「信頼」を生産する

10年前に購入した,フランスの自動車会社製の「光る電動ソルト・ミル」が,電池の液漏れで動かなくなった.
購入したのは,東京日本橋にある老舗の刃物店である.
それで,修理を依頼した.

できたと連絡があって,引き取りにいくと,あたらしい電池だけでなく岩塩もたっぷりはいって返納された.
修理代金は,無料だった.

店は輸入代理店のはずだが,「これだ!」とおもう.
じぶんたちが目利きしたものに,徹底的な責任を負う.
だれがつくったものであるとか,どこから仕入れたかは関係ない.
目利きの結果で販売したら,その商品のその後はじぶんの店の沽券にかかわることになる.

たんに「アフターサービス」とか「アフターケア」といいたくない.
店の存在理由にまでいたる「かんがえ方」をしっかりと感じるからだ.
こんな店は,むかしならふつうだったのだろう.
だから消費者は,ふつうが失われているのに,便利になった,と勘違いしている.

それは,使い捨ての正当化にはじまる.
けれども,金額にすれば数百円のものならまだしも,万円単位となればそうもいかない.
ましてや,たかがソルトミルなのだが,これに万円単位を払ってしまったら,やっぱりすぐに棄てる気にならない.

そもそも,万円単位のソルトミルを売っていることからはなしがはじまる.
それを,老舗がしっかり品質保証しているのだ.
だから,刃物でちゃんとしたものが欲しかったら,かならずこの店ときめている.
たかだか千円の爪切りだって,ここで買う.
なんと,切れなくなったら,ちゃんと研ぎなおしをしてくれる.

そうすると,研ぐことを仕事にしている職人の仕事になる.
だから,ちゃんとした職人を残したいなら,ちゃんとした製品をつかわなければならない.
ちゃんとした職人がつくった,ちゃんとした製品は,ちゃんと修理をしてもらえるからだ.

そんなことがあったら,やはり10年ほど前に買ったツイードのジャケットがほつれてしまった.
これは,亡くなった伯母から,「あんたも不惑を越えて横浜にくらしているなら,元町の◯◯のジャケットぐらい着なさい」といわれて買いにいったものだ.

その日は珍しく小雪が舞うほどの雲行きだったから,商店街を行き来するひと影もまばらだったが,目的の店にはいるなりいきなり,「いらっしゃいませ,ジャケットですね」といわれた.
店主がジャケットのコーナーに行くのと,わたしが上着を脱ぎながらそちらにむかうのと,ほぼ同時に,店主がわたしの体型を一瞥して,一着をとりだした.

そして,上着を脱いだばかりのわたしに,それを着せてくれると,ぴったりだった.
「お似合いですよ」
この一言で,「これください」.
ものの一分もしない買い物だった.値段はみていない.

それで,精算しながら手入れ方法も説明してくれた.
「わたしどものオリジナルですから,一生ものです」

この言葉をおもいだして,お店に持ちこむと,「かけはぎ屋さん」を紹介してくれたのだが,近所だからとご主人が同行してくれた.
それは,県内でも有名な職人の店で,おおくのクリーニング店や洋服リペアの専門店も,じつはここに依頼しているという.

「うちの店でお預かりしてもいいのですが,手数料がバカバカしいですよ.こんなに近所なので」と.
できあがりは,どこがほつれていたのかわからないものだった.

この洋服屋さんも老舗の刃物屋さんとおなじなのだ.
じぶんの店は,ただものを売っている「だけ」ではない.
商品を生産せずに,右から左へうごかせば売上にはなる.
そんな店ばかりがふえたように感じるが,かれらはものはつくらないが,じつは「信頼を生産」しているのだ.

それは,外国車の輸入専門会社とおなじではないか.
「クルマはつくらない,クルマのある人生をつくっている」

旅館やホテルは,なにをつくっているのか?
しみじみかんがえる年末閑散期である.

お正月準備の,ことしさいごのチャンスの時期ではなかろうか?

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