現代史的レベルでの衝撃発言で、今後、バイデン政権はどのように反論するか?が注目される。

彼の話とは、オバマ大統領時代に、アメリカがクリミア半島に弾道ミサイルを配備する計画があったことだった。
これは、「逆キューバ危機」である。

もちろん、ケネディ時代の1962年、ソ連のフルシチョフ政権が企んだ、キューバへのミサイル配備に、アメリカが海上封鎖をもって対抗して、世界は核戦争の一触即発に震えたことを、「キューバ危機」という。

それが、攻守を換えて、アメリカが仕掛けたという。
これに、プーチン氏の過去の発言が掘り起こされて、「ロシアのクリミア併合の直接的理由」だったことが確認された。

つまるところ、「クリミア危機」は、事実だったのである。

しかしながら、オバマ氏といえば、核廃絶の推進者として2009年のノーベル平和賞まで受賞した人物だ。
広島の原爆記念日にも、現職アメリカ大統領として初参加した実績もある。
ゆえに、日本における評価は格段に高い。

だが、この分裂症的人物は、広島訪問の翌週に、米軍の大規模な核増配備にサインした。

だから、ノーベル平和賞の胡散臭さが目立つのである。
今回の国連安保理での証言が、「事実なら」、ノーベル平和賞剥奪となっても文句はいえまい。
むしろ、人類を核戦争の危機に追いやった、戦争野郎となる。

もちろん、アメリカ民主党とは、かつて共和党主流派といわれ、いまや「RINO:Republican In Name Only」と同じムジナの、軍産複合体の代弁者だから、何を今さら感もあることは否めない。
しかし、まさか、クリミアに弾道ミサイルを配備することの事実は、初耳、なのである。

プーチン氏の発言も、クリミア併合への非難記事で打ち消され、西側マスコミで伝えたものはいなかった。

そんなわけで、国連安全保障理事会の常任理事国であるロシアは、左派の誰もが否定できない「国連」というグローバルな場で、みごとな外交を展開したから、いかに左派マスコミといえども伝えないわけにはいかなくなった、ということか?

このたび、ロシアが証拠として挙げた、「ノルドストリーム爆破」が、アメリカ・バイデン政権を名指ししていることも、先月のハーシュ氏の記事をぜんぜん伝えなかった言論統制すら吹き飛ばしてしまった。

もちろん、アメリカ政府は、この証拠を全面否定しているけれど、その否定には否定するだけの証拠を挙げていないから、まったく反論になっていないばかりか、ハーシュ氏の記事の信憑性の高さをかえって証明してしまっている。

すでに、たとえうわべだけとはいえ、ヨーロッパ議会でも、ハーシュ氏の記事は衝撃をもって議論されている。
米欧同盟の具現化された組織が、NATOではあるけれど、ノルドストリームへの攻撃は、アメリカによるヨーロッパへの奇襲といっていい戦争行為だからだ。

ウクライナ支援にもともと消極的だった、フランスとドイツも、ハーシュ氏の記事は、いよいよ厭戦気分を盛り上げているだけでなく、今回の国連安全保障理事会での「証拠提出」は、アメリカそのものを孤立させはじめている。

わが国は、あくまでもアメリカ民主党のポチだけど、連邦下院がトランプ派によっているいま、外務省の官僚も、かつてない複雑な情勢に思考停止しているにちがいない。

さらに、2021年1月6日の、「議事堂襲撃事件」も、とうとう首謀者が、当時の連邦下院議長、民主党ペロシの「演出」だったことがバレだした。
下院の調査委員会は、ペロシを議会証言させる方向ですでに調整にはいっている。

クリントン夫妻、オバマ、ペロシ、それにバイデンと、これを支える超高級官僚:SESのひとたちによる、一連の悪事が、一気に「破綻」しはじめて、文字どおりの「瓦解」となってきた。

それがまた、東京地検特捜部にも波及して、どんな「逃げ口上」を作り出すものか?
岸田氏の精神状態が取り沙汰されてきたのは、偶然ではない。

それでも、なにも報じないわが国のマスコミは、これはこれで「ご立派」なのではある。

学校に行くとバカになる

文部科学省が、「令和3年度児童生徒の問題行動・不登校等生徒指導上の諸課題に関する調査」で、2021年度における小中学生の不登校数は244,940人だと公表した。
これを9学年で割ると、1学年当たり27,216人ほどになる。

これは、2022年3月31日現在の、自衛隊員の総人数とほぼ同じである。
念のため、定員:247,154人、現員:230,754人だ。

自衛隊員が少ないのか?それとも、不登校者数が多いのか?

率にすると、小学生で1%、中学生で4.1%となっている。
だから、そんなに大きな数には見えないかもしれない。
しかし、「%(パーセント)」とは、100分の1でいうから、小学生の100人にひとりが不登校だというのは、「少ない」といえるのか?

たとえば、家族のひとりが心臓や脳の手術を受けることになったとき、とっくに、一般販売されている書籍で病院の得意分野と、手術実績やらの成功率も情報提供されている。
そのなかで、「1%」の失敗率をどうみるのか?となったら、決して「低い」とはいえない。

わが国の製造業なら、製品不良率は「%単位」ではなくて、「ppm(百万分の1)」でみる。
たいがいの許容範囲は、4ppmなので、25万個に1個の不良までならセーフで、これを超えたらラインを止めるなりして、原因究明をしないと損失の山を築くことになる。

すると、およそ「義務教育」における数値であれば、相手が「物質」ではない、将来ある子供であるのだから、単位は当然ppmであるべきで、1ppmでも許容範囲としていいものか?

すると、小学生で1%というなら、これはもう、1万倍も多いとんでもない不良率だといえる。

しかし、ここで勘違いしてはならないのは、製造業でも不良品そのものが問題なのではないことに注目しないといけないのだ。
つまり、不良品が出ることの原因こそが問題視されることにこそ、注目すべきだ。

だから、不登校になった子供に問題があるとかんがえるのではなくて、なぜそういうことになったのか?が問題なのである。

ところが、文部科学省やら、教育専門家やらは、製造業からバカにされるような、おおきな勘違いなのか、あるいはわざとなのか?不登校になった子供を問題視するのである。

これでは、「物以下」の扱いを人間にしていることになる。

それで、本人の「発達障害」とかがすぐに疑われて、学校から専門医を受診するように勧められ、場合によっては、「治療」と称して、「投薬」までされる。

体罰が絶対悪になったら、陰湿でもっと深刻な「体罰」を、教育界と医療界とでやっている。
なんのため?
責任回避と、カネのためだ。

こんな理不尽に、家庭側が反発すれば、すぐさま「問題家庭」の烙印まで押され、ひょっとすると児童相談所マターとなるのである。

これが、「管理教育」のひとつの行き着く先で、残りの登校している子供には、しっかり「時間割」と「テスト」によって、成績順ができるようになっている。
なので、思春期の中学生になると、「4.1%」という数字に跳ね上がるけど、これを、「ppm」でみたら「ものすごい数値」だと再認識できるのである。

つまるところ、わが国の義務教育=特に公教育は、もはや破綻しているとみて差し支えない。

70年代、英国やアメリカの公教育も実質破綻していた。
1970年、エドワード・ヒース内閣で教育相として初入閣したのが、マーガレット・サッチャー女史(当時45歳)だった。

彼女がやった、興味深い「改革」に、学校給食で無償提供していた「牛乳」の、有償化がある。
ただで貰えることに慣れた国民は、この施策に大反発して、「ミルク泥棒」(Margaret Thatcher, Milk Snatcher)と彼女を揶揄った。

しかし、端からみたら、無料(他人のおカネである税金)で牛乳を飲んでいた方が泥棒なのだ。

いま、わが国でも「教育の無償化」が、各党の公約になりつつあって、とうとう義務教育ではない、「高校の無償化」までもがはじまろうとしている。
しかし、これは前に書いたように、『共産党宣言』に明記されている、正統な共産主義政策なのだ。

邪悪なマルクスとエンゲルスが、良心から「教育無償」をいっているのではない。
国家が子供を奴隷(物以下)に洗脳してしまうことの、悪魔の報酬が「無償」なのだ。

アメリカでは、ミルトン・フリードマンが書いた世界的ベストセラー、『選択の自由』(日本語版初版は1980年)にもあった、「教育クーポン」のアイデアが、レーガン政権で「実行」された。
そしてこれによって、どの学校に通うかを、学区から生徒の選択の自由とした。

なお、彼は、1976年にノーベル経済学賞を受賞していて、レーガノミクスの理論的指導者となった。
こうした本が、日本でもベストセラーになる時代であったけど、日本の「教育制度」は、なにも変わらないでバブルに突入した。

「国家百年の計」といえば、「教育」のことをさす。

このときに用いている「計」とは、共産主義・全体主義がいう、「計画経済」の「計」ではなくて、むしろ、ハイエクがいう、「自由にするための計画」のことだ。
つまり、国家の文部科学省が計画して、各地の教育委員会が実施するものではなく、選択の自由を確保させる制度作りということになる。

この意味で、江戸期の「寺子屋」や「塾」への回帰があっていい。

ぜんぶをいきなりこれにするのではなくて、「寺子屋」や「塾」に通うことの自由化のことである。
もちろん、現代の寺子屋も塾も、文部科学省が設定する、学習指導要領に従う必要もない。

ただし、専門学校や大学への進学を、寺子屋や塾で育った子供に受験させる資格をどうするかも用意しないといけない。
その用意が、ここでいう「計画」なのである。

しかしてその「試験」が、従来の偏差値教育の押しつけであってはならないのだけれども、そもそも、80万人を切った新生児の実数からしたら、従来通りの選抜試験制度が18年後も継続できるはずもないのである。

ならば、最大の課題は、「国家百年の計」そのものにある。

これを、既存政党がなにもかんがえていないことが、教育危機の本質なのであって、もうバカばかりの財界にも。政府にあがなうことができなくなった。

儲けてはいけない

「民業圧迫」というキーワードで,アマゾン書籍検索すると,クリーン・ヒットしない.

そこで,150万冊という蔵書を誇る,横浜市立図書館で検索したら,4冊がヒットしたものの,「民業圧迫」というタイトルの本はみつからなかった.
このタイトルは,タブーなのだろうか?

では、「官業」とはなにか?

むかし学校で習ったのは,「三公社五現業」だった.
三公社は,専売公社(たばこ,塩),国鉄,電電公社である.
五現業は,郵政(郵便,郵便貯金,郵便為替,簡易保険など),印刷(紙幣,国債,印紙,切手など),造幣(硬貨),国有林,アルコール専売である.

これらのなかで国有林以外は,とりあえず「民営化」された.

しかし,「郵政関連」あるいは「付帯」として,NHKがあったり、道路公団とか国民生活金融公庫などがあるから,構造は複雑である.

こうした、「構造」は、複雑になった、のではなくて、複雑にしたからなった、のである。

それが、萩藩の撫育資金を真似て伊藤博文が明治政府に移植した、「特別会計」であった。

これらは、『パーキンソンの法則』によって、かならず肥大化する。

よって、会計検査院をして、とっくに全体像は把握困難だとサジを投げている。

それなりの正義感で、「道路公団」に立ち向かった、当時作家の猪瀬直樹氏も、株式会社への出資という名目をつかって「ファミリー」を形成する手法に、サジを投げた。
以来、猪瀬氏はサジを投げることを得意にして、政治家(元都知事、現参議院議員 日本維新の会 参議院幹事長)になった。

えらく中途半端な、道路公団の改革は、なんだか国鉄分割民営化の憂き目を見るようでもある。

日本経済がイケイケ・どんどんだった、高度成長期、「民業圧迫」といえば、銀行と郵政(郵便貯金)の大喧嘩があったことを思い出す。

郵便貯金は、集めたカネが、「財政投融資」となって、「特別会計」の事業に回る。

民間銀行は、預金で集めたカネを「融資」として民間に貸し出して、その金利をもって商売としているから、民間企業と似たような事業を国や地方がやると、「民業圧迫」になるのである。
だから、銀行業を直接邪魔するという意味と、貸出先が民業を圧迫するという意味の二重苦があった。

当時の財界は、商売のあり方を理解している明治人が仕切っていたから、ちゃんと政府に釘をさしていたけれど、何度もいうがいまは乞食組合になっている。

しかし、ここで最も重要なことは、銀行の貸し出し機能について回る、「信用創造」を忘れてはならないことである。

この「信用創造」こそが、経済規模拡大の源泉なのである。

それは、企業に貸し出す資金の額(量)を、民間銀行だけが、「相手先の信用」を元に決めて、相手先が事業に成功すれば、その企業の預金口座だけでなく、従業員の口座にも「預金が増える」ことで、さらなる貸し出しを通じて、これがグルグル回ることをいう。

平成バブル崩壊以来30余年、わが国経済の衰退がとまらない原因のひとつは、日銀がどんなに「金融緩和」しても、この「信用創造」の機能が生まれないことにある。

金融庁が、「不動産担保」をとらない融資を認めないからだ。

つまり、不動産(土地)こそが全ての価値の源泉だという、バブルの原因とも成った「信仰」を、政府が捨てないばかりか、より強化しているのである。

ベンチャーを起業する若者が、どうして土地を担保に差し出せるのか?

これが、各種補助金に群がる状況(国民総乞食化)をつくっていて、どんな補助金事業があるかの情報を、中小企業庁が、中小企業診断士に「だけ」コッソリ教えて、中小企業診断士の「士業」が成り立つようにしている。

こうした、構造は、完全に「計画的」だと思わざるをえない。

それでもって、役所がやる「事業」は、民業圧迫してはならないのが、いつの間にか、「儲からないこと」を条件に、なんでもできるようになってきた。

つまり、わが国は、信用創造ではなくて、「信用収縮」を一生懸命やっている。
なんだかみんなでたくさん「頑張っている」のに、ぜんぜん豊かにならないことの原因なのである。

けれども、貧乏こそが共産革命への近道だから、共産革命をやりたい、自公政権はこれをやめる気配もないし、国民には補助金さえ配れば選挙に勝てるようになっている。

投票率とは、棄権率の裏返しだ。
いまや、全有権者の2割もない得票で、国会の絶対安定多数がとれるのは、国民の政治不信こそが政権維持の原動力になっているからである。

だから、政治不信を助長するトンチンカンな政治家(たとえば、神奈川県の恥シリーズ:河野、小泉、菅、甘利など)を大臣とかにして、その強圧的でトンチンカンな発言をさせればさせるほど、なんと選挙で自民党は圧倒的な議席が確保できるようになった。

「デマ太郎」が、次期総理候補の筆頭になるのは、国民目線からでなく、既得権にしがみつく議員たちがしっている上記構造を、さらに強化してくれる人物だからである。

河野太郎とは、国民を政治不信にさせて、バカバカしいと選挙に棄権させるために存在する、稀有な存在なのだ。

それだから、まともな政治家の見分け方が、アメリカでもトランプ氏がそうであるように、「自分に投票しなくていいから、選挙にだけは行きましょう」という、ほとんど選挙管理委員会の代弁をいうひとになったけど、そんな候補者すらめったに観ないのは、安定的な棄権率の高さこそが既存政党の議席確保につながるからである。

こんな構造に乗っているのが、既存野党のほぼぜんぶもおなじだから、経済政策で自公に対抗する気は毛頭なく、別件での文句たらたらでお茶を濁すしかなくなった。

まったくもって、中国化しているのである。

中国には、中国共産党以外の政党はない、というのはウソである。
けっこうな数の政党が、ちゃんと当局も認可して存在しているし、一応全人代とかに議員も出している。
しかし、ぜんぶが、与党を形成する政党なのだ。

これは、わが国の実態とおなじだ。

そんなわけで、流行語になった、「公金チューチュー」は、なるべくして出てきたともいえる。

どうやって、公金をおいしく吸い取れるか?という命題は、明治新政府から内包している「構造」そのものなのである。

江戸時代には、「お目こぼし」があったけど、明治以降はヨーロッパ人の堕落を「文明」と勘違いさせて、高級官僚が国家財産と私有財産の区別をなくした。
伊藤博文やら、軍人だった山縣有朋が、なぜに大邸宅を何カ所も構えたのか?の疑問も、あんがいと簡単に理解できる。

それが、時代を下って、いま、一般人がはじめてこれを恥としないのは、GHQの骨抜き政策が、じんわりと、しかし確実に効いているからである。

これを、「亡国」というのである。

「そもそも」と「そういうもの」と

なに?(what?、why?)をかんがえることが、どれほど重要かといえば、なにをいまさらといわれるのがオチだけど、なにもかんがえないで受け入れてばかりいると、「そういうもの」になって話は終わる。

ただ、「そういうもの」をぜんぶがぜんぶ、「悪」とすると、これはこれで面倒くさい。
だから、「そういうもの」は適度にあっていい。
すると、その「適度」とはどんな程度だ?という話になる。

たとえば、こないだ巡った、奈良県でいえば、宇陀市大宇陀(2006年に重要伝統的建造物群保存地区になった、「宇田松山」地区)の和菓子店、「きみごろも本舗 松月堂」には、有名な銘菓「きみごろも」がある。

創業は明治の初めとあるから、街のなかでは新参者となるはずだ。
しかし、この独特のお菓子の発明は、一度食べたら記憶に残るので、いまでは全国的に有名になったけど、店自体はずっとこの地にあって、移転も繁華街に支店の出店もしていない。

端的にいえば、「メレンゲのお菓子」である。
そのメレンゲを機械を使わずに手作業で作るというから、大量生産はしていないし、そのつもりもないのは「一子相伝」という作り方の伝承を守っていることにあるのだろう。

ここが、日本人の発想の特徴で、それがまた、「和菓子」であることの所以にもなっている。

それで今度は、奈良盆地を東に向かうと、「だんご庄」という、創業明治11年の「きな粉だんご専門店」が出現する。
こちらは、本店(近鉄坊城駅前)と支店(近鉄八木駅前)の二店舗がある。

関東の田舎者のわたしには、「だんご」といえば、「みたらし団子」しか浮かばないけど、こちらのは「餅状態」なのである。
これに「特別な工夫をしたという蜜」をからめたうえに、きな粉をまぶして、これをまた串に刺す。

これしか商品はない。

賞味期限は、製造日、ということで、店舗のみの販売だ。
口に入れたら、モッチリとろける団子は、またお茶にあう。

ならば、みたらし団子は?といえば、奈良興福寺そばにある、「傳統御菓子處 おくた」で、こちらは焼いた団子に、甘口と辛口それぞれのタレをかけている。
せっかくだからそれぞれ1本ずつ食べてみた。

甘口が関東でいう「みたらし団子」の味に近く、辛口はパンチが効いていてお焦げがより香ばしい。
「だんご庄」は1本80円、「おくた」の団子はどちらも110円だ。
こちらも創業100年余りというから、奈良的にはあたらしい。

もっとも、みたらし団子の発祥は、京都下賀茂神社という説があって、「加茂みたらし茶屋 本家 亀屋粟義」という。
こちらでいただいたのは、京らしくこぢんまりしていた。
ただ、この店も創業して100年余りなのだ。

団子とは「そういうもの」だ、といえばそれまでだけど、「そもそも」をあたりだすと、けっこう面倒なのである。

なぜなら、これら有名店の創業前なら、ひとびとはどんな団子を食べていたのか?妙に気になりだすからである。
米を栽培していた縄文時代からという説とか、奈良時代の遣唐使が伝えたとかの説がある。

時代劇が好きだったから、なんだか街道とか、渡し船のりばにある茶店のイメージが擦り込まれている。
それで、街道の宿場やらの休息所だった、「水茶屋」を調べると、饅頭や牡丹餅、あるいは生姜漬けといった、徒歩での旅で不可欠な、糖分と塩分の補給ができたようである。

料金は、あんがいと固定制ではなくて、それぞれがそれぞれに支払ったという。
これが、「心付け」方式だ。
あなたが感じた価値を金額にして支払ってください、というのは、アラブでの販売法に似ている。

お江戸日本橋の越後屋(三越)がやった、「掛け値無し=定価販売」が、いまでは当然の「そういうもの」になって、なんでもかんでもが、定価制になったのである。

また、宿場の大きな水茶屋には、気が利くと人気の女給がいて、すでにアイドル化していたらしいので、人間とは変わらないものなのである。

かつて山形新幹線に搭乗していた、カリスマ車内販売員の斉藤泉さんを思い出す。
わたしの数少ない、山形新幹線に乗った回数からしたら、5度も当たって、5度ともなにかを買ったのは覚えている。

それよりも衝撃的だったのは、みどりの窓口であらかじめ切符を買おうとしたら、前のひとが「斉藤さんが乗っている電車で山形までお願いします」といったことだった。
車内販売のひとがどの列車に乗るのか、切符売り場でわかって「指名」できるのだ!

それでもって、帰りの上り電車では、また、斉藤さんに当たって、後方の乗客が、「いつものやつ」と注文したら、缶ビールが開く音がして、「今日もお疲れさまでした」という彼女の声がしたときも衝撃的だった。

そんなひとが二人つづいて、わたしの座席に回ってきた。

ちょっとドキドキしたけれど、さすがに「いつもの」とはいえないので、適当にアルコール飲料とおつまみを頼んだら、やっぱり、「お疲れさまでした」といわれて、ほっこりしたものだ。

電車の車内販売のひとで、妙に盛り上がったのは、東武特急のスペーシアの「きぬ」で、こちらではほんとうに緊張感ある仕事終わりの「お疲れさま会」を相棒とふたりで浅草までやりたかったのを、やたら気の利く販売員の女の子が面倒をみてくれたので、ずいぶんと出費もしたけど実に愉快な「車内反省会」になったのである。

鉄道会社は、こういうひとたちの重要な価値をどう評価しているのか?
自分が客になったことがないから、わからないにちがいない。

車内販売員なんて「そういうもの」という、上から目線の勘違いをしているにちがいないと、「そもそも」からすれば、確実だとおもうのである。

国連の指示に反する昆布専門店

化学調味料のことは、「うまみ調味料」といわないと、放送コードにひっかかる時代になった。

元来、日本における「放送コード」は、GHQが策定したものを押しつけられたものだ。
この話の構造は、「日本国憲法」とおなじで、本来ならば主権回復後に、「独自」に戻すのが、独立国というものだ。

しかし、日本占領は、根本から「国柄を変える」というコンセプトで実施された本当は、「征服」だったために、「主権回復」の方が「ウソ=建前」になってしまった。

だから、征服はずっと続いている、とかんがえた方が妥当なので、憲法も放送コードも変えるばかりか「あってなきがごとき」無視やら、改悪が行われるのは、ぜんぶ征服者におもねた結果しか、一般人には見えてこないのである。

念のため、放送法では、放送事業者は、「番組基準」を策定・公表しないといけない、と第五条にあるけれど、一般人でこれを見たことがあるひとを見たことがない。

もちろん、この法律の管轄は、旧郵政省・現総務省ではあるものの、天下り先が放送各社であるために、役人は役人で、放送事業者におもねることになっている。

ちなみに、NHK以外の放送事業者を、まとめて「民放:民間放送」と呼ぶけれど、敗戦してGHQの征服を受けるまでのNHKは、唯一の「民放」だった。

敗戦国の政体やら文化まで含めて、強制的に国柄を変えるというのは、いまでも「戦時国際法違反」の大問題だけど、これを、「民主主義の押しつけ」という妙ないい方で、敗戦利得者たちの利得に、当時の保守言論人が敗戦したのである。

これは、当然といえば当然で、GHQにとって当時の保守言論人こそが「残存敵兵力」と同様な存在であったからである。

ために、NHKを国家の配下に置くために、あからさまな「国営放送」ではなくて、なんだかつかみ所がない「鵺:ぬえ」のような、「公共放送」と位置付ける、天才がいた。

「今太閤」と呼ばれて、上り調子だった田中角栄がやった、世界に類のない、新聞社の子会社としてのテレビ局としたのは、「聞屋」も放送コードの影響下に置くという意味での、GHQ的言論統制を推進したことで、その「上り調子」を加速させたとかんがえれば、彼ひとりで出世したのではないことがぼんやりでもみえてくる。

その後、首相の座を射止め、頂点を極めたかにみえたけど、なぜに「ロッキード事件」となって、失脚の憂き目をみたかは、世界史的目線で再度見つめるひつようがある。
角栄裁判の筆頭弁護士が、最高裁長官経験者だったのも、「日米の立場」のちがいの象徴でもあった。

そんなわけで、何度も書くが、GHQの本質はアメリカ民主党であって、そのアメリカ民主党の本質は、軍産複合体であった。
しかし、この軍産複合体のコアをなすのは、単なる「武器製造業」や「武器商人」だけでなく、「金融」やら「製薬」やらの、大企業や大富豪がつくる、「クラブ」になっている。

その代表的政治家や役人が、バイデン政権のメンバーでウクライナ戦争をやって儲けることに恥はない。

アメリカが挑発し、ロシアが乗った、の「ロシア」を「日本」に置換すれば、80年前の状況とおなじことが見えてくるけど、アメリカ民主党に征服され彼らの靴を舐めることを恥じなくなった日本人は、ロシアに敵意を持つばかりなのである。

この司令部が、「世界経済フォーラム」(その上に極秘の「ビルダーバーグ倶楽部」がある)という入れ子状態の邪悪な集団で、そのHPをみれば、あからさまに何をしたいか?何を仕掛けるか?について、公表しているのである。

日本の放送事業者が、放送法を無視して、ぜんぜん放送コードを一般に公表しないのとはわけがちがう。

この、余裕とも、傲慢ともとれるのは、もはや敵が存在しないことの自信のあらわれだろう。

このひとたちは、人口を減少させないと地球環境が悪化して、彼らの子孫に悪影響するという「信仰」に取り憑かれているから、かなりの「カルト集団」だ。

それで、「いかに地上の人口を削減するか?」のための施策を、まじめに論議して実行している。

その目標は、当面10億人の削減、と、ちゃんと数値目標まで掲げているのは、見た目、優れた経営者ばかりだからだ。

これが、「昆虫食」の推奨となって、国連さえもこれに従っている。

どうして虫を食べることができるのか?
長い歴史で安全が確認されている種類ではない、たとえば「コオロギ」はほんとうに安全なのか?

それには、「食品化学」と「食品工業」の融合がある。

つまり、「味」と「香り」を、人工的につければ、「タンパク質:プロテイン」ならなんでもいい、という、浅はかな「栄養学」の発想なのである。
ならば、石油タンパクがとっくに食品になっているけど、それでは人口は削減できないのか?

こんな酷い話を、すばらしい新技術とか、意外とおいしい、とかと放送したり記事にしているのも、こうした事業者がとっくに買収されているからで、巨額な広告費収入に負けたからだ。

それで、だれも観ない、読まない、となれば、いよいよ「国営化」という本丸が登場して、言論は国家のコントロール下におさまることも、計画的な想定済みになっているのである。

となると、「昆布」とか「カツオ節」といった、「天然調味料」は、世界経済フォーラムからしたら、天敵になる。
大阪の真面目な昆布屋が取り組む、アンチ・化学調味料こそ、国連からいわせたら、いまや、「反社」といわれかねない。

ところが、全国的にどこも無能な教育委員会は、こうしたものを使わずに、化学調味料だらけの昆虫食を子供の給食に採用している。

これぞ、見事な利権構造のあらわれで、それがまた、親の経済力を削ぐための、国民貧乏化政策を30年以上も続けている理由と一致する。

給食費が払えない。

しかして、その教育委員会を設置させたのが、GHQであった。
いまやこの委員会に、委員長は存在せず、公務員(教員と市区町村の役人(都道府県からの出向者も含む))の事務局を「教育長」が仕切っていて、市長も議会も口を出せない「治外法権」がある。

だからこそ、岡山県備前市のように、マイナンバーカードを一家で作れば、給食費を支給します、という支離滅裂が「正義」になるのである。

仁徳天皇稜の世界最大

陵墓というのは、偉大な功績をのこしたひとを記念して、だんだん巨大化するものだ。
その典型のひとつが、日光の東照宮だろう。
初代の東照宮から、15代の徳川慶喜になると、東京谷中霊園に墓所がある。

もちろん、一般人よりは大きくて特別な柵で囲まれているから、他のひとのお墓とはちがう。

けれども、慶喜氏は、16代宗家の徳川家達(公爵)氏の保護をうける身(新政府から「蟄居謹慎」処分だったため)となって、明治35年にようやくにして許され、公爵に任ぜられると、「徳川別家(分家)」を起こした。
新政府に逆らったことの「罪と罰」は、それだけ激烈だったということだし、存続を第一の旨とする、「宗家」としては、厄介な存在だったにちがいない。

それでもって、谷中墓地に葬られたのである。
その扱いの厄介さを示してか、なんだかわかりにくい場所にある。

さて、世界最大といえば、エジプトのピラミッドがとにかく有名だ。
3大ピラミッドのうち、クフ王の墓といわれているものが、最大になる。
四角錐の底辺は、約230m、高さは、約138m、傾斜角は、約52度。

けれども、この建造物が「墳墓」であるとは確認されていない。
ではなんなのか?についても、いまだに「謎」なのである。
一応墳墓、ということにしているだけだ。

わが国の古墳時代のピークをなすのは、仁徳天皇稜と呼ぶもので、さいきんでは、堺市大仙にあるから、地名をとって、「大仙陵古墳」と呼ぶそうな。

こちらは、面積で世界最大だ。
長さ、840m、幅、654m。
後円部の高さ、約40m。

副葬品がみつかっているので、やっぱり「墳墓」とかんがえられている。

エジプトのピラミッドは、体験的に大きさを認識できる。
ギザ台地の坂を登ったところにある、チケット売り場から見あげて、カメラを構えればその巨大さがファインダーを通じて理解できたものだ。
むかしの一眼レフの標準レンズでは、ピラミッドの全体像がわからない。

ただの、「石の壁」がそびえて見えるのである。
つまり、「△」であることもわからない。
ずっと遠方から引いた写真ばかりとなるのは、近景ではなにを撮影しているのかわからないからである。

予想はしていたけれど、仁徳天皇稜の方は、もっとわからない。
ただの小山にしかみえない。

エジプトのピラミッドと日本の古墳では、つくられた時代がぜんぜんちがう。
古いのは、だんぜんエジプトの方である。
しかし、どちらも「人手」を頼りにしたはずだ。

すると、どうやって作ったのか?という問題は、仁徳天皇稜だって負けていない。
おそるべき測量技術と、土木技術の融合なしにあり得ない。

土に埋もれていた、という点ですごいピラミッドがあるのは、奈良の「頭塔(ずとう)」だ。

こんもりとした山だから、古墳であろうと掘ってみたら、ピラミッドが出てきた。
一辺、32m、高さ、10m。
規模でいえば小ぶりだが、しっかり人造のピラミッドだった。

半分は復元したままで、半分は山に戻されて木が生い茂っている。

東大寺の記録から、造営されたのは767年とあったけど、発掘調査からその前の6世紀の古墳を壊して作ったことが判明した。
こちらは墓ではなく、石仏群を各段に配置した仏塔であった。

素人ながらに、あっさりいう、古墳を壊して作ったとはなんのことだ?
説明が説明になっていないのである。

ふつうの学者は、わからないというのを畏れる人種だから、「わからない」とか「不明」と書くのを、「自身の不明」として書かないで誤魔化すものだ。
これがようやく、「一流」になると、「わからない」といえるようになる。
すると、「わからない」がそれで認知されて、二流以下も安心して、「わからない」といいだす。

いわゆる、「定説」になるのだ。

だから、一流の学者と二流以下の学者の見分け方は、「わからない」がリトマス試験紙の役割をする。
そうやってみれば、頭塔の研究も「未完」なのであろう。

ところで、仁徳天皇稜のうえを、ドローンがしきりに飛んでいた。
こんなことは、宮内庁の許可なしにできるはずがない。
正面に廻ると、作業着を着たひとたちをみつけた。

上述した、この陵墓のサイズは、宮内庁が発表しているもの(2018年4月12日、宮内庁の三次元測量調査による修正値)と、堺市教育委員会が発表しているものの二種類がある。
上記は、宮内庁の方があたらしいので、こちらの数値を書いた。

ぜったいに仁徳天皇稜の全体像を観るには、この陵墓正面にそびえる、堺市緑化センターの巨大煙突の上が最良だとおもわれるけど、そこには行けない。
やや距離があって斜め後方に、堺市役所の高層館(市長は隣の「本館」におわす)21階が展望台になっている。

このビルは、エレベーター・コアが展望台直結にできていないから、途中階に停まる。
その10階あたりの3フロアーばかりに、「堺市教育委員会」があった。

もちろん、全国的に「無能」の象徴が教育委員会という組織だから、天皇陵を管理管轄している、宮内庁が発表しているものを書き換えることもできない。

前に、静岡県小山町が設置している、「藤原光親卿の墓」(国道138号:旧鎌倉往還)の案内表記の間違いについて書いたが、これも、およそ教育熱心とはいえない、この町の教育委員会の無能と無教養がなしたわざだった。

メールで指摘したら、おざなりな返事を1本受信しての落着だった。
それで、書き換えたかどうか確認してはいないけど。

21階のフロアーでは、堺が生んだ人物として、「さいとう・たかを」を偲ぶ、「ゴルゴ13×堺市 さいとう・たかを 劇画の世界」展を、「天空ミュージアム」としてやっていた。
主催は、「さいとう・たかを劇画の世界 堺実行委員会」とある。

この実行委員会は、堺市と、公益社団法人堺観光コンベンション協会、それに、「公益財団法人堺市文化振興財団」とあるから、役立たずの金食い虫が二つもぶら下がっていて、ひとつは教育委員会の下請け組織がしっかりからんでいる。

「世界最大」を自慢するだけして、放置していることが、現代的無法の象徴なのである。