かんがえ方の出発点が,「定義」である.
なにもかたくかんがえなくても,じぶんでじぶんを「定義」で縛ってしまうことがある.
どうもうまくいかない,といったとき,「定義」を変更するだけで,はなしはおおきくかわる.
新津春子さんというひとの講演をきいた.
テレビで有名になったが,本人はちょっと迷惑そうだった.
彼女は,ビル清掃の達人である.
しかし,ビル清掃のしごとが,社会から低くみられていることもしっている.
「わたしたちはお客様の目にはっていない」
「でも,それでいい」
中国残留孤児二世の彼女は,日本語ができず,ビル清掃のしごとしかなかったという.
それで,「ビル清掃人になっちゃった」.
募集しても募集しても,ひとがこないから,法律違反だといわれようが,管理職として一日18時間はたらいた.
「日本人だって,みんな『ビル清掃人になっちゃった』ってがっかりするの」.
唯一,彼女がふつうでなかったのは,「ビル清掃人になっちゃった」けど,「ビル清掃『職人』になる」と意識したからだ.
国家資格もある,奥深いしごと,なのである.
こうして,コンテストで日本一となり,職場の羽田空港は世界一清潔な空港に毎年連続して選ばれている.
彼女は,羽田でただ一人の「清掃マイスター」になった.
山形新幹線の社内販売のカリスマ,斉藤泉さんも似ている.
彼女は,短大生時代にこのアルバイトをはじめる.
ふつうは,ワゴンを押しながら社内を往復して,お客さんから声がかかればとまって,お客さんのいう通りの商品をわたせばいい,とかんがえるだろう.
彼女は,「日本一小さなお店の店長になった」と定義した.
店長だから、なにを売りたいかは自分できめる.
そのために,乗車前にはかならずホームを往復して,お客さんの年齢や職業,それに手荷物をみて客層を確認し,さらに,天気に気温や湿度を自分でも「感じる」という.
こうやって,ワゴンに積み込む商品とレイアウトをきめる.
そして,販売しながらも,購入してくれたお客の意見を収集した.
それで,いまでは伝説となった,地元の老舗駅弁屋さんと「お弁当を開発」してしまう.
これが,駅弁の人気全国二位になる.
これらは,個人の世界のはなしであるが,よくかんがえれば,これぞ「事業コンセプト」なのだ.
あまたいる同僚とは,一線どころかぶっちぎりの成果をたたきだす.
仕事のノウハウを解説した書籍や動画もたくさんあるが,なかなかドンピシャにあたらない.
それは,方法論ばかりがかたられて,「定義の変更」という「思想」がないからだとおもう.
「自分はなにものなのか?」
という問いに,漠然としたイメージしかないひとと,明確なイメージがあるひととでは,まったくちがう成果になるのは当然どころか必然である.
こんなことはあたりまえ,わざわざ書く必要もなかろうに,というのはもっともである.
しかし,あんがいそうでもないひとがおおくなったようにおもう.
そういうひとたちは,かならず誰かや何かに「依存」する.
国や自治体がなにかをしてくれるという「政府依存」が蔓延しているし,その政府がゆるそうとしているカジノでは,「ギャンブル依存」が話題になっている.
「自立して生活できる国民を育てる」はずの義務教育も,いつのまにか「依存してしか生きられない」ようにしているのが滑稽だ.
高等教育ばかりが「いい教育」と定義しているひとたちがいるが,「職人」ならば年齢的に中学校卒業でも遅いと断言する「名工」がたくさんいる.
人間に備わった「五感」の各種センサーを,一生つかえるレベルまで研ぎ澄ますには,10歳ぐらいから訓練するのが理想というから,「若年労働」どころのさわぎではない.
こうして,あと数年もすれば,最新鋭工機でもつくりえないものづくりも絶えるだろう.
そのころ,小学校では「プログラミング」が必修になっているはずだ.
「プログラミング」を小学生におしえても「児童の職業訓練」とみなさない.
こんな都合のよいはなしを,よろこぶ親は,どんな「定義」で生活しているのか興味がわく.
職人になりたいと志すこどもを,職人にしてあげられないことのほうがよほど問題だ.
技術は文化とおなじで,一度絶えると復活できない.
台湾の故宮博物院収蔵の「青磁」を例にしても,いまだその製造方法は解明されていない.
人間の手がつくり出す業を,録画保存しても,職人の感覚を保存することはできないから,絶えれば情報がないよりはまし,という程度だろう.
あらゆる場面で,「定義の変更」が必要なのではないか?