いまどきに、「政商」といってもピンと来ないなら、自分を疑った方がいい。
わが国最大の「政商」とは、あいかわらず「三菱」がつくグループである。
ただし、「三菱鉛筆」は、素性が別であるので念のため。
グループ中核企業といえば、なんといっても、「重工」だろう。
軍需をまかなう、巨大企業にちがいない。
それがかつて、爆破事件にもなって、丸の内を騒然とさせた理由でもある。
明治の政商・岩崎弥太郎の直系といってもいい。
その三菱重工が、いま倒産の危機に瀕しているのは、初の国産ジェット旅客機の開発に失敗したからであるといわれだした。
この会社の、「主力製品」には、どんなものがあるかといえば、原子力発電所、宇宙ステーション、艦艇、そして、航空機などがある。
つまるところ、政府との関係なくして受注がないものが多いのだ。
横浜にある、ぜんぜん未来感がない「みなとみらい21地区」は、かつての『横浜ドッグ:三菱重工横浜造船所』であった。
わたしが通った小学校は、映画『天国と地獄』の、三船敏郎扮する社長宅にあたる場所(CGとはちがう処理をした)にあって、教室の窓の景色は、横浜駅から造船所、マリンタワーまで見渡せた。
4年生のとき、授業中にクラスメイトが突然奇声を上げたひと言は、「ビルが動いてる!」で、すぐさま、まるで映画『二十四の瞳』における分教場での光景のようになった。
先生をはじめとして、全員が窓に殺到して、「ビルが動いているさま」に嬌声を上げながら見入ったのだ。
これは、当時世界最大といわれていた巨大客船『クイーンエリザベスⅡ世号』初来日における、横浜港入港のさまだとあとからわかった。
いまもある横浜駅のデパート・ビル群より大きなビルが、背後でゆっくり動いていたのは、いまだに忘れられない。
子ども時分には大桟橋には何度もいったことがあって、小学校2年の遠足でも行った。
このときは、『キャンベラ号』が繋留されていて、デッキにいる乗船客にみんなで「ハロー」といったら、おおくのひとが手を振ってくれた。
しかし、『クイーンエリザベスⅡ世号』のでかさは格別で、たった一隻で大桟橋を占拠していた。
片側に二隻や三隻があるのが、ふつうなのを知っていたからである。
それでも、造船所に入ったことはなかった。
横浜駅から桜木町駅の国鉄電車からしか様子がうかがえない、なにかしらの秘密基地のようでもあった。
それでも、巨大な鉄のかたまりに溶接の火花を見ることができた。
移転が完了したのは昭和58年だったけど、ずっと前に機能は停止していた。
大きな船はこれから長崎造船所で作られると聞いて、がっかりしたことを覚えている。
そんなわけで、造船所に勤めるお父さんがいる同級生もいた。
だから、港の機能を一部失って、「みなとみらい」ができてきたときに、過去の栄光をかたる「博物館」に、街そのものがなったのだとおもったのである。
ポーランド自由化の発祥地、グダンスク(当時は「グダニスク」)の造船所は、不思議と海から離れた場所にあって、『自由労組・連帯』の大きな記念館が博物館として建っていた。
世界の労働組合が「連帯」した証拠のプレート群に、わが国の労働組合が寄贈したプレートもあった。
ただそこに、なんの説明もなく日本語だけで書いてあったのが、妙に白々しい感じがしたのとなんだか似ている。
その三菱重工は、2017年にみなとみらい地区にある自社ビルを土地も含めて売却しているし、その前の2015年には、大型客船の引き渡しが遅延して特別損失を計上した。
ジェット旅客機だけでなく、なんだかおかしいのである。
そして、2017年には、ポーランドに次世代原子炉を輸出することになって、2033年に稼働を見込んでいるという。
これには、東芝や日立なども加わるのだが、「東芝?」というアラートが鳴る。
東芝が事実上解体されたのは、原子力事業の大コケが原因だったから、嫌な予感がするのである。
それに、火力発電所の件もある。これは、三菱重工と日立が泥仕合となった南アフリカでの事業損失をめぐる訴訟をいう。
つまり、社としてみれば敵同士が、ポーランドの件では手を結ぶ構図になっている。
こんなことができるのは、誰かが強力な「介入」をしているからである。
その誰か?とは、わが国では「経産省」しかない。
さらに、「水素」事業で「環境」に取り組むというニュースが昨日の28日にあった。
またまた、「脱炭素」だ。
どうしてこんなことに資本を投じるのか?
「あの役所」の介入しかかんがえられない。
すなわち、三菱重工という企業は、自己決定権を失っている。
だからもはや、民間企業ではない。
ではなにか?
民間を偽装した、国営企業になったのである。
軒先貸して母屋をとられた。
「没落」という運命がまっている。