【2022年頭】続・道徳と倫理を問う年に

謹賀新年。

昨年は、「【2021年頭】道徳と倫理を問う年に」だったけれども、今年は「いよいよ」を付けて「続」としたい。

「いよいよ」には理由がたくさんあって、先ずは北京オリンピックの「後」からの「台湾危機の予測」があることがあげられる。
けれども、これには「ウクライナ危機」という問題もくっついていて、アメリカは「二正面作戦」を強いられている。

この二箇所が同時に「破裂」したら、いきなり、「第三次世界大戦」という小説のような話になってくる。

ところが、「これまで」とちがってヤケにリアルなのは、バイデン政権という「歴史的不安定」があるからだ。
昨年の秋口から、トランプ人気が盛り上がってきて、今年11月の中間選挙で「トランプ派」となった共和党が圧勝する体制を整えている。

しからば、北京オリンピック後から中間選挙までの「期間」が、近年稀にみる「危険期間」となること必定なのである。

この選挙、勝てば「タフ」なトランプ氏が実質的に議会を担う、という意味もしかりだが、前回選挙の「負け」からの「勝ち」とは、その「定義」を変えてきていることが大きい。
つまり、従来から目標としていた「州単位」での「勝ち」ではなくて、「市」、「郡」単位という、住民目線での「勝ち」を重要として目標設定しているからである。

ちなみに、アメリカの選挙は、州単位だと、州知事、副知事、州務長官、州司法長官、それから、教育委員会の委員、さらには野犬捕獲員とかと、数千ある「公職」が「みな選挙の対象」だから、ぜんぜん日本とはちがうし、「州」でもちがうのである。

当然ながら、「そうはさせじ」という勢力があるので、どんなふうに「阻止」するのか?という問題が発生する。
この「そうはさせじ」という勢力には、当然ながら敵対する国家だって含まれる。

すると、もっとも手っ取り早い民主党の「負けない戦略」とは、「戦争」なのだ。
「戦時政権」は、絶対的優位に立つことになるので、劣性をひっくり返すことにもなるし、「臨戦態勢」のためだといえば、「何期」だってできるかもしれない。

それが、前回「第二次世界大戦期」の、「前例」だ。
フランクリン・ルーズベルト政権は、1933年~1945年の12年間もあって、4選後に死去して昇格したトルーマンは、再選して1953年まで続き、その後共和党のアイゼンハワーとなった。

つまり、20年間もの期間が、民主党政権だったのである。

それでもって、さすがに1951年に米国憲法修正第22条ができて、「2回まで」と規定されたのだった。
だから、憲法による制度が出来てわずか70年あまりしか経っていない。

こんなことを忘れる民主党員はいないだろうし、左翼は「永久政権」を目指すものだからその機会を狙っているはずでもある。
日本人にとっては、大東亜戦争の「開戦前から独立回復」しても1年後まで、ずっと、「民主党のアメリカ」を相手にしてきたことは、重大な事実なのである。

その民主党の「不道徳」は、結党以来一貫している。
この党は、ヨーロッパでも喰えない無法者達の集団から誕生したのだ。
いまなら、絶対に大統領になれっこない、ルーズベルトは、有名な「レイシスト」であり、「人種改良論者」であった。

そして、改良すべき人種の中に「日本人」がいたのも事実だ。
この「改良」は、いつ誰によって中止されたのか?
じつは、「放置」されているのである。

いま、民主党の言う「平等」とか「反白人」というのは、ルーズベルトの延長にある「主義」の「言い換え」のことで、これに社会主義・共産主義が結合して、いまの「先進的運動(たとえば「BLM)」になっている。
もちろん、伝統的に武器商人やらと結託していることも「前提」にある。

共和党がその理念を放棄して、金持ちのための政党といわれたのは、ウオール街とか武器商人とかと結託したからで、その本質が民主党と同じになってしまった。
その典型が、ブッシュ親子だったし、いまは「RINO」(名ばかりの共和党員)という。

これを、元通りの結党理念に戻したのがトランプ氏だったのである。
だから、既存の「利権勢力」は徹底的にトランプ氏を貶めるけど、気がついた民衆は彼を熱狂的に支持するのである。

そんなわけで、3月から10月までの間が、目を離せないことになる年になることは、もう決まっている。

この根底にあるのが、「道徳」と「倫理」なのである。
だから、いよいよ、「善と悪」、「明と暗」との対立が、決戦となるかもしれない。

しかし、こんなことは日程的にもとっくにわかっているから、水面下では激しい攻防戦がはじまっているにちがいない。
それが、あたかも「モグラたたき」のように、あたかも「偶然」とか、「何の脈絡もなく」とかという状態で、われわれの目にする事件になっているはずだ。

たとえば、石油やエネルギー問題、それから、脱炭素、コロナ対策、領土、民族自決、韓国大統領選挙、ロシア、NATO、TPP、参議院選挙、インフレ、スタグフレーション、などなど。

だから、ひとつひとつの「事件」にかまけていると、本質を見失う年になる、ということがはっきりする。
それが重要なのは、他人事ではなくて、かならず自分事になるからである。
しかも、「生存」にかかわることになりかねない。

物騒な年がはじまるから、「気を確かにして」、今日から365日後の年末の「無事」を祈りたい。

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