「日本の鏡?」エジプト

「エジプト」と聞いて、縁のない国どころか、古代エジプトの、ピラミッドにスフィンクス、それとツタンカーメンの黄金のマスクぐらいしか思いあたらないひとが多数かもしれない。

歴史をさかのぼれば、エジプトの大転換点は、クレオパトラ7世の時代に、ローマによって滅亡されて以来、ずっとローマ帝国やオスマン帝国、大英帝国とかの、「属領」になってしまって、なんと再び「独立」したのは、1922年(大正11年)のことだったので、今年でやっと101年目になったのである。

縄文時代以前からずっとある、「日本」と比べると、ほぼ2000年もの長き間、エジプトは他国からの支配を受けていた「真逆=鏡面」なのである。

こうしたことから、日本人に理解が困難なのは、「歴史がない」ことの意味なのである。

つまり、2000年間、かならず外国から支配されてきたので、この間のエジプト人の歴史には、「代官」としての話しかなく、あとはみな、「本国」の事情に依存することになるから、「自分たち」の存在が歴史上もないのである。

それゆえに、残った分野は、イスラム教だけ、ということになって、「イスラム学」が盛んになった。

アラブ世界で最古にして最高峰とされ、いまもカイロにある「アズハル大学」(972年創設)のイスラム神学科を卒業すると、世界の「イスラム裁判所」の裁判官になれるほどの「(イスラム法の)権威」となるのである。

「国立カイロ大学」が、俗にいうエジプトの東大、なんてことはない。

仏教がわが国へもたらした、「知識」を再確認すれば、比叡山延暦寺や高野山金剛峰寺は、創建当時における「最高峰」というべき「大学」であったのと、根本的なちがいはない。

さらに、延暦寺には、「鎮護国家」の役割もあって、日本が宗教国家だったことがわかるのである。
その比叡山を、信長が焼き討ちして、一向宗を皆殺しにしたし、島原で切支丹を切り捨てたのは三代将軍徳川家光だった。

以来、わが国のあらゆる宗教は、寺社奉行によって国家規制の枠にはめられ、明治になって、国家は「日本教」を発明して、キリスト(=神の子)として、天皇(=現人神)を位置付け、ヨーロッパがいまだにできない「四民平等」をあっという間に達成してしまった。

最高権威たる天皇の下に、元将軍であろうが、平等になっても、だれも文句はいえないので、資本主義の経済活動が、国民全員でできるようになったのである。
ゆえに、現人神の否定とは、日本人の根本からの否定を意図した、練られた政策なのである。

西洋かぶれして、カソリックとかがやった腐敗からはじまる、「政教分離」を、『日本国憲法』という新興宗教教典で文字どおりに適用させる強制をもって、近代成功の礎たる、「現人神の否定」という、宗教弾圧をやって、ずっとやめずにいるのが現代日本だ。

この教典を押しつけたのが、民主党が支配したアメリカという外国だったのだから、1945年の敗戦をもって、ローマに滅ぼされたエジプトのような歴史がはじまった、といえることに気づくのである。

エジプトは2000年間も続いたけれど、日本がどのくらいで再び独立を回復するかは、まったくわからない。
宗主国のアメリカと、世界情勢によって決まることだけはまちがいないのは、エジプト人がそうだったように、日本人だけで独立はできないからである。

それに、よしんば独立を果たしても、エジプトで革命があったのは、「王政」の腐敗に耐えきれなくなった事情があって、ナセルによって大統領制に移行(1952年)した。

それから、イスラエルと和平条約を結んだサダトが暗殺されて、はじめて陸軍でなく空軍のムバラクへと大統領職が引き継がれたのだけれども、そのムバラクがバカ息子に政権を譲渡しそうになったので、怒った国民が転覆した。

以来、グズグズが続いてしまっている。

なお、ムバラク政権の崩壊を、「カラー革命」の一種として、「アラブの春」ということに、わたしは賛同していない。
むしろ、ほんとうに「カラー革命」だったなら、ときの、オバマ政権でウクライナの「マイダン革命」を指揮したヌーランド(当時国務次官補で、現職の国務次官)を疑うからである。

ちなみに、ムバラクは国内の強い反対を押し切って、「湾岸戦争」にエジプト軍を出している。
もちろん、この戦争も、軍産複合体がやったものだから、ムバラクの選択は、「あっち側」につく、というものだったので、最後に彼は軍産複合体から裏切られて見棄てられたのである。

これを、諸国はみていた。
みない振りをしたのは、わが国なのである。

ナセルから、サダトの時代、エジプトは「アラブの盟主」として、「親ソ連」の国柄だった。
対イスラエルが、その大義であり、なお、盟主だったのは、4000万人の人口を擁する、アラブ圏最大の「大国」だったからである。

しかし、ソ連は武器を供与してくれたけど、食料や経済援助はしてくれなかった。

ナイル川沿岸とナイル・デルタが唯一のエジプト農業では、当時4000万人の人口を養えないので、深刻な食糧不足が大問題だったのである。
日本の援助で、ナイル・デルタはジャポニカ米(主に「コシヒカリ」)の一大産地になったけど、外貨不足のためにほぼ全部が地中海沿岸諸国に、高級ブランド「エジプト米」として輸出していた。

それで、サダトは、ソ連から乗り換えて、アメリカとヨーロッパの経済援助を選択したのである。

暗殺があっても、ムバラクがブレずにサダト路線を踏襲したのは、国民を食わせるためであったし、じっさいに欧米資本が流入して、南国ゆえと2000年の習慣でやる気なく、働かないエジプト人が、「Time is Money」をいいだしたのだった。

ところが、ソ連がロシアになって、混乱をおさめたプーチン時代になると、オバマ政権のアメリカが援助を政治利用して、軍産複合体政権ゆえに武器供与をするだけになって、逆にロシアが小麦を売ってくれるようになったのである。

そんなわけで、どうする?「シーシー政権」、となっているのが、いまのエジプトなのだ。

グズグズなのはバイデンのアメリカも同様で、なんだかしらないけれど、国防総省の機密文書の「写真」がネットに大量に漏洩した。
犯人たる若者が捕まったら、すぐさま起訴された怪しさがある。

この機密情報のなかに、エジプトのロケット弾工場で、ロシアへ輸出するための緊急生産開始(24時間フル稼働)を指示したシーシー大統領と、その指示を承った軍需大臣の会話(盗聴)記録もあったのだ。

エジプトは、「ロシア制裁」に加担しない、「多数派」だけど、ロシアからの小麦がないと、もう1億人を超えた国民生活が窮乏する。

しかして、中東を不安定にしたい(=あくまでも軍需を高めて武器を売りたい)バイデン政権には、エジプトの裏切りにどんな制裁を課すかの理由を獲得した意味となるので、さらに世界をエネルギー危機に追い込むのだろう。

日本の真逆をいくエジプトなのであるけれど、その逆風は日本にもやってくる。

あまりにも、「鏡」をみているようなのである。

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