「フロー」と「ストック」の攻防

「会計」でいえば、売上から費用を引き算する「損益計算」が、「フロー」を扱って、そこから得られた「利益」を「資本」とくっつけて「貸借対照表」にすると「資産の状態=ストック」がわかるようにできている。

で、どっちが重要なのだ?

という質問に、「決算書」では、先に「ストック」を表示するページ構成になっている。
ところが、あくまで「フロー」しか気にしない経営者や経営幹部もいる。

これはなぜかというと、社内での管理が「簡易的」に「フロー」だけでやっているのを忘れて、ついに「全部」に変換されてしまうからである。
だから、ストックを気にしなくても問題ない、ということではなくて、ストック「そのもの」のことを無視してはばからない、ということになるのだ。

そこで、自社事業に「素人」の「社外取締役」が、「ストックを話題」にすると、プロパー役員の顔が引きつったりする。

ときに、会計の専門家からすれば、「そんなバカな」ということだし、ふつうの「株主」だって、「そんなバカな」と思うだろうけど、「そんなバカな」ことが、ふつうになって世の中は動いている。

昨年の暮れ16日に日経新聞が、東京証券取引所が、新しい「市場」をスタートさせることを「改めて」報じたのは、ほかにニュースがなくて紙面を活字でムダに埋めるためだったかどうかはしらないけれど、とっくに決まっていることを「あたかも新しい」というニュアンスで報じたのだった。

それでもって、今年の4月1日からスタートする。
これまでの「東証一部上場」とか「二部」とかは終了して、「プライム」とか「スタンダード」というカタカナ表記になる。

この「振り分け」の基準が細かく決められているので、「解説本」が売れるにちがいない。

個人的見解を言えば、なんだか「デノミ」のような気がするのだけれど、通貨単位を変えるデノミとは「ちがう」というご専門の厳しい指摘はあえて無視して、「本質はおなじ」といいたいだけなのである。
どの「市場」に振り分けられても、その企業価値自体はなんら変わらないからである。

しかし、昇格したら昇格したで、企業価値が増えた、というひともいるだろうし、降格(2割ほど)したらしたで、企業価値が減った、というひとがいるかもしれない。

このときの「企業価値」とは、「株価換算」(時価 × 発行株数)でいうことがふつうなので、フローでストックを評価するという、すごいことになるのである。
あえていえば、「ハチャメチャ」で、「めちゃくちゃ」なことである。

これを、さも当然としているところに、現代資本主義の弱点がある。

いったん基本の状態に戻して考えれば、たとえば、マックス・ヴェーバーが説く、ドイツのプロテスタントたちで、石工という職業人達の間(組合:ギルド)で起きた、資金の融通を、資本主義の嚆矢としたことがあげられる。

仲間うちで、資金が足りないひとにみんなでおカネを融通してあげたら、受注のタイミングと合致して得た利益のうちから、「配当」を出したのだった。
それでもって、出資者が出したおカネより多くを、自分は出資した「だけ」なのに得たのである。

ここで重要なのは、話の「順番」なのだ。
困っている仲間うちでの助け合いから、個々人が手元資金を出したら、資金を得たひとがそれを「増やして」、結果として、「配当」を出したのだ、という「順番」だ。

わが国のなかにある、「信用組合」と同じなのだ。
いや、信用組合がこれを真似たのだ。

しかしながら、これを繰り返すうちに、話の「順番」が変わる。
利益「配当」が欲しくて、おカネを出すようになったのである。
これが、「銀行」だ。
本来の「受け取り利子」とは、「配当の利回り」のことを指す。

だから、優秀な銀行は、たくさん配当を出せるひとに貸すことで、他の銀行よりも多くの利子が支払えるので、そんな銀行ならたくさん預けたい、というひとがでてきたのである。
日本では、昭和恐慌までの銀行がこれだった。

そして何よりも重要なのは、もう一つのルートとして、「株式」の発明があったことだ。
人類初は、オランダ「東インド会社」が最初とされている。
これが、投資「リスク分散」の名案としての「証券化」だったのだ。

だから、株式にも投資利益の分配としての「配当」が含まれている。
けれども、「順番」がすっかり逆になってしまって、株式自体への投資が値上がりや値下がりする「相場」を形成することになった。

こうして、銀行も証券会社も、完全に「順番ちがい」を「正業」とすることになったのである。
そして、銀行融資よりも直接に資金を調達できるので、企業は株式を印刷して発行したがるようになった。

これでは銀行は困るので、中央銀行の庇護の元に、国家による支配を求めることになったのである。
こうして、もっと儲からない、自業自得になった。

そこで、デジタル通貨がどうなるのか?が今後の問題になる。
場合によっては、資本主義のやり方が変わるかもしれない。

そもそも、銀行から融資を受ける必要があるのか?とか、電子化しても株式を発行する必要があるのか?とか。
あるいは、不動産会社とか自動車会社が自前のデジタル通貨を発行して、不動産や自動車のローンに使わせて流通させることを狙うかもしれない。

はっきりしていることは、デジタル人民元がシステム的にも先行していることだ。

各銀行も自前のデジタル通貨を発行して、フローとストックの両方にコミットしたいだろうけど、政府と中央銀行はこれを許しそうにない。
フローとストックの攻防は、金融全体主義によってコントロールされ、自由を阻まれているのである。

そして、最も強力に金融全体主義をやっている国のデジタル通貨が、世界で最初に流通するかもしれないと言われているのである。

ところが、「デジタル絵画」の世界では、ブロックチェーン技術を用いた、「所有権」の売買が一般化している。
所有者の「名」が刻まれていく。
人気の絵画の価格が、億円単位になることも珍しくないが、それは、「所有者の名前が刻まれる」という権利を売買しているという意味なのだ。

デジタル絵画がデジタル通貨になっているのではないのか?
これは、フローとストックの結合だからである。

もはや、マネーロンダリングも可能になっているから、当局をして発行を躊躇させるのかもしれない。

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