重い社会保障が人件費を上げる

「会社」に勤めていると,会社が半分払ってくれているから天引きされる「社会保障料(年金と健康保険)」が気にならない.
ところが,「自立」したとたんに,自分で「全額」負担する.それで,おどろいた経験のあるひともいるだろう.

いまさら,厚生年金であれ国民年金であれ「公的年金」ならば,それを「掛け金」と言ってはいるが,自分のために「積み立て」しているわけではないと,しらないひとはいないとおもう.もしも,しらなかった,というなら,まちがいなく給与明細の「手取り」しかみない勤め人しかいない.
ましてや,公的健康保険が健康だとどのくらい酷なお金を徴収されているか,かんがえもしないものだ.これも,毎月「掛け捨て」ている.

戦時中にできたときは,「積立方式」だったが,戦後のインフレで「積立」がパーになって,それからは支払原資がないから「賦課方式」に変更された.これは,いま集めたお金をいまの支払にあてる方式だ.だから,受取人がすくない当初は,どんどんお金がたまっていった.それを預かる役人が,いいから使っちまえ,といろんな「会館」を建てたという事情は「厚生年金保険制度回顧録」に詳しいが,アマゾンでの取扱がないから,図書館の利用を推奨する.

そんなわけで,明治生まれの世代は,掛け金の負担を「しないまま」年金生活ができた.
わが国の社会保障が国民皆保険として完成したのが昭和36年である.当時は,55歳定年がふつうだった.ときの総理は「社会保障元年」だと自慢した.
その次の,大正から昭和一桁生まれは,若干負担したが,受け取りのほうがおおい世代で,世間はここまでを「得をした」と言った.

「世代」でいえば,これらのひとたちは「戦争当事者」である.ひどい目にあって生きのこったことに対する国からの「ご褒美」だと認識しても,それなりに納得できる.
ただし,ひどい目の元凶は,政府だけのせいではなく国民の意志だったことを忘れてはいけない.
「国民皆保険制度」を国民の意志としないアメリカのような国もある.

それは,「自由」が失われるという「命題」による.この「自由」とは,「自己決定」の「自由」をいう.
「国民皆保険制度」を国民の意志としたわが国は,国民ひとりひとりの「個人の『自由』」が冒される「危険」を,アメリカ人のように意識しているのだろうか?

いま,年金生活をしている世代は,しっかり「自己負担」したように見える.
これからの世代は,自己負担分よりすくない額になること必定である.
これで,いまだに「損」「得」を言っているのは,視野狭窄ではないか?
これからの未来世代にとっては,既にこの国の社会保障制度は破綻している.

日本人は,先祖を思いださない不敬な国民になり果てた.
誰にでも「親」がいる.その「親」にも「親」がいる.
たった二・三世代前の,明治生まれのご先祖が,ただでもらった年金と,その次の世代がもらった年金を,自分には「損」だからもっとくれと言っている.
全員の「家系」でトータルすれば,結局チャラになっただけのはなしである.

これから先は,マイナスばかりで,だれも「得」をしない「制度」になり果てる.
それがもうはじまっていて,パートタイム労働でも負担を強いられる.
本人負担だけではない.半額は雇用者負担だから人件費の増額である.
その分「手取り」が減るならば,この国の貧乏を社会保障がつくっていることになる.

なんのことはない.食に窮したタコが自分の足を食べるようなものである.
これをつづければ,タコは自身を食い尽くして無残なまま最期をむかえる.

マスコミによる有権者へのアンケートで,つねに上位回答が「社会保障の充実」になってひさしい.
いっとき「家系」の「家計」に役だったものではあるが,もう全員が損しかしない制度の充実を要求してはばからないのは,タコにも劣る強欲そのものである.

その国民の強欲を満足させれば選挙で勝てるという強欲が,破滅へのスパイラルである.

はやく現役世代には,民間の積立方式に加入をうながして,この制度の廃止をすすめるべきである.
放置すれば今度こそ,まちがいなく国民の意志で,この国の破滅がやってくる.
その辛酸をなめるのは,まだ生まれてきていない世代になるから,この世代の恨みを今の我々が一身に受けることになる.

「国家依存」した「強欲のバカ世代」という歴史的烙印を押されるだろう.

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