国家をだれが経営しているのか?

社長とか,役員とかいうひとを,ふつう「経営者」という.
しかし,経営者が経営しているとはかぎらない.
むしろ,経営者が経営していないことのほうがおおくなってしまったかもしれない.

とにもかくにも,でるわでるわの不祥事だらけである.
新幹線の台車の問題は,甚大な事故原因になりかねない.「インフラ輸出」どころではない.
どうして,削ってはいけないところを削ったのか?
一連の不祥事で,ほんとうに安全に問題がある唯一の事例である.

ベアリング会社の製造所偽装も,なにもかも「安全には問題ない」ですんでいる.
つまり,これは技術的にJISを超えているのではないか?
ましてや,自動車会社の完成検査問題も,輸出車には適応しない国内販売向け「だけ」の問題だから,本質的になにが問題なのかわからない.

輸出先の国々から,クレームが一切ないのは,もともと輸出車に完成検査義務がないからだ.
なぜ,国内だけ問題になるのだろう?
結局,自動車が「メカ」だった時代,しかも手作り感満載のころの「ルール」が変わっていない,いや,「変えていないだけ」なのではないか?

国有地の払い下げ問題が,連日報道されているが,とうとう財務局で自殺者まででた.
公文書偽造をほんとうにやったのだろうか?
その手口は?まったく不明である.
公文書は,決済後の保管状態であっても,そうかんたんに改ざんできるものではないからだ.

民間企業でも,決裁書は厳重に保管されるから,たとえ起案者であっても,文書保管部署に行って書類を差し替えることなどできない.

この問題は,ほんとうに国会を空転させるにたる重大さをひめているのだろうか?
はっきりいって,どうでもよいのではないか?
「問題解決」の要諦は,優先順位の決定である.
国家の解決すべき課題の最優先順位に,この問題があるとはおもえない,という意味である.

大企業での一連の不祥事と,国家機関における不祥事には,共通点がある.
それは,だれが経営(マネジメント)しているのか?ということの「曖昧さ」である.
これは,日本文化なのであろうか?

欧米の研究では,AI(人工頭脳)の発展によって,まっさきになくなる仕事として,公務員があげられた.
法治国家における「行政」とは,法令に基づく,という基本があるから納得できるはなしである.
しかし,日本における公務員の仕事には,法令にはない「裁量」という分野がある.

アメリカ第七代ジャクソン大統領がさだめ,いまでもいきているのがいわゆるジャクソン・ルールともいわれる「スポイルズ・システム」である.これは,ときに猟官運動の弊害も指摘されたが,本質的な思想背景は,「公務員の仕事はだれにでもできる」というものだ.
だから,政府高官ポストも政権交代によって半分が「素人」にいれかわる.

それでいて巨大国家が運営できるのは,法令のうえでしか公務員は行動できないからだ.
「裁量」は,政治家がうけもつ分野だから,法令の改正がおこなわれる.
日本では,議会機能は限定的で,法令の改正も公務員が起案するから,公務員に都合がいいことが上書きされていく.

「綱紀粛正」の対象は,上級職の公務員ではなく,初級職に集中して攻撃がくわえられる.
「綱紀粛正」のやり方も,政治家がかんがえずに,上級職にまかせるから当然上級職に及ばないやりかたになる.
どうして日本の政治家は,かくも公務員に甘いのか?それは,単純に公務員に担がれているからにすぎないからだ.

民間の大企業はガルブレイスが「新しい産業国家」で指摘したようになったが,じつは公務員の世界のほうが先に簒奪されている.

だから、治療のほうほうがないのだ.
残念だが,大崩壊をつうじてしか,これをただすことはできないだろう.
そのとき,日本は独立国でいられるか?までも危ういことになりそうだ.

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