やっぱり「空気」で決まる

重大なことが、「その場の空気で決まる」というのは、あんがいと日本人が自覚していない「日本人らしさ」のひとつである。

「その場の空気」だから、別の日や別の場所、あるいは別のメンバーだと、「別の空気」になって、前に決めたことと別のことが決まると「大迷走する」ことになる。

それで、「責任者でてこい!」となると、「空気」なのでだれも表にはでてこなくて、事務局が弁明してお茶を濁したりする。
これを、「日本的無責任」というけれど、責任者たちにはあんがいと自覚がないという特徴がある。

いつからこうなったのか?

誇り高い武士が治めていた時代には、良くも悪くも責任をとっていた。
その究極が、切腹だった。
「詰め腹を切らされる」理不尽もあっただろうけど、それはそれで遺族に補償があったし、なかったとしても庶民には関係なかった。

もしも、切腹ではなくて、「お役御免」なら、それは「武士を辞めること」にもなって、関係者には大騒ぎになる。
武士を辞めることとは、「扶持」を失うことなので、一族郎党が失業する。
「扶持」自体が相続対象だから、どんな下級でもお家断絶だ。

その意味で、「浪人」というのは気楽な稼業にはならない。
いまの学生が「浪人」するのとは、意味がちがう。
むしろ、政治家が「落選」してただのひとになることに似ている。

武士が「家」に縛られながら、「家」にしがみついたのは切実な現実があったからだ。
そして、武士には権力が与えられたけど、財力は与えられなかった。
こうして、「天道」としての政治は、必然的にその前提に「現状維持」があったのである。

だから、江戸時代の「改革」は、ぜんぶ失敗した。
現状維持の前提に負けたのである。
そうやって、社会の発展圧力と政治のバランスが崩れて、内部から崩壊したともいえる。

しかしながら、明治近代が完全なる成功を収めたわけでもない。
長く安定していた、「家」による縛りからひとびとが解放されたのではなかった。
これを島崎藤村が、『家』で描いたけれども、いまだに引きずっている。

つまるところ、日本人という人間は「家」という「社会」で生きている動物なのだ。
だから、「家」という概念よりも「個人」が先に立つひとたちとは、文化があわない。

けれどもだからといって、欧米人が皆「個人」を優先させているかといえばそうではない。
王侯貴族から新興ジェントル層といった、経済的に成功した「家」は、かつての日本的な「縛り」が生きている。

すると、「個人」を打ち出した、「啓蒙主義」の意味するところとは、いまさらになんだったのか?
ジャン・ジャック・ルソーがいう理想の、「アトム」とは?あるいは、個人のあるべき姿とした「アトム」のことである。

もちろん、「隠れ(共産)党員」といわれていた、手塚治虫の『鉄腕アトム』の「由来」のことだ。
鉄腕アトムは小型原子炉内蔵のロボットだから、「原子(アトム)」から名づけたのではなくて、最初から「個(アトム)」としての原子をもじったのだ。

これは、王侯貴族から新興ジェントル層といった、経済的に成功した「家」という、為政者側からしたら、被支配者の結束を解く(溶く)という意味で有用な「思想」なのである。

だから、対抗するための「団結」を説くことをはじめたが、その団結とは、「個(アトム)」の団結であって、「家」という社会の団結にはわざと触れないばかりか、「家」への再結束は「反動」だとして、かえって「アトム化」の推進をした。

つまり、「同類」だったのではないか?
あるいは、王侯貴族から新興ジェントル層といった、経済的に成功した「家」にとって都合のよい、プロパガンダが啓蒙主義ではなかったか?

そんなこんなで、「空気」がわが国を支配するようになったのは、明治の近代化が作り出した「同僚」という「仲よしクラブ化」による居心地のよさがあるとかんがえられている。

しかし、「これだけ」ではなく、さらに3つの理由が挙げられる。
・サンク・コスト(埋没費用)の処理にたいするまちがい
・「未解決の問題」への心理的重圧から逃げたい心理
・人事評価制度の欠陥

選挙になるとウィルスの感染力が弱まって、選挙が終わると猛威を振るうという現象にあてはめれば、「PCR検査の精度調整」という人為があるのでは?と疑いたくなるほどに、諸外国でとっくに「終了:収束」した病気が未だある状態でもいえないか。

それで、いつもの政府委員たちが集まって、なにやら「対策」を練っている。
この対策が、いったいなんの「対策」なのか?

上記事例にあてはめたくなるのである。

それでもって、やっぱり「空気」で決まるなら、それはそれで「空気感染」なのだとおもわれる。

だから、サングラスでも眩しい炎天下に降り注ぐ、凄まじい量の「紫外線」で、1秒すらコロナウィルスが存在できない「科学の知見」をもってしても、呼吸が苦しいマスクをしても、手が荒れようがアルコール消毒をしても、「感染者」という「PCR陽性者」が減らないのである。

こうしたことの原因は、「その場の空気」を「悪くしない」ための精神的努力であるからだけど、それは、決して強い精神ではなくて、「優しさ=弱い精神」だから、犬に首輪をせずにハーネスを装着するのが流行るという現象にもなる。

首輪が可哀想で、ハーネスなら苦痛がないだろう、と。

しかし、コマンドを入れることができないので、飼い犬をコントロールすることがたいていの飼い主はできないために、優しさが犬を不幸にしている。
そんなわけで、現代日本人の「弱い精神」が、社会にサイコパスをはびこらせ、サイコパスたちに支配されるということにも気づかないのだった。

その場の空気をコントロールできないのは、精神の弱さと、目的合理性の欠如なのである。

参政党初提出の国会質問主意書

いかにわれわれが「政治に無知か」を知らしめることになったのは、この間の参院選挙期間中にも参政党がいっていた「質問主意書」の意義であった。

少数の議員しかいないミニ政党が、どんなに頑張っても無駄な抵抗ではないか?という「質問」に、彼らは「そんなことはない」と反論していた。
そもそも、街頭演説で聴衆から質問を受けるというのも、なかなかに新鮮だったので、良い意味で各党がこれを真似しだした。

その反論には、既存ミニ政党と報道への批判があった。
それは、「パフォーマンス」にだけ価値を見出して、これだけを報道することの「薄さ」をいう。

ミニ政党だから、「とにかく目立つ」ことが、次の議席拡大にいちばん重要だという認識は、優先順位としていささか不満が残る。
それに、報道は、「国会での論戦」というけれど、一般人がイメージする「本会議」では、ぜんぜん「論戦」なんてやっていない実情がある。

それは、「議場の設計」に影響されている。
いまの国会議事堂は、昭和11年(1936年)11月にできているから、当然に明治憲法下での設計だ。

新憲法が発布されて、「国柄」を変えたことになっていて、いまの憲法では「国権の最高機関」としての「国会(旧憲法では「帝国議会」といった)」だけど、旧憲法ではそうではなくて天皇に主権があった。

この「違い」は決定的なのに、内部設計をいじっていない。
つまり、国会議事堂の設計思想によって、いまも物理的制約を受けているのに、誰もおかしいとおもわないおかしさがある。

それは、論戦をするための設計ではなくて、ご意見を賜るための設計になっていることでわかるし、政府側の「ひな壇」における「序列」は、ソ連時代の赤の広場での革命記念日とおなじ方式なのだ。

議長席を中心に、向かって左側が序列1位の首相、次は議長席右側のひと、と左右を順にだんだんと議長席から遠くなる。

まん中のテーブルを挟んで左右向き合う「山形」のスタンド席になっている、英国議会の風景が妙に新鮮なのは、はなから「議論」をするための設計だからである。

その英国議会の議論の様子は、どうしたことかテレビ時代になっても、音声だけしか放送できず、テレビ局は「スケッチ」で画像にしていた。
1992年(平成4年)になって、ようやくテレビ中継が許されて、BBCは別途に「BBC Parliament(BBCパーラメント)」という、議会中継専門チャンネルを立ち上げた。

わが国の「公共放送」にはないチャンネルで、地方議会の中継もやっている。

さて5日、参政党が結党以来「初」となる、国会活動として5本の質問主意書を参議院に提出したと、党首となった松田学氏がツイート等で発表した。
その項目は以下のとおり。

1. 外国資本による国土買収
2. コロナワクチンの副反応や子供への接種について
3. ウクライナへの防衛装備品の供与及び穀物輸出等の支援
4. 咲洲メガソーラーなどエネルギー供給基盤事業への中国企業参入問題
5. 拉致問題

ふだん聞き慣れない「質問主意書」とは、議員が議員名で提出するもので、弱小政党にとっては国民代表としての大きな権利行使でもある。
議院での質問の回数や時間が、大きな与野党からしたら大幅に制限されるけど、書面による質問としての「質問主意書」に、提出本数の制限はない。

そして、政府からの「回答」(立法府からの質問に対する行政府からの回答)には、かならず「閣議決定」を経てのことになるのだ。
もちろん、国会質問におけるあらかじめ提出の「質問主意書」も同様に、閣議決定を経ている。

つまり、口頭か書面かのちがいにすぎないので、議員としては重要な業務といってよい。
なにも、ひとりだからといって、なんにもできない、ということはない。

もちろん、参政党は、政府からの回答書についても全部公表することにしている。
なので、ダラダラとやっている委員会中継をずっと観ているよりも、あんがいと効率がいい。

選挙中にもいっていた、「質問主意書をバンバン出す」という「公約」は、ずっとやるにちがいないから、なんだかワクワクするのである。

そんなわけで、「閣議決定」をするための「閣議」は、開始前に閣議室前に集まった大臣たちが懇談している風景をテレビに撮っているけれど、閣議室にはカメラは入れない。

国民として、いったいどんな議論がされているのだろうか?と期待できないのは、徹底的なる「サイン会」になっているからである。
つまり、内閣の事務局が用意した、様々な書類に、総理から順にサイン(花押:日本古来のデザインした毛筆サイン)を書きまくるのである。

だから、初入閣しそうだったり、急遽決まるかして、自分の花押を持っていない議員は、あわてて専門デザイナーに注文して、お手本をみながら練習しないといけないのである。

もしも、NHKが閣議の様子を中継したら、国民はその実態に驚き、かつ、なにをやっていたのかがバレるから、絶対に見せないのである。
また、よくいう「持回り閣議」とは、内閣事務官が各大臣のもとにおもむいて、書類にサインをもらうことをいう。

企業なら、「稟議」であるし、「持ち回り取締役会」ともいう。

なので、参政党の質問主意書が「バンバン」出ると、閣議が「忙しく」なるのであった。

人生は砂時計

ガラスで出来た砂時計はどうやって作るのか?
けっこう大変な作業だろうと容易に想像できるのは、手早くしないと砂の量とくびれの細さの関係調整が、加工できるガラスの温度管理とからめて、難しいとおもうからである。

時間の設定には、ストップウォッチを使って、砂の量を決めるから、最初にくびれを作る手順になる。
まさに「職人技を買っている」のが、砂時計という商品なのだ。

「時間とはなにか?」をかんがえだしたら、夜も眠れなくなりそうな難題で、とうとう『時間は存在しない』(NHK出版 、2019年)が、「最新」の議論になっている。
書いたのは、ホーキング博士の再来というイタリア人、カルロ・ロヴェッリ博士だ。

前に書いた、「人間は臨終の際、脳から量子が飛び出して、宇宙へと放出される」という話は、『ペンローズの量子脳理論』(ちくま学芸文庫、2006年)だった。

もちろん、ペンロース博士も、アインシュタインの再来ともいわれる大学者で、生前のホーキング博士との「対談」は、有名だ。

そうはいっても、一介の文系素人には、わかったようなわからない話で、とても「理解できた」と自慢できるものではないし、かえって、なにがなんだかわからないのである。
つまり、宇宙規模の世の中は、「わからない」というのが、まちがいなく現時点での「答え」なのである。

そこで、さらに「素人」がこまるのは、「わかっていること」との「境界」がどこにあるか?がわからないので、なんだか狐につままれたような話になる。
だから、いきなり「時間は存在しない」といわれても、なんのこと?になるし、なにいっているの?になって、生活者は相手にしないのである。

ここに、専門家と生活者との「断絶」があって、それは、「ガリレオ裁判」にもつながるような、「無関心」なのであるけど、「そのうち」世間の常識に変化するものだ。

いまはだれにとっても、1日は24時間で、砂時計でも時間が計れる。
むかしは、1日はあってもそれが24時間だったわけではない。
「24時間の定時法の時計」を伝えたのは、あのザビエルだった。
しかし、日本人は「不定時法の時計」という発明をした。

日の出と日没を基準として、「昼の時間」、「夜の時間」のそれぞれを「均等割」にしたものだ。
明るくなったら活動して、暗くなったら寝る。
この生活のために、「不定時法」が重宝したのである。

だから、夏と冬とで1時間の長さが変わった。

対して砂時計は、一定の時間を計るのに役立つ。
砂粒の大きさの一定が精度に影響する。
それに、「素粒子の流れ」をもってしたら、時間もこれに当たるという話があったので、砂時計はおそろしく「量子論的」な「時計」なのだ。

「粒が流れる」という意味で、おなじだからで、粒の数をカウントしたら「デジタル」なのである。

それゆえに、量子の粒はいつどこから生まれてどこへいくのか?も「砂時計」を作るときの発想だと思えば、いつどこから生まれたのか?は、砂時計でいう「上」の空間で、それが「下」の空間に流れたら、どこへいくのか?という話にもなる。

この上・下が、「ループしている」としたら、「永遠」あるいは「永久運動」になるから、「時間は存在しない」というのだろう。
すると、わたしたちが「時間」を感じているのは、通過点の「くびれ」に住んでいるからだとも思える。

しかし、この「くびれ」の部分が、宇宙なのだといわれて途方に暮れるのだ。
せめて太陽系に限定するとかならば、なんとかついていけそうだけど、そのそも中心にあるはずの太陽すら、「公転」しているという驚きもある。

計算上の「真の中心」から太陽がズレるのは、系の惑星たちの重力で太陽もブレるからだ、と。

もちろん、地球だって太陽の周りを素直にスムースになんて回っていなくて、月とダンスを踊るようにブレながら周回している。
その月も、年に3センチほど地球から離れているから、億年とかの単位でいえば、地球は月を失う可能性があって、そうなれば、潮の満ち引きもなくなる。

これがどんなに地球に影響するかは、少なくとも「人類」には、厄災がやって来ることまちがいない。
それまで人類が存続していれば、だけれど。

一個の個体として、もちろんそんな長生きの人生はないので、かんがえるこすら生活には無駄である。
ならば、どこまで先をひとはかんがえるのか?

数年前まであった「100年カレンダー」をすっかりみなくなったのは、その中の「ある日」が、自分の命日だとかんがえると、自殺を誘引するという危険があると指摘されて、「市場」から消えたらしい。

もっと先がある、という感覚と、先が見えてきた、という感覚は、砂時計の「残り」をみるようなのだ。
若い頃には、時間は永遠だとだれもが勘違いして、齢を重ねたら「残り時間」を意識する。

人間のそんな感覚とは一切関係なしに、「時はすすむ」から、時間とは残酷なものだ。
若い部下にこれをいったら、笑い飛ばされたことがあった。
その人物も50を迎えて、もう笑えないことをしっている。

それゆえに、先を心配してもはじまらない。
逆に、残りの一粒一粒を輝かせるには、なにがよいかをかんがえた方が「楽しい」のだ。

金銭欲、物欲、名誉欲。
はたまた、無欲の境地。
いやいや、自由なる活動への欲求だ。

それがまた、ひとそれぞれなのである。
老後の不安は、ひとまず忘れることだ。

農業とは必ず自然破壊する

さいきん目にする、「自然派農業」という文字には、自己矛盾がある。
そもそも農業を「業」として行うとは、必ず自然破壊を伴うからである。

「エデンの園」に住んでいた人類の租、アダムとイブは、労働をする必要もなく、その辺にある果実やらを適当に採って食べていればよかった。
だから、飢餓をしらない。
なので、満腹になるまで食べることもしなかったろう。

ひとはいつでも腹が満たされる状態にあれば、しぜんと「腹八分目」にするものだ。
しかし、ふつうのひとがそんな状態に置かれたら、こんどは閑を持てあまして、ロクなことをしなくなる。

蛇に騙されたことにはなっているけど、きっとアダムとイブが閑を持てあましていたにちがいないのは、イブに少しは「智恵」があったからだろう。
すると、アダムは完璧な「愚民」だったともいえる。

それで例の「智恵の実」を食べてしまって、罰として一生労働して暮らさないといけないように、「楽園追放」の目にあうことになった。
これを、あちらのひとたちは、「原罪」と呼んでいて、彼らの子孫であるわれわれは皆その罪を背負って生まれてくる、と。

一方で、日本の神話では、米作りがすぐさま出てきて、「瑞穂の国」となっている。
それがまた、縄文遺跡からも炭化した米が出土して、いまだに日本人の半分を占める縄文人の先祖は、稲作をやっていたことがわかっている。

だから、弥生人が稲作を持ち込んだ、という説は、もはや通じない。

ここで、アダムとイブの子孫たるひとたちは、まず米を作ってはいないことを確認しておく。
彼らは、主に小麦、大麦、オリーブ、ぶどう、を作っていた。

なお、ジャガイモやトマト、トウモロコシ、ナス、それに唐辛子などは、みなアンデス原産なので、コロンブス以降のひとたちがヨーロッパに持ち込んで普及したから、ここ数百年程度の、人類の食料としては「新しい」農産物なのである。

すると、これらの「輸入品」を日本人が栽培して食べ出したのは、「もっと新しい」ことになる。
江戸期に唐辛子がやってきて、辛子に「唐」をつけたのは、南蛮人からの伝来をいったのだと前に書いた。

対して米は元来東南アジア原産で、稲という植物は、育つのにやや水没した環境がないといけないのである。
だから、米作りには、東南アジア「風」の環境を人工的に作って、あたかもやや水没させて暮らしやすいようにしてあげるのである。

これを、縄文人がしっていた。

一方のアダムとイブの子孫たちがいるあたり(ユダヤ教、キリスト教、イスラム教のひとたちが住む)は、もともと乾燥地帯(メソポタミア・エジプト)で、小麦栽培の地域だった。

ところが、米にあって小麦になく、小麦にあって米にないものがある。
米にあって小麦にないのは、玄米にある「必須アミノ酸」だ。
小麦にあって米にないのは、「グルテン」である。

だから玄米を食べていると、極端だが副食を要しない。
しかし、小麦ではそうはいかないから、タンパク質は家畜から得たし、脂質は家畜とオリーブオイルから、そして嚥下しやすいように飲み物を欲したけれど、清水がないのでワインをつくって飲んだのである。

それゆえに、西ローマのカソリックと東ローマの正教会(元はローマ教会)での儀式「聖体拝領」では、パンとワインをいただくのである。
なお、プロテスタントにこの儀式はない。

洋の東西を問わず人類は、農地を「開墾」するために、森を開き、岩をどけてきた。
つまり、「自然」を太古からの手つかずのままの状態だとすれば、農地とは「それだけ」で自然破壊をするものなのである。

なので、耕作放棄地の荒れ地を「自然にかえる状態」といえばいいものを、整地された「百枚田」をみて美しい自然だといって写真を撮り、耕作放棄地の草ボウボウを見向きもしない。

だから、自然派農法なる言葉には偽善があるし、「野菜工場」なる言葉もおかしい。

しかし、人間は食物をとらないと生きていけないために、農地を保持しながら農作物を育てるのであるから、農地そのものが「工場」なのである。
それが証拠に、各種肥料(いまは化学肥料)と、農薬をどのように使ったらもっとも効率がよいのか?という「生産技術」が問われる。

これらの「投入量」と「投入回数」を、人工的に少なくする農法を「自然派」というから、ふつうの農業よりもずっと人工的なコントロールを要する。

それが昔は、「厳しい農作業=労働」をもって対処したのだった。

勝手に作物ができて、エデンの園のような農業を「自然派」とはいわないのは、そんなことができないからである。
これを無理やり政府が命じて破綻したのが、スリランカ農業でのできごとだ。

しかして、われわれが「自然派作物」を求めるのは、「安全」に尽きる。
けれども、「安い」を優先させたら、そうはいかない。

さてそれで、「安物買いの銭失い」という諺は、どんなふうに作用しているのか?
それが、「健康」だとなれば、「安いは悪い」になるのだけれど、簡単ではない「深刻」がある。

いまや、せめて「旅先で」すら、ままならないのは、先年の東京オリンピックにおける選手団への食事提供だったけど、「世界規格」に合致した作物が国内になくて「輸入」に依存していたのである。

日本人はいま、なにを食べているのか?なにを食べさせられているのか?

オリンピックの「経験」は、ぜんぜん活かされていないで、たった1年前のことなのに、なかったことになっている。

山梨の硬い桃

わが国三大桃の産地といえば、岡山、和歌山、山梨と、ぜんぶ「山」がつく県で、関東ならば山梨がいちばん手に入る。
なかでも生産量が一番なのは、一宮町で、中央道釈迦堂PAあたりがその地域にあたる。

山梨県人は、「りんごのように硬い」のが桃のイメージだという。

そんなばかなと思っていたけど、ずいぶん前に近所のショッピングセンターの抽選で、山梨バス旅行が当たって行った先が「桃狩り」だった。
どこの農園だったか忘れたが、食べ放題の桃が堅くてコリコリしながらもしっかり甘くて驚いたものだ。

教わった食べ方は、流水で桃全体のうぶ毛をなでるように洗ってから、皮のついたままかじるのである。
線に沿って包丁を一周させて、実をねじれば片方はきれいに種が外れる。
1個を二人で食べるときには、これでいい。

産地の県民だから、硬くて甘い桃はどこに売っているのかと尋ねても、「ふつうのスーパー」とか、せんない返事がやってきて、おすすめの農園はどこかときいても、あんがいとこたえてくれない。

それで、地元のスーパーで買ってみたら、ふつうに柔らかい桃でガッカリしたことが何度もある。
硬い桃の「品種」がある、ともきいて、「早生」だから出始めのときだといわれたこともある。

なんだか、最初の「山梨県人の硬い桃」という話が、遠くなるのだ。

コロナの営業規制に、田舎ほど忠実なので、この2年ばかりは居酒屋にもいけなかったけど、こないだ久しぶりに「石和温泉駅前」の居酒屋を再訪した。

この店の主は、けっこうな凝り性で、解凍物でない「馬刺し」を出すのが珍しい。
なんでも、長野から馬刺し好きがわざわざやってくるという。

それで、話題を持ちだすもなく、隣の席のひとたちに「桃農園」の紹介をしていた。
今日も買ってきたと、箱に6個入った美味そうな桃を見せていて、ついでに我々にも披露した。

うちの店の名前を出せばいい、というからその気になって、翌日の朝に訪問した。

他の農園が商売熱心な感じで、店のなかに座っているしこちらを見ては合図までしてくれる。
それで到着した目的の場所では、広間で昼寝をしていた。
車の音で気がついて、おもむろに起きてきたのは「お嬢さん」だった。

空き家日本一の山梨県に老後は住もうかと、コロナ前に家を探していたことがあったけど、そこで見つけた第一候補地にはすぐそばに居酒屋があったので、女将さんにいろいろきいたことがある。

すると、どうやらこの女将が地元の「主」らしく、町内会やゴミ出しのルールについて教えてくれて、なんだか面接試験を受けているようだった。
それで二晩通ったら、「合格」をいただいた代わりに、ご主人がやっている桃農園の手伝いもよろしくといわれた。

早朝3時4時から作業をはじめて、9時には終わるという。

そんな話を思い出して、「お嬢さん」を起こしてしまったのが、なんだか悪かったけど、初対面とは思えない気さくさで「お父さん」を電話で呼び出してくれた。

待っている間に、「好み」をきかれたので、「りんごのように硬い」をいったら笑っていた。

お父さんは、日本の農家の平均年齢にあたる70歳代という典型で、いまはなぜか卓球台がある広間では、バーベキューや鍋物を出していたという。
奥さんの生前の仕事で、よく一人で切り回していたものだと、亡くなってから気がついた、と。

娘にいってもできっこない、でこうなったのだと話してくれた。

それでも農園の手伝いはしてくれるから、なんとかなっているという。
今年は梅雨明けが早くて、桃のできはいまいちで、育つ時期に陽に当たって縮んでしまったらしい。

そのかわり、葡萄の方は糖度の上がり方が早いらしく、3日で1度のペースだと解説してくれた。
あと10日もしたら、16度のシャインマスカットになるそうで、同時期に桃が終わる。

硬い桃は農園ならではで、数日もすれば柔らかくなるから、お好みで食べるのがいいらしい。
ただ、柔らかい方が熟れてより甘くなるが、歯ごたえもなくなる。

さいきんは「硬い桃」の注文が増えて、配送時間をかんがえて「早め」に採ったのを送るけど、「硬すぎる」と文句をいってくる客が増えたと愚痴っていた。
ちゃんと、2日ばかり置いてから食べるように案内しているのに、と。

毎年大量に買ってくれるお客が文句をダラダラいってきたから、料金はいらないから文句は聞かないと答えたと嘆いていた。
どうやって美味くなるかかんがえながら作っているのに、それがわからないなら売りたくないけど、そんな客が増えているらしい。

居酒屋の大将が、近所の農家は商売上手だけど、買った側が損するから、といったのがよくわかる話だった。

さてそれで、わが家でも試食したのとおなじく、硬くて甘かった。
できれば来年もまた買いに行きたいものだ。
ようやく、安心の硬くて甘い桃にたどり着いた。

すると、「硬い、美味い、ふくしまの~ 桃」のCMが出てきた。
アルゴリズムが、山梨から福島に飛んでいたのだった。

『新日本紀行』があった時代

1963年10月7日から1982年3月10日まで18年半、794回放送された、長寿番組だった。

わたしが生まれた時(1961年)に、居間で記念に撮った写真には、大きなゲルマニウム・ラジオがあって、その上に真空管ラジオが乗っている。
それから、いつだかしらないうちに、ゲルマニウム・ラジオの位置に「布幕付き」のテレビが鎮座して、真空管ラジオもなくなっていた。

つまり、物心がついたときにあったのは、布幕付きの白黒テレビだったのである。
だけれども、どこかにラジオの音を聴いていたような感覚がある。

祖父がテレビを買ったとき、まだ近所では珍しかったので、人気番組を観に、近所のひとか集まっていたのも、遠くて薄い記憶にある。

なんだか賑やかな家だった。

細かい話だけれど、テレビを観るときには、「布幕」をめくって見終わるとまた布幕を降ろしていたし、大きな「水色レンズ」が画面にかかっていた。
その「初代」がダメになって、二代目になったときには、布幕もなくなっていた。

それで、わが家の三代目はカラーテレビになったのである。

カラーでテレビを観た人生初は、いまでも覚えている。
それは、土曜日の夜8時台の人気時代劇、『素浪人花山大吉』のレギュラー、焼津の半次が履いている股引が、「青かった」衝撃であった。
てっきり「らくだ」の股引だと思いこんでいたからである。

しかし、いまこの時代の番組を観て驚くのは、おおくの場面が「ロケ」による撮影で、道には「わだち」があるものの、よくぞこんな場所があったかと思うほどに、原っぱや電柱のない風景が拡がっている。
子供がやっていた「チャンバラごっこ」を、おとなが仕事でやっていた。

「総務省労働力調査」によると、1960年のわが国の就業人口は、4,436万人で、内訳は以下のとおりだった。
一次産業:1,340万人(30.2%)
二次産業:1,242万人(28.0%)
三次産業:1,854万人(41.8%)

こうしてみると、なかなかに「移動」ができないで、おなじ場所で働いていたと想像できるのである。
一次産業は、農地や山林それに所属する漁港が仕事の基点だし、二次産業だって工場に通っていた。

だから、地方ごとの文化がふつうに保存されていたのである。
これを、『新日本紀行』は記録していたし、「芸能文化の記録」としては、『ふるさとの歌まつり』(1966年~1974年)が人気だったのである。

東京に出てきた当該地方の出身者が観ていたばかりか、毎回紹介される、人生で行ったことがない地方の「祭りの光景」が、珍しかったからである。
これがまた、高度成長期の「旅行ブーム」を呼んだのだった。

「観光客」とは、生活が安定した「労働者階級」なくしては存在しない。
逆に、労働者階級というあたらしい職業人たちのかたまりが、そのときどき、その場所場所に「観光」にやってきたのである。

そうやって、全国各地に点在する「温泉街」が、「物見遊山」の「遊山客」を呼び込んで、これがまた、集団主義の「社員旅行」と融合した。
さらに、「家族サービス」になったのは、社員旅行のやり直しを「家族」でやるのに、父親が牽引したからである。

どこに行っても、「お父さんはよくしっているねぇ」と、専業主婦のお母さんが感心して、これを子供がみていたのであった。
「父権」と「威厳」があった時代の、「ふつう」だった。

それから、旅行会社の窓口に行って、教えてもらった通りに旅程を消化すれば「まちがいない」時代になって、「お父さん」の役割が低下した。
それで、あらかじめ作成されたパッケージ商品を買えば、有名観光地をかんたんに巡れたのである。

つまり、「お父さん」がリーダーだった時代の旅行は、かなりの「冒険」で、下手をすると旅先で詐欺や掠奪にあったのだ。
だから、余計な行動をしないで済む、旅行会社のベテランによる注意喚起の説明自体が「商品」となっていた。

『水戸黄門』だって、「寅さん」だって、あんなに気軽に旅に出られたのは、まったく真逆のキャラクターながら、「特別なひと」という共通がある。
そうやって、「地方」を廻ることが一般人には不可能な憧れであった。

しかして、『新日本紀行』は、もっと突っ込んだ「紀行」だったから、おいそれとは一般人がおなじ行動をできるはずもない「完成度」であった。
それは、「物見遊山」の「まじめ編」で、「地域学習」の教材であった。

ここに、NHKの公共放送たる矜持をみるのである。

『新日本紀行』は、横浜なら「放送ライブラリー」で試聴できる。
そこに現れる映像は、かつての、二度と帰らない日本人の生活の記録であり、これを制作したNHKの、いまはなき「まともさ」の記録なのである。

いまもNHKを信じるひとがいて、たいがいが「高齢者」といわれる理由が、『新日本紀行』やら、その他の「名作番組」を観たひとたちが、裏切ることなく存在しているからである。

なので、こうしたひとたちを裏切っている、いまのNHKの悪辣が、一層に「不道徳」なのだといえるのだった。

6800円新築ホテルの完成度

夫婦2人、ツイン・ルームでの1泊素泊まり料金である。

部屋は広く(20平米)、「ツイン」のベッドはセミダブル(1200×2000)が2台ある。
バスルームの床面は、客室と「フラット」で、高級ホテル仕様の建築だ。
また、トイレとべシンの奥に、洗い場付きの風呂になっている。
このため、風呂桶は日本の家庭用タイプの深型で洋風ではない。

デスク周りの機能は充実していて、デジタル時計と温度計付きLEDスタンドがあり、テレビは大型ワイドモニター(三菱電機製)だ。
電源コンセントは3個、テレビ用HDMI端子、有線LAN、充電用USB(タイプA)が2個ある。
もちろん公衆無線Wi-Fiもある。
なお、地元情報はQRコードからの提供が試みられている。

ベッド周りも、室内照明類のスイッチだけでなく読書灯があって、ここにもUSBが2個用意されている。
エアコンは、効率のよい「個別空調」で三菱電機の『霧ヶ峰』、空気清浄機はパナソニック製である。
ワードローブはないが、デザインされた壁にハンガーが6本掛かっていて、シューズクリーナー、ブラシ、靴べらもある。
室内ばきはウレタン製のサンダル型スリッパと使い捨てスリッパの2種類がセットされている。

残念ながら,白色LEDの光源は蛍光塗料によるタイプのはずなので,紫外線が強く目にわるいから使わなかった。

なお、デスクには電話機がある。
今更だけど、携帯電話の普及から電話機のないビジホがあるし、このクラスのホテルの部屋に電話があるのは、「特記」すべきことだ。

その他の機能は、ロビーフロアに集中している。
大浴場、レストラン、自販機、製氷器などだ。
チェックインは、2台の自動チェックイン機で行うが、係員の窓口は検温などのコロナ対策だけだった。

コロナ後はどうするのか?と余計な心配をしたのは、チェックイン機渋滞が発生しても、人間の従業員は無関心を貫いていたからである。

このホテルの立地は、完全に国道に面したロードサイドなので、いわゆるアメリカの「モーテル」である。
なお、高速道路のスマート出口もあって、パーキングエリアのコンビニに裏(一般道)からもアクセスできる「便利さ」がある。

なので、ホテル駐車場は広く、平面駐車場だけになっているが、玄関近くに大型バス用のエリアがあるのも注目である。
そんなわけで、いったん客室に篭ってしまえばすこぶる快適なのである。
ただし、長期滞在向きの機能性はないので念のため。

このホテルをどう評価するのか?と問われれば、「LCCのようだ」といえるのではないか?
この言葉の意味をもっと厳密にすれば、航空機のトイレのようなのである。

運賃が格安のLCCは、「客室」の座席数を稼ぐために激狭状態で詰め込まれるけれども、そうではない会社の「エコノミー」とで比べたら、トイレは同じという機体の設計での仕様変更がないのと似ている。

実は旅客用航空機における客室設計の中で、最難易度なのが「トイレ」なのである。

あの狭い空間に、地上と同様の機能を詰め込むだけでも気が遠くなるのに、水回りのうち洗浄水と汚水を完全に分けながら、高度1万メートルの気圧と温度変化に対応させるのは、素人でもその難易度がわかるのである。
なので、座席の仕様は変更できても、トイレの仕様は変更できない。

わが国の「ホテル文化」で、特筆すべきが「ビジネスホテル」というジャンルになった。
いわゆる、「寝るだけ」という需要を満たすための「機能性に特化した」という意味での進化で、それが「規格化」されたチェーン展開を成功させているのだ。

その見えない原動力が、30年続く「デフレ下」という、日本独特の経済状況にある。
もっといえば、日本人が高単価ホテルを利用できない、という貧困化があるということだ。

しかしながら、「企業努力」によって、2人で6,800円でも「機能性」における満足度を高めている。
こうした「体験」を繰り返したひとたちは、たとえば68,000円のホテルにどんな価値を認めるのか?ということになるのは確実なのだ。

もしそれが、旅客機のトイレと同じだと認識したら、高級ホテルの国内需要は従来通りの成長とはいかない。

もちろん、「円安」という背景も手伝って、外国人には日本円建での「高級ホテル」も割安感があろう。
しかし、おなじ外国人でも、機能性だけを買うとしたら、もっと割安なのが「新築ビジホ」になるのは当然だ。

すると、高級を謳うホテルほど、ビジネスホテルの進化に無関心ではいられない。
「安かろう悪かろう」が崩れてきているのである。
むしろ、高額なほどに、その価値は何か?をこれまでより強く問われ出している。

ちょっと前、「いつかはクラウン」という時代があって、高級車が一番売れていた時期があったのに、「レクサス」ができたら、「クラウン」が中途半端な車種になった。
それが今では、軽自動車がいちばん売れているのだ。

高級ホテルも、「レクサス」かそれ以上を目指してどうするか?が問題になっていて、「クラウン」のままでは淘汰される危険があるということだ。
衝突安全性を除いたら、今の軽自動車の機能性は、かつての高級車を凌駕していることを意識していい。

高級ホテルにあって6,800円のホテルにない、を探すより、6,800円のホテルにあって高級ホテルにない,を先に探さないといけないのである。

ロシア制裁と石炭火力

オバマ政権時代からトランプ政権中期(2014年2月~2018年2月)まで、FRB(連邦準備制度理事会)の議長だったイエレン氏が、バイデン政権の財務長官に就任して先週(12日、13日)初来日した。

なお、世界の「不思議」にある、中央銀行が「民間企業」であることの典型に、FRBの存在がある。
ふつうに存在している、わが「日銀」も、わかったようなわからないような不思議な存在の「会社」なのである。

なんのためにいらしたのか?はあんがいと単純で、「ロシア制裁」の念押しだ。
このあたりが、まるで不思議なのが、「日米合同委員会」でわが国を「占領」し続けているはずなのに、なんでわざわざ?とおもうからである。

これを、「欺瞞工作」だというと、「陰謀論だ」という「陰謀」がある。

1961年発売、ハナ肇とクレージー・キャッツ、なかでも植木等の『スーダラ節』(作詞:青島幸男)の一節、「わかっちゃいるけどやめられない」にこめられた「無常観」こそが、戦前と戦後を結ぶ「不条理への感情の爆発」だったといえよう。

これは、「開戦の詔勅」と「帝国政府声明文」(昭和16年12月9日に朝日新聞の夕刊に全文が掲載された)それと、「終戦の詔勅」(いわゆる「玉音放送」)の3本を読めばわかる、わが国の戦争目的と戦争を終える理由が書いてあるものに対する「無責任の恨み節」なのだ。

もちろん、当時の日本人が恨んだ「無責任」とは、おとなたちが上記3本をしっていることを前提にして、GHQのプロパガンダにあがなえないことへの絶望と、『三等重役』にみられる「敗戦利得者たち」への侮蔑と迎合という混沌がつくった「投げやり感」のことをいう。

なので、完璧な「軽薄さ」を演じた、植木等の『無責任男』を、幼年兵だった父は嫌っていて、両者が「晩年になって」から、植木等が真顔で語る「無責任の演技論」に、父は「そうだったのか!」と納得したのだった。

つまるところ、上記3点セットをしっていた(=戦争の意味のこと)植木等は、自分の役どころに納得できなかったと「告白」して、それが単なる視聴者を超えた、同時代人としての父との「和解」だったわけである。

そんな当事者の想いも、すっかり風化させられて、そもそも上記3点セットの「重要文」を読んだことも、存在すらしらない国民が、おそらく大半になったから、何が何だかわからなくなって、それがまた、政府に都合のいい原因になっている。

裏返せば、国民の都合は無視されるので、踏んだり蹴ったりになっているのに、ぜんぜん気がつかない脳天気さで生きている。
無責任男を演じた植木等には、自分の責任を意識する矜持があったけど、なんにもない無責任だけが世の中に蔓延したのである。

それで、どうしてイエレン氏が初来日したのか?に戻れば、それはなんで「財務長官」なのか?の疑問とおなじ意味になる。
ロシア制裁の念押しならば、「国務長官」の業務範囲ではないのか?

するとなんだか、「格落ち感」があるのである。

念のために書けば、アメリカの財務省はわが国の財務省とちがって、「予算編成権」がない。
アメリカは、連邦下院(日本の衆議院)が、強力な予算編成権を有しているから、財務省はこれを執行するだけの役所なのである。

しかも、カウンターパートになる、わが国の「財務大臣」が会談する役になって、あろうことか「円安」について話題にして、恥の上塗りとなったのである。

もう「三等大臣」というべきか?「三等政治家」というべきか?
いや、「三等役人」が言わせたにちがいないから、官僚の劣化も厳しい状況にあることがわかった。

それでも、わかっちゃいるけどやめられない、のは、「言った」というアリバイづくりだ。

円安の原因は、ドル高だし、それは、「バイデンフレ」と呼ばれる、バイデン政権がつくりだした国内エネルギー資源を絞ったあげくのウクライナで、歴史的インフレに対するための、FRBの「利上げ」である。

まさか、日本政府はFRB議長がまだイエレン氏だというのか?

それで、しっかりロシア制裁はやるけれど、わが国のエネルギーはどうするのか?がない。
これは、経産大臣の管轄だけれど、相手が財務長官なので出番がないように封印されている。

アメリカはインドを経由して、ロシア産の原油を買っている。
ならば、インドからどうやって運んでいるのか?
わが国は、シベリアの開発からも閉め出されたのだ。

オーストラリアの石炭を、習氏が買わないといってそのままなので、ここ一番、わが国が大量買い付けしますともいわないで、国民に「節電せよ」という自民党は、やっぱり終わっている。

二酸化炭素排出量が増えてしまうのが怖いという、原因は、世界でだれも守っていない「京都議定書」を、日本国だけが「石にかじりついても」遵守している愚かさに「修正」もできないからである。

世界がとっくに「コロナ」を終わらせたのに、こんどは「旅館業法の改悪」も目論んでいて、これに業界は相変わらず沈黙している体たらくだ。
「緊急事態条項」を憲法に折り込みたいという暴挙の「前哨戦」がはじまっているのに。

そんなわけで、わが国が誇る「世界一クリーン」な石炭火力発電所を輸出も画策しないのは、もう誰かに命令されている、とかんがえるほか理由がみつからない「無責任」なのである。

ケミカルな本格料理店

むかし「中華料理店での食事」での「後味」のことを、「チャイニーズ・レストラン・シンドローム(中華料理店症候群)」といって、騒ぎになったことがある。
1968年頃からのアメリカでの話で、医学論文として発表されたのがきっかけだった。

原因は、「MSG:monosodium glutamate:グルタミン酸ナトリウム」の過剰摂取による各種症状で、頭痛、顔面紅潮、発汗、疲労感、顔面や唇の圧迫感などの症状から、喉の灼熱感、胸の痛み、動悸、息切れなどが挙げられている。

軽度なものは、飲み物を摂っても口中からヌルッとした「後味」が消えないでいる気持ち悪さがある。

これがいわゆる「食と健康へのこだわり」のブームになったのである。

しかし、その後の調査と研究で、MSGによる健康への影響は「ない」とされ、FDA(Food and Drug Administration:アメリカ食品医薬品局)も、「加工食品」を管轄していることを理由として、家庭やレストランでのMSG使用については「調査外」だと発表している。

こうしたことから、MSGの使用と健康への影響については、公的に「けり」がついている。

なので、以下は「私見」である。

MSGを世界で最初に工業化したのは、1908年(明治41年)の日本で、池田菊苗理学博士が創業した「味の素株式会社」であり、現在も味の素社は世界最大のMSG製造企業である。

MSGは、別に「うまみ調味料」としてしられているのは、池田博士が昆布の「うまみ成分」を発見してこれを合成することに成功したからだった。
人間の味覚を司る、「舌」にある「味蕾」で、甘味、酸味、塩味、苦味を感知していることはしられていたが、「うまみ」については不明だった。

しかし、「味蕾」にある「細胞」にグルタミン酸「受容体」が発見されたことから本格的に「味の構成要素」と認知されることになって、世界に「UMAMI」として拡がったのである。

じっさいに、ヨーロッパのスーパーでも「UMAMI」コーナーが独立してあって、たいがいその案内板には、日本語でも「うまみコーナー」と併記してあるから、見なれたヨーロッパ人には、「うまみ」の文字を見れば「UMAMIコーナー」だということがわかるようになっている。

日本における英語の看板をみて、なんら不思議でないのと似たことになっているのだ。
ただし、50音ぜんぶの文字をしっているわけではなくて、認識しているのは「うまみ」だけだというから、「図形」でみているのだろう。

それで、このコーナーは事実上の「日本食コーナー」になっている。
この意味で、日本人としては誇るべきことだ。

わたしが子供だったむかしは、なんにでも振りかけていて、その理由が「頭が良くなる」というものがあった。
商品名として、「味の素」なのか「ハイミー」なのか?どちらがより頭が良くなるのか?という問題が母や祖母たちの話題でもあった。

これは、「頭脳パン」という、ビタミンB1を加えたパンが人気だったのと似ている。
じっさいには、アメリカ産小麦の消費(輸入)拡大という目論見があったともいわれていて、「Mutual Security Act:MSA協定:日米相互防衛援助協定」と関係がある。

この協定は、「主権回復後」の1954年(昭和29年)3月に東京で調印したもので、同5月1日に発効した。
日本語に「防衛」の文字が入っているから、軍事面のことだけだと早とちりしてはいけない。

後に続く「援助」の文字が「みそ」なのである。

とくに食糧難からの脱却という大義名分を理由に、小学校の給食にパンと脱脂粉乳が採用されたことに注目すると、前にも書いたマクドナルドの戦略にある、子供のときに味を覚えさせること、が白昼正々堂々と行われたことの、基礎となる国家間「協定」なのである。

つまり、同年にできたアメリカ国内法の「農産物貿易促進法」があってのこの「協定」なのだ。

わたしは学校に行くのは楽しみで、皆勤賞を何度ももらったけれど、給食だけは大嫌いで、そのために母が参観日でもないのに毎日のように呼び出されていた。

あのパサパサなコッペパンと、えらくまずい脱脂粉乳は、どうしても食べられなくて、毎日泣いていた。
高学年になってから、脱脂粉乳が牛乳になってようやく食べられるようになったのである。

そんなわけで、わたしの妹は脱脂粉乳をしらない世代の最初である。

「スキムミルク」も脱脂粉乳のはずなのに、どうしてかくも味がちがうのか?
あとからしった驚愕の事実は、アメリカで豚の餌用だったものを「援助」してくださったことだった。

つまり、わたしたちは、「豚扱い」されていたのである。

なお、アメリカ人の名誉のために加えれば、とっくに共産化した民主党とは別に、敬虔な清教徒系のひとたちも多数いて、「豚の餌」を大量に輸出していることに気づいた市民が、日本人は豚肉を大量に食べているのに「飢餓」とはなんぞや?と憤ったのである。

しかし、「人間の子供が食べている事実」をしって、その「飢餓」の深刻さに驚き、全米での募金活動になったという話もある。
これには、戦死した米軍兵士の親も加わったと。

それから、「米あまり」で、給食に米飯が出るようになったころには、もう高校生になっていたから、どんな味の給食なのかはしらないでいる。
しかし、よくよくかんがえれば、「米あまり」とは、小麦(パン食)シフトの「成果」なので、アメリカからは「協定」の成功になる。

さてそれで、「暑気払い」といえば「焼き肉」だという条件反射で、家内と市内有名焼き肉店に予約して行ってみたら、初めて注文した「水キムチ」の味が、異様に強い「うまみ」で変だな?と感じたのである。

これが決定的になったのは、いつもはたどり着かない「シメ」で注文した、ユッケジャンクッパが、まるでケミカルな味なのだった。
おかげで、1日経っても口中の気持ち悪さがなくならないばかりか、お腹の調子も悪い。

本当に、健康への影響について、「けり」がついていると信じていいものか?

そこで、「韓国語会話」の教科書に、以下の例文をみつけた。
이게 맛있다고?      MSG 맛     밖에      안     나는데?
イゲ マシッタゴ?     MSG マッ パッケ アン ナヌンデ?
これがおいしいって? うまみ調味料の味しかしないけど?

「本格的焼き肉店」とは、こういうことだったのか?

近くの席についた、韓国人一家には小学生もいたけれど、オレンジジュースだけを飲んでいて、ほかには一切箸をつけなかった。
おとなはさかんに「食べなさい」といっているようであったのに。

やっぱり子供は、味をしっていて防衛本能が働くのかもしれない。

老眼にやさしい腕時計がない

「クオーツ」の「原理」を発見したのは、あのキュリー夫妻で1880年のことだった。
それから、「腕時計」として世界で最初に発売したのは、セイコー社で1969年の『アストロン』(アナログ表示)だった。

家庭用ビデオで、機能に優れた『ベータマックス』が、『VHS』に完全敗北した最大の理由が、「特許の公開」であったように、セイコー社はクオーツ式の特許公開をして、スイスやアメリカの時計業界に「壊滅的打撃」を与えたのは有名な話だ。

スイスは二極化の道を選んで、「超高級機械式」と「超廉価」とで対抗した。
「超廉価」の方は、心臓部の「ムーブメント」を日本製に甘んじて、「デザイン」をスイス製としたのである。

このアイデアは、その後の世界の製造業に「画期」を与え、付加価値の源泉がデザインから商品企画にシフトしたわかりやすい「事例」になったのである。
この「権化」が、いまのアップル社であろう。

一方で、工業大国のアメリカの時計製造業は、いったん「全滅」したのだった。
どれほどセイコー社が恨まれたことか?
今でこそ、日本人が骨身に染みるほどに理解できる事態である。

それでも、アメリカの時計製造業は復活してきたから、現在の日本人はアメリカを「先進(例)国」として学ぶ価値はじゅうぶんにある。

クオーツ時計のもう一つの「画期」が、「デジタル式表示」であった。
時刻が数字で表されて、「針がない」ことは、とにかく時計の概念を変えたのである。

もちろん、「精度」は、クオーツだから、機械式とは次元がちがう。

むかし、『徹子の部屋』に出演した、超売れっ子脚本家の花登筐(はなとこばこ)氏が、腕にあるスイス製超高級腕時計が数千万円するのを自慢してから、ポケットから取り出したのが1万円のクオーツ時計で、「正確なので時間はこの時計でみている」といって笑っていた。

なので、超高級腕時計を指して「ブレスレット」というのである。
「(動く)装飾品」という意味である。

クオーツ時計は、「電池」がエネルギー源なので、その性能は電池の性能によって左右されるし、デジタル式なら「発光方法」での電池の消耗がちがう。

それで、自ら発光して目視しやすいけれど電池の消耗も激しい「LED式」が廃れて、節電型の「液晶式」が主流になったし、電池も「太陽光発電式」が採用されて、交換の手間がはぶけた。

さらに、時刻合わせの手間も、ラジオ電波の時報を受信して自動になったら、カレンダーも自動になった。
最近では、スマホ連動になって、アナログ式とデジタル式とで、あたらしい分化をはじめている。

デジタル式は、いわゆる「スマート・ウオッチ」がそれで、『ウルトラマン』の科学特捜隊が着けていたかつての少年たちが「夢」にみた無線機となる時計すら「古い」機能になっている。
まさか、電車の改札にも使えるとは、当時の発想を超えているのだ。

それに、「文字盤画面」の細密化で、あたかも「アナログ式」のような表情だって選択できる。

けれども、「スマート・ウオッチ」が気持ち悪いのは、便利とされる「ウエルネス」をうたう機能だ。
心拍計とか骨格筋量や基礎代謝量、体内の水分量、体脂肪率などが「測定可能」で、運動管理もしてくれる。

これらの「情報」が、スマホを通じてデータベースに飛んでいくのだ。

もちろん、自分のためだけでなく、「ビッグデータ」として収集されていることぐらいはしっている。
これが、「気持ち悪い」のだ。

はたしてこんな「多機能」は、「進化」なのか?

そんなわけで、「老眼にやさしい腕時計」を探しに、涼しい冷房の効いた家電量販店に行ってきた。
わたしの要望は以下の通りである。

・デジタル式であること
・数字は目視しやすいこと(大きさ、照度、夜間自動発光)
・手間なしであること(時刻合わせ、太陽光発電)
・余計な機能はいらないこと

デジタル式としたのは、アナログ式を既にいくつか持っているからであるけれど、時刻を一目でしるには、デジタル表示の方が早いという理由がある。
「老眼」がだんだんきつくなると、「針を読む」のも面倒なのである。

だから、「目視しやすい」というのは、絶対条件となる。

ここで、大型量販店の売り場を3周ほどして気づいたのは、ターゲットが「現役世代」としてディスプレイされていることである。
それと、理由はわかるが、「メーカーごと」になっていることで、売り手の都合が優先されている。

どうしてこうなっているのか?
「メーカーごと」は容易にわかる事情だが、「現役世代」中心にはやや違和感がある。
自分が外れていることもあるけれど、「人口比」と合致していない。

そんなわけで、「最大文字表示」の機種は、なんと「トレッキング用」とかの「山登り」に適した機種だった。
だからもあるが、よくある「スポーツ・タイプ」のゴツゴツした重厚なデザインだ。

それで、高度計や方位計測、気圧・温度に日の出・日の入りを示す「余計な機能」がついている。
その割に、暗所での自動点灯機能はショボくて、地面に対して60度の位置で白色LEDが2個ばかり数秒間光るだけなのだ。

文字が自動拡大するぐらいの気の利いたことはできないのか?
もっといえば、月齢や旧暦などの「陰暦表示」があってもいい。
年寄りは「風流」を好むのである。

世界に日本の風流を輸出するくらいの気概があっていい。
これが、スイスとアメリカに学ぶことではないのか?

これで3万円。
100円ショップの超単機能な300円時計が、妙に潔くみえるのである。
さては残りの人生を、どの時計で計ろうか?

あんがいと悩ましいことになったのである。