DX(デジタル・トランスフォーメーション)を政府がいいだしたから、これからはDXの時代なのだ、という阿呆な民間企業経営者が存在するのに唖然とする。
政府は必ず失敗する、という法則をしらないで、民間企業の経営ができるのは、その企業の株主達もきっと阿呆にちがいない。
もっとも、わが国の上場企業株式は、すでにもう半分が日銀(ETFという投資信託)で、残りの半分も外資(外国人投資家)が所有するに至っているから、日本企業の所有者の国籍はとっくにあやしい状態にある。
日銀は「沈黙の株主」だから、「ものをいう株主」とは、外国人投資家のことになっている。
そんなわけだから、いまの日本企業の経営者たちは、外国人株主の顔色を見て経営しているし、もしも外国人投資家に何かを主張しようとしたら、日本政府の意向をいえばなんとかなると思い込んでいる。
その日本政府も、外国巨大企業に買収されてマフィア化しているのに。
だから、いまや日本政府も「逆神」になった。
もう決して、『大魔神』のように庶民(だいたい女と子供であった)を助けるようなことはない。
むしろ、子供から先に犠牲となるようにしている悪辣があるけれど、これに気づくおとなが阿呆化して皆無になったので、政府は好き放題を満喫している。
むかし、わたしが若い頃、会社の仕組みを「システム化」するように命じられたことがあった。
この「システム化」とは、コンピューターを使った自動化のことだった。
当時は格好をつけて、オフィス・オートメーション(OA)と呼んでいた。
さすがにとっくに、ガリ版印刷の時代ではなかったけれど、ガリ版印刷が廃れたといってもまだ10年経っていなかった。
専用紙に鉛筆やらシャープペンシルで書いた原稿を、特殊なドラムに巻き付けると、隣のドラムに焼き付け転写されて、印刷原板ができたものを「FAX」と呼んでいた。
この原版を謄写印刷機にかければ、ガリ版よりも楽に印刷できたのだった。
それが、一枚あたりにしたらやたら高価な、いまのコピー機全盛になった。
「ゼロックス」が名詞ではなくて、動詞の「ゼロックスする」になった。
コピー機の代金よりも、消耗品たる紙とトナーインクの方に売上の重心を置いたのは、あらゆるビジネスの基本モデルになった。
「ピカ一回いくら」という計算には、紙代とトナー代を足さないといけない。
ゼロックス社はコピー機を製造販売しているようで、じつは、紙とインクの販売商社だった。
そのゼロックスのコピー機設計部隊が、チームごと売り買いされて、ライバル会社を渡り歩いていてた。
明日はキャノンか?それともリコーか?そうやって、またゼロックスに帰ってもいた。
その都度、技術者たちの所得が上がったもので、カラー・コピー機の開発ではもっとあからさまだった。
ところが、ユーザー側の会社では、「アナログ・トランスフォーメーション」に熱心だったのである。
これはいまではあんがいと、灯台下暗し、である。
紙に書いて、うまくいかない社内情報の共有が、どうしてコンピューター化でうまくいくものか?という思想は、いまさらに正しいのである。
それだから、どういった情報の社内流通の実態があるのか?をずいぶんと調査させられた。
すると、二通りの流通経路があるのはすぐにわかる。
・組織図通りのフォーマルな流通
・組織図にない、社員やらの個人のつながりによるインフォーマルな流通
フォーマルな流通は、組織図通りなので、上意下達か下位からの報告という二通りの流れになる。
インフォーマルな流通は、組織図とは関係のない斜め横やらさまざまなな人間模様を通してできている情報網で、その都度、という形式もとる柔軟性がある。
結局、会社が予算をかけて構築するOAとは、やっとフォーマルな情報網の、上位下達でしかないことがわかった。
下位からの報告は、管理職の訓練度合いや社内派閥によって、場合によっては握り潰されることもある。
いったん握り潰された経験を下位が経験すると、もう二度と報告の対象にされないこともある。
それで、上層部に下位の底辺情報(だいたい接客情報)が、あがらない事態ができる。
よって、「飲みニケーション」という方法が、原始的でインフォーマルではあるけれど、もっとも早く正確な情報網を構築する。
ならば、外資ではどうなのか?といえば、インフォーマルな情報網の「全盛」なのである。
彼らの飲みニュケーションは、ボスの自宅で開催される週末のパーティなのである。
この結束は固く、いわば「一蓮托生」となっている。
しかし、日本的でないのは、柔軟性に欠けることであって、仲間内と外との排他的な関係にある。
これが、巨大派閥を形成して、企業そのものの経営を牛耳るのである。
よくある、外国企業の不祥事がこのパターンで現れる。
昨今、わが国の企業で、創業一族による不祥事が目立ってきたのは、一種の欧米化の悪い意味での顕在化であろう。
ただし、淘汰の対象になるのは、まだ経済原理が健全に作用しているともいえる。
デジタル・トランスフォーメーションの成功には、真っ先にアナログ・トランスフォーメーションの成功が欠かせないが、それがいまだに飲みニケーション依存だけならば、どうしてくれよう?というレベルなのである。