「TRAIN TV」が未来だったのは、『トータル・リコール』(1990年)を製作したアメリカ人からの目線だろうが、たった12年後の2002年に、山手線で液晶ディスプレイが導入されて、映画の未来が現実化したのである。
それから22年経った今年、とうとう「放送」が始まって、本当の「TRAIN TV」に進化したらしい。
テレビと聞くと、ムダが反射的に連想されてしまうわたしには、きっとロクでもないのだろうと思って観ていたら、やっぱりロクでもないから、念のために書いておく。
「無料」だから民放と同様に基本的には車内で手持ち無沙汰になった人向けの、広告塔なので、そもそもが目と脳の毒である。
しかし、人間にも備わっている狩猟本能から、なにか動くものを見つめてしまう習性があるのだ。
これが、静止状態の「中吊り広告」や「壁面広告」と一線を画す、まさに画期となったのだ。
どうせ暇なら車窓の景色でもボンヤリ見ている方が、よほど健康によい。
ちなみに、人間の目線は、上下運動が左右の運動よりも優先するようになっている。
この意味でも、縦書きの日本語は合理的なのであるが、今どき、電車で読書をしているひとを見るのが困難になった。
これほどまでに勉強をしない民族が、かつてのGDPを維持できなくなるのは当然だ。
さてここで一例として取り上げるのは、役目を終えた路線バスを、なにか別の利用方法で「再利用する」という紹介番組である。
それが、「サウナ」というわけだ。
いま、東京の銭湯は、サウナ愛好家によって混雑している。
入浴料520円に、別途サウナ料金はだいたい400円ほどとなっている。
入浴料は、「統制料金」になっていているけど、別途にかかるサウナはどうやら「自由料金」のようである。
統制料金は、1946年(昭和21年)の「物価統制令」がまだ生きているためで、銭湯経営者は入浴料金を自由に決めることができないのである。
それで、いつものように、都道府県単位による「審議会」ができていて、知事が答申を受けて、決定することになっている。
当然だが、審議会メンバーは、専門家とか銭湯組合の代表とかという、選挙で選ばれることがない、有職故実に基づいて役人が任命することになっているのだから、実際には、役人が料金を決めていて、上司たる知事に提案決済されるようにできている。
そういえば、コロナ関連の審議会・研究会委員は、就任選定時に500万円/年を超えなければ、製薬会社からとかの寄付を受けた実績は問われない、という過去ルールが国会で明らかになったけど、行政側はこれを「問題なし」としているのは、「利益相反」としたら誰も委員になれないからだろう。
つまり、ここでも「議会」はスルーされるので、しっかりとした社会主義国家としての風情を残しているし、だんだんと地球上のふつうの国家に見られる賄賂に対する鈍感さという腐敗が我が国でも進行している証拠なのである。
なお、念のため、物価統制をやらせたのは制服者(これを、「占領軍」といったり、よりマイルドに「進駐軍」という征服された本質を隠す用語が多用されている)であるGHQの命じたところによるから、あたかも日本人が自分で決めたと思ってはいけない。
21世紀の銭湯に物価統制があるのは、いまでも占領中だということなのであるけれど、そうやって利得を得るひとたちの利益を守ることが、自民党的「保守」ということになって安定の制度化をしているのである。
神奈川県(役人のことである)の東京に対する恨みともつかぬ変な意識で、東京の銭湯よりもずっと設備で劣るくせに、料金だけは10円高く、とにかく「日本一の高額」銭湯にしているのは、警視庁に対抗してやまない神奈川県警の呪いなのか?とわたしは冗談抜きで疑っている。
もちろん、警視総監も県警本部長も、おなじ警察庁採用のキャリア国家公務員なので、彼らにはローカルな対抗意識はないのだろうが、それを無視しては「組織がもたない」という、マネジメント力の欠如から、長いもの(地方採用プロパーたち)にあえて巻かれて、「いいひと」を装っていることが、「肝要」という思想および訓練によって統括しているにすぎない。
それで、統制から外れている「サウナ」をバスの再利用対象にしたこのアイデアが妙に光るのである。
しかし、全国でいったい年に何台の路線バスが引退・廃車されていて、何台がサウナになってあちこちを移動しているのか?についての情報は一切ないし、改造にかかわるコストや運用費に対しての得られる収益との関係についても一切ない。
しかも、高温の室内温度に耐えうる窓や天井になっているのかの情報もないので、なんだか「なんちゃってサウナ」ではないかと思うのである。
もちろん、熱源はなにか?とか、水風呂はどこに用意されて、更衣室もどこにあるのか?と気になるのである。
つまるところ、制約がたくさんあるだけの与太話を、あたかも「美談」とする騙しのテクニック満載の事例なのだ。
なので、この映像を観ることで得られる効用は、「情報免疫」の鍛錬にほかならないけど、ボーッとしていると逆に洗脳される。
いくらだか聞いたら腰を抜かすにちがいない、「水素バス」(購入費はふつうのバスの5倍する1億円)が、公営交通やたっぷりとした補助金での民間運用が始まったら、バス料金がいくらになるのかとか、また地方税負担が増えるのかとかに関係なく、どんどん投資していけば、水素サウナ・バスが誕生するのだろうか?
この無意味を超えた狂気さえ感じる水素バスの運行維持費も、ふつうのバスの3倍かかっている。
とにかく、地球環境のため?になるかどうかもしらないが、生身の人間の生活が苦しくなることしかしないのを喜ぶのは、どこまでマゾヒストなのかと怖くなるのである。
それもこれも、本当は共産主義者だったケインズ(妻はロシア人で新婚旅行だけでなく複数回ソ連に行っているし、ケインズ自身はカミングアウトしてゲイであることを認めていた)の、「有効需要の創出」こそが、なんでもムダな公共投資が、最後は共産化に役立つとトロツキーは見抜いていたのである。
これが、福祉国家にも通じる、諸悪の根源だ。
けれども、ぼんやりとして画面を追えば、自分でかんがえることを放棄したひととか、かんがえると気持ち悪くなるように訓練されたひととかは、本気で素晴らしいアイデアだと思い込むにちがいない。
それでもって、利用料金が行政によって統制されていたら、もうほとんどお笑い種なのであるけれど、電車の中で吹き出したらこちらが周りから変人だと疑われるので、やっぱり観ない方が得策なのである。