それなりの年会費を徴収して買い物をさせるとは、アマゾンのプライム会員と似ていると言えば似ているし、会費の額も似ている。
横浜には、市内の「金沢区」という、横須賀に近い南端の区にコストコができたのは、2004年のことで、国内第4号店だった。
ちなみに、この区は横浜市内でただひとつの「藩」である、「武蔵金沢藩」だったという由緒がある。
逆にいえば、その他はぜんぶ「天領」だから、お代官様が仕切っていた。
ただし、人口爆発は「開港後」のことなので、おおくは「地元民」ではない。
有名な「加賀」と分けるために「武蔵」をつけたが、鎌倉幕府が創建した国立図書館の「金沢文庫」を護ることを、引き続き家康から仰せつかった藩主は「文の家」である。
それ故か、市内にあっても独特の雰囲気がむかしからあって、「スーパーマーケット」を生まれて初めて経験したのも、この区にあった店である。
好きなものをカゴに入れて、レジで精算するというのは、天井からゴム紐でぶら下げた「ザル」におカネを入れていたのと大違いだった。
それに、「レジスター」が、まるでコンピュータに見えたほど、ハイカラで珍しかった。
当時のものは、コンピュータになった今とはちがう、その名の通りの「現金登録機」にすぎないが、これを知るのはおとなになってからである。
その思い出がある金沢区に、コストコが開業したのである。
当初の「驚愕」は、その圧倒的「物量」で、日本のスーパーでは考えられないキャスター・ワゴンのデカさだけでも感動ものだった。
生前の父母も、初体験では興奮冷めやらぬ「お買い物」に熱中した。
海軍の幼年兵で、駆逐艦のレーダー兵だった父は、アメリカの物量にやっぱり唖然としていた。
両親とも共通の「お気に入り」は、トイレットペーパーだった。
おとなでひと抱えしないと持てない、1パックで60巻のそれは、1400円ぐらいだった。
「高いかも」とつぶやいたら、母は即座に「メーター数の長さが違う」と、得意の暗算で、しっかり計算していたから、わたしはそれに驚いた。
日本製のとは、確かに「巻き」の大きさが違っていて、トイレのペーパー・ホルダーにやっと収まるのだけれども、ただ引っ張ったら切れてしまう。
ホルダー自体の「摩擦抵抗」があるのだ。
これを、「長さ」で単価計算して捉えていたとは、感心した。
これから、わが家のトイレは、日本製の紙を使っていない。
それにしても、わざわざアメリカから運んできて元が取れるのか?いつも不思議に思うのである。
さて、昨年のアメリカ大統領選挙以来、渡米して突撃取材をするようになった、沖縄の我那覇真子女史は、おっとりした沖縄訛りながら、確実にターゲットを追う本物のハンターのような人物だ。
その保守言動ぶりも、ベテランでもエセの仮面を容赦なく、快刀乱麻を断つがごとく剥がしまくっている。
それだから、「保守論壇」から嫌われて、排除の憂き目をみてきた。
読者には、こうしたひとがいてくれるのは、まさに「掃き溜めに鶴」なのだ。
その我那覇女史が、バイデン失策政権の失策ぶりを取材に、また渡米した。
現地で待ち構えるのは、アメリカ在住ビジネスマンの、山中泉(やまなか せん)氏である。
このひとも現地で様々な発信をしていて、とうとう本も出版し、好評ゆえに続編も準備中という。
さて、合流した二人は、さっそく山中氏の案内で、コストコに行くのである。
そこにあったのは、「スカスカの棚」だった。
品不足のため、アメリカ人がトイレットペーパーを買いだめして、より品薄になったのである。
物流が停滞して、深刻な物資不足になっているという。
その原因は、バイデン氏による国内石油開発の中止による、ガソリン高騰だけではない。
トラック運転手が、決定的に不足しているのだ、と。
沿岸部の港湾倉庫は、歴史的な「満杯」ぶりで、荷下ろしの順番を待つ船が所狭しと停泊している。
しかしながら、肝心のトラックが荷を取りに来ないのである。
これは一体どういうことか?
「コロナ対策」による、手厚い福祉政策が、「下層」とされるトラック運転手を潤わせて、労働意欲を取り上げたのだ。
家族の数にもよるけれど、月収で50~60万円に相当する「補助金」を得れば、誰だって「寝て暮らす」ことを選ぶだろう。
もちろん、「働いたら」もらえなくなるのだ。
これぞ、「福祉国家」なのである。
そして、「良かれ」が過剰になると、社会的混乱を引き起こす。
だから、社会的混乱をひきおこしたいなら、「民衆受け」する過剰な「福祉」を政策根拠にすれば、「自然と」社会混乱になって、支配層を除いてみんなで「貧乏」になるようになっている。
巧言令色鮮し仁(こうげんれいしょくすくなしじん)という、古典の指摘は、現代のことかとおもえてならない。
高校教師は、漢文の授業で、「文法」ではなく、「生活哲学」として学ばせることが望ましい。
江戸の武士は、まさにこうして育ったのだ。
そんなわけで、港で待ちくたびれた船が、横浜を目指して「紙」を運んでいるかもしれない。
円安と燃料高騰で、きっと割高な値段になるにちがいないと、妄想して、山と積まれたトイレットペーパーを買ってきた。