「政治」の日銀金融政策

むかし、経済企画庁の「文豪」とあだ名されていた、原田泰(ゆたか)氏が、2015年3月に日本銀行政策委員会審議委員になって、20年に5年の任期を終えて「引退」され、日銀の内部事情について「曝露」した。

レッテルを貼れば、岩田規久男日銀副総裁とともに、「リフレ派」である。
なお、岩田規久男氏は、元学習院大学経済学部長もつとめた学者である。

個人的感想を吐露すれば、このお二人の著作のファンであったから、日銀の「公職」に就くことに違和感があったのは確か、である。
縛りができて、「舌鋒の鋭さ」が失われるのが残念な「予感」がした。

予感はその通りになったけど、きっと「なにかある」という感じがあったのは、「御殿女中」という変わらぬイメージが日銀エリートにあるからだ。

「文豪」の原田氏には著作がたくさんある。
まずは、この一冊、を紹介すれば以下の『なぜ日本経済はうまくいかないのか』(新潮選書、2011年)という、日銀にいく前の主張がある。

また、岩田規久男先生には、むかし、『ゼミナール ミクロ経済学入門』(日本経済新聞出版、1993年)からお世話になっている読者のひとりである。

もう一つの「違和感」は、どうして「日銀なのか?」ということだった。
「本丸」は、財務省にほかならないので、「三の丸」いや、その辺の「砦」でしかないのが日銀だからだ。

しかし、攻める相手が財務省ならば、攻める側としての戦力が、二人ではぜんぜん足りない。
「総力」を挙げてが必須になるけど、どこに「総力」があるのかといえば、研究予算が欲しい「学会」は財務省側なので話にならない。

それに、任命する自民党の方だって、そんな「仕掛け」はできないから、最初から「しない」という選択を総理にさせることになる。
とにかく、国税庁(「国税査察」とは「捜査権」)を外局に持つ、財務省とは「不滅の牙城」なのだ。

その鬱憤が、岩田氏退任(2018年3月)のあとに即座にでたのが、ラジオ番組での「放談」となった。
それは、黒田総裁による、消費税増税への援護発言だったという。

これには三つの意味がある。
・日銀の政府からの独立についての自己放棄になりかねないこと
・実際の消費増税がインフレ目標を潰したこと
・総裁に逆らえない組織風土があること(やっぱり御殿女中)

もちろん、前提として、黒田氏が財務省(政府)出身の「あちら側」だということも含意している。
選んだのは、総理である。

それで、遅ればせながら、原田氏も退任してからの追随だといえる。
しかし、原田氏の曝露は、「副総裁」よりもずっと具体的なのだ。
・原田氏就任当初の日銀は、その政策決定に経済学の知識は不要だった
・政策決定に関与する、日銀職員は5000人のなかの数えるほど
・その数名が、経済学の応用方法を知らない「学部学生」並み

コンビの一方だった、岩田氏の言い分を改めて、「総裁次第」ということが、日銀の政策を決定する、とも明言したのである。

では、なにをもって政策決定を小数の内部スタッフたちが企画し、これを提案、そして委員会で決定させていたのか?ということになる。

まず、委員会の委員は全員発言をするのだけれど、「持論」を述べる「だけ」で、「議論したことにする」という茶番がある、と。
しかも、多くの持論は、「学説を伴わない」から、じっさいは「世間話し」と同類なのである。

ここが、「重要」で、スタッフたちのもとには、毎日のように「業界」からの要望や苦情がやってきて、これらの最大公約数を「原案」にする、という「作業」が、政策決定スタッフの主たる任務だという。
だから、委員の世間話しも、そのなかに入れることができる。

ちなみに、業界とは、日銀は中央銀行なのでまずは「銀行業界」、それから「証券業界」ということになっている。
銀行は、低金利のせいで、本業(預金を貸し出す)でぜんぜん利益があがらないビジネス・モデルになったし、低金利なので、証券会社には都合がいい。

ようは、これらの業界が満足するだろうことが、「政策」となっている「だけ」だという実態の暴露なのだ。
つまり、「政治」をやっている。

まったくため息しかでないけれども、国民として「そもそも」をかんがえておくことも重要だ。
それは、日銀の金融政策で、「できること」と、「できないこと」の区別である。

金融政策で「できること」は、「金利」と「貨幣供給量」の操作しかない。

「金利」の上げ下げの効果は言わずもがな。
「貨幣供給量」は、金利だけでなく、政府が発行する国債の日銀引き受けとかであって、市中に流通しているおカネを、日銀が吸い上げたり吐き出したりすることで調製するのである。

この媒介を、手先である市中銀行やらの金融機関がやっている。
その中核となるのが、「日本銀行金融ネットワークシステム」だ。

なお、政府が発行する国債の多くは、貸出先がない銀行がたくさん買ったので、日銀はこれを買い上げて、その銀行の日銀口座の残高を増やして、これを、「金融緩和」と言ったのである。

「ふつうなら」豊富な資金ができた銀行は、これを貸出の原資にするはずだけど、元から貸出先がないから買った国債だったので、国債なら金利が付くのに、金利がつかない「日銀当座預金」が増えても困るのである。
そんなわけで、市中におカネが増えないから、インフレにもならない。

原因は、民間企業が投資をしない、民間人が起業をしない、ことにある。

既存企業が投資をしないのは、投資をしてもそれに見合う「リターン」が得られないと「予測」しているからである。
このリターンとは、借りた金利以上の「率」という意味だ。

民間人が起業しないのは、設立原資を得る手段が乏しくて、手続きに「不動産担保」を差し出さないと「いけない」と、「金融庁」が銀行に命じているからである。

学校を出たばかりの若者が、担保に差し出す不動産を持っているはずがない。
本来は、「設立趣意書」をもって、資本の募集ができるのが「資本市場」のある、「資本主義社会」なのだ。

もし、◯◯年に、設立されたばかりのアマゾンとかグーグルの「株式」を、1000円ばかり買っていたら、今頃は「億単位」になっている、といって「投資勧誘」があるのは、アメリカに「資本市場」がある、という意味で、この例の投資家は1000円が「0円になるリスク」も買ったのである。

つまるところ、わが国には、「資本市場がない」という、凄まじいことになっている。

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