ビジネス感覚がない「連合」

テレビを観るという習慣がないから知らなかったけど、BSテレビ東京の『日曜サロン』という番組が、突如ユーチューブのお勧めに出てきた。
そのお勧めの内容が、先週放送の女性で初めて連合会長になった芳野友子氏へのインタビューだ。

ありきたりの質問に、ありきたりの回答をしているので、ぜんぜん新味がない、という意味で「新鮮」だった。

まだこんなレベルの「インタビューが成立している」という意味である。

テロップに出る聞き手の経歴の「つまらなさ」は、かつての業界人のエリートの典型だろうから、古色蒼然としたインタビューになるのは仕方がないし、正味24分程度の長さしかないから、「切り込めない」のだろうけど。

あるいは、事前に打診して出演を決めてもらうのに、古色蒼然としたインタビューでないと、「OK」がでない事情があるのかもしれない。
だから、視聴者が感じる、聞き手への焦れったさとは、聞かれる側の意向である、ともいえるのが「インタビュー」の「インタビューたるゆえん」になる。

その意味で、聞き手の堂々とした「ありきたり」が、番組づくりには必要になって、権威づけのために「経歴」とか「肩書き」とかがいるのだ。
こうして、視聴者を「威圧する」ということになっている。

なのであんまり観たくはないけど、せっかくの「自動サジェスチョン」なので、AIの指示通り観ることにした。

労組の親方が女性になった、というのは「実力次第」ということでいえば特段の意味はないけれど、ジェンダーをいうひとほど「喜ぶ」傾向があって、さらに「女性幹部の少なさ」を嘆いたりして、「逆差別」を正当化するものだ。

このひとも似たようなことを言ったのが、大変残念で、女性の賃金格差についても、企業内の実態をこれから調査するというトンチンカンぶりだった。
「連合」と言えば大企業の労組の集団だ。
いまどき、そんな「大企業」の賃金制度で、女性差別があるものか。

むしろ、パートタイムなどの「主婦労働」における、年収の「税の壁」が、低賃金を正当化させているはずである。
もちろん、この議論には、「家庭内の家事労働」は、「無賃金=無価値」という思想がはるか前提にあることに触れることはない。

つまり、黙って「容認」しているのである。

この根本をどう「哲学」するかの議論なくして、「女性の社会進出」とか「女性の活用」というのは、あくまでも「女性」とおだてればなんとかなるという(本当は男性の)「甘え」ではないのか?
それを、女性の連合会長が言うから、まともな(=自分の頭で考えることができる)人物とは思えない。

どなたか(複数でも)の「操り人形」かと疑う理由だ。

その「根本」に話を戻すと、連合の根本問題は、会長も自ら語った「17%」という組織率の「低さ」なのだ。
ぜんぜん我が国の「労働者の代表」とはいえないし、むしろ、「ほぼ正社員で構成される」という、「エリート集団」なのである。

そこで、非正規雇用のひとたちの意見を聞くための「イベント」を開催するのだというのは、なんだかなぁ、と「異次元」のことに思える。
逆に、非正規のひとたちが「組合加入したくない」とすれば、不断の「マーケティング」をしないといけない。

「組合に加入したい」という気持に、1ミリも一般社員をさせることができないことを知っているから、「内に籠もるのか?」と疑うのだ。
すると、実は労働組合を必要のない組織だと考えるひとたちによって、労働組合のトップが構成されている、ということを告白していることになるのだ。

そんなわけだから、「一大スポンサー」なのに、支援政党から無視されるのだ。
「共産党との連携はあり得ない」といいながら、これをやる政党を責めてもせんないことだ。

それでいて、岸田政権の「新しい資本主義」を評価して、「政権と考えが近い」という。
これは一体どういう意味か?

無理やり解釈すれば、「共産主義は嫌だけど、社会主義はいい」という、いまさらの「無謀」をのたまわっている。
80年代まではなんとか「通じた」けれど、ソ連崩壊以来、こんなことを言って何になるのか?

社会主義も共産主義も、所詮は「同じ穴のムジナ」なのだと「証明」されたのである。
すなわち、おそるべき「古さ」なのだ。
若かりし彼女が労組で学習した当時の「常識」で、時間が止まっている。

むしろ、共産党と手を組み「異常」と批判された前代表の枝野氏の方が、「どうせ同じ」という現実を知っているのだ。
もっといえば、革マル派の枝野氏の方が、よほど「代々木嫌い」の「はず」なのである。

さてそれで、ドイツ社会民主党は、戦後の早い段階で、結党以来の伝統だったマルクス主義を棄てて、国民政党に脱皮した、と書いた。
ならば、連合も、社会主義を棄てて、「労働者=国民、の幸せ追求」に脱皮すべきなのである。

さすれば、岸田政権=自民党=社会主義政党との、決定的な対立軸が明確になる。
こうした「転換」ができないならば、組織率の低下を止めることも、国民から相手にされることも、即刻あきらめるべきである。

ついでにいえば、「組織率」について、丁度1年前に事務局長が「手前味噌」の統計解釈をしている。
都合のよい解釈で欺されるのが、我が国を代表する労働者集団なのかと、よりいっそう嘆かわしくなるのである。

それはあたかも、ビジネス感覚がない経営者たちによる会社経営と同じく、「破たん」という結論にしか向かわない。

これはこれで、国民の不幸なのである。

もっとちゃんとした人物は、この組織にいないのか?
それが、もっと国民の不幸なのである。

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