会計検査院のコスパ

2020年度(平成31年度)の一般会計予算における会計検査院所管予算は171億円である。
これは、彼らがみつけた国の297億円の「ムダ」の発見に、171億円をつかっているということだ。

差は、126億円しかない。
一般会計予算は100兆円なので、2%で2兆円、0.2%で2千億円、0.02%で200億円だ。
だから、実質では0.01%程度のパフォーマンスということだ。
つまり、1万分の1。

でも、国家予算は一般会計だけでなく、だれにもわからない「特別会計」もある。
それで、会計検査院のHPをみれば、以下の説明が堂々と掲載されている。

「どんなところを検査しているの?
会計検査院が検査する対象は、国のすべての会計のほか、国が出資している政府関係機関、独立行政法人などの法人や、国が補助金、貸付金その他の財政援助を与えている都道府県、市町村、各種団体などです。」

だとすると、いったいいくらの金額が対象なのか?

猪瀬直樹氏がまだ評論家だったころ、道路公団の民営化についての委員になった。
このときの「活躍」が、のちに都知事になるきっかけだから、猪瀬氏といえば、道路公団という刷りこみがわたしにはある。

その猪瀬氏の調査力をもってして、「わからない」といわしめたのも、道路公団であった。
氏はその理由を、公団が出資している数々の「子会社」、「孫会社」たちの「グループ構造」が、「株式会社」という形式でどんどん「薄まって」視界不明になる、と書いている。

こういうのを、「底なし沼」というのだ。

それでもって、いまの形の道路公団の民営化が決まった。
氏をして、「これが、限界」なのは、説得力があった。
民間経営の「透明性」からすれば、ぜんぜんスッキリしない「不透明」が放置されたままに見えるけど、ソ連型支配社会の日本における現実である。

 

  

社会派・松本清張の代表作が、『けものみち』である。
まさに、この作品のフィクションはどこまでがフィクションだったのか?と、のめり込みそうな迫力を、ときの制作者たちが全力投球している。
これからも、リメイクされていくのだろう。

公団は、なにも「道路」だけではない。
NHKだって、なんだって、同じ構造になっているし、地方も国に真似ている。

いみじくも、会計検査院のHPは、171億円しかない運営予算で、ここに書いた全部なんてできっこない、といいたいにちがいない。
でも、できっこない、をずっとやっていると、適当でよい、ということになるのは人情である。

だから、会計検査院の検査報告は、ほんとうは「これだけ?」なのに、「こんなに!」にして、お茶を濁すというフィクションにしている。
これも、マスコミを抱き込んだ、フェイクニュースだ。

本来、内閣から独立しているはずの会計検査院に、マスコミを抱き込む予算なんかないけど、内閣が仕切る各省庁の「政府公報」と、記者クラブの癒着が、検査させないでいいという意味での抱き込みをしているはずで、その予算が「ムダ」だと、検査院だっていうはずがない。

そもそも、なにをもって「ムダ」を判断するかの基準があるのか?
検査院から、ムダを指摘されることの意味は、おどろくほど「重大」なのになんだか軽いのも、国民にはわからない。

それでも、わからないことを放置する習慣を国民に躾けたので、都合よくうやむやにすればいいのである。

どうして検査院の指摘が、おどろくほど「重大」なのかといえば、そのムダも「予算計上」されていたからである。
つまり、予算自体がムダということになるから、誰が予算をつくって承認したのか?が問われる。

このさい予算案をまとめる「主計局」は、横においておいても、「決める」のは国会である。
だから、検査院のムダの指摘とは、国会がまずいという意味になる。
予算を審議しない、予算委員会という「慣習」が、腐らせているのである。

さらに、国会には「決算委員会」もある。
すると、会計検査院による検査報告と決算とは、いったいどんな関係があるのか?

公金のムダとは、公金の横領に等しい。
すると、毎年なんらかのムダが指摘されているのに、誰も訴追されないのは何故か?
責任者が誰もいない、というおそるべき事実がここにある。

ついでに書けば、似たような組織に、「人事院」がある。
こちらも、なんだかしれない組織で、うらやましいほど暇なのに、なにかをやっているふりをしないといけない「使命」がある。
だから、役所の構造を悟った、各省庁の役人に人気がある。

出向、できれば転籍したい。

「給与泥棒」というなかれ。
だって、お仕事らしいお仕事がないんだもん。
それでいて、俸給はどの省庁ともおなじだから、遊んで暮らせる。
なにも、高級役人が定年後に天下って遊んで暮らすことばかりではない。

むしろ、高級役人は、若い現役のころなら馬車馬のように働かされる。
民間企業をブラック呼ばわりする、厚生労働省の高級役人もおなじだ。
歯を食いしばって残業に明け暮れる、その先の「ニンジン」が天下ってからの天国なのだ。

でも、高級でない役人には、人事院がある。
定年後なんてずっと先より、いま、が天国なのである。

ご愁傷様なのは、国民であった。

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