「格差社会」のつくりかた

日本人で「奴隷」といわれてもピンとくるひとはすくない.だから,憲法18条に違和感をおぼえるのだ.
はるかむかしからずうっと貧しかったので,欧米人からしたら「奴隷」にみえても,本人たちはそう思っていない.「みんな」貧しかったという事実が,これを否定させるのだ.

移民の歴史をみると,明治初期の海外「移民」のおおくは「奴隷貿易」だったという.
それで,中南米への「移住」も,さいしょはそれを疑われたから,うそつき政府はここでも「バラ色の開拓地」と平気でうそをついた.現地での辛苦は想像を絶したが,帰国もできない.それでも誰も,日本政府を相手に損害賠償請求をしないのは,できなかった,だけなのだろうか?
実態は,移民ではなく「棄民」だったのだろう.日本の近代政府には「棄民」のノウハウがある.

個人的に「奴隷」になったはなしは,高橋是清がその「自伝」に記録している.

少年是清が横浜から密航をくわだてたものの,出港から数日で発見されてしまい,その後の航海は船長預かりとなった.そして,アメリカに到着すると,船長が自分の所有物として是清を売却したので,彼は本物の「奴隷」になった.後の日銀総裁,大蔵大臣,内閣総理大臣の経歴である.

大陸中国の発展と不安定のコントラストの構造は,1億人の支配者層と3億人の平民層,のこり9億人の奴隷からなっていると,しりあいの中国人がはなしてくれた.
圧倒的多数の不安定な奴隷という存在は,古代中国からかわっていない.われわれの隣国は,じつは古代国家なのである.

さて,奴隷とはなにか?
辞書には,「人間としての権利・自由が認められず、道具同様に持主の私有物として労働に使役される人間。」とある.

数ではすくないとおもわれるが,「有能」な経営者がひきいる会社の従業員は,「『ちゃんとした』労働者」というあつかいを受けている.
「ちゃんとした」,とは,雇用主と対等だという意味で,雇用主と共に「付加価値」を一緒につくりだすパートナーであるという位置づけのことである.

「有能」な経営者は,これを無言でも実行する.
それが「信念」になっているからだ.
だから,「従業員は人財です」なんてことを軽々しくいわない.
こういう会社の従業員たちも心得ているから,だまって働いていることがおおい.

「無能」な経営者は,損益計算書しかみないが,だからといって損益計算書の見かたをしっているわけではないし,そもそも,損益計算書が「経営」にほとんど役に立たないこともしらない.
だから,費用でいちばん大きな数字になる「人件費」を削減すれば,利益が増えるとおもって疑わない.

損益計算書でもっとも重要なのは,「売上総利益:粗利」である.これが「付加価値」を示すからだ.自社で生み出す付加価値が大きければ,結果的に赤字になるはずがない.
だから,「有能」な経営者は,粗利をいかに増やすかに心血を注ぐのであって,従業員と一緒に取り組む努力をおしまない.

ところが,「無能」がまっさきに取り組む人件費の削減方法が難しい.
この国では,もはや「正社員」を解雇することはよほどでなければ不可能になった.
それで,目先はパートやアルバイトにむかうのだが,困ったことに,現場の労働力はとっくにこれらのひとに依存しているから,人数の削減は現場責任者がゆるさない.

それで,せめてもの抵抗として,残業代を払わない,という手をかんがえる.
「仕方ないだろう,そうでもしなきゃ利益がでない」と無能が自分に言いきかせていたら,今度は人手不足で採用ができなくなった.

この会社は「ブラックだ」,といって,解雇できない社員が自分の意志で退職すると,とても作業がまわらないから,自社の能力をしたまわる稼働でしか仕事をこなせない.
こうして,稼働と売上がさがっても,なおも人件費を削減したいとかんがえるのが「無能」である.

無能な政府が多数の無能経営者に媚びて,無能の悩みを解消しようとはかったのが「働きかた改革」法である.
子どもの「おこづかい帳」とおなじ単式簿記の世界にいる役人は,財務諸表の見かたもしらない.
それで,「無能」の経営者からレクチャーをうけて,わかったつもりなる.

始末が悪いのは,法学部出身の役人で,かれらは「法」と「現実」の順番が狂っている.
「法」を作文したら,それが「現実」になるとうたがわない.その結果が「福島」である.
「現実」が「法」のとおりにならないのは,「法」がおかしいのではなくて,「現実」がおかしいとかんがえる.これを「倒錯」と指摘する評論家がいない.

もちろん,これはおかしいのだと「有能」な経営者はしっている.
けれど,かかわる暇がないし,かかわるとかならず面倒なことに巻きこまれるから自社のことで精一杯にしておくのだ.

政治活動に心血を注いだ労働組合のイメージが払拭できない不幸が,一般人からもいまだにフィルターがかかってみられている.それで,「労働」の意味を啓蒙教育される機会もうしなったままになっている.
学校で教えろといっても,先生たちの例の組合が張り切るだろうから,まともな親なら拒否したくなる.
こうして,一般人は「労働」とはなにかもしらずに,自分の「労働力」を安売りするから,「無能」な経営者がはびこるようになっている.

「格差社会」をつくる強欲資本主義がいけない,と批判の声がおおきいが,そうではなくて,「付加価値」を生みだすことにこだわるのが「資本主義」だとしらない「無能」たちが,トンチンカンな努力をして「格差社会」をつくるのだ.
けれども,そんなことは承知の上で,「格差拡大」こそが「革命」のきっかけになると,確信的に企んでいるのではないか?ほんとうは「格差社会」をおしすすめるように仕向けている.

だから,このまま「努力」をすればするほど,この国は貧しくなって,結果的に「格差」もひろがる.格差社会は「いけない」といいながら,じつは望んでいる.
そういう意味で,上野千鶴子がいう「みんなで貧乏になりましょう」が実現できるというものだ.
ただし,彼女は自分が貧乏になることを決して望んでいないし,貧乏になるともおもっていないだろう.平等を「強制」する政府の顧問にでもなれば,ゆたかな生活が確保できるというものだ.

こういう「無能」は,犯罪的だというひとがすくない.
しかしてレーニンのことばをおもいだす.
「役に立つ白痴」.
東京大学の権威と名誉にかかわることではないのか?
こんな人物がなぜに「元東京大学教授」にして今「東京大学名誉教授」でいられるのか?不可解なことである.

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