「無能」を暴露した病気

ようやく本日25日、首都圏でも「自粛解除」となりそうである。
あらためて、今後ふりかえるべきことを書いておこうとおもう。

人類史における「厄災」のなかで、「世界的な病気」といえば、やっぱり「ペスト」である。今回の「自粛」期間で、ベストセラーになったのが、カミュ『ペスト』であった。
しかし、この病気は、何度もやってくるので、一回ではなかったということはしっておきたい。

一回だけで、文明が滅ぼされたのは、南米大陸における「マヤ」だし、これによって古代からつづいたというアステカやインカ帝国も滅亡した。
ヨーロッパ人がもたらした、「天然痘」に、これらの人びとがまったく免疫をもっていなかったからである。

つまるところ、ヨーロッパ人(スペインとポルトガル)による、新大陸=このばあいは南アメリカ大陸の「征服」とは、たった数百人が所持した「銃」よりも、かれらもしらずに持ちこんだ「細菌」によってしてやられたのである。

けれども、当時、「細菌」であろうが「ウィルス」であろうが、そんなものの存在をしっている人類はいなかった。
コッホによる「発見」は、1876年。
征服者ピサロのスペイン出航は1531年である。

だから、征服者たちだって、目の前にいるひとたちが、バタバタ死んでいくさまを見て、「キリスト教の神の御業」だとおもったのはまちがいない。
なぜなら、キリスト教徒である、征服者たちには、なんの厄もおきないからである。

では、「ペスト」となるとどうだろう。
以下は、村上陽一郎『ペスト大流行』(1983年、岩波新書)による。

そもそも「ペスト」という単語は、「悪疫」という意味でしかない。
紀元前5世紀に書かれたという、古代ギリシャの歴史的資料にある「アテネのペスト」は、今日では、「天然痘」だとみられている。

人類の記録で最初のペストは、やっぱり「聖書」にある。
『サムエル記Ⅰ』5,6章、「契約の箱」にまつわるエピソードに「腫物」と「ねずみ」が登場する。
時代は、おそらく紀元前11世紀ごろのことだと推定できる。

町が滅亡するほどの病気を、「神の御業」として解釈する。
すなわち、大きな厄災を、神の怒り、人間の堕落に対する神の警告とみなす習慣ができていた。

世界的大流行=「パンデミック」の記録の初出は、西暦5世紀から6世紀に書かれた、プロコピオス『ペルシャ戦記史』にある。
人間の活動が、「世界」に広がって、つながっていたことの証拠でもある。

もちろん、ペスト菌を媒介する「クマネズミ(の蚤)」も、人間と一緒に行動して「つながっていた」いたという意味でもある。
J・L・クラウズリー=トンプソンの『歴史を変えた昆虫たち』(思索社)には、1727年にロシアのヴォルガ河をドブネズミの巨大な集団が次々に西に向かって泳ぎ渡っている、との目撃談がある。

これによって、西側からクマネズミが撃退された。
ドブネズミは、クマネズミほど人間の生活との重なり合いや交渉が「濃密」ではないため、これ以降、ドブネズミが主たる場所でペストも減少したという。

そんなわけで、パンデミックとしては、14世紀中世のヨーロッパ社会における事態が、生活記録が残る最初のものとなっている。
しかし、あまりも犠牲が大きかった。
人口統計がない時代のなか、推定で7千万人もの死者だったとかんがえられる。

当時の人口が1億人と推定されているから、生き残ったひとが3割というのは、実態として「廃村」になった地域が多数あったという意味でもある。

ヨーロッパ中世の経済社会は、「前期資本」という、まだ「資本主義ではない」時代であった。
つまり、冒険や掠奪、詐欺すらも「当然」の経済行為とされる。
そこで、生きのこったひとたちが、誰もいなくなった場所からの財産を継承する、ということによる「成金バブル」まで発生する。

表層では、農民の人口が激減したため、労賃が上昇する、という減少がおきて、自身の耕作地を農民に分与しながら維持するという、貴族にとっては終末的な事態にもなる。
これで、「荘園制」は崩壊し、「労賃」が労働者をつくった。

しかして、流行中の文化としては、廃退と宗教的厳格さが同居する。
明日をも知れぬ命と覚悟すれば、全財産を使い果たして「この世の春」を謳歌してから死にたいというタイプと、にわかに神への忠誠を誓って、せめてもの望みとして「天国」にいきたいというタイプになった。

前者の典型にして傑作が、ボッカチオの『デカメロン』だ。
そして、後者はユダヤ人狩りをはじめる。
それは、あたかも「自粛警察」のごとくである。

では、前者は?
パチンコに列なした人びとをいうのだとすれば、自粛警察にしてもパチンコにしても、じつにちんけなのだ。

クマネズミがインフルエンザ・ウィルスで、ドブネズミがコロナ・ウィルスだとすれば、すっかりインフルエンザが撃退されて、コロナと共存すれば、インフルエンザが減少するということに気がついた。

それで、死者数が半減した今シーズンの「風邪」だから、起きたのは人間社会の「パニック」だけだった。

ヨーロッパ人は、なんの役にもたたなかった古代からの伝統医学の無能を見限って、ついでに教会の無能も見限った。
そしてこれが、ルネサンスの爆発を準備して、近代となったのだ。

果たしてわが国は、なにを準備したのだろうか?

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