さくら・開花の準備中

すっかり葉が落ちて、枝と幹だけになってそびえる桜だが、よくみると、花芽はもうとっくにつけている。

よくみる、という行為をしないとわからない。

ぼんやりと眺めることは、全体をつかむときに有効で、景色の写真を撮るときには、カメラを無限大にしたものだ。
だから、ある対象を際立たせたいときは、それにピントをあわせて周辺をボカすと、いっそう目立たせるごとができる。

これは、遠景でも超近接のばあいでもおなじだ。
人間の情報処理能力にかかわるのだろう。

対象がたくさんあると、ひとは選択できなくなる。
マーケティングでも、有名な理論だ。
だから、おなじような商品をばく然と並べてはいけない。
消費者は選択できなくなって、しまいに購買行為そのものをやめてしまうのだ。

これは「売れない」理由のひとつだが,べつの理由をかんがえる店主がいる.
それは,「商品に魅力がない」のだときめつけるのである.
陳列方法がわるい=じぶんがわるい,とはかんがえない.
だから,いつまでも「売れない」のだ.

さて、ビジネスの世界では、「なにがあっても結果がすべて」とよくいわれている。
経営トップのよくある従業員を整列させての挨拶で、どの会社でもあるから定番になっているほどだ。
しかし、このことばには、どこかいかがわしい匂いを感じる。

ひょっとして、こういうことをわかったような顔をして演説できるひとは、それまでのビジネス人生でほんとうに「結果」を出した経験があるのだろうか?と。

もちろん、なんらかの評価が同期入社のなかですぐれていると、その上の世代のトップが判断しないと、昇進できないのが日本の会社ではある。
しかし,それがなんだかはよくわからない.
本人もよくわからないだろうけど,昇進するのだから自分に問題ないとかんがえるのはふつうだ.

だから、それがなんだったのかは、ある意味公表されていい。
そうでもしないと、とんでもない人物が、とんでもない理由で選ばれてしまうかもしれないとおもうほど、この国のあらゆる組織におけるガバナンスがゆるんでいるようにおもえる。

実務で、結果を出すためのしくみづくりに苦労したひとなら、いきなり「結果がすべて」とはいえない。
むしろ、準備こそ重要だとかんがるはずである。
この「準備」のことをふつう「プロセス」という。

いい結果を出しつづけるには、ちゃんとした準備が不可欠なのだ。

そのことを、真冬の桜が教えてくれている。

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