「教科書」が読めないおとなたち

ふとしたことでよくわからなかったことに合点がいくことがある。

たとえば、たまたまではあろうが、このところ、自動車の乗降において、子どもを「右側ドア」からおろしたり、乗せたりする光景をつづけて目撃した。

あぶない!
のは、当事者の子どもだけでなく、当方もおなじで、もしこの子たちがそのまま道路にでればこちらと接触してしまうかもしれない。

さいきんはスライド式ドアというものがふえたから、いきなりドアが開いて後続車の進行をさまたげることはないが、右側(道路側)ドアがスライドして開くさまは、うしろからは見えにくいから、子どもが注意深く半身を出すことでドアが開いていることを確認できる。

おそらく運転している親とおもわれるおとなは、「後ろからの車に注意しなさい」といっているのだろうが、ドキッとさせられる当方には、はなはだ迷惑な運転手である。
もちろん、こちらに注意をうながすすべはとっさにはクラクションしかない。

これを、安全管理上、「ヒヤリ」と「ハット」という。
おおくの「事故」は、事前に「ヒヤリ」と「ハット」の経験があるから、安全会議という定例会で企業は、そうした「ヒヤリ」と「ハット」の発生事例と対策をかんがえ、事故防止をはかるのである。

ワンボックスカーでも、一部車種には右側にスライドドアがないものがある。
あるのは、運転席のドアだけだから、後部座席のにんげんは左側(歩道側)からしか乗降できないので、安全対策としては万全だ。

それにしても、右側からじぶんの子どもを乗降させるという危険行為をする親とは何者なのか?とおもわずにはいられない。
もちろん、駅の貧弱なロータリーでは、いうなれば追い越し車線に停車して、そこで左側のドアで乗降させるひともいるから、うっかりできない。

自転車通学をゆるしている学校での安全教育はどうなっているのか?
地方にいくと学校指定のヘルメットをかぶっている中学生をみかけるが、高校生になるとヘルメットの着用どころか両耳ヘッドホンをつけているから、およそ安全という視点では「退化」している。

両耳ヘッドホンを着用した女子高生の自転車が老婆と衝突して、はずみで頭をつよく打った老婆がなくなる事故があった。
民事裁判で、この女子高生に1億円の損害賠償責任が確定したから、十代のわかさで1億円の負債をかかえこんだのは、一生の不覚ではすませられない。

だから、よほど全国の学校もこの事故の教訓をもって、注意喚起と安全教育をしているのかと思いきや、そんな様子はぜんぜんみられない。
「リアリティの欠如」なのかなんなのか?
日常的に両耳ヘッドホンの自転車学生を目撃している。

それでかしらないが、自転車に賠償保険をつけることが義務化された。
保険があるから「安心」なのではなく、安全をはかることが先なのだ。

2019年ビジネス書大賞受賞ほか山本七平賞、石橋湛山賞、大川出版賞、日本エッセイスト・クラブ賞と賞だらけ『AI vs. 教科書が読めない子どもたち』新井紀子(東洋経済新報社、2018年)を読んで、はたと気がついた。

教科書が読めないのは、子どもたちだけでなく、その親もあたるのではないか?
いやいや、わたしだってそうかもしれないと、じぶんのことをかんがえた。

著者によれば、こころある教師たちも、著者が中心になってつくった「確認テスト」を受けているという。
すると、あろうことか、教師だって教科書を読めていないことがわかってきたのだ。

この事実に愕然とした教師たちが、どうしたら教科書を理解できるようにおしえることができるのか?という課題にとりくみはじめて、そんな教師がいる学校では、めざましい成果がでてきているという。

これは重大な情報である。
昨年、「孟母の絶滅?」という記事をかいた。
もし、まだ「孟母」が生存しているなら、このような教師がいる学校に一日でもはやく転校させるべきだ。
このような学校が人気校になることで,教師たちの努力が「まっとうに」評価される.

「教科書が読めない」ということは、「読解力がない」ということだ。
これは、日本語がわからない、ということにひとしいから、将来、どんなことをしてもうまくいかないという「未来図」が、その子どもに貼りつけられたも同然だ。

つまり、約束された貧困がまっている。

親の資産があるうちはいいが、そうでなければかなりの確率で不幸になる。

しかし、これは生活経済の事情のことばかりではない。
「読解力がない」ということは、事前の予測もできないからである。
事前の予測ができるとは、論理構成がはかれる、ということだ。
このように「読解力がない」という一言には、あらゆる面での基本的な能力がない絶望的な意味がある。

わが国は、読解力がない人間の国になっているとかんがえると、説明がつくことがおおそうだ。

だから、公道上で右側のドアをつかうとどうなるかがわからない。
そんな親の子に生まれたら、どこで命を落とすかもわからないのだ。

それにしても、どうしてこんなに「読解力がない」事態になったのか?
たんに教育の荒廃ではすまされないおおきな問題がありはしないか?

わたしは、現代の栄養失調「ミネラル不足」をうたがっているがいかが?

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